道を拓く

●明治初期の文人、篠田謙治など、最初は明らかではなかった。

島根大学の要木純一氏は、『松江竹枝』という漢詩集に出会い、
その内容に惹かれた。その著者が篠田謙治であることは、その後に
判明する。文化、歴史の発見などは、このような経過をたどる。
まず、作品あり、である。人は、著作があって、初めて後世に、
その名を印することが出来るのである。
●『可笑記』・『砕玉抄』・『堪忍記』・『百八町記』があったから、
如儡子・斎藤親盛は仮名草子作者として、伝えられることになった。
『○○日記』・『さくら雄が物かたり』・『神代のいましめ』・
『いなみ野』を遺したから、井関隆子は、近世後期の日記文学作者の
地位を獲得したのである。
●今回、要木純一氏の「『松江竹枝』の作者篠田謙治について」に接して、
いささか感動している。

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【研究ノート】

『松江竹枝』の作者篠田謙治について
――その履歴と『山陰新聞』所載の漢詩――

要木純一(島根大学法文学部)

キーワード:松江竹枝、篠田謙治、精軒、遊廓、明治初期

1.調査現況
島根大学附属図書館蔵(2006年購入。要木研究室配置)の『松江竹枝』(精軒痴史著 大森惟中評 1888)は、これまで知られていなかった漢詩集(手稿本)である。明治初期の松江の遊里を中心とした風俗を描いた、貴重で興味深い作品が収められている。妓女たちの名前と境涯が附されているが、この詩集無くしては、苦界に落ちた彼女たちの記録は残らなかったであろう。全国に知れ渡る前の安来節にも触れている。評点をつけた大森惟中(1844-1908)は、明治期、日本の美術工芸発展に貢献した、学者・官吏として著名。フェノロサ『美術真説』の訳者でもある。
この大森惟中の評言もまたおもしろい。
当の作者の精軒痴史が何者であるかは、長らく分からなかった。詩の内容から、東京近辺の出身で、松江に数年間滞在したのであろうと推測するのみであった。このたび、当時の『山陰新聞』(山陰新聞社 1882創刊)に、この詩集に収められたのと同じ詩を多数発見するに及び、精軒痴史が篠田謙治という人であることが判明した。その経緯について報告する。
なお、『松江竹枝』に関して、私は、これまで、作者を明らかに出来ないまま、
『松江竹枝』について 附翻刻 「島大国文」(32)[2008]pp.129~142
『松江竹枝』訳注(一) 「島大言語文化」(25)[2008]pp.1~25
を著している。

【中略】

●1898(明治31)年12月3日『読売新聞』朝刊、4面
故鈴木重嶺翁逸話(三)
翁が歌の師の村上素行なるよしハ前にも記せしが、素行ハ田安家に仕へて加茂真淵の学統を引く。又、伊庭秀堅にも従ひたり。
翁の門人数百人全国に散在すれども、歌道不振の時節とて歌にて門戸を張る程のものハ少く、多くハ斯道に遊べる老人抔なれども、中に就て名を知られたるハ屋代柳漁、小景徳の二人なり。然れども皆翁に先ちて逝けり。重嶺社中にて名を知らるゝ者にハ先光清風あり。又、歌の門人に富みたる者としてハ篠田謙治あり。幹事にして最も古きを山田謙益とす。(以下略)

この記事は独力で見つけ出したのではなく、深沢秋男昭和女子大学名誉教授・菊池眞一甲南女子大学教授等のホームページ『近世初期文芸研究会』「鈴木重嶺関係資料」(1)(深沢氏担当部分)で知った。この情報なくしては、篠田謙治の辞官後の動静は分からなかった。記して感謝の意を示したい。

鈴木重嶺(1814-1898)は、明治初期の和歌の大家で、これまた、「鈴木重嶺関係資料」から引用させて頂けば、
●鈴木重嶺〔すずき しげね〕
徳川幕府に仕え、最後の佐渡奉行となる。明治11年、職を辞し、東京で鶯蛙吟社を組織し、月並歌会を催し、短歌雑誌『詞林』を主催した。佐佐木信綱と共に明治初期歌壇の名家とみなされていた。『詞林』は後に、佐佐木信綱の『心の華』に合併した。(2)
という人である。鈴木重嶺の資料は、昭和女子大学図書館に「翠園文庫」として所蔵されている。この文庫や当時の和歌雑誌や新聞和歌欄には、まだまだ篠田謙治に関する情報が存在することであろう。今後精査に努めたい。
なお、『近世初期文芸研究会』「鈴木重嶺関係資料」の鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(5)(3)には、全龍寺所蔵重嶺関係資料として、『故鈴木重嶺翁 追悼歌会供薦歌』が深沢秋男氏によって報告されており、その詠者氏名のなかに篠田謙治の名が連なっている。

【後略】

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●このような記述に出会うと、実に嬉しい。明治の歌人として、名は出ていたが、殆ど研究はされずにいた鈴木重嶺、御子孫との出会いから、この人物の資料を整理したが、いずれは、幕末明治の文化解明に役立つだろうと、報告を続けた。その記録が、このように利用されて、嬉しい。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。