秋成『春雨物語』テキストの今

『春雨物語』テキストの現在 

●上田秋成の『春雨物語』の諸本の状況に出会ったのは、昭和61年、1986年、32年前のことである。近世初期の仮名草子研究の私が、なにゆえ、上田秋成の『春雨物語』に手を出したのか。それは、今は省略する。
●それよりも、その時、近代の秋成研究者の校訂・校注した、『春雨物語』の底本の使い方に関して、大きな衝撃を受けた。私は、文章を使って表現する芸術が文学だと心得て、仮名草子や『井関隆子日記』を研究してきた。
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明治以後現在までの、諸先学が作られた、〔秋成〕の『春雨』の本文を一覧して気付くことが一つある。それは底本の使い方についてである。各校注本の使用状態をみると、果たしてこれで良いのか否か、少なからず疑問が残る。確かに文化六年本(最終稿本)が秀れた本文である事は問題ないにしても、統一体としての一編の本文を作るのに、創作時点の異なる本文を組み合わせる事は果たして許される事であるのかどうか。私は精粗の差のある本文を取り合わせて使用すべきではないと思う。
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●私は、『桜山本 春雨物語』の研究篇で、この様に述べた。恩師・重友毅先生をはじめ、諸先学を批判することは、ためらわれたが、晩年の秋成の心中を大切にしたいという念いから、あえて提言した。
●今回、木越治先生の御逝去に接し、改めて、その後の『春雨物語』のテキストの研究を確認して、今、〔真理が我らを自由にする〕という金言を味わっている。
●木越治先生は、2008年(平成20年)2月20日、森話社発行の『秋成文学の生成』所収の「『春雨物語』新稿、三 上級編――近世文学を専攻する研究者のために」で、さらに深化した、『春雨物語』テキスト論を述べておられる。
 現在、市販されている校注書の中から、
 Ⓐ『新編日本古典文学全集』小学館、一九九五年
 Ⓑ『新潮日本古典集成』新潮社、一九八〇年
 Ⓒ『日本古典文学大系』岩波書店、一九五九年
 Ⓓ『全対訳日本古典新書』創英社、一九八一年
の4点を取り上げ、底本の使用状態を一覧表にして示しておられる。この内、Ⓐ・Ⓒは作品よって、天理巻子本と文化五年本を取り合わせて使用している。Ⓑ・Ⓓは、富岡本と文化五年本を使用しているが、各作品の中では取り合わせはしていない。文学作品の場合、どのような底本の使用の仕方が妥当であるか、現在は明らかであると、私は考えている。
●木越先生は、この論の終わりのところで、次の様にまとめておられる。

 「こうしてみてくると、混乱の根は一つである。すなわち、本文の選択及び改稿過程に関してこれまで富岡本に主軸をおいて形成されてきた通説に疑問を呈している当の論者たち自身が、それにかわるものを提示し得ていない、という事実、もっと簡単に言えば、私も長島氏も、
⑴ 文化五年本が現存『春雨物語』諸稿のうちもっともすぐれたテキストである。
⑵ 一般に流布すべきテキストの底本は、文化五年本のみを底本にする。
⑶ 文化五年本は秋成の最終的な意志を実現したテキストであり、他の諸稿はここに至る草稿にすぎない。
というふうに主張しえないところに最大の問題が存するのである。」

●この、木越先生の締めくくりの言葉は、先生の『春雨物語』テキスト研究の到達点であり、先生の本音であり、後世への遺言ともいうべきものだと思う。
●32年前の、門外漢の私の疑問に、耳を傾けて下さり、上田秋成の『春雨物語』の諸本に、真摯に対応し、ここまで研究をお進め下さった、木越治先生、長島弘明先生に感謝申し上げる。
●文化五年本、桜山文庫本の書写者が使用したと推測される、上田秋成の自筆本が、今後、出現するかも知れない。そうなれば、さらに一歩、真実に近づくことが出来るかも知れない。
●桜山文庫本『春雨物語』は、現在、昭和女子大学図書館に所蔵されている。

■ 桜山文庫本『春雨物語』

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。