■自著を語る■(2016年11月改訂) 【1】

■自著を語る■(2016年11月改訂) 【1】

 自著と言っても、実際には編著・共編・校訂・校注・複製などもあるので、純粋に自分の著書ではない。ただ、長い間には種々様々な本を出し、その時その時に、多くの方々のお世話になったり、御配慮を頂いた事が少なくない。そんな事を備忘録も兼ねて整理しておきたいと思う。

【1】可笑記評判 (校訂)
A5判、278頁、和装、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会発行、非売品。発行部数122部。制作実費1部800円。
(1)凡例、(2)可笑記評判本文 巻一~巻十、(3)固有名詞索引、(4)章段数対照表・章段対照表、(5)振り仮名・漢字一覧、(6)書誌、(7)口絵(東京大学附属図書館所蔵本)
万治3年2月刊行の、浅井了意著『可笑記評判』を全冊校訂したもの。底本は東京大学附属図書館所蔵本。『可笑記』本文は収録せず、振仮名も省略した。ただし、主要な振仮名は巻末に一括掲載している。
●印刷は孔版タイプ印刷で、印字は江東区住吉の文進社、印刷は文京区本郷の一龍社。製本は千代田区神田の謡本専門の川嶋製本。
●昭和41年5月発行の『文学研究』第23号に「『可笑記』と『可笑記評判』―現実批判を中心に―」を発表したが、これを契機に『可笑記評判』の本文全冊を『文学研究』に掲載する話が出た。準備を進めてゆくと大部過ぎて雑誌掲載は無理となり、単行本化す事に変更し、自費出版で近世初期文芸研究会から発行する事になった。
●巻一から1巻ずつ原稿を作り、文進社で印字・印刷した。タイプ印刷に活字が無い場合は、日本活字・岩田母型で一般印刷の活字を購入し、作字もした。それでも無い文字は印鑑店(はんこ屋)で刻印して揃えた。
●タイプ印刷でお世話になった文進社の兔木さんから、数年前に連絡を頂いた。当時、3歳くらいだったお子さんが、成長され、現在、印刷所を経営しておられる由。私の所と近いので、お会いしたいのであるが、それが出来ない年齢になった。
●寄贈先は、仮名草子研究者と主要図書館であったが、その後、折々古書店に出る事があり、昭和62年11月の『日本書房目録』では12000円であり、平成19年1月の『渥美書房国語国文学文献目録』NO84では10500円であった。 平成28年10月のネットで検索すると、渥美書房は、7990円、五十嵐書店は、5000円であった。
●『可笑記評判』に関しての最初の口頭発表が、重友毅先生の主催される日本文学研究会であり、その機関誌としての『文学研究』に掲載するという話から出発したためか、本書出版の折、重友先生は序文を書いて下さると申された。しかし、単なる校訂の本でもあり、これは御辞退した。
●翌年の8月28日、市ヶ谷の私学会館で、出版記念会をして下さった。高橋俊夫先生の『西鶴論考』と私の『可笑記評判』の合同である。本心は御遠慮したかったが、重友先生のお考えに従った。座席は、高橋先生の隣が重友先生、私の隣が、何と久松潜一先生であった。長澤規矩也・杉本圭三郎・神保五弥・冨士昭雄・谷脇理史・江本裕の諸先生始め、日本文学研究会の常任委員の先生方が出席して下さった。その意味で、この本が私の処女出版であり、最初で最後の出版祝賀会というセレモニーとなった。私は、心から感謝して、2人の兄にも出席してもらった。
●スピーチの中で、久松先生が、深沢さんの『可笑記評判』は見ていないが、と申されたのには、テーブルの下に潜りたい思いであった。私は、この本を久松先生にも、中世専攻の杉本先生にも献呈していなかった。また、長澤先生は、お話の冒頭で、本日は2人のために、学外の先生方に多く出席して頂き、感謝申し上げます、と述べて下さった。その事は今も忘れられない。
●私の処女出版は、手作りのタイプ印刷の自費出版であったが、重友先生や、諸先輩の御配慮で、このように祝福して頂いた。以後、70冊ほどの本を出版し、時には、出版記念会をしよう、という、お声をかけて頂くこともあつたが、私は、全て、感謝をこめて、御遠慮申上げている。

【2】浮世ばなし 付、明心宝鑑 (影印、解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・12、B5判、318頁、昭和47年8月20日、勉誠社発行、定価5500円。
原本所蔵者 横山重・長澤規矩也、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(浮世ばなし 1巻~五巻・明心宝鑑 上下2巻)、(3)解題
●横山重氏・前田金五郎氏は、近世文学書誌研究会の名のもとに、主として横山重氏所蔵の赤木文庫本を底本にして、精密な原本の複製本を勉誠社から刊行した。本書はその「仮名草子編」第1期の12である。
●本書は、勉誠社版「近世文学資料類従」第1期の最初のものであるから、刊行に至る経緯を少し詳しく記す。昭和46年(1971)11月9日、前田金五郎先生のお宅へ伺った。新しい企画があるので相談したい、という連絡を頂いたからである。そこで初めて「近世文学資料類従」の件を知らされた。前田先生は、横山重先生の意向による事でもあると前置きされ、「仮名草子編」の1期刊行リストを示され、この中から担当したい作品を選ぶようにと申された。私は『浮世ばなし』と『可笑記評判』を担当させて頂く事にした。『堪忍記』もとどうか、と言われたが、この作品は田中伸氏か小川武彦氏が、既に諸本調査を進めているらしいと申し上げ、遠慮した。
●実は、これと前後して、横山重先生からも、この件の御連絡を頂いた。横山先生は、私が研究職ではない事を気にされて、このチャンスを与えて下さった由である。私の研究は、本書の担当を契機として、『可笑記』研究から仮名草子研究へと範囲を広げていった。それは、横山先生と前田先生の御配慮のお蔭である。
●12月3日、前田先生宅へ伺い、横山先生御所蔵の、
1『浮世ばなし』(江戸版)
2『浮世物語』(京都版)
3江戸版の写真
この3点を拝借した。これらの原本を手元に置いて、諸本調査を進められたのは、誠にありたい事であった。
●『明心宝鑑』は、中国善書の一つで、仮名草子にも大きな影響を与えていた。仮名草子との関連は、前田先生が既に研究されており、有益な資料である故、これを付載する事になった。漢籍・和刻本では、恩師・長澤規矩先生の御研究が第一であったので、先生の御所蔵本を使用させて頂いた。

【3】可笑記大成―影印・校異・研究― (共編著)
A5判、764頁、昭和49年4月30日、笠間書院発行、定価11000円。田中伸氏・小川武彦氏と共編著。本書は文部省の、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)による出版である。
使用原本は、11行本は小川武彦氏蔵本、12行本は国会図書館蔵本、無刊記本は長澤規矩也先生蔵本、絵入本は横山重先生蔵本である。
 目 次
第1編 本文・校異(小川氏・深沢)
第2編 万治版挿絵について(小川氏)
第3編 「可笑記」の研究
第1章 底本書誌解題と諸本調査報告(深沢)
第2章 校異による本文異同の考察(深沢)
第3章 「可笑記」の成立と書名(田中氏)
第4章 作者如儡子について(田中氏)
第5章 「可笑記」の内容(田中氏)
第6章 「徒然草」と「甲陽軍鑑」の受容について(田中氏)
あとがき(田中氏)

●本書刊行のきっかけは、昭和43年6月23日、日本近世文学会春季大会での発表であった。私の「『可笑記』の諸本」と題する25分の発表が終ると、田中伸氏の反論意見が出された。寛永19年版11行本と12行本の先後をめぐる問題であった。私は11行本が先だと主張し、田中氏は12行本が先だと反論された。実は、『可笑記』の諸本調査は、私と同時に田中氏も進めておられた事が、この時わかった。15分間討論したが、お互いに譲らず、司会者の神保氏も、あとは2人で話し合って欲しいと打ち切られた。
●昼食時、田中氏が私の席にこられたので、原物のコピーを示して説明したところ、ようやく納得して下さった。この11行本と12行本の先後関係は、実に微妙で、私も発表要旨では12行本を先としていたが、発表当日、口頭で、11行本が先であると訂正したほどである。私は、2ヶ月足らずの間に、この両版の先後関係を判断する、決定的な証拠を発見したのである。
●昭和45年4月、田中伸氏から、『可笑記』の影印本を出す事になったので、共編者として本文の校異を担当しないか、という連絡を頂いた。私は重友先生の許可を得て、有難く参加させてもらう事にした。笠間書院を通して、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)を申請して、補欠になり、やがて繰上げ採択された。
本書は、田中伸氏の御厚情によって編者に加えて頂いたものである。

