『井関隆子日記』の文学性

2017.12.20 Wednesday

間違って思い人の兄と結婚してしまった女の悲劇

BestTimes 2017年12月18日 18時00分 (2017年12月18日 21時48分 更新

イラスト/フォトライブラリー『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 天保元年(1830)ころに起きた若い男女の悲劇が『井関隆子日記』に記されている。
 旗本春日家の半五郎・左門兄弟はともに独り身だった。
 同じく旗本の赤井家の庭で、半五郎と左門兄弟をはじめ若い旗本の子弟が集まり、弓で遊んだ。その様子を、赤井家の十六歳になる娘が物陰からそっと見ていて、快活で色白な左門を見初めた。もちろん言葉を交わしたわけでもなかったが、娘はひそかに左門に思いを寄せた。
 しばらくして、仲人を立てて春日家から赤井家に縁談が持ち込まれた。親が意向を尋ねると、娘はてっきり左門だと思い、真っ赤になって、「はい」と承諾した。
 あとはとんとん拍子に進む。
 祝言を終えて、女がそっと夫の顔を見ると左門ではなく、半五郎だった。事態が理解できず動転しているところへ、左門が挨拶に現われた。
「弟の左門でございます」
 ここにいたり、娘は自分の勘違いに気づいたが、もうどうしようもなかった。 こうして不本意な結婚生活が始まったが、左門が別居していればそれなりにあきらめもついたろう。しかし、左門は同じ屋敷に同居しているため、毎日、義理の姉と弟として接していかねばならない。
 それでも、女がすべてを運命と受け止め、胸の内に秘めていたら、悲劇は避けられたであろうが、妻とは言ってもまだ十六歳だった。
 ふたりだけになったとき、女は左門に誤解の縁談だったことを打ち明け、さめざめと泣いた。

左門も動揺する。
 ついにふたりは一線を越えた。
 その後、ふたりは家人の目を盗んで情事を続けたが、同じ屋敷内である。いつまでも気づかれないはずはない。夫も姑もふたりに疑惑の目を向けるようになった。
 ついに、ふたりは心中を決意した。
 夫が江戸城で泊まり番の日の深夜、女は死に装束の白衣を着て、左門を迎えた。
 寝室でうめき声がするので家人が駆けつけると、女は白装束を真っ赤に染めてすでに息絶えていた。左門は首を刀で突いたものの死にきれず、苦悶のうめき声を発してのたうちまわっていた。
 心中未遂となれば厳罰をうけるため、春日家では表沙汰にせず、ひそかに女の遺骸を実家の赤井家に送り届けた。赤井家では病死として葬った。左門は手当てを受け、一命は取り留めた。
 傷が快癒したあと、左門は兄の半五郎とともに職務に励んでいるという。
 後味のよい結末とは言えない。なんとなく釈然としないと言おうか。男女の悲劇というより、けっきょく女の悲劇ではあるまいか。

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●今日、エキサイト ニュースで、作家・永井義男氏の投稿を見た。これは、『井関隆子日記』の天保11年11月17日の条に出ている内容である。隆子は、このような、江戸の事件を取り上げても、一つの文学に仕立てている。私は、ここに、彼女の作家的力量をみた。これは、単なる事件簿ではない。

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天保11年11月17日 の条

・・・人の心のはかられねば、つくづくとおきゐつつ、更け行く空に吹く風の、そよとの音にも心をつけ、「我やゆかむ」にはあらざれど、例もいりくる真木の板戸は鎖さざりけるに、いささかならして入り来る音す。女、いまは是にまさるうれしさなし。あはれ、父母は千代にもがもといのる命なめるを、時のまをさへ急ぐめるは、昔も今も恋の山路に入りたつ人の踏みまどはぬなむなき。
かくて互に語らふいまはの程、いはむは中々おろかなるべし。大方常のわかれだに、千秋をひと夜になしぬとも、とかいへりしごと、かかる中らひは、尽ぬ睦言なるを、まして此世の名ごり、いかがはつきむ。
暁近うとりの声など聞ゆるに、心あわただしう、女ぞ中々心づよう催したるらし。
かかるきはのこと、さばかりとも、いかがはまねびやらむ。
さりける程に人のいたくうめく音するに、人々驚きさめて来て見れば、寝やのふすまども打みだり、女は白き衣、みな紅に染かへし、息絶たるに、男は頸のわたりさしたれども、したたかにもえせざりけん、死にもやらでふためく也けり。浅ましいみじなどとは、よろしき程のことをこそいへ、皆、目口もはだかりて、あきれまどひ、あるじがり告げければ、とくまかでて、親などへも告げためり。男はいまだ死なざりければ、薬師などよびて、とかくあつかはせ、・・・

※ 「我やゆかむ」=君やこむ我や行かむの十六夜に槇の板戸もささずねにけり(古今集)

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投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。