【1】『新可笑記』

書籍・解説(仮名草子以外)

【1】新可笑記  昭和49年10月25日,勉誠社発行,9500円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・西鶴編・11)『新可笑記』(吉田幸一氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。

 一、はじめに

 『武道伝来記』・『武家義理物語』に続いて、いわゆる西鶴・武家物の第三作として創られた『新可笑記』の書名は、寛永十九年刊行の仮名草子『可笑記』(如儡子作・五巻)に基づいている。
 当時の書籍目録の中で最初にこの作品を記載したのは、元禄五年に京都の永田調兵衛等から出版された『広益書籍目録』(注1)である。『新可笑記』はこの目録の二箇所に記されている。まず「物語類」の部には、

 「八  武道一覧    団水
  八  同伝来     西鶴
  六  武家義理物語
  五  本朝廿不孝   西鶴
  二  螢随筆
  五  新可笑記      」

の如く『武道伝来記』・『武家義理物語』・『本朝廿不孝』等と共に並べられている。しかし他の一箇所は、本書が『本朝桜陰比事』と共に「仮名和書」の部に記されているのに対して、『武道伝来記』・『武家義理物語』は「軍書」の部に記されているのである・本書は当時から、必ずしも『武道伝来記』・『武家義理物語』と同類の作とのみはみられていなかったもののようである。
 『新板増補書籍目録 作者付大意』(元禄十二年正月刊)は、同じ永田調兵衛等が出したものであるが、この目録では『新可笑記』は削除されている。阿部隆一氏は「「五の目録」(元禄五年刊の目録)は江戸前期からその頃までの出版物を殆ど収録する方針をとったが、元禄末になるとその中には絶板書も生じて来ているので、その類は本目録では削除し始めている。」と説いておられる(注2)。もしそうであるとすれば、『新可笑記』は『武家義理物語』・『本朝桜陰比事』・『一目玉鉾』等と共に、この時点ですでに絶版になっていた事になる。絶版になっていたか否かは別として、何等かの理由――例えば。新刊書が多いためとか、その本の部数が少ないとか、あるいは市場価値が低いとか、など――によって削除されたのであろう。
 『増益書籍目録大全』(元禄九年河内屋利兵衛刊・正徳五年改訂丸屋源兵衛刊)は、伊呂波わけ目録で価格も記されている。
 「五 池田ヤ しん新か可せう笑き記  五匁五分」            
この「池田ヤ」は本書の版元・岡田三郎右衛門の屋号である。本書以外の西鶴本の価格をみると次の如くなっている。

 武道伝来記 八冊 七匁    武家義理物語 六冊 四匁五分
 日本永代蔵 六冊 四匁    本朝桜陰比事 五冊 四匁五分
 一目玉鉾  四冊 五匁五分  西鶴置土産  五冊 二匁八分
 西鶴織留  六冊 三匁八分  万の文反古  五冊 三匁五分
 西鶴俗つれづれ 五冊 二匁八分

 これらの価格を、丁数をも考慮して比較してみると、『一目玉鉾』が最も高く、『置土産』・『織留』・『俗つれづれ』・『永代蔵』が低いグループに入る。その他は『新可笑記』を含めてヽ中間の価格となっている。

 水谷弓彦氏の『明治大正古書価の研究』(昭和八年)には、明治二十三年から大正十五年までの三十七年間に古書店に出た浮世草子が記録され
ているが、『新可笑記』は二点だけ記されている。
                                  
「大正三年
  新可笑記   西鶴 元禄元年 上本 五冊 三五円
  日本永代蔵  同  一冊取合    六冊  六円
  置土産    西鶴絵入 裏打あり  五冊 一二円
 大正四年
  西鶴織留   合          三冊  五円
  本朝桜陰比事            五冊  六円
  新可笑記   西鶴         五冊  五円
  置土産    同          五冊 一〇円」

この水谷氏の記録からもわかるように、本書は、近代に入ってからは、かなり高価な本として売買されているが、やはり伝本の数が少ない事が、その主たる原因のように思われる。
 この作品の本文は、『定本西鶴全集』をはじめ十指に余る翻刻がなされているが、複製は昭和二十九年の古典文庫のみである。ここに、現存諸本中、最上本と判断される、吉田幸一氏所蔵本を底本として複製公刊することは、十分の意義があるものと思う。

 二、底本と諸本

 『新可笑記』の諸本について実地に踏査した結果、現在、その所在が明らかになっているものは、次の八点であり、それらは、大本と半紙本とに分けられる。

〔一〕、大 本

1、吉田幸一氏所蔵本
2、天理図書館所蔵本・I

〔二〕、半紙本

 1、大阪府立図書館所蔵本
 2、国立国会図書館所蔵本
 3、青果文庫(前進座)所蔵本
 4、天理図書館所蔵本・Ⅱ
 5、東京大学附属図書館(霞亭文庫)所蔵本
 6、平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)所蔵本

