【自著を語る】 新・1  <2018年2月12日>

【自著を語る】 新・1  <2018年2月12日>

〔自著と言っても、実際には編著・共編・校訂・校注・複製などもあるので、純粋に自分の著書ではない。ただ、長い間には種々様々な本を出し、その時その時に、多くの方々のお世話になったり、御配慮を頂いた事が少なくない。そんな事を備忘録も兼ねて整理しておきたいと思う。〕

●大学を定年退職した時、こんな一文を草して、自分の本を整理したことがある。それから、10余年が経過した。現在は、年齢も年齢だし、研究の現場からは去り、これという研究もしていない。そこで、研究生活を振り返って、改めて、自著を整理したいと思う。

【1】可笑記評判 (校訂)
A5判、278頁、和装、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会発行、非売品。発行部数122部。制作実費1部800円。
(1)凡例、(2)可笑記評判本文 巻一~巻十、(3)固有名詞索引、(4)章段数対照表・章段対照表、(5)振り仮名・漢字一覧、(6)書誌、(7)口絵(東京大学附属図書館所蔵本)
万治3年2月刊行の、浅井了意著『可笑記評判』を全冊校訂したもの。底本は東京大学附属図書館所蔵本。『可笑記』本文は収録せず、振仮名も省略した。ただし、主要な振仮名は巻末に一括掲載している。
●印刷は孔版タイプ印刷で、印字は江東区住吉の文進社、印刷は文京区本郷の一龍社。製本は千代田区神田の謡本専門の川嶋製本。
●昭和41年5月発行の『文学研究』第23号に「『可笑記』と『可笑記評判』―現実批判を中心に―」を発表したが、これを契機に『可笑記評判』の本文全冊を『文学研究』に掲載する話が出た。準備を進めてゆくと大部過ぎて雑誌掲載は無理となり、単行本化す事に変更し、自費出版で近世初期文芸研究会から発行する事になった。
●巻一から1巻ずつ原稿を作り、文進社で印字・印刷した。タイプ印刷に活字が無い場合は、日本活字・岩田母型で一般印刷の活字を購入し、作字もした。それでも無い文字は印鑑店(はんこ屋)で刻印して揃えた。
●寄贈先は、仮名草子研究者と主要図書館であったが、その後、折々古書店に出る事があり、昭和62年11月の『日本書房目録』では12000円であった、平成30年、現在のネットの〔日本の古本屋〕では、7990円、4500円、5000円、の3点が出ている。
●『可笑記評判』に関しての最初の口頭発表が、重友毅先生の主催される日本文学研究会であり、その機関誌としての『文学研究』に掲載するという話から出発したためか、本書出版の折、重友先生は序文を書いて下さると申された。しかし、単なる校訂の本でもあり、これは御辞退した。
●翌年の8月28日、市ヶ谷の私学会館で、出版記念会をして下さった。高橋俊夫先生の『西鶴論考』と私の『可笑記評判』の合同である。本心は御遠慮したかったが、重友先生のお考えに従った。座席は、高橋先生の隣が重友先生、私の隣が、何と久松潜一先生であった。長澤規矩也・杉本圭三郎・神保五弥・谷脇理史・江本裕の諸先生始め、日本文学研究会の常任委員の先生方が出席して下さった。その意味で、この本が私の処女出版であり、最初で最後の出版祝賀会というセレモニーとなった。私は、心から感謝して、2人の兄にも出席してもらった。
●スピーチの中で、久松先生が、深沢さんの『可笑記評判』は見ていないが、と申されたのには、テーブルの下に潜りたい思いであった。私は、この本を久松先生にも、中世専攻の杉本先生にも献呈していなかった。また、長澤先生は、お話の冒頭で、本日は2人のために、学外の先生方に多く出席して頂き、感謝申し上げます、と述べて下さった。その事は今も忘れられない。
●私の処女出版は、手作りのタイプ印刷の自費出版であったが、重友先生や、諸先輩の御配慮で、このように祝福して頂いた。
●この出版記念会に参加して下さった、重友毅先生、久松潜一先生、長澤規矩也先生、谷脇理史先生、小沢良衛先生、笠間愛子先生、鈴木吉三郎先生、市川通雄先生、千葉篤先生、高橋弘道先生、高橋俊夫先生、皆様、今は、御他界なされてしまわれた。何と、多くの御学恩を賜ったことか。改めて、御冥福をお祈りし、感謝申し上げる。
●私は、仮名草子作品の翻刻は、これが最初であった。無知ゆえに進めたとはいえ、浅井了意の、全10巻の大部な作品を取り上げるとは、無謀であったことに変わりはない。
●谷脇理史先生は、〔学界展望、12月1日~31日〕で次の如く紹介して下さった。
「深沢秋男氏による「可笑記評判」(近間初文芸研究会発行)は、書誌・索引ほかを付して二七八ページの大冊。「可笑記」の諸本研究を精力的に続けられる深沢氏の御研究の成果の一部と思われるが、この大冊を自費出版の型で出された氏の情熱に敬意を表したい。」
●駆け出しの私にとって、この上ない、励ましの言葉であった。早稲田大学の谷脇先生とは、終始、あたたかい交流を続けさせ頂いた。改めて感謝申し上げる。