 
【4】新可笑記 (影印、解説)
近世文学資料類従 西鶴編・11、B5判、296頁、昭和49年10月25日、勉誠社発行、定価9500円。
原本所蔵者 吉田幸一、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(新可笑記、1巻~5巻)、(3)解題
●横山・前田両先生は、私が仮名草子の『可笑記』を研究していたので、西鶴のこの作品を担当させて下さった。諸本調査を進めるうちに、吉田幸一先生の所蔵本が最善本と判明した。そこで、私は横山先生に、この本の担当は吉田幸一先生にお願いしたいと連絡した。吉田先生は横山先生を通して、予定通り私に担当するようにと返事を下さった。私は感謝して解説を執筆した。
●この『新可笑記』は、元禄9年11月初版刊行、というのが、従来の定説であった。ところが、この本の刊記はおかしい。奥付の半丁がそっくり入れ替えられている。私は、初版初印とは断定できないという説を出した。

【5】江戸雀 (影印、解説)
近世文学資料類従 古板地誌編・9、B5判、424頁、昭和50年11月23日、勉誠社発行、定価10000円。 原本所蔵者 赤木文庫、監修 横山重、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(江戸雀、巻1~巻12)、(3)解題
●この本の担当は、横山先生から直接指名された。それまで、『江戸雀』の初印本は、全く知られていなかった。従って従来の研究では、和田万吉氏・高木利太氏・長澤規矩也氏・丸山季夫氏のいずれも、この『江戸雀』の著者を菱川師宣(吉兵衛)としておられた。これは、後印本の刊記に拠ったためである。
●後印本の刊記は、「武州江戸之住/絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記に拠れば、菱川吉兵衛が本文も絵も執筆し描いた事になる。ところが、初印本の刊記には「武州江戸之住 近行遠通撰之/同絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記によれば、著者は近行遠通であり、絵師は菱川吉兵衛という事になる。勿論、初印本が正しい。
●横山先生は、この幻の初印本の担当を私に配当して下さった。しかし、この本の発行までには、私としては苦しい経験をした。それは時期を同じくして、恩師・長澤規矩也先生が、有峰書店から江戸地誌シリーズの刊行を発表した為である。
●『江戸雀』の刊行は、横山先生と私の合作であると言ってもいいかも知れない。横山先生からの書簡を、先生に御迷惑にならない範囲で記録しておきたい。

◎昭和48年9月11日 封書
今度、勉誠社で古板地誌の複製を出版する事になった。収録予定リストを送るので、担当希望の作品を出すように。という連絡を頂いた。担当者には何名か考えているので、各自の希望が出たところで調整して決定したい、というもの。私は江戸関係の作品、1、2点に印を付けて返送した。その結果、『江戸雀』の担当を指示された。
◎昭和49年4月25日 はがき
「江戸雀の初印本と再印本の差を見て貰ひたい。私から藤園さんに頼んで、本を池嶋宅まで送ってくれと云って見る。それ不可なら、貴兄が藤園堂を訪問せねばならぬ。○藤園本の題簽と奥の写真は勉誠へ送りました。――江戸雀は文字が小さいから、本文を大きく出すために、天地をそのまゝ出さずに、本文だけを大きく出す工夫をしたい。――本文の中で、両者の差のある所は、再印本のその部分の写真も出して、解説の中で示す方よし。」
◎昭和49年5月24日 はがき 速達
近々『江戸雀』の原本を渡すので来て欲しい。「この本を自宅で見れば、他の本は一見するのみでよろしいと思ふ。」続けて、有峰書店で、江戸地誌叢書10巻を出すという。内容見本をみると第1巻に『雀』を入れて、影印と活字翻刻とを併用するという。「師宣撰画とあり。やはり後印本也」と追記されていた。
■6月9日、伊東市の勉誠社の池嶋氏の別荘に横山先生を訪ね『江戸雀』の初印本・後印本・江戸図3点の5点を拝借した。借用書は書かず、手帳にメモしたのみ。横山先生は、「それだけあれば、家が1軒建つからね、決して電車の中では広げるナ、家に帰ってゆっくり見なさい。」と申された。
千葉の家に帰宅して、早速、初印本をゆっくり拝見した。これが師宣か、と浮世絵の祖・モロノブの本物に出会って、目が開かれた思いがした。以後、学生などに師宣の浮世絵を説明する時は、この瞬間の事を念頭において述べている。犬小屋入りの江戸図を、8畳間一杯に広げて調査できた事も、だたただ、感謝した。拝借した原本は12月21日に御返却申し上げた。
◎昭和49年6月21日 はがき
「江戸雀の御調査感謝。貴説、近行遠通が初印本に手を入れしかといふ事、私、賛成。近行遠通の名を削りしも、彼の発意か。延宝八年の『江戸方角安見図』にも、作者の名を出さず。当局の意向をソンタクして表へ顔を出さぬのかも知れぬ。尚、御調査願ふ。」
◎昭和49年8月2日 はがき
「江戸雀、初印本と再印本の大差のあるところ、再印本の方から、三、四枚の写真を、解説のところで出して、初印本の頁を記して、対照するやうに、御配慮ありたし。○再印本も近行遠通の手を経てゐるとの御説は、傾聴に値ひす。彼は江戸方角安見図(延宝八年)では作者名を出してゐません。風向きの悪いのに気づいたか。○しかし、私案に拘らず、貴説を通して下さい。」
◎昭和49年8月20日 はがき
「御手紙ありがたう。方針はすべて貴案のやうでよろしく。削除のところは、撰者近行遠通の意志によるものらしとの貴説よろしきか。江戸雀、はじめて真相を得るらし。その旨は、池嶋氏にも云って、頁数の多くなるのを恐れるなと云って下さい。或いは二冊にする方よきか。原本を私に返すのを急がずともよい。今はただ、正確で行き亘る事を望む。健康が大切。あまり根をつめる事勿れ。」
◎昭和50年2月6日 はがき
「勉誠の「定本地誌」へ「江戸雀」の解説を渡しませんか。……○その場合、原本を出すべきか。(目下、私方にあり。)○年度末で御多忙でせう。ハガキでよく、簡単な手紙をください。御用は私に云って下さい。御指定のやうに致します。」
◎昭和50年9月24日 はがき
「江戸雀の解説の校正のコッピー拝受。返送せずともよしとあり、私許に止めておきます。大兄の記述、すべてよく、過、不足もなく、公正と思ひました。遠近道印の地図は、私の書いた後に、/改撰江戸大絵図 元禄二年二月 板屋板/といふものを得ました。これは、延宝四年板と同じく、一分十間積りの図を、その後の変化を入れて、改撰したものです。私は四十年かゝって、これだけを得たのです。」
●昭和50年12月13日(土)『江戸雀』ができて、編集の中村さんが4冊届けてくれた。
私はその日に、まず、恩師・長澤規矩也先生にお届けして報告した。実は長澤先生は、前年の5月に、有峰書店から、江戸地誌叢書10巻を企画し、その中に『江戸雀』を影印と活字翻刻で収録すると公表されていた。これを知った横山先生は、先方はやはり後印本が底本のようである。しかし、それより、こちらは先に出すように、と解説原稿の仕上げを急ぐ事を指示された。私は、横山先生と長澤先生の板挟みの状態になってしまった。いずれも尊敬している大切な先生であった。この間、長澤先生には一切接触しないようにして、解説原稿を書き上げた。〔万一、お会いしたら、資料類従・古板地誌編の事をお話しする可能性もある。それでは、横山先生に対して申し訳ない。この1年間は厳しい日々の連続であった。〕そして、この日になったのである。私は事情を説明してお詫びした。長澤先生は本を広げて、良い本だ、良くやった、こちらはもう出さなくていいね。と私のこの間の失礼を許して下さり、本の出来映えを誉めてくれた。
次の日に、伊東の横山先生のお宅へ伺い、勉誠社から預かった本をお届けした。先生は、良くやった、と労いのお言葉をかけて下さり、大変喜ばれた。
●この『江戸雀』は、1冊の複製本であるが、その本当の著者を解明した画期的な本であり、その担当者に選ばれた私は幸せであった。私としては、尊敬する2人の先生の御意向の板挟みの中で進めた、調査研究であり、忘れる事のできない1冊である。

【6】可笑記評判 上 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・21、B5判、344頁、昭和52年1月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻1~巻3)

●『可笑記評判』は、以前、タイプ印刷の私家版を出しているので、是非担当させて欲しいとお願いして、横山先生・前田先生の御許可を頂いた。前著では印刷面などで、思うような内容に出来なかった部分を改善する事が出来た。両先生に感謝している。

【7】可笑記評判 中 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・22、B5判、456頁、昭和52年2月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻4~巻7)