 以下、これら諸本の書誌的概観を試みたいが、右の各所蔵本は、いずれも同一版木に拠るものと判断されるので、底本に使用した、吉田幸一氏所蔵本についてのみ、版式を詳しく記し、他の諸本は、これと異なる点を記すに止めたい。

〔一〕、大 本

 1、吉田幸一氏所蔵本(本影印の底本)
著者  井原西鶴。
装訂  袋綴。
表紙  黒色原表紙、縦267ミリ×横180ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「ゑ入 新かせう記 一」「絵入 新可笑記 二
   (~五)」縦175ミリ×横35ミリ(巻一)。
匡郭  四周単辺、縦182ミリ×横137ミリ(巻一の3丁表)。ただし、巻一の
  1丁(序)は匡郭なし。
目録題  巻一は2丁表に、巻二以下は各巻頭に「新可笑記 巻一(~四)/目
  録」「新可笑記 巻五/目ろく」。
内題・尾題  なし。
柱刻 「新笑一 一 (三、四~三十)」巻一巻頭の丁付は、2丁目(目録)に「一」、 
  3丁目(本文の初め)に「三」とあり、「二」が無いが、内容は完全である。
  また、1丁目(序)に丁付が無いため、最終丁の「三十」と実丁数30丁は合
  致している。「新笑二 一(~二十一、二十二、二十二、二十三~二十八終)
  」巻二の22丁目は重複しているが、内容は完全である。したがって最終丁が
  「二十八終」とあっても実丁数は29丁となる。「新笑三 一(~二十四終)」。
  「新笑四 一(~二十五終)」。「新笑五 一(~二十三終)」。
  版心は白口。その体裁には次の四種がある。(丁付は原本に従う。)
  ①★ 図は省略  原本参照
   一の1、二の1・26、三の1、四の1・23、五の1。
  ②★ 図は省略  原本参照
   一の10・13・14・21、四の11・21。
  ③★ 図は省略  原本参照
   一の3~9・11・12・15~20・22~26・28~30、二の2~25・27・28、
   三の2~24、四の2~10・12~20・22・24・25、五の2~23。
  ④★ 図は省略  原本参照
   一の27。
巻数  五巻(欠巻なし)。
冊数  五冊。
丁数  巻一…30丁(内、序1丁、目録1丁)。巻二…29丁(内、目録1丁)。巻
  三…24丁(内、目録1丁)。巻四…25丁(内、目録1丁)。巻五…23丁(内、
  目録1丁)。
行数  序…7行。目録…6行(巻二は8行)。本文…毎半葉11行。
字数  序…約11字。本文…約19字。
章段数  序。巻一…5話。巻二…6話。巻三…5話。巻四…5話。巻五・・・5話。
  なお。巻一、巻二の章番号には乱れがあり、さらに章番号を囲む枠に四種が
  ある。それを整理すると次の如くである。
 巻一    ★図は省略  原本参照
 巻二    ★図は省略  原本参照
 巻三    ★図は省略  原本参照
 巻四    ★図は省略  原本参照
 巻五    ★図は省略  原本参照
句読点 「。」「・」混用。
挿絵  巻一…6図、内見開き3図(4丁裏5丁表・12丁表・15丁裏16丁表・
   17丁表・20丁裏21丁表・29丁表)。
  巻二…6図、内見開き3図(3丁裏4丁表・8丁裏9丁表・13丁表・14丁裏・
   16丁裏17丁表・23丁表)。
  巻三…6図、内見開き2図(4丁裏5丁表・9丁表・11丁表・15丁裏16丁
   表・19丁表・23丁表)。
  巻四…5図、内見開き3図(3丁裏4丁表・10丁表・13丁裏14丁表・18丁
   表・22丁裏23丁表)。
  巻五…5図、内見開き3図(3丁裏4丁表・9丁表・12丁裏13丁表・16丁
   表・19丁裏20丁表)
  絵師…吉田半兵衛風(注3)。
  巻四の13丁裏14丁表の絵は入れかえられている。
序跋  巻一の1丁に自序「難波俳林/西鵬/松寿(方形印・陰刻、縦35ミリ×横35ミリ)」。
刊記  巻五の23丁裏に、 
    「元禄元戊辰稔
       十一月吉日

