【4】江戸雀

【4】江戸雀  昭和50年11月23日,勉誠社発行,10000円。(横山重監修、近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・古板地誌編・9)『江戸雀』の初印本(横山重氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。『江戸雀』の著者が「近行遠通」であることを解明した。

仮名草子関係書・解説 〔4〕

★ 注記 ネット上では、表記など、元の本が忠実に示せない部分がある。
あくまでも、元の本が正確である。この点、留意して頂きたい。

  一、はじめに

 『江戸雀』は、浅井了意の『江戸名所記』(寛文二年刊)に続く、江戸地誌(名所記)として、延宝五年に刊行された。著者は近行遠通、絵師は菱川師宣である。本書について、和田万吉氏は、

 「而して記載の方法は毎巻初項に該当区内沿道の寺社・大小名邸宅・大小通路等を洩れ無く列挙し、次に大祠・巨刹・名勝・旧跡・遊覧地等を記し、勝地・古蹟等の下には古歌を引き、又著者の狂詠軽口等をも録して一時の興とせり。諸侯・旗下の第宅、大路小巷の記載は尽く自身の踏査を経、一曲一折微に入り細を穿ちて、恰も一幅の細見図を見るが如く、読者をして坐に著者精力の非凡なるに吃驚せしむ。是れ本書の特色の一とすべし。…(中略)…挿図は概ね一面二頁に亘れるものにて頗る佳し。此は慥に本文の動もすれば乾燥に陥らんとするを償ふものと謂ふべく、本書特色の第二なり。」(『古版地誌解題』)

と評され、水谷不倒氏は『古版小説挿画史』において、

 「師宣の絵入本中、稀に見る在名本として、有名なものである。巻数十二、挿絵の多いことも、又その絵の優れてゐることも、他に類例がない。正に師宣の傑作であり、名所記中の白眉でもある。…(中略)…師宣の署名には、二三通りの書体がある。この『江戸雀』のは、全盛期に用ひられたもので、正真正銘言ふまでもない。」

と、その挿絵を高く評価されている。また、長澤規矩也氏は、

「名画工の筆に成りし本書の挿絵はそれのみにても価値ある絵入本と云ふべし。江戸地誌刊本中、本書の原刻本が最高の市価を有するも謂なきに非ず。」(『江戸地誌解説稿』)             
                     
としておられるが、天和元年・山田喜兵衛刊の『書籍目録大全』(注1)の値段は、
 ○江戸雀   十匁  (12冊・160丁半・一丁平均 〇、六二三分)
 ○京雀    七匁  (7冊・155丁 ・ 〃   〇、四五二分)
 ○京童跡追  五匁五分(6冊・148丁 ・ 〃   ○、三七二分)
 ○江戸名所記 七匁   (7冊・209丁 ・ 〃  〇、三三五分)
 ○京童    五匁  (6冊・152丁半・ 〃   〇、三二八分)
とあり、丁数を考慮して計算すると、本書は、他の地誌類に比較して、
すでに当時から高価な書であったものの如くである。水谷弓彦氏『明治大正古書価の研究』によると「名所記・名所図会」(明治23年~大正13年)の項に『難波雀』『京童』『京童跡追』『江戸砂子』『吉野山独案内』『住吉相生物語』『山城名勝志』『みのぶかゞみ』『山城名所記』『出来斎京土産』『洛陽名所集』等は出ているが、本書は出ていない。伝本もまた多くはないようである。
 本書の本文は、明治四十三年・近世文芸叢書に、大正五年・江戸叢書に、昭和三年・日本随筆大成に、さらに昭和四十九年には復刊日本随筆大成に、それぞれ翻刻収録され、長い間作品研究に役立ってきた。しかし、右の各叢書の底本が、いずれも後印本であった事は非常に惜しまれる。これは初印本の伝存が極めて少ない点に、その主たる原因があると思われるが、初印本と後印本の間には、かなり重要な異同があり、その故に著者そのものを誤って伝える、という結果になっている。ここに、赤木文庫所蔵の初印本を底本として複製公刊する事は、十分の意義があるものと思う。

                               
  二、底本と諸本

 『江戸雀』の諸本について『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、それらは次の如く分類する事ができると思われる。

 一 初印本

1、 赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅰ

 二 後印本・〔一〕

2、 東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・I

 三 後印本・〔二〕

  3、赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅱ
  4、京都大学附属図書館所蔵本
  5、国立公文書館(内閣文庫)所蔵本
  6、国立国会図書館所蔵本
  7、静嘉堂文庫所蔵本
  8、天理図書館所蔵本
  9、東京教育大学附属図書館所蔵本
  10、東京都立中央図書館(加賀文庫)所蔵本
  11、東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・Ⅱ

  四、 写  本

 1、東京大学附属図書館(南葵文庫)所蔵本
 2、東京都立中央図書館(東京誌料)所蔵本
 3、東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵本
 4、西尾市立図書館(岩瀬文庫)所蔵本

 以下、これら諸本の書誌的概観を試みたいが、右の各所蔵本の内の版本は、いずれも同一版木に拠るものと判断されるので、底本に使用した、赤木文庫所蔵の初印本についてのみ、版式を詳しく記し、他の後印本は、これと異なる点を記すに止めたい。

