〔古文の背景知識〕

《 古文の背景知識 №1 》

先生、空(くう)ってなんですかぁ~?

 大乗仏教の根本理念の一つに「空(くう)」という概念があります。空=空しさ=虚無=ニヒリズムなんて考えてる人が多いんだけど大変な誤りです。仏教の「空」は虚無主義ではありません。

 そもそも、仏教はこの現実世界(この世・現世・俗世)を仮そめのもの(仮の世・仮象・無常な世の中)と、とらえています。方丈記の冒頭「ゆく川の流れはたえずして~」みたいに、人間の生まれては死にゆくさまを一瞬で消えていく水の泡に例えたりするわけです。つまり、この目に見えている世界は存在しているように見えて実は実体がない、その幻の実体のない富や名誉や恩愛や愛欲にとらわれるところに、人間の苦しみがあると2500年前のお釈迦様は考えたわけです。

 たとえば、幻のスクリーンに映ったバナナを食べようとどんなにあがいてもお腹に入りませんよね。だから、虚しい。また、サルみたいな動物だったらスクリーンに映った火事の映像を見て、キーキー叫んで恐怖にとらわれてしまって、はたから見ている人間からしたらおかしいんだけど、案外、人間も同じようなことをやってんじゃないか、ありもしないものに執着したり、幻の何かにとらわれてあせったり、怖れたりしているんじゃないか、そういういろんなわずらいを仏教では煩悩(ぼうのう)と言い、それにとらわれることを執着(しゅうちゃく)といいます。ですから煩悩という言葉はあくまで、仏教的なセンテンスで、人間の俗世に対する欲望を背景として用いられる言葉です。 

 で、心に平穏を得るためには、一刻も早くそのような苦から逃れなければならない。これを出離(しゅつり)といいます。またそのような気分になれば、この現世のことがすっかりいやになってしまいますから、世を厭(いと)うといった言葉もキーワードとして出てきます。これを難解な仏教用語では厭離穢土(おんりえど)ともいいます。この世を穢れ厭い、離れるといった意味です。つまり、自らの自我が欲望を捨ててわずらいを離れて心からすっきりして、もう幻の俗世に執着しない、といった境地が「空・空寂」です。それは透徹な無常観。何ものにもとらわれない生死をも超越した境地ですから、ヨーロッパ哲学の虚無主義とは全く違うものです。)

 
 ちなみに、出家を表わす単語としては直単D連語・慣用句の31に出てくるような「御髪下す/さまを変ふ/世を背く/世を厭(いと)う/世を捨つ/世を出づ/出離(しゅつり)/出世(しゅつせ)/飾り(かざ)おろす」などの、さまざな表現があります。

 H23早稲田の商学部の問八に〝傍線部6「いみじくそむけり」とあるが、「そむく」とはどのような意味か、本文中から同じ意味の熟語(漢字二字)を抜き出して解答欄に記せ〟という問いがあって、答は「出世」でした。

 さて、出家した男性は僧となり、女性は尼(あま)となりますが、とくに尼の場合は、「海人(あま)」とか「天(あま)」といった掛詞として和歌中に詠み込まれることが多いので注意して下さい。

 ところで、人間の自我や欲望を無にする、といった行為は大変なエネルギーを必要とします。生半可なことでは自分自身を無自我の境地にまで追い込むモチベーションがわかないわけで、
 空をめぐる話は、人をそこまで駆り立てる、現世における非常につらく、すさまじい体験や愛する人との死別といった話とともに語られることが多いものです。たとえば、背景知識№12でも説明しますが、人間の肉体が腐乱していくさまを見ることによって、世の無常を悟るといったショッキングな話もあります。これを不浄観説話といいます。

 話を元に戻しますが、わずらいから解放されれば誰でもがすっきりします。すっきりするとわかっているのにどうしても仮りそめなこの世に対する未練が残ってしまうものには、たとえば親子の情(=恩愛おんあいの情)・男女の愛欲、または地位や富・権力・名声(これを名利みょうりとか名聞みょうもんと言います)などがあります。くり返しますが、このような俗世の欲望を煩悩というわけです。

 国立の記述問題などでこのような煩悩の説明を求められた場合は、俗世に対する「執着・妄執・愛執・妄念」などの語句が使えます。たとえば出家をためらう理由と問われた場合、「~への愛執を断ちがたく」などと書くことができます。

 たとえば、平成3年センター本試『とりかへばや』の問5で吉野に隠棲している吉野の宮が二人の姫君を都に送り出す場面で、長年吉野の宮に仕えた老女房までも一緒に都に行かせた理由が問われていますが、その正解の選択肢には「一切の俗縁を絶った環境を作りたい」とあります。つまり、この場合、親子の情や親しい人々との関係まで断ち切って、一切の煩悩から離れようと吉野の宮は願っているわけです。
 
 また、平成11年の国語ⅠⅡの本試『井関隆子日記』には江戸国学思想(背景知識№10)の立場から、空論に代表されるような生への執着の放棄を徹底的に批判する文章があらわれますが、その批評の対象となっている考え方は、以上述べたような仏教的空の概念であることをおさえれば論旨がよくわかると思います。

 ところで、以上述べたことは、いわば、悟りすました理想的な出家の理念です。現実には、たとえば平安期の女流文学のようなかなりウェットな感情がまとわりついて、俗世への未練や恋人へのあてつけなど、涙、涙のうちに出家をとげてしまうような、なま悟りの出家発心譚(たん)も多いので、すべてを空の概念でわりきることはできないこともあります。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。