      江戸日本橋青物町
            万屋清兵衛   板
      大坂真斎橋筋呉服町角
            岡田三郎右衛門 行」
   ただし、これは埋木。
版下  序・本文見出し…西鶴。題簽・目録・刊記…伊藤長右衛門道清。本文…
  未詳であるが、『本朝二十不孝』『武道伝来記』『日本永代蔵』等と同筆(注4)。
蔵書印・識語等  「田氏文庫」「吉田幸印」の朱印。巻三の前見返しに「元文四
  己未歳/(梅一枝の絵)/(花押)」、巻四の前見返しに「富蔵」、巻五の13
  丁表上欄に「やつこ/ぼたもち」と、それぞれ墨書。

  2、天理図書館所蔵本・I(913 62 イ3 1~5)
表紙  後補万字つなぎ蔦模様黒色表紙、縦256ミリ×横179ミリ(巻一)。
題簽  巻一・巻二に原題簽の部分を存す。ただし、巻一に巻二のものが、巻二
  に巻一のものが貼られている。
蔵書印等 「月明荘」「天理図書館蔵」「天理図書館/昭和十五年四月十日/
  105603~7(青印)」の朱印。その他黒印二顆。巻五の23丁裏(刊記)に墨
  の書入れあり。              
その他  五冊の内、巻一・巻二の上小口の切断面は、やや新しく、巻一・巻二
  のみの巻末に同じ黒印二顆がある。さらに、原題簽を存するのも巻一・巻二
  のみである。これらの点から推測すると、製本寸法の大きい巻一・巻二を、
  他の三冊に合わせて上小口を切り、五冊揃いにしたのではないかと思われる。
  また、巻三・巻四は殊に虫損(補修済み)が多いところから考えると、ある
  いは、巻五も別の本であったかも知れない。「弘文荘待賈書目」第十一号(昭
  和十三年五月十日発行)に『新可笑記』全五冊が記載されており、巻一の1
  丁裏と2丁表の写真が掲げられている。それによると本書と同一本と思われ
  る。古書目には「保存は概してよけれども、惜むらくは第五巻第十九葉の裏
  の絵一頁だけ落丁せり。」とあるが、本書では巻五の19丁裏の絵は入ってお
  り、その丁に「月明荘」の朱印が押されている。
 

  〔二〕、半 紙 本

 1、大阪府立図書館所蔵本(甲和248)
表紙  濃縹色原表紙、縦225ミリ×横160ミリ(巻一)。
題簽  左肩に原題簽を存するが、巻一に巻三のものが、巻二に巻一のものが、
  巻三に巻二のものが貼られており、「三→壹」「一→二」「二→三」とそれぞれ
  墨書にて補筆訂正されている。
蔵書印等 「●住友/長堀」「大阪府立図書館蔵書之印」「大阪府立図書館/明治
  四十年十月十五日/18905(青印)」の朱印。巻一の第五話の章番号は「一」と
  あるが、墨書にて「五」と補筆訂正されている。
                         
 2、国立国会図書館所蔵本(別 5-6 2-5)
表紙  藍色原表紙、縦223ミリ×横158ミリ(巻一)。ただし、巻一・巻二・
  巻四の各後表紙は欠。巻一・巻二・巻三を一冊に、巻四・巻五を一冊にそれ
  ぞれ合して、渋引き国会図書館専用表紙にて綴じてある。この合綴の折に、
  中間の後表紙のみを省いたとも考えられる。
冊数  二冊(巻一・巻二・巻三を一冊に、巻四・巻五を一冊に、それぞれ合冊)。
蔵書印等 「東京図書館蔵」「図/明治二四・三・九・購求」の朱印。巻一の1丁
  表に「NO469/XXIV」、巻二の1丁表に「NO470/XXIV」、巻三の1丁表に
  「NO471/XXIV」、巻四の1丁表に「NO472/XXIV」、巻五の1丁表に
  「NO473/XXIV」、とれぞれ墨書。

 3、青果文庫(前進座)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦220ミリ×横160ミリ(巻一)。ただし、巻四の後表
  紙は藍色の後補表紙。巻二の前・後、巻三の後の表面紙は部分的に剥離して
  いる。
題簽 巻三のみ、左肩に原題簽の部分を存する。
巻数  四巻(巻五欠)。
冊数  四冊。
蔵書印 「泉」「百□」の黒印。「青果文庫/前進座蔵」の朱印。
その他  巻五が欠。巻四の20丁・21丁が落丁。