   一 初 印 本
 
 1、赤木文庫(横山重氏)所蔵本・I(本影印の底本)
著者  近行遠通。
装訂  袋綴。大本。
表紙  改装後補渋色表紙(雷文つなぎ・花模様等の空押し)、縦263ミリ×
  横188ミリ(巻一)。巻七後表紙に「参考太平記 三十」、巻八後表紙に「参
  考太平記 三十之下」と元の題簽の墨跡が残っているので、『参考太平記』の
  表紙を流用したものと思われる。(本影印には、原題簽を存する、赤木文庫所
  蔵本・Ⅱ(後印本)の表紙を使用し、底本の後補表紙は、参考写真・1~12
  に掲げた。)
題簽  左肩に子持枠後補題簽、縦192ミリ×横39.5ミリ(巻一)、「江戸すゝめ
  一 (~十二/了)」。子持枠及び書名は木版刷り、巻数は墨書。
匡郭  四周単辺、縦236ミリ×横174ミリ(巻一の1丁表)。      
序題  「江戸雀 序」 (巻一の1丁表)。
目録題  「江戸雀目録 初巻/二(~十二)巻目」(巻一の3丁表~6丁裏)。
内題  巻一は7丁表に、巻二以下は各巻頭に、
   「江戸雀初巻」          
   「江戸雀二巻目」
   「江戸雀三巻目」         
   「江戸雀四巻目」
   「江戸雀五巻目 御城より南之方」
   「江戸雀六巻目 御城より西の方」
   「江戸雀七巻目 従御城西北のすみ」
   「江戸雀八巻目 従御城北之方」
   「江戸雀九巻目 従御城北の方 こいし川より ひがしつゞき」
   「江戸雀十巻目 従御城北ひかしの方 あさ草見つけは ひかしにあたれ
           り」
   「江戸雀十一巻目 従御城東之方」
   「江戸雀十二巻目 従御城ひかしの方」
尾題  各巻末に、
   「江戸雀初巻終」         
   「江戸すゝめ二巻終」
   「江戸すゝめ三巻目終」     
   「江戸雀四巻目終」
    巻五はなし。         
   「江戸雀六巻目終」
   「江戸雀七巻目終」       
   「江戸雀八巻目終」
   「江戸雀九巻目」         
   「江戸雀十巻目終」
   「江戸雀 十一巻目終」       
    巻十二はなし。
  巻三は大部分墨にて補筆されているが、字体は他の版本に類似している。巻
  十一の「巻終」は墨にて補筆されている。     
柱刻  版心は白口。
   「江戸すゝめ 一ノー (~十四)」  
   「すゝめ ニノ一 (~十七)」
   「すゝめ 三ノ一 (~十三)」    
   「すゝめ 四ノ一 (~十四)」
   「すゝめ 五ノ一 (~十二)」 
   「すゝめ 六ノ一 (~十二)」
   「すゝめ 七ノ一 (~十一)」   
   「すゝめ 八ノ一 (~十一)」
   「すゝめ 九ノ一 (~十九)」  
   「すゝめ 十ノ一 (~十七)」
   「すゝめ 十一ノ一 (~十四)」
   「すゝめ 十ニノ一 (~十終)」
  巻一の7丁は「一ノ一」、巻六の5丁・6丁は「六の五」「六の六」、
  巻十の14丁は「十ノ十■」とそれぞれなっている。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  十二冊。
丁数  巻一…14丁(内、序2丁、目録4丁)。
  巻ニ…16丁半。
  巻三…13丁。   
  巻四…14丁。   
  巻五…11丁半。
  巻六…11丁半。  
  巻七…10丁半。  
  巻八…10丁半。
  巻九…18丁半。  
  巻十…17丁。  
  巻十一…14丁。
  巻十二…9丁半(内、跋1丁)。
行数  序・目録・跋…15行。本文は毎半葉、
  巻一…17行。 
  巻ニ…1丁・2丁表・16丁裏は16行、以外は17行。
  巻三・巻七…16行。
  巻四…1丁~4丁は16行、以外は17行。
  巻五…IT~3丁は16行、以外は17行。          7
  巻六…1丁・2丁表は16行、以外は17行。
  巻八…1丁~3丁は16行、以外は17行。
  巻九…1丁・2丁表・5丁裏・11丁裏・12丁表は16行、以外は17行。
  巻十…9丁・10丁表は16行、以外は17行。
  巻十一…1丁・2丁は16行、以外は17行。
  巻十二…1丁・2丁表は16行、以外は17行。
字数  序…約24、25字。本文…約28字。跋…約27字。
句読点  なし。
挿絵  絵師…菱川吉兵衛(師宣)。
  巻一…見開き2図(7丁裏8丁表・11丁裏12丁表)。
  巻二…2図、内見開き1図(3丁裏・10丁裏11丁表)。
  巻三…見開き2図(4丁裏5丁表・9丁裏10丁表)。
  巻四…3図(3丁表・6丁表・10丁表)。
  巻五…3図(3丁表・5丁裏・10丁表)。
  巻六…3図(3丁表・5丁裏・9丁表)。
  巻七…3図(2丁表・5丁裏・8丁表)。
  巻八…3図(3丁表・7丁裏・10丁表)。
  巻九…3図、内見開き1図(3丁表・8丁裏・12丁裏13丁表)。
  巻十…4図、内見開き2図(3丁裏4丁表・7丁表・11丁裏12丁表・14丁
        裏裏)。
  巻十一…3図(2丁表・5丁裏・11丁表)。
  巻十二…3図(3丁表・5丁裏・8丁表)。
序跋  巻一の1丁・2丁に自序。巻十二の9丁裏・10丁表に自跋。
刊記  巻十二の10丁表に、
   「         武州江戸之住 近行遠通撰之
    延宝五年丁巳 仲春日  同絵師 菱川吉兵衛
        江戸大伝馬三丁目 鶴屋 喜右衛門板」
蔵書印・識語  「八文字屋蔵書之印」「掬雅」「好古癖」「寿」
   「臨風文庫」「アカキ」の朱印。他、朱印一顆。巻十二前表紙に白紙の
   帯が付けられ、ペン書にて、現所蔵者・横山重氏の次の識語がある。
   「145/○江戸雀の初印本(改装裏打本)/○再印本は左の赤字の部分を
   削りて印刷せり。/武州江戸之住 近行遠通撰之〔注、赤線で囲む〕/
   同〔注、赤線で囲む〕絵師 菱川吉兵衛」帙に原稿用紙が貼付されており、
   ペン書にて、横山重氏の次の識語がある。「○本書、改装本なれど、初印本
   なり。「近行遠通撰之」とあり。/再印本は此六字を削れり。世上にある本
   は多くこれなり。予、別/に二本を持てりしが、再印本のゆゑに、出しぬ。
   /○和田博士の古板地誌解題、長沢規矩也氏の江戸地誌解題等、/皆、再
   印本を出して、本書の撰者を師宣とす。/○一誠堂主人存命(昭和十五年
   春)中、本書を千円にて買へり。従/来、地誌の中で、八重桜に次ぐ本と
   されたりし本なり。霞亭の本/の評価(大正十三年)の時、次の如し。
   而して、入札には五割方高く/江戸すゝめ 一、〇五〇/名所八重桜 一、
   八八〇/葦分船 六三八/なりしが、此江戸すゝめは再印/本なりき。/
   2500」
その他  巻二の14丁裏~16丁表に錯簡がある。即ち、正しくは、14T裏は15
   丁裏へ、15丁表は16丁表へ、15丁裏は14丁裏へ、16丁表は15丁表へ、
   それぞれ入れるべきである・(なお、本影印では、右の如く訂正して複製し、
   この巻二の14・15・16丁の各版心を参考写真・15~17(初印本)、18~20
   (後印本)に掲げた。) 本文紙は、全冊に亙って総裏打ちされている。                

    二 後印本・〔一〕

2、 東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・I(三 HC は5)

表紙  砥粉色原表紙、縦271四ミリ×横190ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦177ミリ×横39ミリ(巻一)。
   「江戸すゝめ 御城の始り 同大手口屋敷付 一」
   「江戸須々女 糀町番所筋 駿河台の分 二」
   「江戸雀 町中案内者 三」    
   「江戸寿々女 日本橋より 金杉迄の分 四」
   「江戸すゝめ 大芝の分 五」     
   「江戸須々女 赤坂四谷 市谷の分 六」
   「江戸雀 牛込の分 七」       
   「江戸寸々女 小石川の分 八」
   「江戸すゝめ 神田 九」      
   「江戸すゝめ 浅草の分 十」
   「江戸すヽめ 本庄の分 十一」   
   「江戸雀 本庄の分 十二」
柱刻  巻二の14丁~16丁は埋木。これは初印本の錯簡を正したため。巻十の
   8丁は「十ノ八九」とあり「九」は埋木。これは後印本が9丁を省いたた
   め。巻十の14丁が初印本は「十ノ十■」とあるが、後印本は「十ノ十四
   」と「四」を埋木して訂正。後印本は版心の上下の匡郭を大部分削ってい
   る。以上の外は初印本(赤木文庫本・I)と同じ。
丁数  巻十は最終丁が「十ノ十七」とあっても、9丁を省いたため、実際は16
   丁。以上の外は初印本(赤木文庫本・I)と同じ。
刊記 巻十二の10丁表に、           
   「          武州江戸之住
   延宝五年丁巳仲春日      絵師菱川吉兵衛
         江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板」
蔵書印等  「松沢蔵書」「洒竹文庫」「古版地誌」の朱印。「松沢所蔵」「松沢」 
   「まつ沢」と墨書。
その他  巻二の14丁裏~16丁表の錯簡ぱ正されている。巻十の9丁は省かれ
   ている。初印本と後印本の間には異同がある。この異同については第三章
   を参照。