【2】浮世ばなし 付、明心宝鑑 (影印、解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・12、B5判、318頁、昭和47年8月20日、勉誠社発行、定価5500円。
原本所蔵者 横山重・長澤規矩也、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(浮世ばなし 1巻~五巻・明心宝鑑 上下2巻)、(3)解題
●横山重氏・前田金五郎氏は、近世文学書誌研究会の名のもとに、主として横山重氏所蔵の赤木文庫本を底本にして、精密な原本の複製本を勉誠社から刊行した。本書はその「仮名草子編」第1期の12である。
●本書は、勉誠社版「近世文学資料類従」第1期の最初のものであるから、刊行に至る経緯を少し詳しく記す。昭和46年(1971)11月9日、前田金五郎先生のお宅へ伺った。新しい企画があるので相談したい、という連絡を頂いたからである。そこで初めて「近世文学資料類従」の件を知らされた。前田先生は、横山重先生の意向による事でもあると前置きされ、「仮名草子編」の1期刊行リストを示され、この中から担当したい作品を選ぶようにと申された。私は『浮世ばなし』と『可笑記評判』を担当させて頂く事にした。『堪忍記』もどうか、と言われたが、この作品は田中伸氏か小川武彦氏が、既に諸本調査を進めているらしいと申し上げ、遠慮した。
●実は、これと前後して、横山重先生からも、この件の御連絡を頂いた。横山先生は、私が研究職ではない事を気にされて、このチャンスを与えて下さった由である。私の研究は、本書の担当を契機として、『可笑記』研究から仮名草子研究へと範囲を広げていった。それは、横山先生と前田先生の御配慮のお蔭である。
●12月3日、前田先生宅へ伺い、横山先生御所蔵の、
1『浮世ばなし』(江戸版)
2『浮世物語』(京都版)
3江戸版の写真
この3点を拝借した。これらの原本を手元に置いて、諸本調査を進められたのは、誠にありたい事であった。
●『明心宝鑑』は、中国善書の一つで、仮名草子にも大きな影響を与えていた。仮名草子との関連は、前田先生が既に研究されており、有益な資料である故、これを付載する事になった。漢籍・和刻本では、恩師・長澤規矩也先生の御研究が第一であったので、先生の御所蔵本を使用させて頂いた。
●横山重先生、前田金五郎先生、ともに、あの世へ旅立たれた。私の仮名草子研究は、このお二人の先生によって、軌道修正をして頂いた。横山先生には、研究者としての、人間としての、生き方についての御指導も賜った。心から感謝申し上げる。

