如儡子の後裔

如儡子、斎藤親盛の後裔、豪盛氏

●昨日、昼寝をしていたら電話が鳴った。長井の斎藤豪盛氏からであった。如儡子の御子孫、斎藤家、第13代である。この度の『近世初期文芸』第34号の拙稿「如儡子『百八町記』の考察」が着いたという。しばし雑談、やがて、話題は斎藤家の本貫に移った。二人の間で、この件に話が及ぶと、延々と続く。どちらも、話したいことばかりである。
●斎藤氏は、私と同じ年で、金型工場を経営していて、昨年、自分史『みちの奥の町工場物語』を出した。発行所が、近世初期文芸研究会である。つまり、私が出した。戦後の東北に生きて、自分の道を切り開いた1人の経営者の、見事な姿が、そこにはあった。
●戦後の、北海道、東北、九州・四国などは、首都圏から遠く離れ、とても、文化的には、ハンデを背負っていた。齋藤氏は、東北が活気づいたのは、自動車道路の整備、ファックス、インターネットだと書いている。彼は、そんな中で、いち早くアメリカに行き、大会社・GEと取引契約を結んだのである。まだ、日本の企業が余り進出していない頃だ。斎藤氏は、トヨタの白色のセルシオを愛用している。先祖の斎藤筑後守広盛が白馬にまたがって戦場を駆け抜けた如く、戦後の、山形、長井・福島・鶴岡・酒田・出羽三山などを走り回った。
●私は、野間光辰先生の、如儡子伝記研究の後を受けて、その検証と充実に努力してきた。昭和62年、野間先生が御他界なされ、翌年、私は如儡子の伝記研究を開始した。昭和63年、初めて、二本松の斎藤家の墓所で、豪盛氏とお会いした。それから、斎藤氏の愛車セルシオに乗せてもらって、如儡の足跡を調査・検証し続けてきたのである。
●斎藤氏にとっては、御自分の先祖であり、私にとっては、仮名草子『可笑記』の作者である。お互いに、〔如儡子〕の伝記を知りたいと思う気持ちは、同じだった。だから、1本の電話でも、長くなる。このような、研究の軌跡をたどった私は、本当にラッキーだったし、幸せに思う。そんな、長い電話だった。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。