批判・修正の姿勢

●私は、文学研究を志した時から、新説が無く、前説に対する批判が無ければ、発表する必要は無い、という姿勢で取り組んできた。新説が無く、前説に対する修正が無いならば、論文を発表する意味は無いだろう。これは、自然科学も人文科学も同じである。

●先行の説に対する、批判や新しい説が無いならば、それは論文ではなく、解説の域に止まるものであろう。それにしても、今、振り返ってみると、何と多くの先学の説を批判・修正してきたことか。それが、失礼になるならば、心から謝罪しなければならない。しかし、これも、研究を進めるためならば、許されるのではないか。微温的にではなく、厳しく、事実に照らし、真実に迫ろうと、微力ではあるが取り組んできた。
●今、思いつくままに列挙すると、以下の通りである。批判・修正した先学のお名前を付記する。
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● 『可笑記』と儒教思想。 昭和39年。寺谷隆氏、松田修氏。
●『可笑記』と『可笑記評判』。 昭和41年。野田寿雄氏、松田修氏。水谷不倒氏、暉康隆氏、大場俊助氏、久松潜一氏、相磯貞三氏、市古貞次氏、寺谷隆氏。
●『可笑記』の諸本について。 昭和43年。水谷不倒氏、朝倉治彦氏。
● 桜山文庫蔵『天保日記』とその著者について。 昭和50年。真下三郎氏。
● 『江戸雀』。 昭和50年。和田万吉、長澤規矩也氏。
● 上田秋成と『源氏物語』(上)。 昭和55年。浅野三平氏。
● 上田秋成と『源氏物語』(中)。 昭和55年。浅野三平氏。
● 『可笑記』の読み方。 昭和60年。田中伸氏、渡辺守邦氏。
● 『可笑記評判』の成立時期。 昭和61年。野間光辰氏。
● 『桜山本 春雨物語』。 昭和61年。中村幸彦氏、重友毅氏、初め多くの校訂者。
● 如儡子(斎藤親盛)調査報告(1)。 昭和63年。松田修氏、野間光辰氏。
● 如儡子の『堪忍記』(1)。 平成元年。野間光辰氏。
● 井関隆子作『神代のいましめ』のモデル。 平成7年。新田孝子氏。
● 井関隆子作『さくら雄が物かたり』考。 平成9年。新田孝子氏。
●如儡子の「百人一首」注釈。 平成11年。島津忠夫氏、乾安代氏。

●『井関隆子の研究』。平成16年。久松潜一氏、木村正中氏。
● 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(1)。 平成22年。自説を含めて、野間光辰氏初め諸氏の説の修正。
● 如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(2)。 平成23年。自説を含めて、野間光辰氏初め諸氏の説の修正。
● 『如儡子百人一首注釈の研究』。 平成24年。島津忠夫氏、乾安代氏。
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●結果的には、重友毅先生、長澤規矩也先生、野間光辰先生、中村幸彦先生、島津忠夫先生など、恩師・大先学を批判することになったが、これも、研究過程でのめぐり合わせで、致し方の無いものと思う。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。