  三、後印本・〔二〕

3、 赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅱ

表紙  薄青味灰色原表紙。縦270ミリ×横190ミリ(巻一)。(本影印の前表紙
  は、本書の原表紙を以て補った。)
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦179ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、
  東洋文庫本・Ⅰと同じであるが、巻四の左上部に欠損あり。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  巻十二の10丁表に、
   「        武州江江戸之住                              
   延宝五年丁巳仲 日    絵師 菱川吉兵衛      
        江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板」(参考写真・27)
蔵書印等  「政」の黒印。「アカキ」の朱印。その他花押あり。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。

 4、京都大学附属図書館所蔵本(83エ7)

表紙  藍色原表紙、縦272ミリ×横190ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦178ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
尾題  欠損のため巻二は「江戸すゝめ二巻目終」、巻六は「江戸すゝめ六巻羽終
   」とそれぞれ墨書。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印等  「田村」の黒印。「京都帝国大学図書之印」「京大図/明治・三四・
   三・三〇・購入」の朱印。「17725」の青印。背の小口に「江戸雀 一 (~
   十二)」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻一の11丁
   の下部に破損あり。

5、 国立公文書館(内閣文庫)所蔵本(特122 9)

表紙  藍色原表紙、縦269ミリX横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦179ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じであるが、巻二、巻九は欠で剥落の跡のみ。巻五の
   下部に欠損あり。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
列記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「仲 日」の部分が「仲夏日」とあり、「夏
   」は墨書にて補ったもの。
蔵書印  「石塚文庫」「豊芥(象の絵)」「待賈堂」「江戸四日市/古今珍書儈/
   達摩屋五一」「図書局文庫」「日本政府図書」「明治十六年購求」の朱印。そ
   の他黒印一顆。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻八の2丁
   と3丁は入れ替わっている。
 
 6、国立国会図書館所蔵本(京22)

表紙  後補万字つなぎ黄色表紙、縦263ミリ×横184ミリ(第一冊目)。
題簽  左肩に第一冊目は子持枠後補題簽で「江戸すゞめ 御城初 巻ノ一」(縦
   189ミリ×横41ミリ)と枠は版刷り、文字は墨書。第二冊目は巻二の、第
   三冊目は巻三の、第四冊目は巻四の、各原題簽を存す。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
冊数  四冊。第一冊…巻一・巻二・巻三。第二冊…巻四・巻五・巻六。第三冊
   …巻七・巻八・巻九。第四冊…巻十・巻十一・巻十二。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。                             
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印  「西成文庫」「小沢文庫」「●原家蔵」「故●原芳埜納本」「東京図書館
   蔵」「帝国図書館蔵」の朱印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻十の11丁
   裏12丁表の挿絵は破り取られている。
 
 7、静嘉堂文庫所蔵本(18345/12/103・63)

表紙  後補藍色表紙、縦257ミリ×横185ミリ(巻一)。
題簽  左肩に後補書題簽、縦138ミリ×横37ミリ(巻一)。「江戸雀」と墨書。
   以下、巻十二まで同じ。
尾題  巻五に「江戸雀五巻目終」と墨書で補う。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印  「一居蔵書」「藤井蔵書」「禁他貸」「柳はし/ふじゐ/藤吉」「静嘉堂
   珍蔵」の朱印。各巻前表紙見返しに、縦83ミリ×横65ミリの紙が貼付さ
   れ、青色印刷にて次の如くある。「藤井蔵書/読書心得之記/一可成丁寧ニ
   読ベキ事/一破損及塗黒スベカラズ/一又貸一切厳禁之事/一火ノ上ニテ
   必ズ読ベカラズ/一読書中中央迄読候節ハ必ズ栞ヲ入置ベシ決シテ本ヲ折
   ベカラズ/右之条々固ク相守可申者也/藤井氏蔵書」その他黒印一顆あり、
   上部が切断されている。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻一・二・
   三・四・八・九・十・十一・十二の各巻は総裏打ちされている。巻五・六
   は各丁の中に間紙が入れられている。巻七は元のまま。巻二・三・四・八
   には乱丁があり、その順序は次の通り。
  巻ニ…1丁・2丁・6丁・7丁・8丁・15丁表14丁裏・9丁・10丁・11丁
    ・12丁・14丁表13丁裏・5丁・4丁・3丁・16丁表15丁裏・17丁表。
  巻三…1丁表巻二の16丁裏・2丁表IT裏・3丁表2丁裏・4丁・
    5丁表巻八の2丁裏・8丁表5丁裏・10丁・12丁・13丁。
  巻四…1丁・13丁・4丁・5丁・6丁・7丁・8丁・9丁・10丁・11丁・14
    丁。
  巻八…1丁・2丁表巻三の3丁裏・3丁・4丁・5丁・6丁・7丁8丁・9
    丁・10丁・11丁。
  巻二の13丁表、巻三の6丁・7丁・8丁裏・9丁・11丁、巻四の3丁・12
  丁は落丁。巻五の12丁表の終わりの2行は欠落しており、そこに「叉/花を
  見る人や不動のからしばり」と墨書で補っている。巻十一の8丁裏上部に破
  損あり。巻五・六・七以外の挿絵には彩色をしている。
 
 8、天理図書館所蔵本(291・1 イ1~12)

表紙  濃縹色原表紙、縦272ミリ×横194ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦178ミリ×横37ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。   
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印等  「熊本市上通二丁目/河嶋書店」「高木家蔵」「天理図書館蔵」「天理
   図書館」「天理図書館/昭和廿八年十月壱日/458601(~12)(青
   印)」の朱印。紙片が入っており、それに「24095/昭和22・9・13
   /寄贈中山正善氏/評価1200/高木文庫」とあり。巻十の17丁裏に「雀
   巻十」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻六・九の
   尾題の上部に破損あり。
 
 9、東京教育大学附属図書館所蔵本(ネ312 1)

表紙  砥粉色原表紙、縦272ミリ×横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦180ミリ×横39ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印識語  「牘庫」「東京師範学校図書印」「東京高等師範学校図書館印」の
   朱印。「高等師範学校図書/第三三七八号/一二冊(数字は墨書)」の黒印。
   「東京文理科大学/特別/図書」の茶色ラベル。巻十の11丁裏に白紙があ
   り。「絵入の江戸古版地誌として最も優れたものである。」と墨書。各巻
   下小口に「一 (~十二)江戸すゝめ」と墨書。その他朱印一顆。          
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。
 
 10、東京都立中央図書館(加賀文庫)所蔵本(243 1~12)