【8】可笑記評判 下  (影印・解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・23、B5判、456頁、昭和52年3月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻8~巻10)、(3)解題

【9】井関隆子日記 上 校注
B6判、460頁、昭和53年11月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保11年1月~12月、(4)解説。

●本書は、鹿島神宮大宮司家の第67代・鹿島則文のコレクション桜山文庫の中に所蔵されていた、幕末旗本夫人の自筆の日記・全12冊に注を付けて出したものである。
●私は、昭和36年に「仮名草子『可笑記』論」という卒論を提出し、以後、仮名草子の研究を続けてきた。仮名草子は近世初期であり、この女性の日記は近世末期のものであった。ところが、私はこの『日記』の内容に強く惹かれていった。
●昭和47年11月3日、水戸の鹿島則幸氏をお訪ねした。重友先生が長年拝借していた、上田秋成の写本・桜山本『春雨物語』を返却するためであった。要件が済んだ後、鹿島様は、こんな物も御座いますが、と仰って、桐箱入の写本12冊の『日記』を見せて下さった。この件を前田金五郎先生に御報告しておいたところ、翌年の1月、鈴木棠三先生から連絡があり、神田の出版社・Kから稀書創刊というシリーズを出すので、この『日記』を、その中に収録したいので、鹿島氏を紹介して欲しいと言われた。別の要件もあったので、水戸に伺ってお願いしたところ、鹿島様は快諾して下さった。
●いろいろ経緯があった後、私に校訂を担当して欲しいという事になり、千葉の新検見川時代であったが、改めて『日記』を読み直して、優れた内容である事を確認して、仮名草子研究と並行して進める、という条件でお引き受けした。
●その後、鈴木先生との話し合いの結果、校訂から校注に変更し、私は独自の判断で、人名・地名・書名などの固有名詞にのみ注を付ける事にして、『広辞苑』に出ているレベルのものは、原則としてカットした。近世後期の言葉は、古語辞典も通用しないものが少なくなく、近世初期が専攻で、しかも浅学の私にとっては難行苦行の連続であった。
●全12冊の原本を、上中下の3冊にして出す事にして、上巻の原稿が仕上がった時、オイルショックのため、この企画は中止となってしまった。しかし、私は、仮名草子研究を中断して、この『日記』の校注に全力で取組んでいた。もう、後へは引けなかった。是が非でも、この『日記』を後世に伝えたい、そんな思いであった。
●昭和52年4月30日、勉誠社の池嶋社長に、この『日記』の出版をお願いした。5月7日、池嶋氏は自ら原稿を読んで判断され、出版を引き受けて下さった。書名も「天保日記」から「井関隆子日記」に変更して、ようやく日の目を見たのである。
●本書の奥付には、「原本所蔵者 鹿島則幸  校注者 深沢秋男」とある。勉誠社との出版契約書には、印税は、鹿島則幸氏と私で、各50%ずつ配分すると明記した。原本所蔵者への考えを示したものである。

【10】井関隆子日記 中 校注
B6判、456頁、昭和55年8月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)天保12年1月~12月、天保13年1月~12月、(3)鹿島則文と桜山文庫。

●巻末に「鹿島則文と桜山文庫」を付載した。鹿島則文及び桜山文庫に関しては、それまで、まとまったものが無く、その当時の所蔵者・鹿島則幸氏の要請もあり、鹿島則文の顕彰も込めて纏めたものである。則文は、幕末・維新にかけて、鹿島神宮大宮司・伊勢神宮大宮司として、また、国学者・教育者として大変な活躍をした人物であるが、行動はするが、余りモノを書かぬ人物であった。何か、あの狩野亨吉と似通ったところがある。それをまとめて伝えたかった。

【11】井関隆子日記 下 校注
B6判、396頁、昭和56年6月5日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保14年1月~12月、天保15年1月~10月、(4)索引。

●長年の夢がようやく叶った。しかし、私は、10年間近く仮名草子研究から離れてしまった。これは、大きなロスになったと思う。そのまま仮名草子の研究を続けていれば、ライフワークの「如儡子の研究」は、もう纏まっていたものと思われる。これは自業自得である。
●『日記』全3巻が完結しても、世間からは、余り認めてはもらえなかった。全3巻完結の時、庄田家の御子孫の方が、御苦労様と、数十万円を下さった。そのお金で、美味しい物を食べたり、パソコンなどを買っては申し訳ないと、『日記』全3巻を購入して、有力な評論家や研究者に寄贈した。30名位だと思う。が、しかし、全員、ナシのツブテだった。一言発すれば、自分の批評力が試される。そんなために、大部で難しい本は読めない、のであろう。淋しいことであるが、我が文芸界の実状である。
●そのような状態の中で、この日記を高く評価して下さったのは、
新田孝子氏、田中伸氏、江本裕氏、秋山虔氏、堤精二氏、野口武彦氏、ドナルド・キーン氏、藤田覚氏、大口勇次郎氏、関民子氏、等々であった。
●昭和59年4月4日~6日、ドナルド・キーン氏が『朝日新聞』の「百代の過客―日記にみる日本人―」で採り上げて下さり、少し知られるようになった。そして、平成11年1月18日、大学入試センター試験の国語・古典の本試験に出題され、また、少し知られるようになった。実は、後年分かったことであるが、この平成11年には、国語の古典の本試験と、日本歴史の追試験に、『井関隆子日記』から出題されたのである。平成19年1月2日~3月4日、江戸東京博物館で開催された特別展「江戸城」には、昭和女子大学図書館所蔵の『井関隆子日記』の原本が展示されて、さらに世間に知られるようになった。現在では、高校の授業ても採り上げられ、多くの著書に引用されるようになった。

【12】近世木活図録 国会図書館本  共編
日本書誌学大系 37、横小本(縦135ミリ×横185ミリ)228頁(頁表示無し)、昭和59年5月31日、青裳堂書店発行、定価5500円。
編者 朝倉治彦 深沢秋男。
(1)はしがき、(2)例言、(3)書名目次
国立国会図書館所蔵の近世木活字本123種の書目解題と図版を掲げたもの。配列は五十音順。

●本書は、朝倉氏の要請によって編者に加えて頂いたもので、私は多くは協力していない。本書発行後に、某氏から厳しい批評を頂いた。

【13】桜山本 春雨物語 編
A5判、382頁、昭和61年2月25日、勉誠社発行、定価12000円。編者 深沢秋男。

目 次
凡例
目次
影印篇
 春雨物語 上
  序
  血かたびら
  天津をとめ
  海賊
  二世の縁
  目ひとつの神
  死首の咲顔
 春雨物語 下
  捨石丸
  宮木が塚
  歌のほまれ
  樊●
研究篇
 一、『春雨物語』の諸本
 二、『春雨物語』の本文校訂
 三、文化五年本の書誌・概観
1、 漆山本
2、 桜山文庫本
3、 西荘文庫本
 四、桜山文庫本
1、 書写者
2、 墨筆と朱筆
3、 墨筆の原本
4、 朱筆の原本
 五、桜山文庫本と西荘文庫本
1、 漢字・仮名の異同
2、 省略・脱落関係
3、 その他の異同
 六、桜山文庫本と漆山本
 七、まとめ(文化五年本系統図)
付記

