【4】『井関隆子日記』(下)

【4】『井関隆子日記』(下)

編著書・仮名草子以外

【4】井関隆子日記(下) 昭和565年6月5日,勉誠社発行,4500円。『井関隆子日記』天保14年・15年の4冊分を収録。巻末に索引と「井関隆子関係資料(補訂)」を収録。
井関隆子関係資料(補訂) 平成29年1月補訂

上巻の解説末に「井関隆子関係資料」を掲げたが、その後知り得たもの等を追加し、次の如く補訂する。
著 作

〔1〕 井関隆子日記(別名 天保日記)
桜山文庫(鹿島則幸氏)所蔵。全十二冊。著者自筆の日記。本書に全文翻刻。現在は、昭和女子大学図書館所蔵(桜山文庫)。

〔2〕 さくら雄が物かたり
東北大学附属図書館所蔵(狩野文庫)。著者自筆、全三十九葉の物語。奥書は「此たはれふみはある人文会とて月毎にかれ是つどひておのが心〳〵の文出しける時に物しはへりし也/天保とふとしの九とせ/鹿屋園のいほぬし/源隆子しるす」とある。
内容 「えばらの君と桜の木の精の間に生れた桜雄が、花のやうに匂ひ、光るばかりに美しいので、人々がもてはやし、成長するに及んで求婚者がしきり、親はゆたかになるが、桜雄 はすべて拒絶し、ある年の春おたぎ山の麓の河に投身して死ぬ。その河のほとりに桜の木が あり、「残りなく散るぞめでたき桜花ありて世の中はてのうければ」の短冊をつけてゐたので、人々はこの河を桜河と呼んだ。
『竹取物語』・『伊勢物語』・『源氏物語』などの構想を借りながら、近世的な散華の思想に彩られた擬古物語である。又、中世の児物語や軍記物の色も濃くあらはれてゐる。」(新田孝子氏) 『図書館学研究報告』第十号(昭和52年12月、東北大学附属図書館発行)に新田孝子氏が全文翻刻。

〔3〕 神代のいましめ
松本誠氏所蔵の翠園叢書・巻二十六に収録。現在は、昭和女子大学図書館所蔵、「翠園文庫」に収録されている。全二十七葉の物語。末尾に「此一巻は、井関親経朝臣の御母君におはしゝ隆子の君の筆ずさみ也。茂樹いむさき江門に在し時、御もとにまゐでけるに、見せ給ひしが、いと珍らかにおぼえつれど、何くれと事しげかれば、うつしあへざりしを、後に消息の序、其よしねぎ侍つるに、やがて御みづから書て給へるになむ。君今はなき員に入給へば、わすれ形見とかくは物し置ぬ。/弘化四年文月 松隠所」という、佐渡の歌人・蔵田茂樹の識語を付す。
内容 主人公は公事に従事する某の少将で、経済的にも地位の上でも。また家庭の中もすべてに満ち足りた生活をしている。が、この少将は、ある時、平公誠の歌「隠れ蓑隠れ笠をも得てしがなきたりと人にしられざるべく」を見てから、隠れ蓑笠が無性に欲しくなる。近習に相談しても効果がないので、屋敷の内の大国神に祈願したところ、その甲斐があって、これを入手する事が出来る。この隠れ蓑笠に身をかくした少将は、無二の友や、少将の所へ出入りしてい
る歌人や、家中のすべてを任せておく家長や、深い契りを交わしている女性などの所へ行き、自分に対する様々の批評や批判、予想外の行動に接し、驚き、怒り、悔しがる。そんな事を続けているうちに、長男に、隠れ蓑のみ着ているところ(首のみ見える状態)を見られてしまい、それを知った少将は、変な噂の立つのを恐れて、隠れ蓑笠を神に返す。
『拾遺集』・『狭衣物語』・『宝物集』等を通じて、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』を頭に浮かべ。
更に『今昔物語』等に伝えられる隠れ蓑の伝承や『日本書紀』をも参照して一編とした物語で、
天保十年には成っていたものと推測される。『文学研究』第四十六号(昭和52年12月)に全文翻刻。

〔4〕 井関隆子長短歌
松本誠氏所蔵の翠園叢書・巻二十六に収録。蔵田茂樹に書き送った長歌三首と反歌等を収める。現在は、昭和女子大学図書館所蔵、「翠園文庫」に収められている。学習院大学図書館には『神代之誡』『井関隆子 歌』の写本が所蔵されている。これは明治十七年十二月に佐藤硯湖が右の翠園叢書から転写したもので、雕虫居写本全一六〇冊の内、第一四五冊目に収められている。『文学研究』第五十三号(昭和56年6月)に全文翻刻。