 4、天理図書館所蔵本・Ⅱ(913 62 イ43)
表紙  縹色原表紙、縦225ミリ×横155ミリ(巻二)。巻三の表面紙が部分的
  に剥離している。
題簽  欠。左肩に「新可笑記」(巻二)、「新可笑記 三」(巻三)と墨書。
巻数  二巻(巻一・巻四・巻五が欠)。
冊数  二冊。
蔵書印 「天理図書館蔵」「天理図書館」「天理図書館/昭和廿六年十二月五日/
  247876~7(青印)」の朱印。「昭和廿六年七月十日/寄贈/中山正善氏」(朱
  印・墨書・紫印併用)。
その他  巻二、巻三の二巻を存す。

 5、東京大学附属図書館・霞亭文庫所蔵本(341 西11)
表紙  砥粉色原表紙、縦221ミリ×横159ミリ(巻一)。
蔵書印 「幸堂」「霞亭図書」「松雲堂」「東京帝国大学図書印」「東京帝国大学附
  属図書館/大正十四年登記/文/18532(青印)」の朱印。

 6、平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦225ミリ×横159ミリ(巻一)。巻一・巻二・巻五の
  み存す。巻三・巻四は、巻五の表紙の中に入っている。
題簽  巻一・巻二・巻五のみ、原題簽を存す。
冊数  三冊(巻三・巻四・巻五を合冊)。
蔵書印等  巻一・巻二・巻五に「津山文庫」の朱印。巻三・巻四に「石田文庫
  」の朱印(ただし、この印の上部は切断されている)。巻一に朱印にて、裸体
  の人物が本を読む図があり、その本に「志ぶ井」とある。各巻に「乱」の朱
  印。各巻(一・二・五)表紙右上に、縦67ミリ×横40ミリの紙片が貼られ、
  「官本」の黒印がある(巻五は、文字のみ墨にて補筆)。巻一前表紙に「元禄
  元年」「井原西鶴作」と朱書。
その他  巻三・巻四は、大本を半紙本の大きさに切断して、入れ本したものと
  思われる。

 以上、諸本の略書誌を記したが、その他、金子和正氏の「台湾大学図書館所蔵国書目録抄(一)」(『ビブリア』第四十二号)に次の二本が記載されている。
 「新可笑記  合一冊
   後補表紙 原題簽鬫
   刊記 (入木)元禄元 戊辰 稔/十一月吉日/江戸日本橋青物町万屋清
      兵衛/大坂真斎橋筋呉服町角岡田三郎右衛門/板行
  同     残一巻(存巻三)   一冊   原表紙     」

 このように『新可笑記』の諸本には、大本と半紙本の二つがあるが、大本は全体的に非常に刷度が良い。後述の如く、刊記の部分が埋木になっている点で、これを直ちに初印本と断定できないにしても、それに近い早い刷りである。半紙本は、刷度・版の欠損等を大本と比較してみるに後印本と判断される。以下、この版本のいくつかの問題点について、簡単に述べてみたいと思う。

 三、刊年及び版元

 調査済諸本の刊記は、
  「元禄元 戊辰 稔
    十一月吉日
        江戸日本橋青物町
           万屋清兵衛   板
        大坂真斎橋筋呉服町角
           岡田三郎右衛門 行」

となっている。これに拠ると本書は、元禄元年十一月に、江戸・万屋清兵衛と大坂・岡田三郎右衛門との相版で刊行された事になる。しかし、この刊記の部分は上下の匡郭の四隅が切断されており、この半丁全体が埋木であると思われる。水谷弓彦氏は『西鶴本』下巻にこの刊記の部分を覆刻しておられるが、匡郭の中断箇所は接続されている。また日本名著全集『西鶴名作集下』の複製も接続されている。果たして、そのような原本が在ったのであろうか。仮に刷りの早い原本が在ったとした場合、刊年も、版元も、その文字の字形までも全く同じものを、後で埋木する必要はないように思う。この両者の上下の匡郭がやや作為的に見えるところからすると、やはり、その底本は切断されていたのではないかと思われる。いずれにしても、この刊記の部分全体が埋木であるという事は、十分注意する必要がある。
 さて、この刊記から推測すると、本書の初印本は、他の書肆から元禄元年十一月以前に刊行された、という可能性も全く無いわけではない。前に述べたように水谷弓彦氏は大正九年の『西鶴本』では同じ刊記(元禄元年十一月)の大本を掲げているが、昭和四年の『新撰 列伝体小説史 前編』では「新可笑記 五 同(元禄元)年十月」と記しておられる。これは単なる誤植だとは思うが、一応注意しておくべきだと思われる。
 次に推測されるのは、この刊記を版木に彫り付けた段階か、または数部印刷の後に、何等かの理由で訂正する必要が生じ、埋木した、という事である。この埋木の状態から考えて、これは刊行年を改める如き部分的な訂正ではなく、刊行年月日と書肆名、あるいは、その配列順序などを改めるという如き、かなり大きな訂正であったと思われる。刊記に見える岡田三郎右衛門は、大坂真斎橋筋呉服町角に住し、貞享から宝暦にかけて活動した書肆で屋号は池田屋。『好色二代男』をはじめ、二十点を刊行している(注5)。また、万屋清兵衛は松葉氏、松葉軒と号し、江戸日本橋万町中通角(青物町)に住し、天和から宝暦にかけて活動した書肆で、『東海道分間絵図』など七十九点にその名を記している。
 ここで、この両者が西鶴本の出版にどのような関わりをもっていたかを調べてみると(注6)、