●この本の出版のきっかけは、昭和41年に遡る。41年2月24日、私は、恩師・重友先生と先生のお嬢さんの3人で水戸の鹿島則幸氏宅を訪問した。その前年、鹿島氏は御蔵書を研究に活用して欲しいと申され、その意向を重友先生にお伝えした結果、この日の水戸行となった訳である。
●この時、◎春雨物語、写本2冊。◎忠義水滸伝、3冊、20回。◎山花帖、3帖。◎名鳥、1冊。◎曲訛、1冊。雑兵物語、上下1冊、南畝旧蔵本。婦る野の若菜、1冊。計13冊であった。借用書には重友先生が署名押印された。
●先生は、自分が研究できる間借用する。不可能になったら返却する。そのために君(深沢)に同行してもらった。重要なものは別として、他のものは早く返す。『春雨物語』はこれを底本として校本を出版したい。了阿の『山花帖』は雑誌に翻刻してもよい。『雑兵物語』は他本との対校くらいか。お礼の意味を含めて、論文を書き、学界に紹介したい、と申された。帰りの電車の中で撮った先生の写真が、現在、私の書斎の正面に掛けてある。
●その後、7年間、これらの蔵書は先生のお手許に保管されていた。この間、浅野三平氏が桜山文庫本を底本にした『春雨物語』(昭和46年9月5日、桜楓社発行)を出されたが、重友先生としては、特別使用される事もなく経過し、昭和47年10月、鹿島氏に御返却する事になり、私がその役を仰せつかった。
●この折、桜山本は半月ほど私の手許にあり、ゆっくり閲覧する事が出来た。この桜山本『春雨物語』は丸山季夫氏の翻刻(古典文庫、昭和26年5月20日発行)と、前述の浅野三平氏の翻刻が既に出ていたが、原本の実態を知るに及んで、両氏の御苦心も理解できたが、この2つの翻刻本には、原本が十分に表現されていない事も痛感した。この原本を正確に学界に紹介し、後世に伝えるためには、写真複製以外に方法は無いと思った。そこで、鹿島氏の御許可を頂いて、勉誠社に依頼して、取りあえず写真撮影してもらい、原本は御返却申し上げた。
●その後、この『春雨物語』の事は常に頭の中にあったが、12年間が経過してしまった。昭和60年、朝倉治彦先生から、ある出版社が桜山本『春雨物語』を出したい意向である旨の連絡を頂いた。そこで、前述の経緯を申し上げて、勉誠社の池嶋社長とも相談し、検討の結果、勉誠社から出して頂く事になった訳である。
●仮名草子研究の私が、後期の上田秋成の『春雨物語』を調査し始めたのは、このような事情によるものである。私は勉誠社にお願いして、墨と朱の2色による複製を計画し、非常に厳密なチェックをしながら作業を進めた。出版社の編集と製版・検版と私の共同作業であった。
●私は、この本を出すにあたって、従来の『春雨物語』の本文研究に接して、驚くべき事実に出会った。それは、大まかに言えば、文化6年の自筆本の欠落部分を、文化5年本で部分的に補っているという事であった。文学は芸術作品である。作品は、完結して初めて評価の対象になるのではないのか。創作時点の異なるテキストを組み合わせるなどと言う事は許されるのであろうか。そんな、切実な思いを込めながら、テキストクリティークを進めた。
●恩師の重友先生をはじめ、秋成研究の諸先学の説を批判する事は、厳しい作業であった。ただ、晩年、明を失いながらも、推敲を続けて出版する事もせずに、この作品に命をかけて完成を目指しながら、この世を去って行った秋成の事を思うと、私の立場など、もうどうでもよかった。
●文化5年本『春雨物語』の研究では、中村幸彦氏の「小津桂窓旧蔵 春雨物語について」(『典籍』4号、昭和27年10月)が定説の如き状態であった。中村氏は、文化5年本の3本について、西荘文庫本は、原本からの写しであり、漆山本と桜山文庫本は兄弟関係にあり、この2本のもとになった写本は国学の素養を持つ人によって、読み易く書き改められたものであろう、と判断されていた。
●しかし、私は、この3本を徹底的に比較検討した結果、この中では、桜山文庫本が最も優れた本文であるという結論を導き出した。全く白紙の状態から、1年余の時間をかけてようやくたどり着いた結果であった。
●この本は、『春雨物語』の本文校訂にあたって、使用すべき底本に関する新たな提案をし、秋成の専門研究者・中村幸彦氏の説に対して反論する結果になった。その意味で、諸方面に迷惑が及んでは済まないと思い、勤務先などは奥付に入れない事にした。しかし、秋成に対しては、良い事をしたのではないかと、密かに思っている。
●本書は、昭和61年に出たが、果せるかな、私の説は学界から無視され続けた。平成元年8月、木越治氏の「『春雨物語』へ――文化五年本からの出発――」(『日本文学』38巻8号)という、注目すべき論文が発表され、ようやく、専門研究者も評価して下さるようになった。きっと、秋成もあの世で喜んでいてくれるものと思う。このようなキケンな本を、製作にも神経を遣いながら出版して下さった、勉誠社の池嶋洋次氏に改めて感謝申し上げる。

【14】仮名草子集成・10巻 共編
A5判、324頁、1989年9月30日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十巻
 をむなかゝみ(3巻3冊、慶安3年刊)
  解題
 女五経(5巻5冊、延宝3年刊、絵入)
  解題
 をんな仁義物語(2巻2冊、万治2年刊、絵入)
  解題
 女みだれかみけうくん物語(1冊、寛文13年刊、絵入)
  写真版
  解題
  (補) 有馬山名所記(5巻5冊、寛文12年跋刊、絵入)
  解題

●朝倉治彦先生は、昭和55年に『仮名草子集成』第1巻を東京堂出版から出された。文部省の昭和54年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)による出版であった。その例言によると、朝倉先生は、当初、室町時代物語、古浄瑠璃、説経などの研究を志していたが、横山重先生のすすめで仮名草子研究を始めたという。横山先生の『室町時代物語大成』と『仮名草子集成』の本文の組み方が同様である事から推測しても、朝倉先生の横山先生への思いが伝わってくる。本集成は、坂巻甲太氏などの協力を得ながら刊行が続いた。途中から、出版も軌道に乗り、文部省の助成は受けなくなった。
●昭和64年(1989)の4月、朝倉先生から、この集成への協力を要請され、熟慮して参加させてもらう事にした。第10巻では『女仁義物語』の本文作成を担当しただけであった。以後、10年間ほど、朝倉先生のお手伝いをして、多くの事を教えて頂いた。当初、『可笑記』の解明が目標であったが、対象を仮名草子の諸作品へと拡大してゆく事になったが、それは、横山先生と前田先生と朝倉先生の影響であると思う。今から思えば、この事に心から感謝している。

【15】仮名草子集成・11巻 共編
A5判、282頁、1990年8月25日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十一巻
 芦分船(6巻6冊、延宝3年刊、絵入)
  解題
 大坂物語(古活字版第二種、1冊)  菊池真一校訂
  解題              菊池真一
 大坂物語(上下2冊、写本)     青木晃校訂
  解題              青木晃
 女式目 并 儒仏物語(3巻3冊、万治3年刊、絵入)
  解題
 女式目(3巻3冊、絵入)
  解題

●私は、この第11巻収録の『女式目』の東京大学図書館所蔵本を調査して、同図書館で別々に保管している版本が、実は3冊セットで出版された事を知ることができた。詳細は『近世初期文芸』第9号(平成4年12月)の拙稿「『女式目』の諸本」で述べておいた。

【16】仮名草子集成・12巻 共編
A5判、380頁、1991年9月25日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十二巻
 怪談全書(5巻5冊、元禄11年刊、片カナ、絵入)
  解題
 恠談(1巻1冊、写本、片カナ)
  解題
 恠談(2巻1冊、写本、平カナ)
  解題
 怪談録(2巻2冊、写本、片カナ)
  解題
 幽霊之事(1冊、写本、片カナ)
  解題

●この巻の諸本調査では、長澤孝三氏の御配慮で、長澤規矩也先生の旧蔵本を長期間拝借できた事が、真相究明に非常に役立った事が忘れられない。詳細については、『近世初期文芸』第10号(平成5年12月)に掲載の拙稿「『怪談全書』の諸本」を参照願いたい。

【17】仮名草子集成・13巻 共編
A5判、308頁、1992年8月20日、東京堂出版発行、定価15000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十三巻
 海上物語(2巻2冊、寛文6年刊、絵入)
  解題
 戒殺放生物語(4巻4冊、寛文4年刊、絵入)
  解題
 漢考 怪談録前集(5巻5冊、不角序刊、絵入)
  解題
 奇異怪談抄(上下巻4冊、写本)
  解題
 寛文十年板挿絵集
 巻末口絵(首尾、挿絵)

【18】鹿島則孝と『桜斎随筆』 編著
B5判、64頁、平成5年6月25日、編著者・発行者 深沢秋男、非売品。 自費出版。

目 次
  口絵写真
一、 鹿島則孝略伝
二、 『桜斎随筆』書誌
三、 『桜斎随筆』総目録
四、 『桜斎随筆』の内容
五、 「あすか川」の内容
六、 引用書目、引用新聞・雑誌
七、 鹿島則孝の生家

●鹿島神宮・大宮司家の第66代・鹿島則孝の膨大な著述を閲覧したのは、平成2年10月15日のことであった。『桜斎随筆』巻6の上に、『井関隆子日記』に関する記述のある事を、当時の所有者・鹿島則幸氏に教えられ、鹿島氏のお宅へ伺った時の事である。
●『桜斎随筆』は全60冊、3500丁、7000ページという膨大な記録で、幕末・維新の歴史的資料として貴重なものと判断された。しかし、いかにも膨大過ぎる。この分量では、簡単に出版はできない。そこで、この大量の記録のある事を世間に知らせる事から始めた。それが本書である。これが全巻刊行されるまでには、長年月を要した。

【19】仮名草子集成・14巻 共編
A5判、488頁、1993年11月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十四巻
 鑑草(6巻6冊、正保4年刊)
  解題
 可笑記(5巻5冊、寛永19年刊、11行本)
  解題
  『鑑草』延宝3年板挿絵
  『可笑記』万治2年板挿絵

