〔絶交〕

●今日の朝日新聞の〔窓〕に、50年前の〔絶交〕を謝りたいという人の声が紹介されている。このような経験は、誰にも多少の差はあるにしても、あるものと思う。年をとり、ふと振り返ると、ある、ある。

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(窓)50年前の「絶交」、謝りたい
2017年6月25日05時00分
中田清美さんが大切にしてきた、ともこさんとの写真。眺めてはあの頃を思い出す=京都府精華町
「絶交します」
ひとことだけ、便箋(びんせん)に書いて投函(とうかん)した。京都府精華町の中田清美さん(67)が、高校2年のとき。宛先は親友の「ともこさん」。
あれから50年。大好きな友だちに送ってしまった手紙のことが、ずっと気になっている。
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●H君と私は、高校時代、大の仲良しだった。どこへ行くにも2人一緒。高校3年の時には、2人で5日間、横須賀の猿島でキャンプしたこともあった。やがて高校を卒業し、私は役場に勤め、H君は父親の仕事を手伝った。
●当時の田舎は青年が多く、青年団活動が活発だった。H君は副団長、私は総務部長。総会に諮る議題を執行部で作成した。A案、B案を準備し、執行部はA案で通そうと、根回しをした。いざ、総会当日、H君は、何故かB案を主張し、私達のA案は敗れた。H君は、私を裏切ったのである。
●私は、心の中で彼と絶交した。親友との絶交は深刻である。彼からの謝罪がなければ許さない。その後、H君は、酒席で謝った。私は、許すとも、許さないとも、意志表示はしなかった。素面でしたことは、酩酊した上ではなく、素面で処理すべし。それが、私の基準である。
●そのまま、私は東京に出た。H君は、やはり郷里を離れて、ハザマ建設の現場主任になり、活躍したが、しかし、10年前に他界されてしまった。H君は、この一件は、とうの昔に忘れた事かもしれない。しかし、私の中では、未処理の一件として残っている。
●これに類する、〔絶交〕〔謝罪〕の関係は、大学教員になってからも、何人かある。人間には、生きてゆく上での、基準があり、その厳しさは、人によって異なる。私は、どちらかと言えば、基準が厳しい、そう思っている。〔絶交〕は、人間関係の中で、理想的ではないが、自分の人間性を守る上では、必要であった。

■朝日新聞 デジタル より

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。