○好色二代男 貞享元年 池田屋三良右衛門        
○西鶴諸国咄 貞享二年 池田屋三良右衛門          
○好色五人女 貞享三年 清兵衛店/森田庄太郎
○好色一代女 貞享三年 岡田三郎右衛門
〇本朝廿不孝 貞享三年 万谷清兵衛/岡田三郎右衛門/千種五兵衛
○武道伝来記 貞享四年 万屋清兵衛/岡田三郎右衛門    
○男色大鏡  貞享四年の後印本 深江屋太郎兵衛/山崎屋市兵衛/万屋清兵衛
○武家義理物語 貞享五年 山岡屋市兵衛/万屋清兵衛/安井加兵衛
●新可笑記  元禄元年 万屋清兵衛/岡田三郎右衛門
○本朝桜陰比事 元禄二年 万屋清兵衛/鴈金屋庄左衛門
○石車(俳諧) 元禄四年 上村平左衛門/万屋清兵衛/寿善堂
○世間胸算用 元禄五年 上村平左衛門/万屋清兵衛/伊丹屋太郎右衛門
○ 浮世栄花一代男 元禄六年 万屋清兵衛/鴈金屋庄兵衛/油屋宇右衛門/松葉
              屋平左衛門
○西鶴置土産 元禄六年 田中庄兵衛/万屋清兵衛/八尾甚左衛門
○西鶴織留  元禄七年 万屋清兵衛/鴈金屋庄兵衛/上村平左衛門
○万の文反古 元禄九年 万屋清兵衛/鴈金屋庄兵衛/上村平左衛門
○好色兵揃  元禄九年 万屋清兵衛/松葉屋平左衛門/鴈金屋庄兵衛
○万の文反古 正徳二年の後印本 池田屋三良右衛門

 以上の如くなるが、大坂の池田屋は貞享元年の『二代男』をはじめ『諸国咄』『一代女』『廿不孝』『伝来記』『新可笑記』と六点を刊行し、元禄元年までは、西鶴本出版の最有力の版元であった事がわかる。しかし、それ以後はぼとんど名前を出さず、正徳二年に『文反古』の後印本を刊行しているに過ぎない。これに対し、江戸の万屋は、貞享三年の『五人女』に「清兵衛店」と初めてその名を出しているが、以後元禄九年まで、 実に十四点の出版に関係している。しかし、この万屋は、その刊記の記載の様式や、当時の書籍目録の記録から判断して、ほとんどが版元というよりも、江戸における取次売捌き元であったと推測される。そして、さらにここで注意されるのは、元禄元年の『新可笑記』までは池田屋と共に三点を出版しているのに、以後その組合せは姿を消し、鴈金屋・伊丹屋等と名を連ねている、という事である。        
 すでに述べた如く、本書『新可笑記』は明らかに万屋・池田屋の相版であるが、この記載様式は、他の諸作品のそれと比較するとき、やや特異な存在であると言い得る。相版である、という事を強く意識した文字配列のように思われるからである(注7)。本書刊行に際して、版権等の事でいざこざが生じ、このような記載様式に改めたのではなかろうか。そして、大坂の池田屋が本書以後、西鶴本の出版に。関係していないのも、この事と関わっているのではなかろうか。万屋清兵衛が江戸において、最も有力な書肆であった事は、享保十二年三月の仲間申定書に行司筆頭としてその名を連ねていることからも解る(注8)。本書刊行にまつわるいざこざのために、それ以後、大坂の岡田三郎右衛門が西鶴本出版から手を引かざるを得なくなった、という事もあり得ないことではないように思われる(注9)。
 以上の如く、本書の刊記は、種々の事を我々に推測させる。従来の文学史等は、。この作品の刊行を元禄元年十一月と無条件で記しているが、この版本の刊記に拠る以上、そう断定すべきではないと思う。さらに早い刷りの版本が無かったとは断言できないからである。