 戒殺放生文(影印)
  解題
 浅井了意『戒殺物語・放生物語』と?宏『戒殺放生文』
                    ……小川武彦
 写真

●中江藤樹の『鑑草』の調査では、原本所蔵の諸機関のお世話になったが、近江聖人中江藤樹記念館には、泊り込みで調査させて頂き、多くの事を学ぶことが出来た。慶安元年8月25日、41歳という若さでこの世を去った中江藤樹の偉大さに、改めて感動を覚え、『鑑草』の内容研究に意欲をかきたてられた。しかし、この種の本文集成という作業の宿命は、ここに止まることが出来ないという事である。この願望は今も果せずにいる。この作品の詳細な諸本の報告は、『近世初期文芸』第11号(平成6年12月)に掲載してある。
●『可笑記』の本文では、11行本を底本にして、無刊記本との異同を掲げたが、やや徹底を欠いている点が、本文提供面では心残りの思いがしている。詳細な諸本の報告は、『近世初期文芸』第12号(平成7年12月)に掲載してある。

【20】仮名草子集成・15巻 共編
A5判、358頁、1994年12月10日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十五巻
 可笑記評判(10巻10冊、万治3年刊)
  ?巻一より巻七まで。巻八以下は次巻に収める。

【21】仮名草子集成・16巻 共編
A5判、318頁、1995年9月5日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十六巻
 可笑記評判(10巻10冊、万治3年刊)
  ?巻八より巻十まで。
  解題
 可笑記跡追(5巻5冊、絵入)
  解題
 写真

●『可笑記評判』は、浅井了意の著作で、私は、如儡子の『可笑記』を解明する手段として、昭和45年に自費出版した。これが私の処女出版であったが、その後、昭和52年には、『近世文学資料類従』として全冊複製で出版できた。さらに、今回は『仮名草子集成』の校訂基準で、より厳密な本文を全冊出版することができた。さらに付記するならば、平成19年には、『浅井了意全集』が刊行されることになり、そこにも私の校訂で収録される予定である。仮名草子の同じ作品が、4回も出版されるという事は珍しいだろう。

【22】仮名草子集成・17巻 共編
A5判、286頁、1996年3月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十七巻
 花山物語(写本、1冊)
  解題
 堅田物語(天和3年奥書刊、1冊)
  解題
 仮名列女伝(明暦元年11月跋刊、絵入、8冊)
  解題
 写真

【23】仮名草子集成・18巻 共編
A5判、356頁、1996年9月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十八巻
 かさぬ草子(写本、1冊、寛永21年写奥書)
  解題
 枯杭集(6巻6冊、寛文8年刊、絵入)
  解題
 かなめいし(3巻3冊、絵入)
  解題
 鎌倉物語(5巻5冊、万治2年刊、絵入)
  解題
 写真

【24】仮名草子集成・19巻 共編
A5判、288頁、1997年3月10日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第十九巻
 葛城物語(浅井了意作、3巻3冊、絵入、無刊記)
  解題
 河内鑑名所記(三田浄久作、6巻6冊、絵入、延宝7年刊)
  解題
 堪忍弁義抄(1冊、慶安4年刊)
  解題
 補記(1、享保2年求板『可笑記』(小川武彦氏蔵)。2、
    写本『可笑記跡追』(渡辺守邦氏蔵))
 写真

●『堪忍弁義抄』については、この時点では版本のみであったが、その後、承応2年7月上旬の奥書を持つ写本が発見された。これは、磐城平藩主・内藤風虎の旧蔵本で、しかも、版本の書写本ではない。当時の版本と写本の関係を考える上でも参考になる。『近世初期文芸』第19号(平成14年12月)に拙稿「『堪忍弁義抄』の版本と写本――付、写本『堪忍弁義抄』翻刻――」がある。

【25】仮名草子集成・20巻 共編
A5判、320頁、1997年8月30日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第二十巻
 勧孝記(釈宗徳作、2巻2冊、明暦元年西村板、絵入)
  解題
 堪忍記(浅井了意作、8巻8冊、万治2年荒木板、絵入)
  解題
 写真

【26】仮名草子集成・21巻 共編
A5判、328頁、1998年3月20日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第二十一巻
 仮枕(写本、2冊)
  解題
 奇異雑談(写本、2巻2冊)(上段)
 奇異雑談集(刊本、貞享4年刊、6巻6冊、絵入)(下段)
 刊本挿絵
 解題
 写真

【27】仮名草子集成・22巻 共編
A5判、384頁、1998年6月25日、東京堂出版発行、定価18000円。編者 朝倉治彦 深沢秋男 柳沢昌紀。

目 次
 例言
 凡例
仮名草子集成 第二十二巻
 祗園物語(寛永刊、2巻2冊)
  解題
 京童(中川喜雲作、明暦4年、八文字屋五兵衛板、6巻6、
    絵入)
 京童あとをひ(中川喜雲作、寛文7年、八文字屋五兵衛板、
    6巻6、絵入)
  解題
 清水物語(寛永15年刊、2巻2冊)
  解題
  写真

●平成元年から10年間、朝倉先生の『仮名草子集成』に共編者として協力させて頂いてきたが、この年から、大学での職責が重くなり、定期的に諸本調査などの計画が立てられなくなり、この『仮名草子集成』に参加できなくなった。内心、朝倉先生に対して、申し訳ないと思っている。

【28】神宮々司拝命記 共編著
B6判、140頁、平成10年7月25日、編著者 鹿島則良・加藤幸子・深沢秋男、発行者 深沢秋男、非売品、自費出版。

目 次
  口絵写真
  凡例
神宮々司拝命記 上
神宮々司拝命記 下
『神宮々司拝命記』書誌
鹿島則孝略伝
鹿島則文略伝
幕末から明治にかけての神社界と鹿島家(鹿島則良)
『神宮々司拝命記』と伊勢神宮
伊勢神宮拝観記(加藤幸子)

●平成5年6月13日、『鹿島則孝と『桜斎随筆』』が完成したのを機に、鹿島則幸氏のお子様、田中八栄子氏が来宅され、鹿島則孝・則文関係の資料、37冊を持参された。それは、以下の通りである。

◎雑記 全            1冊
◎厳桜舎詠草 上下        2冊
◎復古二年紀 上中下       3冊
◎飛鳥川附録、随筆別冊      1冊
◎詠草  則文          1冊
◎ 桜斎書牘集 教院録 四     1冊
       伊勢記 五     1冊
       〃   六     1冊
       皇典講 七     1冊
       究所記 八     1冊
       〃   九     1冊
       〃   十     1冊
◎弘化三丙午年正月十四日     1冊
 則孝 束着初之式
◎水戸家書類 全         1冊
◎桜斎家督記           1冊
◎幕府祈祷次第記         1冊
◎則文諸祝儀 全         1冊
◎末社遷宮記           2冊
◎都日記 上下          2冊
◎嘉永七甲寅年品川御台場へ    1冊
 当宮御勧請仰付候次第
◎雑録 全(康安元年旧記)    1冊
◎万我津日の記 上下・附録    3冊
◎三月十七日差出拝借地預・・   1冊
◎御本宮之図(玉垣・御内陣之図) 1冊
◎辰十二月四日御内陣初而開扉   1冊
◎家茂将軍謁見記         1冊
◎幕府朱印改渡記         1冊
◎上京日記 単          1冊
◎旧幕府判物差出         1冊
 本宮御印鑑御下り預
◎明治元年戊辰三月十五日     1冊
 勅祭祝詞写
 
この、合計37冊であった。いずれも幕末の社会や伊勢神宮と鹿島神宮大宮司家との関係を知る上で興味深い資料である。しかし、これを出版社に依頼して出版する事は、様々な点で困難が伴う。そこで、『桜斎書牘集』の中の『伊勢記』2冊(『神宮々司拝命記』)を取りあえず出版して世間に知ってもらい、全資料の刊行へつなげようと計画した。
●共編著者の鹿島則良氏は、鹿島則幸氏の御子息で、現在の鹿島神宮の宮司である。加藤幸子氏は、昭和女子大学図書館の研究員で、昭和61年9月に「桜山文庫」が鹿島則幸氏から昭和女子大学へ一括譲渡された時、全蔵書を整理された方である。『神宮々司拝命記』の本文は、加藤氏が翻字した原稿を私が確認して仕上げた。鹿島則良氏には鹿島家と幕末明治の社会との関りを執筆して頂いた。このような事情で三者の共編著とした訳である。
●ところで、この『神宮々司拝命記』に関して、私のホームページ「近世初期文芸研究会」の中の「鹿島則文と桜山文庫」の項に「この本を必要な方には送料のみ送ってくれれば、無料で差し上げます。」と3年間ほど掲示しておいたけれど、申込者は1人も無かった。
●現在は『神宮々司拝命記』の本文のみは、前述のHP「鹿島則文と桜山文庫」の中と、もう一つ菊池真一氏の運営する「J-TEXTS(日本文学電子図書館)」の中に公開している。