表紙  後補藍色表紙、縦262ミリ×横188ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠後補題簽、縦186ミリx横36ミリ(巻一)。「江戸雀 一
   (二・三・四・八・九・十・十二)」「江戸すゝめ 五(六・十一)」「江戸
   すゝ目 七」文字は墨書。
尾題  巻八・九は欠損。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印識語  「時習館蔵書之印記」「佐久間」「佐久間図書印」「中川氏蔵」「加
   賀文庫」「東京都立図書館蔵書」の朱印。「東京都立日比谷図書館/104682
   (~93)/昭28・1・10和」の黒印。「延宝五季秋五口 政武〔印〕」「政
   武〔印〕」と墨書・黒印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻五に欠
   損あり、欠損部分は版本に忠実に補筆されているが、振り仮名はほとんど
   省略されている。

  11、東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・Ⅱ(三複HC は5)

表紙  藍色原表紙、縦272ミリ×横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、巻一は子持枠後補題簽、縦182ミリ×横39ミリ 「江戸雀 御
   城之初並 年中規式之分 一」と墨書。巻二以下は子持枠原題簽、体裁その 
   他、東洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。部分的に破損あり。
蔵書印  「芋芊苑文庫」「雲邨文庫」の朱印、その他朱印一顆。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。

 以上、各版本の略書誌を記したが、この中では。赤木文庫Ⅰ本のみが初印本で、他は後印本である。初印本と後印本の著しい相違点は、初印本には巻二の14丁裏~16丁表に錯簡があるが、後印本は訂正していること、後印本は巻十の9丁を省略していること、初印本にみられる著者名「近行遠通」を後印本は削除していること、等である。その他、初印本・後印本間には、かなりの本文異同があるが、この異同については、後にやや詳しく述べたい。後印本・〔一〕(東洋文庫Ⅰ本)と後印本・〔二〕の相違は、刊年記の部分で〔一〕が「仲春日」とあるのに対し、〔二〕は「春」を削除していること、本文中で二箇所の異同があること、の二点であり、刷りは〔一〕の方が早いが、同系統の本文であると言い得る。刊行者・鶴屋喜右衛門は、井上和雄氏の『慶長以来書賈集覧』に、
「同(鶴屋)喜右衛門 小林氏 仙鶴堂 延宝―明治 江戸大伝馬三丁目、後通油町 按に京都鶴屋の支店なりしものゝ如し、当時江戸地本問屋として錦絵草双子類の大版元なり其全盛を極めたること他に比類無かりしとぞ江戸名所図会巻一に其の店を写したる図あり」
とあり、『心学男女鑑』(延宝三年)、『秀平五代記』(正徳六年)、『西海軍記』(享保八年)、『骨董集』(文化十一、二年)等を刊行している。

                               
 四 写 本

 1、東京大学附属図書館(南葵文庫)所蔵本(J30 751)

装訂  袋綴、大本。
表紙  藍色表紙、縦272ミリ×横190ミリ(第一冊)。
題簽  左肩に書題簽、縦192ミリ×横36ミリ(第一冊)。「江戸すゝめ 一之
   二(三之四・五之六・七之八・九之十・十一之十二終)」。
匡郭  なし。一行の字の高さは230ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  共に赤本文庫本・Ⅱと同じであるが振り仮名は省
   略されている。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九・巻十。第六冊…巻十一・巻十二。
丁数・行数・字数  共に赤木文庫本・Ⅱとほとんど同じ。
句読点 なし。             
挿絵  枚数・順序等、赤木文庫本・Ⅱと同じ。構図も同様であるが、人物や樹
   木等は省略したものがある。また、巻三の第1図「さかい町」、同第2図「日
   本ばし」等の如く、絵の中の説明を省略したものや、巻五の第3図「めく
   ろふどう」→「目黒不動」の如くその表記を変えたものがある。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の2字
   は欠。
蔵書印  「南葵文庫」の朱印。「南葵文庫/購入/古本/紀元二千五百六十三年
   /明治三十六年十二月廿一日」の紫印。「東京帝国大学図書印」の朱印。
   「B43351」の青印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻四の5丁・
   6丁が入れ替わっている。巻五の4丁が落丁。後印本を忠実に書写してお
   り、行数・字詰まで、ほとんど同じである。ただし、振り仮名は大部分省
   略しており、「介→助」、「は→ハ」、「あたり→当り」の如き異同はある。
 
 2、東京都立中央図書館(東京誌料)所蔵本(020 6 貴重書)

装訂  袋綴、大本。
表紙  葡萄模様銀色表紙、縦271ミリx横189ミリ(第一冊)。
題簽  左肩に書題簽(薄縹色絹目紙)、縦190ミリ×横37ミリ(第一冊)。
   「江戸雀 一 四(五 八・九 十二/尾)」。
匡郭  なし。一行の字の高さは203ミリ前後。        
序題・目録題  なし。(序・目録全体を省略している。)    
内題  各巻頭に、
   「江戸雀初巻」「江戸雀二巻」「江戸雀三巻」「江戸雀四巻目」「江戸雀五巻
   /従御城南の方」「江戸雀六巻/従御城西の方」「江戸雀七巻/従御城西北
   のすみ」「江戸雀八巻/従御城北の方」「江戸雀九巻/従御城北の方 小石
   川より ひかしつゝき」「江戸雀十巻目/従御城北ひし方 あさくさ見つけ
   はひかしにあたれり」「江戸雀十一巻目/従御城東の方 両国はしより北本
   庄分」「江戸雀十二巻目/従御城東の方南本所の分」
尾題  各巻末に「江戸雀初巻(~十一巻)終」。巻十二はなし。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  三冊。第一冊…巻一~巻四。第二冊…巻五~巻八。第三冊…巻九~巻十
   二。
丁数  巻一…13丁。巻ニ…23丁半。巻三…14丁。巻四…12丁。巻五…13丁。
   巻六…17丁。巻七…14丁。巻八…15丁。巻九…26丁。巻十…19丁。巻十
   一…13丁。巻十二…13丁半。
行数  毎半葉11行。
字数  一行約26字。
句読点  なし。
挿絵  全般的に構図は版本と同様であるが、人物や樹木等を省略したものがあ
   る。巻十の第4図、巻十二の第1図を省略している。巻一の第2図に接続
   して、巻四の第3図「愛宕さん」を入れている。巻五の第2図「池上本門
   寺」と第3図「めぐろふどう」を入れ替えて、接続して掲げている。巻十
   の第2図「こまがたどう」と第3図「よしはら」を入れ替えて、接続して
   掲げている。巻十一の第2図「角田川」を「梅わか」、第3図「むゑんじ
   」を「ゑかう院」とそれぞれ説明を改めている。その他、巻十の第1図「あ
   さ草観音堂」の如く絵の中の説明文を省略したものや。巻四の第2図「ひゞ
   やしんめい」→「日比谷神明」の如く説明の表記を変えたものがある。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の2字
   は欠。
蔵書印  「大礼記念図書」「東京誌料 日比谷図書館」「日比谷図書館購求/10・
   8・6」の朱印。「5031」の青印。「東京都立日比谷図書館・東京誌料/27876
   (~8)/昭34・1・26和」の黒印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。序・目録は
   すべて省略されている。巻二「永田山 山王権現之事」の26行を約2行に、
   巻四「芝 三縁山 増上寺」の37行を約1行に簡略化している。この如く、
   寺社・名所等に関して説明した部分や古歌等は、全般的に省いたり、簡略
   化したりしている。その他、振り仮名は大部分省き、「そのゝち→其後」「よ
   つや→四ッ谷」等の異同がある。後印本の臨写本と思われるが、書写は忠
   実ではない。