〔5〕 野山の夢・跋
蔵田茂樹著『野山の夢』の巻末に書き添えたもので、末尾に「天保とふ歳のとゝせ冬の中
ら源隆子しるす」とある。巻頭の序は清水巡が記している。松本誠氏所蔵の翠園叢書・巻
二十八に収録。『文学研究』第四十六号(昭和52年12月)に全文翻刻。現在は、昭和女
子大学図書館所蔵、「翠園文庫」に収録されている。

〔6〕和歌一首
蔵田茂樹の『恵美草』を書写した折、千畳敷の条に書き添えたもので。桜山文庫(鹿島則
幸氏)所蔵本と『佐渡史林』所収本に見られる。歌は「いづくはあれど、こゝのあそびのいとうらやましくて、/すがだゝみ千重敷いそにうたげせるさどのしま人ともしきろ鴨隆子」

〔7〕 和歌三首
木内有渓編、天保四年刊の歌集『秋野の花』全三巻に「隆子」の歌として次の三首が入っ
ている。
上巻、九丁表、一首目に「夜春雨 隆子/宵のまはしられざりしを春の雨更ゆくまゝに音
の聞ゆる」 上巻、二十九丁表、五首目に「夏風 隆子/月花と人はいへども夏の日に風
ふくばかり嬉しきはなし」 中巻、十一丁裏、四首目に「月前菊 隆子/手にとらばこぼ
れやせまし菊の露月影乍らおらまほしきを」
巻末の入集歌人一覧に「三首 同(江戸) 紀州家大奥侍女 隆子」とあるが、この「隆
子」が井関隆子と同一人物か否か、現在のところ未詳である。参考のため掲げた。
書写本

〔1〕 宇津保物語考
静嘉堂文庫所蔵。。一冊。桑原やよ子の著作を隆子が書写したもの。書写は『井関隆子日
記』と同筆で、巻末に、
「此ふみは臼井房輝ぬしのもたるをかりてうつせる也/天保のとゝせとふ年の秋なが月
隆子」とある。

〔2〕 恵美草
国会図書館所蔵。一冊。蔵田茂樹の著作を隆子が書写したもの。書写は『井関隆子日記』
と同筆で、巻末に「天保十三年三月写之 みなもとのたか子」とある。
著者関係

〔1〕 井関家過去帳
井関家所蔵。菩提寺・喜運寺の過去帳より昭和九年に転写したもの。喜運寺の過去帳が焼
失してしまった現在、貴重な存在である。『文学研究』第五十三号(昭和56年6月)に全文翻刻。
〔2〕 井関家墓石(喜運寺に現存)
正面 紋(丸の内に剱梅鉢)「賢良院殿徳翁宗善居士/慶長十四己酉歳四月十二日/一参道吸居士/慶長二十乙卯歳六月十二日」
向かって左「井関家始祖近江国住人次郎右衛門親秀法号賢良院葬地不知右嫡男猪兵衛親正法号一参道吸慶長二十乙卯年大坂御陳御供負深手於尾州熱田同年六月十二日死去葬地不知」
向かって右「嘉永五壬子年十月再建/井関氏/普光院義山清道居士 昭和八年五月二十六日 清/花水豊徳大姉 昭和四十三年四月十三日 トヨ」 ★昭和56年4月「瑞光院花
水豊徳大姉」と追贈された。『文学研究』第五十三号(昭和56年6月)に全文翻刻。

〔3〕 庄田家系譜
庄田家所蔵。正本と副本がある。

〔4〕 昌清寺過去帳
昌清寺所蔵。『文学研究』第五十三号(昭和56年6月)に一部翻刻。

〔5〕 庄田家墓石(昌清寺に現存)
正面「寂光院殿通誉理徹居士/元禄十一戊寅年十月廿六日」
向かって右「俗名/庄田五郎左衛門尉安議」『文学研究』第五十三号(昭和56年6月)
に写真掲載。