 四、「西鵬」号と鶴字法度

 本書の序文には「難波俳林/西鵬」とあり。その下に「松寿」の印がある。この「西鵬」号は本書を初出とし、元禄四年・江水編の『元禄百人一句』(「大坂 西鵬 枯野哉葽の時の女櫛」)まで使われたようである。他に柿衛文庫蔵の短冊「初日の花俳諧中間より銘々木々 西鵬」があり、『物見車』(元禄三年九月刊・可休著。西鶴等が評点した句巻に批評を付したもの)、『特牛』(元禄三年十月の奥・団水著、『物見車』への返答書)、『団袋』(元禄三年冬の西鵬序・団水撰、西鵬・団水の両吟等を収めている)、『石車』(元禄四年中秋刊・西鶴著、『物見車』への返答書)にも、この「西鵬」号は使われている(注10)。
 野間光辰氏は、これらの内、柿衛文庫蔵の短冊を西鶴の真跡としておられるし(『ビブリア』第二十八号)、また「大坂西鵬序」(『団袋』序)の「鵬」に団水は「鶴ノ字ヲ改」と注記してもいる。さらに「松寿」印が他の西鶴作品に使われている点などを合わせ考えるとき、この「西鵬」が西鶴の別号であることは明らかである。
 さて、この改号が、ちょうどこの頃発令されたいわゆる。〔鶴字法度〕によるものである事は、すでに諸先学によって指摘されている。その主なものは、真山青果氏「鶴字法度」、野間光辰氏『西鶴年譜考証』、木村三四吾氏「聞くまゝの記・元禄鶴法度のことなど」(注11)等である。現在までの私の調査では、右の諸説の域を出ないので、その大要を記すにとどめたい。
 鶴字法度に関する記録の主なものは次の通りである。

一、撰要永久録(東京市史稿・市街篇第十)
  「辰〔○貞享五年〕正月廿九日/一、鶴屋与申家名、付申間敷、鶴丸之紋付
  候衣類着申間敷、鶴与申名、人々付申間敷旨、御触有之。」
二、正宝事録
  「辰正月廿九日/一 鶴屋と申家名、付申間敷、鶴之丸之紋付候衣類、着し
  申間敷、鶴と申名、人々付間敷旨御触有之、」
三、徳川実紀・元禄元年二月朔日の条
  「けふ市井にて。鶴屋といふ家名を停禁せしめられ。はた其他の雑具にも。
  鶴の紋ほどこすべからずと令せらる。(日記、湯原日記、令条記)」
四、南紀徳川史
  「貞享五年〔元禄元年〕二月朔日、町中鶴屋卜云家名ヲ禁ジ、雑具ニ鶴ノ
  紋付ル事禁ズル公儀触アリ。又同月十一日、鶴姫君ニ給事ノ輩ニ令条ヲ賜ハ
  ルト云。」
五、奈良興福寺一乗院日記(記者・専常。中村雅真家・家記)貞享五年三月八日
  の条
  「一 同日、屋敷十楚又四郎殿より呼ニ被参候。被申渡候。鶴と申字付候事、
  停止。惣而、家名・人之名ニ有之候、是迄付候儀、付替可申候。向後、鶴ノ
  字付候事、堅停止之間、領分急度可申付由、申渡者也。五眼役者衆へ申入、
  則、十楚又四郎殿へ御返事申者也。一 同日、御奉行より町中へ、右之御触
  在之者也。」       
六、御当家令条(近世法制史料叢書・第二)           
  「覚/町人之家名鶴屋と申儀、向後無用可仕候。其外諸道具等にも鶴の紋付
  候事、是又無用たるべき事。/以上/午二月朔日」
七、令書要文十三(日本財政経済史料・巻七)
  「元禄三年庚午三月 日/町人之家名に鶴屋と申儀、向後無用可仕候、其商
  売等にも鶴之紋付候事、是又無用たるべき事/午三月朔日」

 この他に徳川十五代史、業務書留、嬉遊笑覧、画証録、独醒記、過眼録、色道懺悔男、甘露叢書継、骨董集ほりがひ、聞くまゝの記・同続等にも、これに関連した記録が見られる。

 この鶴字法度は、五代将軍綱吉の長女・鶴姫の名を憚って出されたものであるが、右の記録からもわかるように発令の年月にやや差違がある。これについて野間氏は『令書要文』の「午三月朔日」は「午二月朔日」の誤りか、とされ、さらに「『徳川実紀』に元禄元年二月朔日の令としたのは、実は最初の発令であって、その後元禄三年二月朔日重ねて令せられたのであらう。」と推測しておられる。また『一乗院日記』の元禄元年三月八日について木村氏は「奈良での告示の実日であることによる相違かも知れぬ。」としておられる。
 以上の如く、西鶴は鶴字法度のために元禄元年から四年頃までの間「西鵬」と改名したが、水谷弓彦氏も指摘される(『西鶴本』)ように、元禄二年刊行の『一目玉鉾』では「松寿/鶴」の印を使っているのであり、この法度が、どれほどの厳しさをもっていたかの、問題が残らない訳ではない。