3、 東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵本(狩3 7297 6)

装訂  袋綴、半紙本。                     
表紙  紅葉模様焦茶色表紙、縦235ミリ×横167ミリ(第一冊)。
題簽  題簽は無く、左肩に「江戸雀一 二(~十ー 十二)  一 (~六)
   」と墨書。
匡郭  なし。一行の字の高さは200ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  「江戸雀 序」「江戸雀初巻」「江戸すゝめ四巻目
   終」 巻六・巻七・巻八の尾題なし。「江戸雀十巻目 従御城北東の方 あ
   さくさ見付は 東にあたけり」「江戸すゞめ十巻目終」巻十一の尾題なし。
   以外は赤木文庫本・Ⅱと同じ。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九・巻十。第六冊…巻十一・巻十二。
丁数  巻一…20丁。巻ニ…32丁。巻三…21丁。巻四…26丁。巻五…20丁。巻
   六…20丁。巻七…18丁。巻八…19丁。巻九…35丁。巻十…28丁。巻十一
   …27丁。巻十二…18丁(内、1丁は識語)。
行数  毎半葉10行。
字数  一行24・25字前後。
句読点  なし。
挿絵  なし。
刊記  巻十二の17丁に、「延宝五年丁巳仲 日/江戸大伝馬三丁目」とあり、
   下の絵師名・書肆名があったと思われる部分が破り取られている。本文内
   に挿絵が無いところから、何人かが、絵師名等を削除したものと思われる。                 
蔵書印・識語  「誉田之蔵」「狩野氏図書記」「東北帝国大学図書印」「荒井泰治
   氏ノ寄附金ヲ/以テ購入セル文学博士/狩野亨吉氏旧蔵書」の朱印。巻十
   二最終丁裏に、「壱 二月廿四日写/二 同廿五日写/三 同せ廿五六日写
   /四 同廿六七日写/五 同廿八日三月九日夜 同十日夜同十一日朝写/
   六 同十一二日写/七 同十三四日写/八 同十四五日写/九 同十七廿
   日写/十 同廿二三日写/十一 十六十七日写/十二 同十六日写」と墨
   書。下小口に「江戸雀 一 (~六)」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。振り仮名を
   大部分省略し、「あいおひ橋→相生橋」「おしへず→をしへず」の如き異
   同はあるが、かなり忠実に後印本を書写している。
 
 4、西尾市立図書館(岩瀬文庫)所蔵本(貴14 51)

装訂  袋綴、大本。
表紙  藍色表紙、縦277ミリ×横192ミリ(第一冊)。
題簽  なし。
匡郭  なし。一行の字の高さは230ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  「江戸雀序」「江戸雀初巻」「江戸すゝめ弐巻目終
   」以外は赤木文庫本・Ⅱと同じ。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九。第六冊…巻十・巻十一・巻十二。
丁数・行数・字数  共に赤木文庫本・Ⅱとほとんど同じ。
句読点  なし。
挿絵  枚数・順序等赤木文庫本・Ⅱと同じ。構図も同様であるが、人物や樹木
   等は省略したものがある。巻五の第1図「芝大ほとけ」、巻六の第2図「赤
   坂田町」の各説明を省いている。
刊記  東洋文庫本・Ⅰと同じであるが「鶴屋 喜右衛門板」の「鶴屋」の2字
   が欠。
蔵書印  「狂哥堂文庫」「岩瀬文庫」の朱印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。振り仮名を
   大部分省略し、巻二16丁裏2行目「須田町近道有近藤」の8字、巻四9丁
   表1行目「此所の石たん六十八有」の10字等の如く欠字となっている所も
   あるが、全般的に、各丁とも行どり、字詰など、版本と同じで、後印本を
   忠実に書写している。

 現存の写本は以上の四点であるが、いずれも版本の転写本であり、本文の異同関係から考えて、後印本の写しであると判断される。この内、岩瀬文庫本の刊年記には「仲春日」と「春」が入っているので、これは後印本・〔一〕の写しであろうと思われる。また、南葵文庫本と加賀文庫本は共に書肆の住所「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の二字を省いており、この二本が同系統の写本である事を推測させるが、殊に南葵文庫本の書写が版本に忠実あるところから考えて、あるいはこのような刊記を有する後印本があったのかも知れない。

 以上、『江戸雀』諸本の調査結果を簡単に記したが、この外、調査し得なかったものが三点ある。お茶の水図書館(成簣堂文庫)所蔵本は江戸期の所蔵本所蔵本が未整理との事で、東京国立博物館の所蔵本は館内改造工事の故に、平井隆太郎氏所蔵本は種々の事情の故に、それぞれ閲覧する事が出来なかった。なお、東京国立博物館の所蔵本が後印本である事は朝倉治彦氏によって明らかにされている(『新訂増補 古版地誌解題』)。さらに、岡山県総合文化センターの所蔵本は戦災によって焼失したこと、宮城県立図書館・伊達文庫には所蔵されていない事を、それぞれ確認した。

 尊経閣文庫 には、写本『江戸すゝめ』が所蔵されているが、これぱ別本である。袋綴、横小本、黒色表紙、三巻、全342丁、題簽「江戸すゝめ 上(中・下)巻」、蔵書印「誉田之蔵」「前田氏尊経閣図書記」。上巻巻頭に目録がある。「目録/一江戸四里四方の事/一御見附の事/一御大名の事/一御役御屋敷の事/一神社仏閣の事/一寺々の事/一町の事/一名主の事/一橋の部/一坂の部/一ほりの部/一原の部/馬場の部…」等とあり、これらの内容を、上・中巻に、いろは別に分類して収録している。下巻には「上野寛永寺辺」等の地図三葉と「町方名主支配之部/御府内年中行事/七福神/海中名所/五八景之部/御前町之部…」等を収めている。この写本の書写年代は大尾に「享保十一年十一月写畢」とある事によって推察される。第一蔵書印「誉田之蔵」が、東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵の『江戸雀』に存するものと同じ朱印である事は注意すべきである。 

          
三、初印本と後印本の本文異同について

 『江戸雀』の初印本(赤木文庫・Ⅰ本)と後印本・〔Ⅰ〕(赤本文庫・Ⅱ本)とを対校した結果は次の通りである。なお、本来ならば、まず初印本と後印本・〔Ⅰ〕とを対校すべきであるが、原本の所在等種々の事情から、後印本・〔Ⅱ〕と対校した。ただ。後印本・〔Ⅰ〕と同・〔Ⅱ〕との異同が極めて少ないので、この事に問題はないと思う。(上が初印本、下が後印本・〔Ⅱ〕。省略したものは「ナシ」とした。)

