田中伸先生のこと

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田中伸 (国文学者)

田中 伸(たなか しん、1920年8月23日[1] – 1991年2月8日[2])は、国文学者。近世文学専攻。

経歴
北海道生まれ。1942年二松学舎専門学校卒、1946年早稲田大学文学部国文科卒。49年同大学院修了。日本女子経済短期大学(のち嘉悦大学短期大学部)助教授、二松學舍大学文学部助教授、教授[3]。定年直前に死去。
著書
『庶民の文化 江戸文化と歴史への道標』富士書院 富士新書 1967
『仮名草子の研究』桜楓社 1974
『近世小説論攷』桜楓社 1985
校注・共編
『叢刊日本文学における美と情念の流れ』全5巻 大久保典夫、森本和夫、笠原伸夫共編 校注・解題: 田中伸,山田清市 現代思潮社 1972-73
如儡子『可笑記大成 影印・校異・研究』深沢秋男,小川武彦共編著 笠間書院 1974
『資料日本文学史 近世篇』青山忠一,萩原恭男共編 桜楓社 1976
【ウィキぺディア より】
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●私は、今、田中伸先生の御論文を読み返している。何回も何回も読んでいるが、最終的な拝読である。私が初めて、田中伸先生にお会いしたのは、昭和43年(1968)6月23日である。近世文学会、春季大会が名古屋で行われ、私は、ここで「『可笑記』の諸本について」と題して発表した。私の発表が終ったら、田中伸先生から反論が出された。実は、田中先生も『可笑記』の諸本調査を進めておられたのである。反論は、寛永19年版11行本と、12行本の先後に関するもので、私は11行本が先、という意見であったが、田中先生は、12行本が先、という見解で、2人で論争になった。檀上から口で説明しても、先生は納得してくれない。司会は、神保五弥先生であったが、もう時間が無いので、あとは、お二人で話し合って欲しいと、打ち切られてしまった。
●昼食の休み時間に、田中先生が、私の席にわざわざ来て下さった。複写物を示して、御説明申上げたら、先生は納得され、私の説を認めて下さったのである。この学会発表がきっかけで、『可笑記大成 影印・校異・研究』の編者に加えて下さった。重友毅先生の御承諾を頂いて、この原稿作りに励んだ。この本は、文部省の助成出版であり、私の仮名草子研究史の上で、大きな意義を持つ本となった。
●その後、田中先生には、本当に多くの事をお教え頂いた。最初、野間光辰先生とは、私は、面識もなかったので、抜き刷などは、田中先生を介して頂いていた。
●昭和53年(1978)『井関隆子日記』を出した時も、田中先生は、いち早く高く評価して下さり、『週刊読書人』に新刊紹介を書いて下さった。また、二松学舎大学の公開講座でも取り上げて下さったのである。私は、密に思うのであるが、田中先生は、研究者であると同時に、文学がよくわかる評論家的な方ではないかと推測している。
●昭和62年(1987)に『可笑記評判』の成立時期に関する論文を発表し、その中で、野間光辰先生の説を批判した時、田中先生から「もうやめなさい」ときついアドバイスを賜った。何時までも忘れることの出来ない、田中先生のお言葉である。その、4年後に先生は御他界なされた。

■『仮名草子の研究』桜楓社 1974

■『近世小説論攷』桜楓社 1985

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。