【自著を語る】 新・2  2018年2月12日

【自著を語る】 新・2  <2018年2月12日>

【6】可笑記評判 上 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・21、B5判、344頁、昭和52年1月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻1~巻3)
●『可笑記評判』は、以前、タイプ印刷の私家版を出しているので、是非担当させて欲しいとお願いして、横山先生・前田先生の御許可を頂いた。前著では印刷面などで、思うような内容に出来なかった部分を改善する事が出来た。両先生に感謝している。

【7】可笑記評判 中 (影印)
近世文学資料類従 仮名草子編・22、B5判、456頁、昭和52年2月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻4~巻7)

【8】可笑記評判 下  (影印・解説)
近世文学資料類従 仮名草子編・23、B5判、456頁、昭和52年3月25日、勉誠社発行、定価10000円。
原本所蔵者 名古屋大学附属図書館、解説者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)影印編(可笑記評判、巻8~巻10)、(3)解題

【9】井関隆子日記 上 校注
B6判、460頁、昭和53年11月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)口絵、(2)凡例、(3)天保11年1月~12月、(4)解説。
●本書は、鹿島神宮大宮司家の第67代・鹿島則文のコレクション桜山文庫の中に所蔵されていた、幕末旗本夫人の自筆の日記・全12冊に注を付けて出したものである。
●私は、昭和36年に「『可笑記』論」という卒論を提出し、以後、仮名草子の研究を続けてきた。仮名草子は近世初期であり、この女性の日記は近世末期のものであった。ところが、私はこの『日記』の内容に強く惹かれていった。
●昭和47年11月3日、水戸の鹿島則幸氏をお訪ねした。重友先生が長年拝借していた、上田秋成の写本・桜山本『春雨物語』を返却するためであった。要件が済んだ後、鹿島様は、こんな物も御座いますが、と仰って、桐箱入の写本12冊の『日記』を見せて下さった。この件を前田金五郎先生に御報告しておいたところ、翌年の1月、鈴木棠三先生から連絡があり、神田の出版社・Kから稀書創刊というシリーズを出すので、この『日記』を、その中に収録したいので、鹿島氏を紹介して欲しいと言われた。別の要件もあったので、水戸に伺ってお願いしたところ、鹿島様は快諾して下さった。
●いろいろ経緯があった後、私に校訂を担当して欲しいという事になり、千葉の新検見川時代であったが、改めて『日記』を読み直して、優れた内容である事を確認して、仮名草子研究と並行して進める、という条件でお引き受けした。
●その後、鈴木先生との話し合いの結果、校訂から校注に変更し、私は独自の判断で、人名・地名・書名などの固有名詞にのみ注を付ける事にして、『広辞苑』に出ているレベルのものは、原則としてカットした。近世後期の言葉は、古語辞典も通用しないものが少なくなく、近世初期が専攻で、しかも浅学の私にとっては難行苦行の連続であった。
●全12冊の原本を、上中下の3冊にして出す事にして、上巻の原稿が仕上がった時、オイルショックのため、この企画は中止となってしまった。しかし、私は、仮名草子研究は中断して、この『日記』の校注に全力で取組んでいた。もう、後へは引けなかった。是が非でも、この『日記』を後世に伝えたい、そんな思いであった。
●昭和52年4月30日、勉誠社の池嶋社長に、この『日記』の出版をお願いした。5月7日、池嶋氏は自ら原稿を読んで判断され、出版を引き受けて下さった。書名も「天保日記」から「井関隆子日記」に変更して、ようやく日の目を見たのである。

【10】井関隆子日記 中 校注
B6判、456頁、昭和55年8月30日、勉誠社発行、定価4500円。原本所蔵者 鹿島則幸、校注者 深沢秋男。
(1)凡例、(2)天保12年1月~12月、天保13年1月~12月、(3)鹿島則文と桜山文庫。
●巻末に「鹿島則文と桜山文庫」を付載した。鹿島則文及び桜山文庫に関しては、それまで、まとまったものが無く、その当時の所蔵者・鹿島則幸氏の要請もあり、鹿島則文の顕彰も込めて纏めたものである。則文は、幕末・維新にかけて、鹿島神宮大宮司・伊勢神宮大宮司として、また、国学者・教育者として大変な活躍をした人物であるが、行動はするが、余りモノは書かぬ人物であった。何か、あの〔狩野文庫〕の狩野亨吉と通うところがある。それをまとめて伝えたかった。

『井関隆子日記』原本  現在 昭和女子大学図書館所蔵

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。