『井関隆子日記』の評価

●今、井関隆子の、校訂、校注した、古物語の『しのびね』を読んでいる。素養豊かな女性が、幕末に居たことを再確認した。私など、足許にも及ばない。

●鈴木よね子氏は『日本女性文学大事典』に収録された「近世女性文学の概観」を、1 漢詩、2 俳諧と出家と、3 和歌とジェンダー、4 文章、の4章に分けて、その、「四 文章」の中で、

「近世は、漢詩と同じく文章の時代でもある。近世の女性たちは数多くの短編の紀行文を残した。また、『独考』『井関隆子日記』のような思索を交えた自在な長編の文章も書き残すようになった。」

と述べられ、『井関隆子日記』に関しては、次の如く評価しておられる。

「第四に挙げる作品は、旗本女性井関隆子(一七八五~一八四四)による『井関隆子日記』である。天保一一年から一五年までの五年間、変化しつつある社会を政治も含めて見聞し、また多くの書物を読み、それらについて思索しながら膨大な日記を書き続けた。その文体は町子や麗女と相違して、和文である必要性はなかった。平易でありながら行き届いたものであり、近世における女性の随想文の一つの到達点としても良いだろう。思索の内容は、政治社会論や女性論に注目すべきものがある。」

『井関隆子日記』の文章は、決して、当時の国学者の多用した擬古文ではない。言ってみれば、古代語ではなく、近代語の文章なのである。これが、文学史的には価値のあることである。そのように、私は考えて、この日記を評価したのである。

花月草紙と記せるふみ六巻あり。こをある人の貸したりけるを見るに、……従四位少将定信ぬしの物せられし文也。……もとより、漢才ありて、手などよく書かれしと聞けば、おのづから唐心になづみたることもまじれれど、猶、一トふしありて、近き世に、いにしへ学びとて、物する人の文に似ず、はた、雲の上人の筆のすさびにもたがひて、一つの姿あり。……

●隆子は、松平定信の『花月草紙』の文章をこのように評価している。本居宣長などの国学者が多用した擬古文や、雲上人の文章をも意識して、自分らしい文章を書いていたのである。樋口一葉の初期の日記とほとんど変わらない文章である。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。