  五、その他

 調査済諸本の原題簽は、大本・半紙本を問わず同じ版木に拠るものと思われ、巻一は上に「ゑ入」とあるが、日本名著全集『西鶴名作集下』に掲げるものは「絵入」となっており、「新かせう記」の「新」の字形も異なる。子細に見ると補修したもののようにも思われるが、「弘文荘善本目録」(昭和三十二年十月)には、原題簽「絵入 新かせう記 一」とあり、また『定本西鶴全集』の解説では「絵入 新可笑記 一」とされているので、一応ここに記して今後の調査に俟ちたいと思う。
 すでに記した如く、本書の章番号を囲む枠には四種類のものがある。これに関して、金井寅之助氏は「新可笑記の版下」(『ビブリア』第二十八号・昭和三十九年八月)で、詳細な作品分析をされた後、 【★図版省略、原本参照】  の順順で優劣が示されている、と説いておられる。
 これも挿絵の項で記したが、巻四の三「市にまぎるゝ武士」の挿絵(13丁裏・14丁表)はおそらく版下の段階では、次頁に示す図の如くなっていたものと思われる。14丁表の建物を、本文に出る「内倉」とみるならば、塀の外にあるので内容と合致しない。そこで版木に彫り刻む時、左右を入れ替えたものであろう。 【★図版省略、原本参照】

 以上、いくつかの問題点について簡単に述べてみたが、この版本には
多くの疑問点があり、現状では十分解明し得ない。さらに調査を重ね、
考察を深めたいと思う。              
                             
 注1 当時の書籍目録については、慶応義塾大学附属研究所・斯道文庫編の
   『江戸時代書林出版書籍目録集成』に拠った。
 注2『江戸時代書林出版書籍目録集成』解題二。
 注3 水谷不倒氏の説に拠る。水谷氏は、大正九年の『西鶴本』では本書の
   挿絵を第二期・十一種の中に入れ、「吉田半兵衛かと思はれるが、疑はし
   い点もある。」とされたが、昭和十年の『古版小説挿画史』では『武家義
   理物語』『好色四季ばなし』と共に第三類に入れ、「第三類は何人とも判
   らぬが、半兵衛の代筆と見るべく、恐らく門人の二三者であらう。」とし
   ておられる。
 注4 本書の版下については、金井寅之助氏の「西鶴置土産の版下」(『ビブ
   リア』第二十三号)、「新可笑記の版下」(『ビブリア』第二十八号)及び、
   天理図書館『西鶴』に拠った。
 注5 書肆については、井上和雄氏編・坂本宗子氏増訂『増訂版慶長以来書
   貿賈集覧』に拠った。また、出版点数は、東北大学附属図書館・矢島玄亮
   氏編『徳川時代 出版者出版物集覧』(準備版)に拠った。
 注6 西鶴諸作品の刊記等は、天理図書館『西鶴』の図録・解説、滝田貞次
   氏の『西鶴の書誌学的研究』、日本名著全集『西鶴名作集』の複製等に主
   として拠った。
 注7 長谷川強氏は「刊記書肆連名考」(『長沢先生古稀記念・図書学論集』)
   で、多くの資料を基にしてこの問題を論じておられる。万屋・池田屋の
  関係についても『本朝列仙伝』(貞享三年)、『武道伝来記』(貞享四年)、『新
  可笑記』(元禄元年)を例に掲げて「同じ店の組合せでも均衡型と不均衡型の
  両様が見られる事があり、不均衡型による判断を均衡型の場合にも及し得る
  例といへよう。」と説いておられる。つまり『列仙伝』の刊記の記載様式(
  不均衡型)から、池田屋が版元である事が解り、そこから、均衡型の記載様
  式の刊記を有する『伝来記』『新可笑記』の版元も池田屋と判断し得る、とい
  われるのである。これは、確かにその通りと思うが、『新可笑記』の刊記にお
  いては、万屋が池田屋と同様に版元として刻されている事実に変わりなく、
  この事に注意したいと思う。                                 
 注8 村田勝麿氏『京阪書籍商史』に拠る。          
 注9 晩年の西鶴と岡田三郎右衛門の関係については、都の錦の『元禄大平記』
  (元禄十五年刊)の巻三「写本料にてめいわくに候」に「…然るに西鶴存生
  の時、池野屋三郎右衛門より、好色浮世躍といふ草子を六冊にたのまれ、い
  まだ写本を一巻も渡さずして、前銀三百匁借り、五日が間に南の色茶屋、木
  やの左吉が所へ打込み、其後池野やより、写本を催促するに、いつ/とは出
  して渡さう、それそれの日は埓が明くよし契約する。其日になりて請取らん
  といへば、少しさはる事がありて、草案を仕直すによって思ひの外隙をとる、
  当月中には埓が明くと間似合の方便ばかりいうて、半年ほど引しらふ内に西
  鶴此世を去り、そのゝち池野や空しくなり、此たび冥途において西鶴にはた
  と行きあふ。…」という一条があり、この池野屋二郎右衛門は、池田屋三郎
  右衛門を暗にさしているものと思うが、このような事実があったか否か、勿
  論わからない。
注10 野間光辰氏「西鶴署記花押考」(『ビブリア』第二十八号)、天理図書館
  『西鶴』に拠った。                 
注11 〔1〕真山氏、『文芸春秋』昭和五年十月号に発表、後に『真山青果随筆選
  集』第二巻(昭和二十七年十二月)に追記を付して収録。〔2〕野間氏、昭和
  二十七年三月発行の同書・元禄元年二月の条。〔3〕木村氏、『ビブリア』第
  二十八号(昭和三十九年八月)の「西荘文庫の馬琴書翰(二十一)」、以後、
  同誌第三十一号・第三十五号・第四十五号に補遺を発表されている。