〔6〕 井関親経・短冊「くもりなく西にかたふく月影にいやしのはるゝむかしなる哉 親経」
(千蔭翁年回に捧げる一首)
北野克氏所蔵。
調査・報告・論考

〔1〕 鹿島則文氏識語
明治十五年の調査結果を記したもので『井関隆子日記』の原本に付されている。親賢の実
家・戸張家の子孫と直接言葉を交わした様子も知られ、貴重な記録である。(本書・上巻、
四二三頁)
〔2〕 国立国会図書館所蔵『恵美草』の書写者について
深沢秋男。(『参考書誌研究』〈国会図書館〉第十一号、昭和50年6月)
〔3〕 桜山文庫所蔵『天保日記』とその著者について
深沢秋男。(『文学研究』〈日本文学研究会〉第四十二号、昭和50年11月)
〔4〕 或る旗本夫人の日記から見た江戸の風俗について――新資料『天保日記』の紹介をか
ねて――
深沢秋男。(東京の歴史研究会・第一二四回例会、昭和51年2月21日、新宿区立中央図
書館)  ★この内容は、口頭発表で活字化されていない。
〔5〕 井関隆子研究覚え書
深沢秋男。(『文学研究』第四十四号、昭和51年11月)
〔6〕 井関隆子研究覚え書(二)――新資料『神代のいましめ』の紹介――
深沢秋男。(『文学研究』第四十六号、昭和52年12月)
〔7〕 「さくら雄が物かたり」――館蔵稀覯本翻刻 1――
新田孝子。(『図書館学研究報告』〈東北大学附属図書館〉第十号、昭和52年12月)
〔8〕 『井関隆子日記』の歴史的記述――徳川家斉の歿日について――
深沢秋男。(日本随筆大成第三期二十三巻付録、昭和53年7月)
〔9〕 井関隆子作『神代のいましめ』について
深沢秋男。(『文学研究』第四十七号、昭和53年7月)
〔10〕 井関隆子のこと
深沢秋男。(掃苔会・月例会、昭和54年10月27日、芝増上寺)
★これは、口頭発表であり、活字化されていない。
〔11〕 井関隆子の文芸――館蔵「さくら雄が物かたり」の著者――
新田孝子。(『図書館学研究報告』第十三号、昭和55年12月)
〔12〕 井関隆子日記の文芸性
新田孝子。(日本文芸研究会・月例会、昭和56年1月17日、東北大学)

【正誤表】  【省略 原本参照】
この誤りについて、新田孝子・清水正男・新島繁、三先生の御教示を賜りました。厚く御礼
申し上げます。
付  記

上巻を出してから、この下巻まで予想以上の日時を費やしてしまいましたが。これは全く私の事情によるもので、この点誠に申し訳なく思います。殊に桜山文庫の所蔵者・鹿島則幸様には、貴重な御所蔵本を八年間という長期に亙って借覧させて頂く結果になってしまいました。隆子自筆の孤本でもありますので、勉誠社の御配慮で全冊複写してフィルムを別に保管し、原本も使用しない時は銀行の貸金庫に入れ、この『日記』の保全に留意してきましたが、今、事無く桐箱入りの元の姿で御返却できます事を本当によかったと感謝しております。★昭和56年7月25日、御返却済みです。
中巻刊行後、東北大学附属図書館・狩野文庫に隆子の物語『さくら雄が物かたり』が所蔵されていろ事を知り、新田孝子先生は以前からこの作品を手がけておられた事を知ることができました。これで隆子の作品は『神代のいましめ』(松本誠先生蔵)・『水鳥』(『日記』所収)と合わせて三つになりました。また、長い伝統をもつ掃苔会でお話しさせて頂いたお蔭で、北野克先生から隆子の子息・親経の短冊を見せて頂くこともできました。『日記』を核として、井関隆子という、今まで埋もれてきた一人の女性、一人の作者が次第に明らかになってきましたが、これは非常にうれしい事です。
上巻刊行後、『日記』にお寄せ下さいました、諸先生のお心のこもった御批評は、この作業を続ける上で大かな励みとなりました。
以上の皆様方に深甚なる感謝の意を表します。
この下巻には『日記』以外の隆子の作品・書写本等を口絵として掲げることを得ました。これら諸資料の使用を御許可下さいました、東北大学附属図書館をはじめとする各所蔵者に対し、厚く御礼申し上げますと共に、この困難な出版を快くお引受け下さり、最後まで御高配を賜りました勉誠社に対し、心から感謝申し上げます。
昭和五十六年一月十七日
深 沢 秋 男

