恩師・赤井須磨子先生

恩師・赤井須磨子先生
2017.12.24

●夕方5時ころ、斎藤光盛の出自に関してまとめようと苦慮していたら、原小学校の恩師・赤井須磨子先生からお電話を頂いた。『近世初期文芸』第34号をお送りしたので、そのことであった。先生は、「秋男さんの書いたものだから、全部読もうと思ったのですが、難しくてよくはわかりません。」と申された。「私の書いたものなど、研究者でも、殆ど読んではくれません。赤井先生、本当に有難うございます」と心からの御礼を申上げた。
●先生は、今、週3日間デイサービスにお世話になっているとのこと。特に楽しくはないけれど、家庭のことも考えて、通っている、と申される。私の妻も、週2日間、デイサービスにお世話になっていて、こちらは、大変楽しいと言っている。
●私は、雑誌に論文などを発表した時、小学校・中学校・高等学校で、お教え頂いた先生方にも、差し上げて、感謝と報告をしている。しかし、このところ、もう、読めないので、送らないでくれ、と断られた先生が3名いる。そんな中で、石田先生は、いつも、電話を下さり、頑張りなさい、と励まして下さる。御高齢の小学校の恩師である。涙が出そうになった。
●身延高校の国語の先生は、石田永知先生だった。石田須磨子先生の弟さんである。須磨子先生は、同じ原小学校の恩師・
赤井三男先生と結婚されて、赤井須磨子先生になられた。お二人は、やがて、東京に出られて、三男先生は永年校長先生を勤められ、先年叙勲を授与された。須磨子先生も永年東京の小学校で教育に従事された。
●私にとって、赤井三男先生も、石田須磨子先生も、そうして、石田永知先生も、人生の根幹を示して下さった大恩人である。
石田永知先生は、身延高校の国語の時間に「深沢は、梨大の学芸学部へ進みなさい」とアドバイスして下さった。
●赤井三男先生も、石田永知先生も、もうお亡くなりになった。93歳になる須磨子先生は、今も、このように励まして下さる。
人は、このようにして、感謝し、また、激励して、その生を全うするのであろうか。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。