古文『可笑記』の現代語訳を教えて

●大至急! 以下の古文『可笑記』の現代語訳を教えてください。 

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ID非公開さん2013/12/2418:55:01
大至急!
以下の古文『可笑記』の現代語訳を教えてください。
訳が載ってるサイトでも構いません。
よろしくお願いします。

ある夕暮れのさびしきにいざなはれて、かの三人庭の木陰に立ち
浮かれけるに、折ふし遠寺の晩鐘かすかに聞こえけるを、聞かざるの願立てたる人、何となく思ひ出でて、

今日の日も命のうちに暮れにけり明日もや聞かむ入相の鐘

と古き歌をうそぶきける所に、言はざるの願立てたる人の言ひけるは、「いかに、その方、聞かざるの願空しくなりぬることのあさましさよ。」と、手を打ち指を指して笑ひ上げける所に、見ざるの願立てたる人の言へるは、「さても、方々は、何を聞き何事を言ひて、ともに大願を破滅するや。おろかにあさましきことかな。」と、他人あやまちをば思ひ知り、あざけり謗ずといへども、おのが立てたる見ざるの願を破滅することをば悟り知らず、まことにをこがましくこそおぼゆれ。

されば、このことについて、世間の人々の上を思ひ量るに、まづ他人の、よからぬ物事を愛し好むを見聞きては、そのことをあざけりそねみながら、おのれまたよからぬことを愛し好みて、他人にあざけりそねまれんことをば、夢にも悟り知らず。

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ベストアンサーに選ばれた回答

yamatonokuni0613さん 2013/12/2421:45:03
「現代語訳」
ある夕暮れのひっそりとした物静かな雰囲気に誘われて、いつもの三人が庭の木陰に立ち、その雰囲気に浸っていると、ちょうどその時に、遠いお寺の晩鐘がかすかに聞こえて来たので、「聞かざる」の願を立てた人が何となく昔の和歌を思い出して。
「今日も無事生きて夕暮れを迎えられた。明日も聞きたいものだなあ、日暮の晩鐘の音を」と古い歌を詠んだ所に、「言はざる」の願を立てた人が言った事は「何と、その方の聞かざるとの願いは空しくなってしまったではないか、興ざめでがっかりすることだな!」と、手を打ち、指で指して笑っていましたが、そこに、「見ざる」の願を立てた人が言ったことは「それにしてもまあ、あなた方は何を聞き、何事を言って、共に大願を捨ててしまうような愚かなことをするのですか?愚かで嘆かわしことです。」と。他人の過ちを見て、あざけり謗ることは行っても、自分が立てた「見ざる」の願を捨ててしまうことを自覚せず、まことに愚かで見苦しい事であるなあ、と、思っている。
だから、このことについて、世間の人々が何を考えるか推し測ってみると、先ず、他人の良くない物事を人々が好むことを見聞きして、その事をあざけり軽蔑しながら、自分もまた他人の良からぬことを好んで、他人にあざけり軽蔑されるであろうことを、夢にも自覚しない。
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巻五の13段は、次の通り。

▲むかし、さる人の云るは、
さる人の破風の紋に、猿を三疋、作りつけたり。一つのさるは、両手をもつて、耳をふさぐ。一つのさるは、両手をもつて、目をふさぐ。一つさるは、両手をもつて、口をふさいでぞ有ける。
ある人、三人づれにて、此門前をとをりしが、此よしをみて、
いか成いはれぞ。
と、そこらの人に、とひければ、
此家の主、万、わるこびに、すこびたがる人にて、万、世間の事、善悪に付て、みざる、きかざる、いはざるとの心得にや。
と、いふ。
此人々、大きに、かんじ、立かへりて、三人もろともに、みざる、きかざる、いはざるの願をたてたり。
ある夕暮のさびしきに、いざなはれて、かの三人、庭の木陰に、立うかれけるに、折ふし、遠寺の晩鐘、かすかに、きこえけるを、きかざるの願たてたる人、何となく思ひ出て、
けふの日も命のうちに暮にけりあすもやきかん入あひのかね
と、古き歌を、うそぶきける所に、いはざるの願たてたる人の、云けるは、
いかに其方、きかざるの願、むなしくなりぬる事の、あさましさよ。
と、手をうち、ゆびをさして、わらひ、あざけるところに、みざるの願、立たる人の、云るは、
さても、かたがたは、何をきき、何事をいひて、ともに、大願をはめつするや、おろかに、あさましき事かな。
と、他人のあやまちをば、思ひしり、あざけり、膀す。といへども、をのが立たる、こざるの願を、はめっする
事をば、さとり知らず。まことに、をこがましくこそ、おぼゆれ。
されば、此事について、世間の人々のうへを、おもひはかるに、まづ、他人の、よからぬ物ごとを愛し、このむを、みきいては、其事をあざけり、そねみながら、をのれ又、よからぬ事を、愛しこのみて、他人に、あざけり、そねまれん事をば、夢にも、さとりしらず。
古書に、いはく、
人の悪を、そしらんには、をのれがあやまちを、かへりみ、人のあやうきを、みんには、我科を、さとり知べし。
と、有をや。
げにもげにも、人毎に、わがすきなる事には、悪事あらん事をわすれて、そねみあざける。所全、我すきなる物には、かならず、あくじも有て、他人のあざけり、そねまん所を、兼て分別し、又、わがきらひなる事にも、かならず、よき事も有て、他人の愛し、このまん所を、兼ねて分別ずべし。
さあらば、二つながら、其とくしつ分明なるべし。得失あきらかならば、何ぞ、あながちに、ふかくこのみ愛し、さのみ、又、ふかく、そしりきらふへけんや。是、達人の心得たるべし。
それ、物毎に、得失の有事、天の道成へきか。其子細は、雨はよく五穀を、うろほし、そだつれ共、又、田畑ををしなかす事有。風はよく舟をやれ共、又、舟をくつ返す事有。其外水火として、万物をたすくれ共、又、ばんもつをめつすろ事あり。よくよく工夫思案有べし。
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●高校生が、この段の現代語訳を質問し、これに答えたものである。最近は、高校入試に、京都府などの公立高校などで出題されるようになった。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。