【29】桜斎随筆 第1巻 共編?
B5判、422頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価は第6巻の奥付に記載。
       
第1巻目次
鹿島則孝略伝
鹿島則文略伝
『桜斎随筆』書誌
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第1冊(巻1上)
  第2冊(巻1下)
  第3冊(巻2上)
  第4冊(巻2下)
付記

●この本の奥付を見て私は唖然とした。どのような性質の本であろうか。私は本が発行されて初めて奥付を見た。編集者は奥付の校正を私に見せなかった。『桜斎随筆』は誰の著作であろうか。その著作を誰が編纂して出版したのだろうか。出版社の宣伝広告を見たら、私は監修者になっていた。私は、監修者になるような大人物ではない。この本を出すために、身を粉にして労働したのである。
●私は、この鹿島則孝の残した膨大な記録を後世に伝えるために、長年苦労を続けてきた。この第1巻に収録された原稿は全て私が執筆したものであり、複製の原稿も私が作成したものである。私はこの本文の版下原稿を作成するために、新しくリコーの複写機IMAGIO MF2230をリースで導入し、3ヶ月以上の時間を投入して仕上げたのである。にもかかわらず、この本の奥付には、鹿島則孝の名も深沢秋男の名も記されていない。
●この本は、第1巻から第6巻まで、第1回配本として、一挙に発行された。早速、出版社に連絡して、これでは第2回配本以後は出版させない、と厳重に抗議した。また、「復刻版」といのもおかしいので、「複製」に改めるよう注意した。幸い第2回配本以後は、普通の奥付になった。まず、この異常な奥付について説明しておく。

【30】桜斎随筆 第2巻 共編?
B5判、378頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価は第6巻の奥付に記載。
       
第2巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第5冊(巻3)
  第6冊(巻4)
  第7冊(巻5上)
  第8冊(巻5下)

【31】桜斎随筆 第3巻 共編?
B5判、334頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価は第6巻の奥付に記載。
       
第3巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第9冊(巻6上)
  第10冊(巻6下)
  第11冊(巻7)
  

【32】桜斎随筆 第4巻 共編?
B5判、310頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価は第6巻の奥付に記載。
       
第4巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第12冊(巻8)
  第13冊(巻9)
  第14冊(巻10上)
  第15冊(原本欠)

【33】桜斎随筆 第5巻 共編?
B5判、398頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価は第6巻の奥付に記載。
       
第5巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第16冊(巻11上)
  第17冊(巻11下)
  第18冊(巻12)
  第19冊(巻13)

【34】桜斎随筆 第6巻 共編?
B5判、338頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価120000円。
       
第6巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第20冊(巻14)
  第21冊(巻15)
  第22冊(巻16)
  

【35】桜斎随筆のしおり 共編
B5判、104頁、平成12年11月10日、復刻版発行、発行者 阿部修、発行所 ㈱本の友社、定価は第6巻の奥付に記載。
       
目 次
一、 鹿島則孝略伝
二、 鹿島則文略伝
三、 「桜山文庫」と『桜斎随筆』
四、 鹿島則孝と桜(鹿島則良)
五、 『桜斎随筆』書誌
六、 『桜斎随筆』全冊の総目録
七、 『桜斎随筆』の内容
八、 各巻収録内容一覧

●このように、奥付には編者の氏名は記されていない。ただ、前表紙には「鹿島則良 深沢秋男 編著」と入っているので、編著者が誰であるかわかる。

【36】桜斎随筆 第13巻 共編
B5判、458頁、平成13年11月10日、本の友社発行、定価は第18巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 鹿島則良・深沢秋男。

第13巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第38冊(巻32)
  第39冊(巻33)
  第40冊(巻34)
  第41冊(巻35)

【37】桜斎随筆 第14巻 共編
B5判、460頁、平成13年11月10日、本の友社発行、定価は第18巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 鹿島則良・深沢秋男。

第14巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第42冊(巻36)
  第43冊(巻37)
  第44冊(巻38)
  第45冊(巻39)

【38】桜斎随筆 第15巻 共編
B5判、448頁、平成13年11月10日、本の友社発行、定価は第18巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 鹿島則良・深沢秋男。

第15巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第46冊(巻40)
  第47冊(巻41)
  第48冊(巻42)
  第49冊(巻43)

【39】桜斎随筆 第16巻 共編
B5判、408頁、平成13年11月10日、本の友社発行、定価は第18巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 鹿島則良・深沢秋男。

第16巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第50冊(巻44)
  第51冊(巻45)
  第52冊(巻46)
  第53冊(巻47)

【40】桜斎随筆 第17巻 共編
B5判、374頁、平成13年11月10日、本の友社発行、定価は第18巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 鹿島則良・深沢秋男。

第17巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第54冊(巻48)
  第55冊(巻49)
  第56冊(巻50)
  

【41】桜斎随筆 第18巻 共編
B5判、466頁、平成13年11月10日、本の友社発行、定価120000円。編著者 鹿島則孝、編者 鹿島則良・深沢秋男。

第18巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第57冊(巻51)
  第58冊(巻52)
  第59冊(巻53)
  第60冊(巻54)

【42】桜斎随筆 第7巻(『あすか川』) 共編
B5判、398頁、平成14年11月10日、本の友社発行、定価は第12巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 村上直・深沢秋男。

第7巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 「あすか川」解説・内容(村上直)
 本文複製
  第23冊(巻17)
  第24冊(巻18)
  第25冊(巻19)
  

【43】桜斎随筆 第8巻(『あすか川』) 共編
B5判、584頁、平成14年11月10日、本の友社発行、定価は第12巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 村上直・深沢秋男。

第8巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第26冊(巻20)
  第27冊(巻21)
  第28冊(巻22)

【44】桜斎随筆 第9巻(『あすか川』) 共編
B5判、392頁、平成14年11月10日、本の友社発行、定価は第12巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 村上直・深沢秋男。

第9巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第29冊(巻23)
  第30冊(巻24)
  

【45】桜斎随筆 第10巻(『あすか川』) 共編
B5判、402頁、平成14年11月10日、本の友社発行、定価は第12巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 村上直・深沢秋男。

第10巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第31冊(巻25)
  第32冊(巻26)

【46】桜斎随筆 第11巻(『あすか川』) 共編
B5判、528頁、平成14年11月10日、本の友社発行、定価は第12巻の奥付に記載。編著者 鹿島則孝、編者 村上直・深沢秋男。

第11巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第33冊(巻27)
  第34冊(巻28)
  第35冊(巻29)

【47】桜斎随筆 第12巻(『あすか川』) 共編
B5判、372頁、平成14年11月10日、本の友社発行、定価120000円。編著者 鹿島則孝、編者 村上直・深沢秋男。

第12巻目次
 凡例
 判読未詳部分等の注記
 本文目録
 本文複製
  第36冊(巻30)
  第37冊(巻31)
あとがき(深沢秋男)
  
