天保11年5月1日

天保11年5月1日

●今日、このようなサイトを見た。目的は何か、私には、よくわからないが、大きな目的をもつようである。
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※天保11年(庚子)5月1日(1840.5.31日)
松岡辰方(ときかた、故実家、77才)が没する。塙保己一の「群書類従」の刊行に尽力した。
芝明神の開帳がある。「江戸町人の研究、西山松之助編、吉川弘文館」
※天保11年(庚子)5月2日(1840.6.1月)
感応寺において、西丸丑年の男性、戌年の女性の一切無障礙の祈祷がある。
◎九ツ時前水戸城主徳川斉昭小石川邸より出火、過半を焼失し八ツ時過鎮火「江戸町人の研究、西山松之助編、吉川弘文館」
※天保11年(庚子)5月3日(1840.6.2火)
感応寺において本丸暉姫の疱瘡についての祈祷がある。
※天保11年(庚子)5月4日(1840.6.3水)
桜田御用屋敷内の女中養生所が虎ノ門外御用屋敷火除地に移転する。
将軍家慶の第12子暉姫が死亡する。「井関隆子日記」
続徳川実紀では5月8日が死亡日「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保11年(庚子)5月8日(1840.6.7日)
将軍家慶の第12子暉姫が死亡する。「続徳川実紀」
井関隆子日記では5月4日「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保11年(庚子)5月14日(1840.6.13土)別紙
※天保11年(庚子)5月15日(1840.6.14日)
◎山田奉行柴田日向守が京都町奉行となる。「徳川十五代史」
※天保11年(庚子)5月16日(1840.6.15月)
越前藩は財政の不如意、勝手の行き詰まりの打開を訴える財政緊急令を出す。
※天保11年(庚子)5月17日(1840.6.16火)
※天保11年(庚子)5月19日(1840.6.18木)
◎阿部伊勢守正弘が寺社奉行見習いを命ぜられる。「徳川十五代史」
※天保11年(庚子)5月20日(1840.6.19金)
水戸藩立原杏所(きょうしょ、53,56才)が没する。尚歯会のメンバー。「日本史年表(日本歴史大辞典編集委員会編1990)河出書房新社」
麻布善福寺で開帳がある。「江戸町人の研究、西山松之助編、吉川弘文館」
※天保11年(庚子)5月21日(1840.6.20土)
◎将軍家慶の20子万釵姫が死亡する。「井関隆子日記」
続徳川実紀では5月23日になっている。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保11年(庚子)5月22日(1840.6.21日)
南町奉行矢部定謙(さだのり)より市中の町人に天保の改革の実施が通告される。
※天保11年(庚子)5月23日(1840.6.22月)
代官中村八太夫より関東筋の百姓に風俗取締まりが達せられる。
◎島津斉彬の次女邦姫が3才で死亡する。「島津斉彬公伝」
◎将軍家慶の20子万釵姫が死亡する。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
井関隆子日記では死亡日は5月21日になっている。
※天保11年(庚子)5月24日(1840.6.23火)
煙火遊びが禁止される。「江戸町人の研究、西山松之助、吉川弘文館」
※天保11年(庚子)5月25日(1840.6.24水)
※天保11年(庚子)5月26日(1840.6.25木)
十二代将軍家慶の二十子万釵姫(まさひめ)の葬儀。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保11年(庚子)5月27日(1840.6.26金)別紙
※天保11年(庚子)5月28日(1840.6.27土)
◎両国の川開きで花火が打ち上げられる。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
廿八日、昼の間は雷など鳴っていたが、夕方になってよく晴れた。今日は花火の揚げ初めというので、大橋・両国の河あたりは殊に賑わう。
夕方から、納涼を兼ねて見に行く人は非常に多い。大船小舟の火影が水に浮かび、琴の調べ、鼓の音は、寄せ来る波の音に調和する。
陸では、高い家々の軒毎に明かりをともし、歌い女の弾く琴の音に、見物客は杯を傾けながら興じる。
広い通りでは、商人たちが、隙間もなく、様々な品物を並べて、大声を上げて売っている。河岸には、伊予簾をかけ渡した、仮設の見物席に、人が入り込んで、数も知れないほどである。道路から河岸にかけて、灯籠の火が輝き、まるで昼間と変わらない。
※天保11年(庚子)5月29日晦(1840.6.28日)
幕府は売薬の看板にオランダ文字の使用を禁じ、以後オランダ風説書に原文を添えて提出するよう長崎奉行に命ずる。
夜本所石原新町納戸頭辻進宅郎方にて花火上げ、小十人組乾新太郎屋敷茅屋根へ火の玉落ち、全焼する。「江戸町人の研究、西山松之助編、吉川弘文館」
※天保11年(庚子)5月 日付不明
1、老中水野越前守忠邦は新任の阿部正弘に、大奥の法華狂信の元凶である日啓の吟味を命ずる。
2、徳川斉昭は、大砲鋳造の案を立てていたが、この月水戸神崎に四カ所、溶鉱炉を作り仕事に取り掛かる。中心は鋳物師善四郎であった。彼も始めてで、いろいろ工夫するが鋳型に銅が入らない。2,000貫目の銅がみな土の中に流れ込み、神崎寺に入り僧になりたいと申し入れたが、烈公に慰諭され、仕事を続ける。
3、侠客飯岡の助五郎が勧進元になり、江戸から力士を呼んで、各所で相撲興行を行う。その功労を認められ、この月、興行世話人としての証状を相撲会所から貰う。
助五郎は大男で腕力があったので、年寄友綱に弟子入りしたほどであった。
4、佐賀藩主鍋島斉正は藩校の弘道館を拡張する。学館頭人に執政(請役)鍋島安房を任用する。
5、養蚕収入に頼っていた但馬山村が、幕府より統制を受ける。これにより大きな影響を蒙る。「幕末生野義挙の研究」
今般産物において以前の通糸問屋申付候間、糸売捌之儀産物方問屋へ持ち出し売買可致候、自分宅にて売買の儀令停止・・・・
6.備前上道郡雄町の湧水(藩主池田家専用の用水)の番人をしていた藤本鉄石(津之助)が「百貫の抵当に編笠ひとつ」の置紙をして旅に出る。「清河八郎の明治維新、高野澄、NHKブックス」
7.売薬看板にオランダ文字を書くことが禁止。「江戸時代 生活・文化総覧、歴史読本特別増刊」
幕府は売薬の看板に蘭文字使用を禁止し、蘭書翻訳書の流布を取り締まる。「江戸町人の研究、西山松之助、吉川弘文館」
8.越前勝山藩主小笠原長貴が病没し、小笠原長守が幼少で襲封する。「幕末維新最後の藩主285人、別冊歴史読本、新人物往来社」
P3-119/2016.7.23

※天保14年(癸卯)4月17日(1843.5.16火)
日光社参の将軍家慶が霊廟その他の礼拝を行う。すべて旧式の如し。
将軍家斉は日光社参をしなかった。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
水野忠邦が将軍家慶より枝柿一筥を賜る。「旧幕府、水野越前守年譜」
将軍家慶が日光へ参詣の留守中、江戸両国吉川町の花火商玉屋より出火、玉屋市(郎)兵衛は所払いとなり、誓願寺前へ移る。妻千代・娘たいが押込、雇人佐吉が手鎖。
花火屋玉屋から出火して所払となり、浅草誓願寺前に移転する。
P1-12/2012.9.9

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。