【3】可笑記大成―影印・校異・研究― (共編著)
A5判、764頁、昭和49年4月30日、笠間書院発行、定価11000円。田中伸氏・小川武彦氏と共編著。本書は文部省の、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)による出版である。
使用原本は、11行本は小川武彦氏蔵本、12行本は国会図書館蔵本、無刊記本は長澤規矩也先生蔵本、絵入本は横山重先生蔵本である。
 目 次
第1編 本文・校異(小川氏・深沢)
第2編 万治版挿絵について(小川氏)
第3編 「可笑記」の研究
第1章 底本書誌解題と諸本調査報告(深沢)
第2章 校異による本文異同の考察(深沢)
第3章 「可笑記」の成立と書名(田中氏)
第4章 作者如儡子について(田中氏)
第5章 「可笑記」の内容(田中氏)
第6章 「徒然草」と「甲陽軍鑑」の受容について(田中氏)
あとがき(田中氏)
●本書刊行のきっかけは、昭和43年6月23日、日本近世文学会春季大会での発表であった。私の「『可笑記』の諸本」と題する25分の発表が終ると、田中伸氏の反論意見が出された。寛永19年版11行本と12行本の先後をめぐる問題であった。私は11行本が先だと主張し、田中氏は12行本が先だと反論された。実は、『可笑記』の諸本調査は、私と同時に田中氏も進めておられた事が、この時わかった。15分間討論したが、お互いに譲らず、司会者の神保氏も、あとは2人で話し合って欲しいと打ち切られた。
●昼食時、田中氏が私の席にこられたので、原物のコピーを示して説明したところ、ようやく納得して下さった。この11行本と12行本の先後関係は、実に微妙で、私も発表要旨では12行本を先としていたが、発表当日、口頭で、11行本が先であると訂正したほどである。私は、2ヶ月足らずの間に、この両版の先後関係を判断する、決定的な証拠を発見したのである。
●昭和45年4月、田中伸氏から、『可笑記』の影印本を出す事になったので、共編者として本文の校異を担当しないか、という連絡を頂いた。私は重友先生の許可を得て、有難く参加させてもらう事にした。笠間書院を通して、昭和48年度科学研究費補助金(研究成果刊行費)を申請して、補欠になり、やがて繰上げ採択された。
本書は、田中伸氏の御厚情によって編者に加えて頂いたものである。
●田中伸先生には、この件をきっかけにして、常に温かい御指導を賜った。先生は文学の価値評価では、厳しく鋭い批評眼の持ち主で、畑違いの『井関隆子日記』を出した時も、いちはやく、高く評価して下さった。また、後年、私が、野間光辰先生の説を批判した時、<もうやめなさい>と苦言を寄せて下さった。心から尊敬し、感謝している。
●この『可笑記大成』では、横山重先生の、万治二年刊、絵入本を使用させて頂いたが、この折、横山先生は、この絵入本『可笑記』を御恵与下された。また、無刊記本は、長澤規矩也先生の御所蔵本を使用させて頂いたが、長澤先生も、この無刊記本を御恵与下さった。何という、研究者冥利に尽きることであろうか。
●『可笑記』寛永19年版11行本は、鹿島則文のお孫さん、鹿島則幸氏から御恵与された。
 ①19年版11行本
 ②無刊記本
 ③万治2年版絵入本
この3点は、昭和女子大学図書館へ寄贈して、いつまでも保存して頂くよう処理した。

【4】新可笑記 (影印、解説)
近世文学資料類従 西鶴編・11、B5判、296頁、昭和49年10月25日、勉誠社発行、定価9500円。
原本所蔵者 吉田幸一、編者 近世文学書誌研究会、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(新可笑記、1巻~5巻)、(3)解題
●横山・前田両先生は、私が仮名草子の『可笑記』を研究していたので、西鶴のこの作品を担当させて下さった。諸本調査を進めるうちに、吉田幸一先生の所蔵本が最善本と判明した。そこで、私は横山先生に、この本の担当は吉田幸一先生にお願いしたいと連絡した。吉田先生は横山先生を通して、予定通り私に担当するようにと返事を下さった。私は感謝して解説を執筆した。
●この『新可笑記』は、元禄9年11月初版刊行、というのが、従来の定説であった。ところが、この本の刊記はおかしい。奥付の半丁がそっくり入れ替えられている。私は、初版初印とは断定できないという説を出した。