●鹿島則孝の『桜斎随筆』全60巻・3500丁・7000頁という膨大の資料は、3年間かけてようやく出版が完了した。この幕末・維新の貴重な記録は永遠に伝えられるであろう。これで、鹿島則幸氏へのお礼も出来たし、鹿島則孝の思いも後世へ伝える事が出来た。しかし、それよりも、この貴重な資料を後世の人々は閲覧する恩恵を受けるであろう。私は一仕事を終えて、ホッとした。
●しかし、この本の出版に至るプロセスは長かった。そして、出版の条件も厳しいものであった。全18巻の最終配本の最終巻の「あとがき」に、私は次の如く記した。
「……則孝は(著作の少ない)則文と異なり、自らの詩文を作り、多くの書写本を残している。その書目についてはすでに記したので重複は避けるが、『桜斎随筆』60冊を含めて100冊の余となる。これらの則孝の書写本に出会ったのは、平成2年10月のことであった。鹿島則幸氏の御配慮によるものである。私は、この膨大な写本を目の前にして、これを何とか多くの人々に見て頂けるようにしたいと考えた。様々な曲折はあったが、幸い本の友社の御厚意によって、この大部な写本を原寸で複製出版することが決まった。全18巻、3年間の長い作業あったが、ようやく完結の段階までこぎつけることが出来た。鹿島則幸氏は、平成5年他界され、御生前にこの出版が実現出来なかった事は、返す返すも残念である。
平成12年、第1回配本を発行したが、発行部数は50部という条件であった。この厳しい出版状況下では、これもやむを得ないことである。しかも、この50セットさえ完売は危ぶまれる、という状態であった。私自身、初めての経験であったが、知人の方々に、関係諸機関への購入の働きかけをお願い申し上げた。万一、第1回配本で完売の目処が立たない場合、全巻の発行さえ実現が心配されたのである。幸い、本の友社をはじめ、皆様方の御配慮で、第3回配本も発行が可能となった。ここに記して心からの感謝を申し上げる。……第3回配本は、「あすか川」で幕末維新の歴史的記録であるため、法政大学名誉教授・村上直先生の御指導を賜った。原本所蔵者・鹿島則良氏は、長期間に亙ってその借用をお許し下さった。両氏の御厚情に対して深甚なる感謝の意を捧げたい。……以上、『桜斎随筆』完結にあたって、出版の経過等を記して、関係の皆様への御報告と、心からの御礼と致します。平成14年9月7日 深沢秋男」
●『桜斎随筆』刊行の経緯のあらましは、この「あとがき」でも分ると思うが、全60冊、7000頁に及ぶ膨大な資料の出版は、そう簡単ではなかった。長い年月と、多くの方々の御配慮とを頂き、紆余曲折の末の50部の出版であった。それらの経過を略述しておきたい。
●平成2年10月15日、鹿島則幸氏から1冊の写本が送られてきた。『桜斎随筆』巻6の上だった。この中で鹿島則孝は『井関隆子日記』の事を書いていた。それを則幸氏は教えて下さったのである。則孝はこの随筆の中で、井関隆子を正親町町子と荒木田麗女と共に取り上げている。私はこの随筆に興味をもった。鹿島氏は、やがて『桜斎随筆』全60冊を送付して下さった。初めから所々読むうちに、この自筆写本を世間の人々に知らせたい、後世へ伝えたい、と言う思いに変っていった。
●まず、各巻の目録作成に取り掛かった。平成4年3月の『古書通信』752号に「桜山文庫蔵『桜斎随筆』の紹介」を出し、平成5年6月には『鹿島則孝と『桜斎随筆』』を自費出版で出した。7月には、以前から大型企画の提案を依頼されていたO社にこの企画を打診して検討してもらった。
●私の腹案では、昭和女子大学の大学院の近世専攻のH先生を中心とし、『あすか川』は歴史であるので、法政大学名誉教授の村上直先生に参加して頂く。索引編を別冊で出し、これは昭和女子大の近世の研究助手3名(S氏・T氏・O氏)を編者にする。私は全体的に参加する、こんな素案を作成し、赤羽のO社へ伺い、I社長、N専務、編集のU氏と打合せをした。先方は乗り気で、原本を数冊渡して、製版方法など検討してもらう事にした。出版が決定したら、前述の諸氏にお願いしようと思っていた。2ヶ月が経過した9月にO社のN専務とお会いして、やはり、大部過ぎる事と、鹿島則孝が知られていない事で、この企画は実行できないと断られた。
●10月10日、国語学の野沢勝夫氏と、筑波大学名誉教授の中田祝夫先生宅へお伺いして、相談に乗って頂いた。結果、神田のK書房を紹介され、ここにも野沢氏と2人で伺い、文部省の助成を申請するべく検討して頂いた。研究編とセットで検討してもらったが、研究は本文が刊行された後でなければ出来ない、それまでは助成申請できない。本文が大部過ぎて、製版代だけでも多額の資金がかかり、出版は不可能である、という結論が出た。万事休す、となる。
●平成7年、私は全冊をマイクロ複写して、ネガを保管して、希望の図書館等には、実費でポジを提供する事を考え、高橋マイクロに費用の見積りを依頼した。全冊の総目録を添付して実費で購入を募集すれば、それほど高額にもならないので、図書館で購入してくれるのではないか、と考えた。これと並行して、総目録をホームページに公開して、少しでも認知してもらうよう努めた。
●平成11年11月、画期的な事があった。菊池真一先生の紹介で、本の友社が『桜斎随筆』に興味がある事を知らされた。編集の担当者は石村健氏である。石村氏は学究肌の編集者で、大学に度々訪ねてくれて、いろいろ検討した。この随筆の資料的価値を認めて下さり、その結果、全冊を原寸複製で出すという企画を立ててられた。石村氏の計画では、原本を原寸で複製し、全18巻、6巻ずつ3回に分けて、3年間で完結するというもの。定価は36万円で、発行部数は50部である。出版界のプロの厳しい目を思い知らされた。石山氏によれば、50部でも完売は簡単ではないと言う。
●私は、リコーの複写機の最新型、IMAGIO MF2230をリースで導入し、綿密な計画を立てて原稿作成に着手した。ただ、非常に残念な事は、この第1回配本が出る前に、石村氏が退社されてしまわれた事である。氏は別に出版社を立ち上げた。
●第1回配本を前にして、私は生まれて初めて、この本の購入を知人の研究者に関係機関への購入を働きかけて下さるよう、依頼状を出した。35名の方々である。申し訳ないお願いであるが、この企画が頓挫しては、日本の文化史上でもマイナスであるという信念でお願いした。私の知り得た範囲では、次の図書館が購入して下さった。昭和女子大学・高崎商科短期大学・大妻女子大学・大妻女子大学多摩キャンパス・和光大学・駒沢大学・別府大学・天理図書館・早稲田大学(2)・京都精華大学・法政大学・国文学研究資料館・目白大学・東大史料編纂所・和洋女子大学・成田図書館・京都府立総合資料館・大阪府立図書館・都立中央図書館・京都大学図書館・東北大学図書館・筑波大学図書館・三重県立図書館・伊勢市立図書館・茨城県立図書館・茨城県立歴史館・千葉県立中央図書館・鹿島神宮・日本大学図書館。まだまだ未確認の故に見落としもあるかと思う。しかし、研究者の立場からすれば、これだけの図書館で所蔵していて下さるだけで十分である。鹿島則孝が情熱を傾けて書き綴った記録は、決して失われる事はないだろう。つくづくと、人間の文化の尊さを思う。ご迷惑なお願いを申し上げた皆様、有難うございました。そして、本の友社の編集担当者、石村健氏・吉岡章光氏・鈴木大輔氏・西野太郎氏の御厚情に感謝する。

【48】井関隆子の研究 著
A5判、442頁、2004年11月1日、和泉書院発行、定価10000円。

口絵写真

1、『井関隆子日記』12冊全体・1(昭和女子大学図書館・桜山文庫所蔵)。
2、『井関隆子日記』12冊全体・2(昭和女子大学図書館・桜山文庫所蔵)。
3、『井関隆子日記』第1冊巻頭(昭和女子大学図書館・桜山文庫所蔵)。
4、『井関隆子日記』永代寺の陰間(昭和女子大学図書館・桜山文庫所蔵)。
5、『井関隆子日記』添付の鹿島則文の識語(昭和女子大学図書館・桜山文庫所蔵)。
6、『さくら雄が物かたり』表紙(東北大学附属図書館所蔵)
7、『さくら雄が物かたり』巻頭(東北大学附属図書館所蔵)
8、『さくら雄が物かたり』巻末(東北大学附属図書館所蔵)
9、『神代のいましめ』巻頭(『翠園叢書』二十六、昭和女子大学図書館・翠園文庫所蔵)
10、『神代のいましめ』巻末、蔵田茂樹識語・1(『翠園叢書』二十六、昭和女子大学図書館・翠園文庫所蔵)
11、『神代のいましめ』巻末、蔵田茂樹識語・2(『翠園叢書』二十六、昭和女子大学図書館・翠園文庫所蔵)
12、『井関隆子長短歌』巻頭、(『翠園叢書』二十六、昭和女子大学図書館・翠園文庫所蔵)
13、『いなみ野』巻頭(吉海直人氏所蔵)
14、『野山の夢』跋(『翠園叢書』二十八、昭和女子大学図書館・翠園文庫所蔵)
15、『宇津保物語考』巻末(隆子筆、静嘉堂文庫所蔵)
16、『恵美草』巻頭(国会図書館所蔵)
17、『恵美草』千畳敷の条(国会図書館所蔵)
18、『恵美草』巻末(国会図書館所蔵)
19、『恵美草』千畳敷の条(昭和女子大学図書館・桜山文庫所蔵)
20、『雅文』巻頭(隆子筆、吉海直人氏所蔵)
21、『雅文』巻末(「堂可子」隆子筆、吉海直人氏所蔵)
22、庄田家墓石、正面(昌清寺)
23、庄田家墓石、正面拡大(昌清寺)
24、庄田本家墓石、正面(浄念寺)
25、庄田本家墓石、正面家紋(浄念寺)
26、井関家墓石、向って左面(喜運寺)
27、井関家墓石、向って右面(喜運寺)
28、昌清寺過去帳(第一冊表紙)
29、昌清寺檀家別過去帳(初代・安議)540
30、昌清寺檀家別過去帳(四代・安僚、隆子の父)412
31、昌清寺檀家別過去帳(四代・安僚妻、隆子の母)337
32、井関家過去帳(「是々」喜運寺三十世瑞雲、昭和九年一月転写、井関家所蔵)
33、井関家過去帳(天保十五年十一月一日、隆子の条)
34、庄田家系譜(隆子の条、庄田安豊氏所蔵)
35、庄田家系譜(隆子の条、拡大図、庄田安豊氏所蔵)
36、庄田家系譜(副本、表紙、庄田安豊氏所蔵)
37、庄田家系譜(副本、隆子の条、庄田安豊氏所蔵)
38、庄田家系譜(副本、隆子の条、拡大図、庄田安豊氏所蔵)