 〔1〕巻一 1丁表7行……はんさい万歳→はんせい万歳 (参考写真・13)
 〔2〕巻一 1丁裏8行……ふ ゑ武江→ふ かう武江
 〔3〕巻一 1丁裏10行……しやうと唱斜→しやうと唱斜
     左振仮名 すしかゆ→すしかゆかみ          
 〔4〕巻一 3丁表4行……せ かめはし銭亀橋→せにかめはし銭亀橋
 〔5〕巻一 4丁表15行……い し築地→つい し築地
 〔6〕巻一 7丁表11行……攻落して→入かはりて (参与写真・14)
 〔7〕巻一 7丁表12行……めつばう滅亡す故に→ナシ   (参与写真・14)
 〔8〕巻一 8丁裏14行……諸事諸山→諸寺諸山
 〔9〕巻一 9丁裏9行……至り↓ナシ
 〔10〕巻二 10丁表15行……口まへの→前の  (初印本の1字不明瞭)
 〔11〕巻二 14丁裏→15丁裏へ        (参考写真・15~20)
 〔12〕巻二 15丁表→16丁表へ        (参考写真・15~20)
 〔13〕巻二 15丁裏→14丁裏へ        (参考写真・15~20)
 〔14〕巻二 16丁表→15丁表へ        (参考写真・15~20)
 〔15〕巻三 6丁表8行……はたふたい舞台→ふ たい舞台
 〔16〕巻三 9丁表1行……▲一戸越→ナシ   (参考写真・21)
 〔17〕巻五 4丁裏14行……照ゑい栄口→照ゑい栄坊  (初印本の1字不明瞭)
 〔18〕巻九 12丁表14行……行の頭に文字の部分の如き跡あり→ナシ
                        (参考写真・22)
 〔19〕巻十 8丁裏16行……「さはいひなから」より10丁表3行まで→ナシ
             (参考写真・23~25)
 〔20〕巻十一 13丁裏7行……浅草に→ナシ
 〔21〕巻十二 9丁裏7行……この1行全体にナシ  (参考写真・26)
 〔22〕巻十二 10丁表13行……近行遠通撰之→ナシ (参考写真・27)
 〔23〕巻十二 10丁表14行……春→ナシ      (参考写真・27)
 〔24〕巻十二 10丁表14行……同→ナシ      (参考写真・27)

 右の異同の内、〔1〕・〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔8〕・〔10〕・〔15〕・〔17〕などは、初印本の誤りを後印本が訂正したもの。〔6〕・〔7〕は、この前後の文章を、寛文二年の『江戸名所記』の「……管領上杉修理大夫朝興この城にありしを、大永年中に北条氏綱にせめおとされ、……天正十八年七月六日小田原没落して、氏直めつばうせられしよりこのかた……」から得たもののようであるが、「攻落して」「滅亡す」という、初印本のやや殺伐とした表現を後印本は改めたのではないかと思われる。〔11〕・〔12〕・〔13〕・〔14〕は初印本の錯簡を後印本が正したものであるが、これは版下作成の過程生じた誤りであろう。〔9〕・〔16〕・〔18〕・〔19〕・〔20〕〔21〕・〔22〕・〔23〕・〔24〕は、いずれも後印本が初印本の文字・文章等を省略したものである。〔9〕は「東の方は八町堀に至り木挽町鉄炮津女木三谷霊巌嶋にいたり」とあり、「至り」「いたり」と重複するため、前の「至り」を省いたのであろうか。〔16〕は9丁表1行目の見出し「▲戸越」を後印本が除いているのであるが、この項は江戸橋、戸越橋、材木町、北八町堀辺の記述であるため「戸越」では誤りである。そこで削除したものと思うが、そのためにこの丁は1・2行が空白となってしまった。あるいは、版下段階では、戸越橋辺についての、さらに詳しい見出しがあったのかも知れない。それを何等かの理由(例えば重複など)で「▲戸越」のみを残して印刷したのが初印本で、さらにそれを削ったのが後印本ではなかろうか。ただし、この異同は次の〔18〕と共に考える必要がある。〔18〕は初印本では、行の頭に文字の部分の如き跡があるが、それを後印本は削除している。そのため、この行は二字さがりとなってしまった。幸い後続の文章は意味が通じるため問題はないが、あるいは、この都分は、版下段階では、例えば「とて」のような語があり、版木に彫りつける段階、またぱ数部印刷の後に欠損が生じたものであろうか。もしそうであるとすると、初印本(本書の底本)より、さらに早い刷りの版本があった可能性もある。その点で、〔16〕・〔18〕の二つの異同は注意すべきものと思う。〔19〕は後印本が省略したものの内、最大のもので、8丁裏から10丁表に亙る、全36行と9字分を省いている。したがって9丁は無く、8丁の柱に「十ノハ九」と「九」を埋木している。この部分は、延宝四年十二月(『武江年表』は十一月)七日に起こった吉原の火事についての記述であるが、後印本は8丁裏に1行、10丁表に3行の空白まで残して、何故に削除したのであろうか。「去年の冬」の火事の記述なので、刊行日と時間的に矛盾が生じたためか。「繁栄之所に有失火といへるたぐひ多」という表現が、あまり穏やかでないためか。あるいは、その描写に品位を損うものがあると考えたからか。理由は判然としないが、その内容に何か不都合が生じたために、この不体裁をも省みず、削除したのであろう。次に〔20〕であるが、この前後の文章は万治四年刊行の『むさしあぶみ』に拠っていると思われる。「江戸中にありとあらゆる橋々六十个所。此うち浅草橋と一石橋一つ。すなはち其橋もと後藤源左衛門といふものゝ家ばかり。江戸中の名残に只ひとつ焼残る。」(下巻)この「浅草橋」を「浅草に」と誤写してしまったらしい。そこで後印本は「浅草橋」と訂正すべきところを削って済ませたのであろう。〔21〕の1行削除は、自序の「是智有人の見るべき物にあらず。」ともしっくりせず、また「上つかた」に対する、憚りのためであったかも知れない。〔22〕・〔24〕は著者名の削除という重大な異同であるが、その理由は今即断できない。次章でやや詳しく述べたいと思う。〔23〕は「仲春日」の「春」を削っているが、これは後印本・〔Ⅱ〕の刊行時期が春以外であったためであろう。         
  以上、初印本と後印本・〔Ⅱ〕との異同について述べたが、後印本〔Ⅰ〕は
 右の異同の内、〔15〕・16〕・〔23〕の三箇所のみが初印本と同じである。したが
って、初印本から後印本・〔Ⅰ〕の段階で、右の大部分を改め、後印本・〔Ⅰ〕から同・〔Ⅱ〕の段階で〔15〕・〔16〕・〔23〕を改めたということになる。   
 さて、右の異同全体をながめると、いずれも後印本が初印本の誤りを訂正したり、不都合の部分を改めたりしているのであり、これらの異同関係から考えても、諸本の印刷の先後は明らかである・そして、後印本の初印本に対する改訂の態度には極めて積極的なものがあり。殊に〔6〕・〔7〕・〔19〕・〔21〕には、何か現実社会への憚りの如きものが感じられもする。〔22〕・〔24〕の著者名削除と共に、著者自身の手によって、これらの訂正・削除等はなされたのではないかと思われるのである。