【5】江戸雀 (影印、解説)
近世文学資料類従 古板地誌編・9、B5判、424頁、昭和50年11月23日、勉誠社発行、定価10000円。 原本所蔵者 赤木文庫、監修 横山重、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(江戸雀、巻1~巻12)、(3)解題
●この本の担当は、横山重先生から直接指名された。それまで、『江戸雀』の初印本は、全く知られていなかった。従って従来の研究では、和田万吉氏・高木利太氏・長澤規矩也氏・丸山季夫氏のいずれも、この『江戸雀』の著者を菱川師宣(吉兵衛)としておられた。これは、後印本の刊記に拠ったためである。
●後印本の刊記は、「武州江戸之住/絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記に拠れば、菱川吉兵衛が本文も絵も執筆し描いた事になる。ところが、初印本の刊記には「武州江戸之住 近行遠通撰之/同絵師 菱川吉兵衛」とある。この刊記によれば、著者は近行遠通であり、絵師は菱川吉兵衛という事になる。勿論、初印本が正しい。
●横山先生は、この幻の初印本の担当を私に配当して下さった。しかし、この本の発行までには、私としては苦しい経験をした。それは時期を同じくして、恩師・長澤規矩也先生が、有峰書店から江戸地誌シリーズの刊行を発表された為である。
●『江戸雀』の刊行は、横山先生と私の合作であると言ってもいいかも知れない。横山先生からの書簡を、先生に御迷惑にならない範囲で記録しておきたい。
◎昭和48年9月11日 封書
今度、勉誠社で古板地誌の複製を出版する事になった。収録予定リストを送るので、担当希望の作品を出すように。という連絡を頂いた。担当者には何名か考えているので、各自の希望が出たところで調整して決定したい、というもの。私は江戸関係の作品、1、2点に印を付けて返送した。その結果、『江戸雀』の担当を指示された。
◎昭和49年4月25日 はがき
「江戸雀の初印本と再印本の差を見て貰ひたい。私から藤園さんに頼んで、本を池嶋宅まで送ってくれと云って見る。それ不可なら、貴兄が藤園堂を訪問せねばならぬ。○藤園本の題簽と奥の写真は勉誠へ送りました。――江戸雀は文字が小さいから、本文を大きく出すために、天地をそのまゝ出さずに、本文だけを大きく出す工夫をしたい。――本文の中で、両者の差のある所は、再印本のその部分の写真も出して、解説の中で示す方よし。」
◎昭和49年5月24日 はがき 速達
近々『江戸雀』の原本を渡すので来て欲しい。「この本を自宅で見れば、他の本は一見するのみでよろしいと思ふ。」続けて、有峰書店で、江戸地誌叢書10巻を出すという。内容見本をみると第1巻に『雀』を入れて、影印と活字翻刻とを併用するという。「師宣撰画とあり。やはり後印本也」と追記されていた。
■6月9日、伊東市の勉誠社の池嶋氏の別荘に横山先生を訪ね『江戸雀』の初印本・後印本・江戸図3点の5点を拝借した。借用書は書かず、手帳にメモしたのみ。横山先生は、「それだけあれば、家が1軒建つからね、決して電車の中では広げるナ、家に帰ってゆっくり見なさい。」と申された。
千葉の家に帰宅して、早速、初印本をゆっくり拝見した。これが師宣か、と浮世絵の祖・モロノブの本物に出会って、目が開かれた思いがした。以後、学生などに師宣の浮世絵を説明する時は、この瞬間の事を念頭において述べている。犬小屋入りの江戸図を、8畳間一杯に広げて調査できた事も、ただただ、感謝した。拝借した原本は12月21日に御返却申し上げた。
◎昭和49年6月21日 はがき
「江戸雀の御調査感謝。貴説、近行遠通が初印本に手を入れしかといふ事、私、賛成。近行遠通の名を削りしも、彼の発意か。延宝八年の『江戸方角安見図』にも、作者の名を出さず。当局の意向をソンタクして表へ顔を出さぬのかも知れぬ。尚、御調査願ふ。」
◎昭和49年8月2日 はがき
「江戸雀、初印本と再印本の大差のあるところ、再印本の方から、三、四枚の写真を、解説のところで出して、初印本の頁を記して、対照するやうに、御配慮ありたし。○再印本も近行遠通の手を経てゐるとの御説は、傾聴に値ひす。彼は江戸方角安見図(延宝八年)では作者名を出してゐません。風向きの悪いのに気づいたか。○しかし、私案に拘らず、貴説を通して下さい。」