◎本文中挿絵(4枚)
39、女性の髪形(11年2月1日)
40、日月棚、貴人棚(11年9月3日)
41、将軍家より拝領の鉢植(11年10月4日)
42、浅草の見世物、眼力太夫(11年10月25日)

目  次

  研究篇

第1章 井関隆子の生涯
 第1節 前半生・四谷時代―出生から婚姻まで―
 第2節 後半生・飯田町時代―結婚から他界まで
 第3節 井関隆子とその時代
   付、庄田家・井関家 系図
   〔注〕

第2章 井関隆子の文学・Ⅰ 『井関隆子日記』
 第1節 書誌
 第2節 内容
 第3節 著作の動機
 第4節 批判的精神
   1、はじめに
   2、仏教批判
   3、儒教批判、国学者批判
   4、政治批判
   5、まとめ
 第5節 創作的要素
   1、『水鳥』
   2、品川心中
   3、旗本心中事件
 第6節 歴史的記述
   1、人災・天災
   2、三方所替
   3、日光社参
   4、徳川家主要人物の没日
 第7節 風俗描写
   1、はじめに
   2、両国の花火・佃嶋の花火
   3、山王祭・神田祭
   4、上野の桜、流行色・服装・髪形等、浅草の
     見世物等々
   5、まとめ
 第8節 自然描写
   1、はじめに
   2、鹿屋園の四季
   3、草花の司、薄(尾花)
 第9節 和歌
   1、和歌の修業
   2、収録の和歌
   3、和歌に対する姿勢
 第10節 日記文学としての価値
   1、日記文学の定義
   2、『井関隆子日記』の文章
   3、『井関隆子日記』の文学的価値
    〔注〕

第3章 井関隆子の文学・Ⅱ その他の作品
 第1節 『さくら雄が物かたり』
   1、書誌
   2、『さくら雄が物かたり』の内容
   3、『竹取物語』と『さくら雄が物かたり』
   4、『さくら雄が物かたり』の創作意図
   5、井関隆子の仏教批判
   6、まとめ
 第2節 『神代のいましめ』
   1、書誌
   2、『神代のいましめ』の内容と創作意図
   3、主人公・某の少将のモデル
     A、新田孝子氏の松平定信説
     B、『神代のいましめ』の成立時期
     C、老中・水野忠邦(史的事実)
     D、隆子の見た為政者――忠邦と定信――
     E、某の少将のモデルは誰か
 第3節 『いなみ野』
   1、書誌等
   2、『いなみ野』の本文
   3、『いなみ野』の内容
   4、『いなみ野』の創作意図
第4節 『井関隆子長短歌』『秋野の花』『野山の
    夢』跋
   1、『井関隆子長短歌』
   2、『秋野の花』所収歌
   3、『野山の夢』跋
 第5節 書写本
   1、桑原やよ子著『宇津保物語考』
   2、蔵田茂樹著『恵美草』
   3、吉田兼好著『徒然草』
    〔注〕

第4章 井関隆子の人間像
   1、出生と家庭環境
   2、的確な人間認識と歴史意識
   3、天性の批評者
   4、持続する批評精神
   5、豊かな学殖と合理的見識
   6、旺盛な好奇心と執筆意欲
   7、旗本夫人の気位と気品
   8、敬愛された母・祖母

  資 料 篇

1、井関隆子伝記関係資料

  1、庄田家関係
    1、庄田家系譜・正本
    2、庄田家系譜・副本
    3、昌清寺過去帳
    4、昌清寺檀家別過去帳
    5、庄田家墓石
    6、庄田家本家墓石
  2、井関家関係
    1、井関家過去帳
    2、井関家墓石
    3、井関親経短冊
  3、その他
    1、『寛政重修諸家譜』
    2、『徳川実紀』
    3、『柳営補任』

2、井関隆子関係研究文献目録
   1、著作
   2、書写本
   3、作者関係
   4、調査報告・論考・その他
   5、新刊紹介等

3、その他
  1、研究発表・講演・講義等
    ◎日本文学研究会(東京都教育会館)
    ◎東京の歴史研究会(新宿区立図書館)
    ◎東京掃苔会(芝増上寺)
    ◎女性文化研究所(昭和女子大学)
    ◎千葉市民文化大学(千葉市)
    ◎昭和女子大学(講義・講読・演習、短大・
     大学院)
  2、平成十一年度大学入試センター試験問題

  あとがき
  索引(人名・地名・書名・主要事項)(左開)

●平成14年、3年間続いた『桜斎随筆』も完結したので、ほぼ研究も終っている『井関隆子の研究』をまとめて出す計画を立てた。私は単行本にする場合、既に雑誌等に発表したものは、参考にする程度で、書下ろしを原則としている。初めから書き出していたところ、菊池真一先生から連絡があり、和泉書院で私のものを何か出して下さる意向であると知らされた。『井関隆子日記』は勉誠社で出して頂いたので、この『研究』も本来なら勉誠社にお願いすべきである。しかし、私達の研究書などは、売れる訳でもないので、必ずしも喜んで引き受けてくれるとも限らない。そこで、勉誠社の池嶋洋次氏の御了承を頂いて、和泉書院にお願いする事にした訳である。
●平成15年7月、原稿の見通しがついたので、菊池先生と共に和泉書院へ伺って、出版をお願いした。原稿を渡す時、完全原稿に近いという自信がありますので、初校で済むと思います、と申し上げ、出版社からは、有難う御座います、とお礼を言われた。しかし、いざ、進行してみると、再校でも赤字は無くならなかった。一気に書き上げたので、不統一は無いと思ったが、まるで逆であった。和泉書院の編集部に何回お詫びしたか知れない。やはり、トシか。
●平成16年11月1日、本書は発行された。私は全く気付いていなかったが、和泉書院では、井関隆子の没日、天保15年11月1日に合わせて発行して下さった。何と感謝すればよいか。
●前年の8月、息子と2人で、ドイツ、スイス、フランスの旅に出かけた。ライン川下り、ノイシュバンシュタイン城、ルーブル美術館、ロダン美術館などを見て回ったが、このツアーの中に染色会社の社長さんがいて、仲良しになり、手拭を作る事を思いついた。相談すると、作ってくれると言う。そこで、『井関隆子日記』の冒頭部分と、庄田家と井関家の家紋と、井関家の過去帳の隆子の条と、鹿島則文の「櫻山文庫」の丸印と、ついでに「文章千古事」の方形印を影印で3色で染めてもらった手拭を作り、本に添える事にした。勿論、贈呈本のみである。こんなモノズキな事をするヒトはいないだろう。一見の後、布巾にして下さい、という意味である。

【49】仮名草子研究文献目録  共編
A5判、300頁、2004年12月15日、和泉書院発行、定価3800円。菊池真一氏と共編。

目 次
第1部 仮名草子作品
第2部 仮名草子関係研究書(目次併載)
第3部 仮名草子関係論文等(雑誌・紀要・その他)
人名索引
書名索引

●私は学部の卒論の時、仮名草子関係の先行研究の文献調査に、かなりの時間を消費し、これは非生産的だと痛感し、仮名草子研究文献目録の作成を思い立った。最初のものは『近世初期文芸』第3号(昭和48年)に出した。この時は、小川武彦氏に協力してもらった。以後、同誌の第4号、第6号で増補し、その後、菊池真一氏編の『恨の介・薄雪物語』(1994年4月30日、和泉書院発行)に掲載して頂いた。それと前後して、菊池氏の協力を得て、ホームページ「近世初期文芸研究会」の中に「仮名草子研究文献目録」の項を設けて、逐次追加している。これは現在も実行中である。このような経過の中で、菊池氏と協力して、明治初年から平成14年(2002年)の文献を収録したものである。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。