  四、著者・近行遠通について
  

 『江戸雀』の著者について、近世文芸叢書(明治43年7月)・江戸叢書(大正5年10月)・日本随筆大成(昭和3年9月)の各解題は「著者詳ならず」「作者詳ならず、」「著者不詳」とされたが、和田万吉氏『古版地誌解題』(大正5年4月)(注2)・高木利太氏『家蔵日本地誌目録』(昭和2年11月)・長澤規矩也氏『江戸地誌解説稿』(昭和7年11月)・丸山季夫氏、復刊日本随筆大成解題(昭和49年4月)はいずれも、著者・絵師共に菱川師宣(吉兵衛)の名を掲げておられる。
 これは、右の諸氏が使用された原本が、すべて後印本であった事に主たる原因があるものと思われる。
                              
 「武州江戸之住 近行遠通撰之   → 「武州江戸之住        
      同絵師 菱川吉兵衛」          絵師 菱川吉兵衛」 

初印本・刊記の著者及び絵師の部分は右の如くなっているが、後印本では「近行遠通撰之」の七字を削除している。後印本のこの部分を絵師名のみの表示と解釈すれば、近世文芸叢書等の如く、著者は未詳となる。また、和田万吉氏等の如く、絵師である菱川吉兵衛が同時に著者である、と解する事もできない事はない。
 『江戸雀』を最初に記載した書籍目録は、江戸日本橋の山田喜兵衛が天和元年春に刊行した『書籍目録大全』であり、同目録には、
  「十二 江戸すゝめ 江戸板 拾匁」
とあるが、著者名は入っていない。『江戸名所記』『京雀』『京童』等の如く著者名の入っている作品が少なくないところから推測すると、刊行四年後のこの時点で、すでに初印本は姿を消し、後印本が出回っていたのかも知れない。それが近代にまで尾を引き。著者未詳あるいは「菱川師宣撰並画」説として現在に至ったとも言える。

 『江戸雀』の著者が近行遠通である事を明確にされたのは、横山重氏である。氏の「江戸図ノ権威 遠近道印 一(~四)」及び「遠近道印について」(注3)の二つの論考は、江戸図の歴史上重要な足跡を残した、遠近道印に関して詳細な考察を加えられたものであるが、そこで、
 「古板地誌の「江戸雀」は、その他の類本と性格を異にして、方角と道程を詳記してあり、諸侯や旗下の第宅や、大路や小巷も、悉く撰者自身の踏査を経ていて。算数的な記述が多い。…(中略)…   
 それで和田博士も、撰者を師宣としているから、「著者が後素(絵画)以外に算勘の業を好みしを想ふべし。」と言っている。
 そんなわけで、わたしは、江戸雀の「近行遠通」という替名は、寛文の五枚図の「遠近道印」と同一人と思い付いたのである。遠近道印も替名であろう。どちらも替名であるが、その替名の字面に共通なものがある上に、地誌と地図の差はあっても、その地理学に対する態度にも、共通の科学性があるからである。」 (「遠近道印について」)
 と、本書の著者・近行遠通は、江戸図の権威・遠近道印と同一人である、という説を出された。
 衆知の如く、遠近道印は寛文十年十二月に刊行された。『新板 江戸大絵図 本』(参考写真・28~30)をはじめとする、いわゆる寛文五枚図(十三年二月完結)の作者であり、以後、
 ○新板 江戸大絵図 延宝四年三月/遠近道印作/経師屋加兵衛刊
 ○分間江戸大絵図 元禄二年初夏/図翁遠近道印作/板木屋七郎兵衛刊
○ 東海道分間絵図 元禄三年孟春/作者遠近道印/絵師菱河吉兵衛/板木屋七
 郎兵衛刊(参考写真・31~35)
○ 改撰 江戸大絵図 元禄九年正月/遠近道印作/板屋弥兵衛刊(参考写真・36
 ~41)
等の地図を作っている。さらに、延宝八年一月には『江戸方角安見図』が表紙屋市郎兵衛から刊行され、これには作者名は無いが、その内容から考えて、遠近道印の作と判断される。            
 右の如く遠近道印は元禄三年に『東海道分間絵図』を作っているが、その絵師は菱河吉兵衛であり、この両者の組合せは『江戸雀』の組合せと相通じるものがある。横山氏の、近行遠通・遠近道印同一人説は真実を衝いたもののように思う。なお、丸山季夫氏は、複刊日本随筆大成の解題(昭和49年4月)で「旧本に近行道通撰と見えるが、静嘉堂の「東海道分間絵図」五巻末に遠近道人の名が見え、絵師菱川師宣、板木屋七郎兵衛とあるところから推すに、これも師宣のこの書に際しての筆名と思われる。」と、近行遠通、遠近(ママ)道人共に菱川師宣の筆名としておられるが、これは誤りであろうと思う。遠近道印と菱河吉兵衛が別人なることは『東海道分間絵図』の序・跋の内容からみても明らかである。
 さて、それでは、遠近道印は何故、延宝五年の『江戸雀』で別名・近行遠通を使ったのであろうか。また、延宝八年の『江戸方角安見図』に何故著者名を記さなかったのであろうか。この間の事情について、横山氏は次の如く説いておられる。

 「この絵図〔延宝四年刊『新板 江戸大絵図』〕には凡例というべき五項の識語
 を印刷してある。それによると、昨年(延宝三年)一分十間の一枚図を刊行し
 たが、それは、自分の寛文の五枚図を模した一枚図が出版(中村版を指す)さ
 れて、方角や寸法に間違いが多いから、正確な一分十間図を出したのだとある。
  元来、一分五間の寛文の五枚図は、公儀に訴訟して板行したものであるから、
 類版を出してはならぬと誌したのであるが、すでに模作の類版(別版)が出版
 されているから.重ねて訴訟して、その決定を見るまで、この一分十間図を重
 版するのだと誌している。
  遠近道印の当局に対する訴訟は取り上げられなかったらしい。
  …(中略)…
  延宝三年と四年に、当局に訴訟しながら、一分十間の地図を出した後、しば
 らく韜晦していたらしい遠近道印である。それは江戸雀で「近行遠通」と名乗
 り、延宝八年の「江戸方角安見図」という、乾坤二冊、大々形八十枚もある大
 作を出して、作者名を誌していない点からそう考える。…(中略)…
  しかし、なに故に、〔『江戸方角安見図』に〕作者の名を記さないのであろう
 か。これより前、江戸雀を上梓した時は、特に「近行遠通」という替名を用い
 たのも不思議であるが、江戸雀を重刷する時には、その替名さえ削除している。
 これは、遠近道印に、何か他に憚るところがあって、特に替名を用いたり、後
 にそれさえ削除したり、叉は無署名で大作を出したりせざるを得ない事情があ
 ったのではないかと想像される。
  それは或は、寛文十年の「江戸大絵図」の本(府内)図にあるのではないか。
 城内を図示することは禁制である。が、内濠の外を明示すれば、城内の方角地
 坪もおのずから明らかになる点が、当局の忌むところとなったかも知れない。
 …(略)…」(「遠近道印について」)