  付  記
 『新可笑記』の解題をまとめるにあたって、吉田幸一先生は、貴重な御所蔵本を、底本として使用することを御許可下さり、多くの御教示を賜りました。
 前田金五郎、横山重両先生には、研究全般にわたって、多大の御指導を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、秋山虔、金子和正、小池章太郎、平井隆太郎の諸先生に格別の御高配と有益な御教示を賜り、大阪府立図書館、国立国会図書館、青果文庫(前進座)、天理図書館、東京大学附属図書館の御世話になりました。
 ここに記して、心から御礼申し上げます。
                  昭和四十九年七月十五日

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 【追 記】

 本書の書誌解題の担当は、横山重先生、前田金五郎先生の御配慮によるものである。私が、仮名草子の『可笑記』を研究していたので、この『新可笑記』を割り当てて下さった。
 この作品の底本には、諸本調査後、最善本を使用する予定であった。公共図書館の調査後、平井隆太郎氏の江戸川乱歩旧蔵本、吉田幸一氏所蔵本を調査した結果、吉田氏本が最善本である、という結果になった。
 私は、横山先生に報告して、この解題は、吉田先生に依頼すべきであるので、この解題執筆は辞退したいとお願いした。吉田先生も複製本の古典文庫を進めておられたからである。
 横山先生から吉田先生に問合せて頂き、結果的には、私が担当させてもらうことになったのである。この時、横山先生からは、所蔵者に対して、感謝の心を忘れずに、原稿を書くようにという、アドバイスを頂いた。
 この作品は、元禄元年11月初版、という定説であった。ところが、末尾の刊記の丁を見て、驚いた。刊記のある半丁全体が埋木だったのである。それまでの複製本が、匡郭の欠損部分を修復して出版していたため、研究者は、この刊記の異状に気づかなかったのである。
 『新可笑記』が出版された、この年、貞享5年9月30日に改元されて、元禄元年となったのである。そこで、刊記を埋木して、元禄元年に改めて出版した、と考えることも可能である。しかし、それならば、年月の2行のみ、彫り直して埋木すればよい。半丁全体を取り替える必要はないだろう。1行、2行、彫り変えて、修正している例はたくさんある。
 私は、西鶴の研究者ではない。西鶴は、当時の書肆とも深い関係があり、この件に関しても、様々な推測ができる。西鶴研究の第一人者、早稲田大学の谷脇理史先生とは、常に交流をもち、多くの事を教えて頂いてきた。この本の時も、御意見を伺っている。谷脇先生は、昭和59年4月20日発行の、岩波書店の『日本古典文学大辞典』の『新可笑記』の項で、この刊記に言及され、一応、改元によるものとされた。この時点では、妥当な説と思われる。それから30年余が経過した。まだ、初版初印と思われる原本は発見されていない。さらに100年後に、出現する可能性はある。それが、歴史である。

谷脇先生は、早稲田大学現役の時に、御他界なされた。私は、館林市の葬祭場で、最期の先生とお別れした。惜しんでも、惜しみ切れない、先生である。

                        平成28年12月4日
                                   深沢秋男

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。