如儡子・斎藤親盛の「百人一首」注釈

●仮名草子作者、如儡子は、寛永6年(1629)『可笑記』を執筆開始した。これは、中世の名随筆『徒然草』に倣った随筆風の作品である。この作品は『徒然草』の近世化とも言えるものである。この作品は、寛永19年(1642)に、全5巻本として出版された。

●著者は、その前年の、寛永18年に『砕玉抄』を書き上げている。これは、『百人一首』の注釈書である。日本の和歌史の上で、燦然と輝く和歌集の注釈書である。注釈書ではあるが、仮名草子作者は、この珠玉の和歌集を、上層階級の人々へではなく、十分に文字の読めない、一般庶民にも分るように、易しく、噛み砕いて伝えようと考えたのである。大啓蒙期の著者にふさわしい考えであり、著作・労作である。
●この著作の原本は、武蔵野美術大学に所蔵されている。このことを教えて下さったのは、御茶ノ水女子大学の浅田徹先生である。先生のお教えがなければ、この原本にめぐりあうことは出来なかった。私のみるところ、この写本は、如儡子・斎藤親盛の自筆本の可能性があると思われる。この写本には、次のような奥書がある。この奥書に、著者が付加した注釈の易しさに対して、心からの敬意を捧げる。
【奥書】
つれづれ〔1〕と、ながき曰くらし〔2〕、おしまづき〔3〕によつて、墨頭〔4〕の手中〔5〕よりおつるに、夢うちおどろかし、おろか心〔6〕の、うつり行にまかせて、此和歌集の、そのおもむきを綴り、しかうして、短き筆〔7〕に、書きけがらはし留めり。寔に、せいゑい〔8〕、海をうめんとするにことならずや。されば、かの三神〔9〕のみとがめ〔10〕をつゝしみ、おもむけず、かつまた、衆人〔11〕のほゝえみ〔12〕、嘲りをもかへりみ、わきまへざるに似りといゑども、さるひな人〔13〕の、せめ〔14〕をうけ、辞する〔15〕にことばたえ、退く〔16〕に道なくして、鈍き刃〔17〕に、樗櫪〔18〕をを削れり。人、是をあはれみ給へや。
時寛永巳之仲冬下幹江城之旅泊身
雪朝庵士峯ノ禿筆作
【自注】
〔1〕つれづれとは、徒然とかきて、つくづくとながめおり、物さびしき躰也。
〔2〕ひぐらしとは、終日の心。あさより晩までの事也。曰くらしのくもじ、
すみてよむべし。にごれば、むしのひぐらしの事になる也。
〔3〕おしまづきとは、つくゑの事也。
〔4〕ぼくとうとは、筆の事。
〔5〕手中は、てのうち也。
〔6〕おろか心は、愚知の心也。
〔7〕みじかき筆とは、悪筆などいふ心。ひげのことば也。
〔8〕せいゑいといふとり、草木のえだ葉などをもつて、大海をうめんとする
なり。たれたれもしり給へる古事なれば、かきつくるにおよばず。
〔9〕三神とは、住吉・北野・王津嶋を申也。わかの三じん是也。
〔10〕みとがめとは、御たゝりなどいふ心也。
〔11〕しうじんとは、世間の人といふ心。あまたの人々をさしていふ也。
〔12〕ほゝえむとは、につこりと笑ひがほをする事也。
〔13〕ひな人とは、いなか人と云事。
〔14〕せめとは、さいそくなどいふ心也。
〔15〕じするとは、詞にてしんしやくすること。
〔16〕しりぞくとは、身をひき、しんしやくするてい也。
〔17〕にぶきやえばとは、物のきれぬかなもの也。
〔18〕ちよれきとは、いかにもまがりゆがみて、物のようにたゝぬざいもく
也。■『砕玉抄』の奥書
武蔵野美術大学図書館所蔵

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。