 横山氏のこの説に拠りながら考えると、『江戸雀』の初印本に訂正を加え、さらに著者名を削除したのは著者自身であった。という推測も素直に理解されるように思われる。

 遠近道印は、前述の如く秀れた江戸図の作者として、その名を後世に残したが、これが何人の筆名であるかは、今即断できない。これまで出された諸説をここで紹介する紙数はないが、その中で最も妥当と思われる、藤井半知説を簡単に紹介したいと思う。これは、主として秋岡武次郎氏の説くところであるが、氏は「地図家遠近道印の本名藤井半知について」(注4)において、金沢藩主・五代綱紀に仕えた兵法家・有沢永貞の子・武貞の著す『町見便蒙抄』及び『加州金沢町割之図』の記事から、永貞が測量術を学んだのが、図翁・遠近道印であり、本名は藤井半知といい、越中富山の小臣であった事を発見された。また、この藤井半知説を支えるものに、昭和十二年六月金沢市で発行された、田中鈇吉氏『改訂増補 郷土数学』中の記述がある。これは、あまり知られていないので、次に掲げる。

 「図翁遠近道印 越中富山に藤井半智あり。地理に精し。自ら遠近道印ど称す。元は江都の書林にて寛文十年十二月江戸絵図を板行す。…(中略)…然るに之れに依って城内の広袤余りに判然たるを以て幕吏の忌避する所となり、危害の身に及ぶを恐れ遁れて富山に隠れ、普泉寺(富山寺とも書く)前に住みしと云ふ。
 加賀藩兵学者有沢永貞(其祖は越中の人)氏は、天和貞享の頃江戸にあつて兵学に長じ、城繩において名声高く、傍ら地理を道印に学ふ。之れ道印の富山に遁れたる所以なり。
道印は其他三海道(東海中仙北陸)の図及び駿府の図をも製したりと伝ふ。墓は大法寺にあり。維新の頃までは其遺法を伝へたる同地兵学家安達氏は先師の恩を感謝し、于蘭盆には献燈供養参拝を怠らざりしと諸芸雑誌に見ゆ。            
 然るに余は昭和十一年五月同寺を訪ねしに、其後無縁墓を整理せしため今は遺跡なく、且つ同寺は文久年間火災に罹り記録を焼失し、従って道印の死去年号諡号等不明に終る。名士の遺蹟尋ねべきなく痛嘆に堪へず。
 道印遺法は次の如く伝はる。

           金沢   富山   富山   ★系図は原本参照
 有沢永貞―有沢武貞―有沢貞幹―安達弼亮―安達淳直
     ―有沢致貞

 道印が其邸の南西隅に植ゑ置きし榎の大樹は、安永年間までも存せしと云ふ。
 之れにつき富山市西町菓子商高木加月堂(今はなし)主人の口上あり。
 とみ山の県の由緒深富山寺(普泉寺に同じ)御堂宇の片ほとりに其頃名高き道
 印御大人が記念とて楓(榎樹ともいふ何れか)を手植せし時後の世までも錦を
 かざれよとて餅を搗きて祝ひしを鹿の子餅と名つけしとぞなん。
 安永の頃いかゞしけん後かたもなくうせければ誠に御大人の効ほしを後の代ま
 でも伝へんとて其名も香しき鹿の子餅を売拡めしにかしこくも雲の上まで聞し
 召されて御買上の御光栄を頂きし嬉しさに猶ひとしほの精撰して拡く御すゝめ
 申す事になん。
   大正二年                      高木加月堂」
 
 『町見便蒙抄』では「越中富山ノ小臣」としているのに対し、田中鈇吉氏は「元は江都の書林」(『諸芸雑誌』に拠ったか?)としておられるように、藤井半知の出自については両者に相違があるし、この説以外の諸説に見るべきものが無いわけではない。ただ、現在までの研究では、ここに掲げた藤井半知説が最も妥当と思われるのである。
 『江戸雀』の著者・近行遠通=江戸図の権威・遠近道印=藤井半知という図式が出来上がったが、これらは、横山重氏・秋岡武次郎氏・田中鈇吉氏等諸先学の研究・調査を紹介させて頂いたにすぎない。遠近道印が署名の下に常に記した花押を徹底的に調査する時、道印その人の実体がさらに明らかになるものと思うが、この解題でそれをなし得なかった事を残念に思っている。

注1 当時の書籍目録については、慶応義塾大学附属研究所斯道文庫編の『江戸
  時代書林出版書籍目録集成』に拠った。
注2 昭和49年7月発行の『新訂増補 古版地誌解題』で朝倉治彦氏は「江戸雀
  十二冊、絵入、近行遠通、師宣絵」としておられる。
注3 「江戸図ノ権威 遠近道印 一(~四)」は『新文明』昭和34年6・7・
  9・10月号に「書物捜索 〔61〕~〔64〕」として発表。「遠近道印について
  」は『日本天文研究会報文』第5巻第1号(昭和46年)の神田茂喜寿記念論
  集に発表。
注4 昭和36年3月発行の『辻村太郎先生古稀記念地理学論文集』に発表。

 付 記

『江戸雀』の解題をまとめるにあたって、
 横山重先生は、この解題担当の機会を与えて下さったのみならず、貴重な御所蔵本(初印本)を底本として使用することを御許可下さり、さらに後印本と共に長期間に亙る借覧をお許し下さいました。両本の対校は言うまでもなく、諸本調査にまで活用させて頂くことができました。この解題が一応のまとまりを得たのも、横山先生の全面的な御指導があったからだと思います。
 前田金五郎先生には、何かにつけて多大の御指導を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、秋山虔。金子和正、佐竹昭広、冲田祝夫の諸先生に身に余る御高配と有益な御教示を賜り、赤木文庫、京都大学附属図書館、国立公文書館、国立国会図書館、静嘉堂文庫、尊経閣文庫、天理図書館、東京教育大学附属図書館、東京大学附属図書館、東京都立中央図書館、東北大学附属図書館、東洋文庫、西尾市立図書館の御世話になりました。
 ここに記して、深甚の謝意を表します。
 なお、未調査本・三点につきましては、今後機会をみて閲覧させて頂き、正確を期したいと思います。また、『江戸雀』の著者・近行遠通についても、横山先生はじめ諸先学の御説を紹介させて頂くにとどまりましたが、今後さらに調査を重ね、不明の点を解明してゆきたいと念じております。 昭和五十年八月十二日

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【追記】

 昭和50年というと、40年前である。当時の、私は、浅井了意の『可笑記評判』・『浮世物語』、井原西鶴の『新可笑記』、如儡子の『可笑記』の諸本調査・『可笑記大成』、井関隆子の日記の本文校注等々、を進めており、大多忙の時だった。
そのような、状況の中で、横山重先生から、『江戸雀』の調査・解説を命じられたのである。私としては、全力を尽くして取り組んだが、これで、満足していた訳ではない。もっと、もっと、詰める自信はあった。しかし、時間的に不可能だったのである。それは、今も、残念に思うし、横山先生に申し訳ないと思っている。
 それに、本書は、法政大学での恩師、長澤規矩也先生との関係もあって、厳しい2年間を過ごした。研究者としても、人間としても、その姿勢が問われたものと、今、思っている。私は、ギリギリのところで行動した。
 本書刊行後、両先生とも、御了解下さったのか、その後も、温かく御指導を賜った。心から感謝申上げている。

 横山重先生は、昭和55年10月8日、御他界なされた。私は、野田寿雄先生と、横山先生の骨揚げをさせて頂いた。
 長澤規矩也先生は、昭和55年11月21日、御他界なされた。私は、表章先生と、長澤先生の骨揚げをさせて頂いた。

                        平成28年11月28日
                               深沢秋男
  

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。