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【追 記】
〔日記文学として〕

鹿島則文の〔桜山文庫〕の中に所蔵されていた、近世末期の女性に出会ったのは、昭和47年(1972)である。今から45年前になる。8年間かけて、全3冊の校注を終え、世に問うた。しかし、世間は甘くなかった。なかなか、日記文学としては認めてもらえなかった。私は、日記文学とは何か、という提言を繰り返さなければならなかったのである。
仮名草子研究を8年間中断して取り組んだ仕事である。これが、日記文学として認められなければ、私の、この作品に対する文学的評価は誤っていたことになり、文学研究者としての生命は絶たれることになる。私にとっては、切実な問題だったのである。
しかし、この作品をじっくりと読み、その価値を認めてくれる研究者が次第に出てきた。重友毅氏、新田孝子氏、野口武彦氏、秋山虔氏、堤精二氏、田中伸氏、ドナルド・キーン氏、江本裕氏、……。思いつくままに掲げると、このような方々が、日記文学として評価してくれたのてある。思いつくままに掲げたが、まだ、いると思う。私は、これらの識者に救われたのである。
〔大学入試問題に出題〕

〔1〕 平成11年度、センター入試・国語、本試験に出題
〔2〕 平成11年度、センター入試・日本歴史、追試験に出題
〔3〕 平成20年度、明治大学入試に出題
〔4〕 平成23年度、京都大学入試に出題

大学入試問題に出題される、という事は、何を意味するか。その文章が一人前である、ということであろう。文章が水準に達していなければ文学作品の価値は無い。私が、この著作物を世に問う決断をしたのは、この文章であった。この文体は、当時の国学者流の擬古文ではない。井関隆子の文体である。しかも、間違いが少ない。約64万字の中で、誤りと思われるのは、10箇所前後に過ぎない。古代語ではなく、近代語である。驚くべき文章である。しかも、著者の意の赴くままに、いかなる内容も書き込んでいる。驚くべき熟達した文章力である。私は、大学入試に採用される度に、自分の校訂にミスは無いか確認した。幸い、これまでのところ、私のミスは無いように思う。校訂者の責任は、ここまで負わなければならない、と私は考えている。
〔優れた研究論文〕

『井関隆子日記』に関する研究も、最近は、かなり行われるようになった。近世の日記文学として認められてきた、そう言ってもよいかと思う。それらの研究の中で、真下英信氏の一連の研究が、最も注目される。今後、この作品の文学的研究は、新田孝子氏と真下英信氏の研究を踏まえて行われる必要がある。

○『井関隆子日記』に見られる地震の記述
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第26号 2009年3月刊行
○井関隆子の自然を見る目
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第27号 2010年3月刊行
○『井関隆子日記』に見られる地震の記述 補遺
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第28号 2011年3月刊行
○『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第27号 2012年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:天気の記述
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第30号 2013年3月刊行
○補遺“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第30号 2013年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:鳥
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第31号 2014年3月刊行
○補遺2“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第32号 2015年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:物売り
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」第32号 2015年3月刊行

私は、この井関隆子の研究として、『井関隆子の研究』を、平成16年、2004年に和泉書院から出した。これが、私の研究の総まとめである。未知の作品を校注した私には、ここまでしか解らなかった。今後は、多くの方々によって、この幕末の女性の価値が解明されることを願っている。
〔自筆原本の所蔵者〕
【桜山文庫】

井関隆子自筆の原本は、鹿島神宮、第67代宮司、伊勢神宮宮司・鹿島則文のコレクション「桜山文庫」に所蔵されていた。
私は、所蔵者の鹿島則幸氏の依頼を受けて、「桜山文庫」の一喝譲渡の件を進めた。その結果、昭和61年9月17日、昭和女子大学図書館は、桜山文庫、第1次、5683冊受入れ完了したのである。第2次、第3次と進められ、現在、国文関係書は、昭和女子大学図書館の所蔵となっている。

【翠園文庫】

鈴木重嶺・翠園の蔵書、「翠園文庫」は、最後の佐渡奉行、明治の歌としても知られる鈴木重嶺・翠園の自筆草稿を含む貴重なコレクションである。御子孫の松本誠先生御夫妻の御厚意によって、これらの蔵書が、昭和女子大学図書館に寄贈されることになり、平成8年2月20日(1996)、『翠園叢書』全68冊、『翠園雑録』全23冊を始め、鈴木重嶺の自筆本等、貴重な蔵書が、昭和女子大学図書館に寄贈された。

平成29年、2017年1月9日
深沢秋男

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。