◎昭和49年8月20日 はがき
「御手紙ありがたう。方針はすべて貴案のやうでよろしく。削除のところは、撰者近行遠通の意志によるものらしとの貴説よろしきか。江戸雀、はじめて真相を得るらし。その旨は、池嶋氏にも云って、頁数の多くなるのを恐れるなと云って下さい。或いは二冊にする方よきか。原本を私に返すのを急がずともよい。今はただ、正確で行き亘る事を望む。健康が大切。あまり根をつめる事勿れ。」
◎昭和50年2月6日 はがき
「勉誠の「定本地誌」へ「江戸雀」の解説を渡しませんか。……○その場合、原本を出すべきか。(目下、私方にあり。)○年度末で御多忙でせう。ハガキでよく、簡単な手紙をください。御用は私に云って下さい。御指定のやうに致します。」
◎昭和50年9月24日 はがき
「江戸雀の解説の校正のコッピー拝受。返送せずともよしとあり、私許に止めておきます。大兄の記述、すべてよく、過、不足もなく、公正と思ひました。遠近道印の地図は、私の書いた後に、/改撰江戸大絵図 元禄二年二月 板屋板/といふものを得ました。これは、延宝四年板と同じく、一分十間積りの図を、その後の変化を入れて、改撰したものです。私は四十年かゝって、これだけを得たのです。」
●昭和50年12月13日(土)『江戸雀』ができて、編集の中村さんが4冊届けてくれた。
私はその日に、まず、恩師・長澤規矩也先生にお届けして報告した。実は長澤先生は、前年の5月に、有峰書店から、江戸地誌叢書10巻を企画し、その中に『江戸雀』を影印と活字翻刻で収録すると公表されていた。これを知った横山先生は、先方はやはり後印本が底本のようである。しかし、それより、こちらは先に出すように、と解説原稿の仕上げを急ぐ事を指示された。私は、横山先生と長澤先生の板挟みの状態になってしまった。いずれも尊敬している大切な先生であった。この間、長澤先生には一切接触しないようにして、解説原稿を書き上げた。〔万一、お会いしたら、資料類従・古板地誌編の事をお話しする可能性もある。それでは、横山先生に対して申し訳ない。この1年間は厳しい日々の連続であった。〕そして、この日になったのである。私は事情を説明してお詫びした。長澤先生は本を広げて、良い本だ、良くやった、こちらはもう出さなくていいね。と私のこの間の失礼を許して下さり、本の出来映えを誉めてくれた。
次の日に、伊東の横山先生のお宅へ伺い、勉誠社から預かった本をお届けした。先生は、良くやった、と労いのお言葉をかけて下さり、大変喜ばれた。
●この『江戸雀』は、1冊の複製本であるが、その本当の著者を解明した画期的な本であり、その担当者に選ばれた私は幸せであった。私としては、尊敬する2人の先生の御意向の板挟みの中で進めた、調査研究であり、忘れる事のできない1冊である。
●昭和50年というと、40年前である。当時の、私は、浅井了意の『可笑記評判』・『浮世物語』、井原西鶴の『新可笑記』、如儡子の『可笑記』の諸本調査・『可笑記大成』、井関隆子の日記の本文校注等々、を進めており、大多忙の時だった。
そのような、状況の中で、横山重先生から、『江戸雀』の調査・解説を命じられたのである。私としては、全力を尽くして取り組んだが、これで、満足していた訳ではない。もっと、もっと、詰める自信はあった。しかし、時間的に不可能だったのである。それは、今も、残念に思うし、横山先生に申し訳ないと思っている。
それに、本書は、法政大学での恩師、長澤規矩也先生との関係もあって、厳しい2年間を過ごした。研究者としても、人間としても、その姿勢が問われたものと、今、思っている。私は、ギリギリのところで行動した。
本書刊行後、両先生とも、御了解下さったのか、その後も、温かく御指導を賜った。心から感謝申上げている。
 横山重先生は、昭和55年10月8日、御他界なされた。私は、野田寿雄先生と、横山先生の骨揚げをさせて頂いた。
 長澤規矩也先生は、昭和55年11月21日、御他界なされた。私は、表章先生と、長澤先生の骨揚げをさせて頂いた。

                       
  

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。