〔古典から学ぶ〕

●横井学院予備校の〔古典から学ぶ〕という項で、『可笑記』の一節を取り上げている。

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可笑記(かしょうき)

<原文>
 人のうき世にあらんうちは、川を渡る心持ちすべし。いかにといふに、川を渡らんとき、深きと知らば、はだかになり、着る物をいただき、用心して渡るべし。また、浅きと知らば、もすそをよきほどにかかげ、用心して渡るべし。さあらは、いづれもあやまちあるまじ。されば、深き川を見損なひ、うかうかと渡りたらば、かならずあやまち後悔あらん。また、浅き川を深きと見損なひ、はだかになりて渡らんも、用意ことごとしくて、人の評判もいかがあらん。さりながら、浅き川を深きと見損なひたるは、当座の批判ばかりにて、身命において憂へ悲しみの後悔あるまじ。深き川を浅きと見損なひ候はば、かならず身命において、憂へかなしみの後悔あらん。 よつて世を渡らん心得、深浅慎むべし。
可笑記

<現代語訳>
 人がこの世にいる間は、川を渡る時の心構えを持つべきである。どうしてかというと、川を渡ろうとする時、深いと分かったら、はだかになって、着る物を頭にのせ、用心をして渡るはずだ。また、浅いと分かったら、着物のすそを適当な高さまで上げて、用心をして渡るはずだ。そうするならば、どちらの場合でも、事故はないだろう。そうであるから、深い川を見誤り、うかうかと渡ったりしたら、かならず事故を起こして後悔をすることだろう。また、浅い川を深いと見誤って、はだかになって渡るのも、用意が大げさで、人の批判もどれほどだろうか。そうであるけれども、浅い川を深いと見誤ったのは、その場限りの批判だけでからだと命という点では嘆き悲しむような後悔はないはずだ。深い川を浅いともしも見誤ると、かならずからだと命の面で、嘆き悲しむような後悔をするだろう。こういうわけであるから世の中を渡るときの心得は、深いか浅いかを慎重に考えねばならないのである。

横井の総評
 「可笑記」には、上記のように人生をいろいろな例えであらわしているものがいくつかあります。物事の状況を常に考えて行動することの大切さを説いています。
 また、作者は浪人中だったこともあり、当時の藩と武士社会を風刺したものが多く、現代でいうと会社のトップと社員そして非正規職員(=浪人)のことにつながるものがあります。

横井学院予備校 のサイト
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●これは、『可笑記』巻5の32段である。このサイトの執筆者が、この原文のテキストに、何を使用したか分らないが、寛永19年版11行本は、次の如くである。
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▲むかし、それがしのおや申されけるは、
人のうき世にあらんうちは、河をわたる心もちすべし。いかにと云に、河をわたらん時、ふかきとしらば、はだかになり、きる物をいただき、用心してわたるべし。又、あさきと知らば、もすそをよきほどにかかゝげ、用心してわたるべし。さあらは、いづれもあやまち有まじ。
されば、ふかき河をみそこなひ、うか〳〵とわたりたらば、かならずあやまち後悔あるべし。
又、あさき河をふかきと見そこなひ、あかはだかになりてわたらんも、用意こと〳〵しくて、人のひはんもいかゞあらん。去ながら、浅き川をふかきとみそこなひたるは、当座のひはん斗にて、身命においてうれへかなしひ後悔あるまじ。ふかき川をあさきと見そこなひ候はゝ、かならす身命において、うれへかなしみの後悔有べし。 よつて世をわたらん心得、深浅つゝしむべし。
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●浅井了意は、この段を評して、次の如く記している。

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 第三十二 世に住人の心得の事
……河を渡るは、ふかき浅き、ともに足本に心を付べし。君子はさもなし。物の数ならぬ小人ばらにこそ、害になる事はおほけれ。吉田の兼好が哥に
  世の中渡りくらべて今ぞしる阿波の鳴戸は浪風もなし
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投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。