35年前の横山重先生

35年前の横山重先生
2018.05.16 Wednesday

●昭和57年2月22日、朝日新聞に横山先生の似顔絵が掲載された。山藤章二の作品である。その後、私は昭和女子大学に勤務したが、その時、若い研究者から、古典作品の翻刻の意義に関して質問された。翻刻などは、職人のすることで、研究者のすることではないでしょう、という御意見だった。有能な研究者は、職人の翻刻したテキストを使って研究し、古典の意義を論ずれば、それでよい。翻刻などに時間を消費すべきではない。そのような御意見だった。
●また、外国人の若い、研究者が、ある大学の先生から、仮名草子の翻刻などしても、文部省は、業績としてカウントしないから、やめた方がいいよ、と言われました。どうしましょう。と質問された。私は、業績を積み上げるために、仮名草子作品を翻刻するんじゃないでしょ。自分の研究のためでしょ。と答えておいた。
●実は、古典作品の校訂作業は、生易しい仕事ではない。翻刻校訂作業の底知れない実態が分からない御仁は、軽々しく口走るが、この事業の本質は、そんなところにはない。本居宣長やマックスウェーバーの言を引くまでもないことである。
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2012-10-02

横山重 = 百目鬼恭三郎・山藤章二
13:42

●今日の朝日新聞には、野田内閣に新しく入閣した閣僚の似顔絵が出ている。山藤章二の作である。見事なものである。
●昭和57年(1982)年2月22日の朝日新聞「日本の文化地図 紙魚の世界③」に百目鬼恭三郎は、横山重を「翻刻本を作る収集家」として採り上げている。その絵を山藤章二が描いている。
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「国文学者横山重は、自分の研究に必要な本ばかりを買う型の収集家であった。ただ、その研究は古書を忠実に活字におこしてテキストをつくることであったから、いい古書をたくさん必要としたし、しかもその範囲が、室町時代の物語、説経節、古浄瑠璃、琉球史料と広いために、いっそう多くの古書を必要としたわけである。
 東北大学や天理図書館などにある本は、いって写して来ることができる。が、個人の蔵書になると、なかなか見せてはくれない。京都の林森太郎という国文学者の家を三度訪問し、「おまえの求めている本は持っていない」と断られたが、林の死後蔵書が売り立てられ、その中に自分が探していた本がいくつもあって、いまいましいと思った。・・・『神道集』の校本を作ろうとしたが、最善本である明応の書写本を所蔵者の大槻文彦家が「他に譲ってしまった」と見せてくれず、譲渡先も教えてくれなかったので、作業を中断せざるを得なかった、といった話を横山は『書物捜索』などにたくさん書いている。
 これでは、必要な本は自分で買うほかはないが、もとより慶応大学予科教授の給料では、今日の貨幣価値に直して年に一千万円以上の本が買えるはずがない。用の済んだ本を売って、別の本を買うというやりくりを続けたらしい。
 日本では、古典の基本的なテキストを作る仕事を、学者のすることでないとして軽んじる傾向がある。そのうえに、本を安く買って高く売るという、古本屋まがいのことをやっているとあれば、なおさら評判は芳しくない。うわさに尾ヒレをつけて吹聴する連中も出て来る。・・・
 横山は学者としては不遇のまま、昭和五十五年に八十四歳で死去した。が、収集した本の翻刻は『室町時代物語大成』(松本隆信と共編、全十三巻で完結予定)『古浄瑠璃正本集』(室木弥太郎、阪口弘之と共編、全十巻で完結予定)などに結実している。他人の学説をつぎはぎして格好をつけた研究が、すぐ使いものにならなくなることを思えば、横山の仕事の本当の価値がわかるはずなのに、それを認める人はまだ少ない。・・・」
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●古典文学の本文校訂、校注の学問的価値に関して、私が付言する必要も無いだろう。古典文学の研究者は、与えられた信頼し得るテキストを活用して、新しい知見の提出に努めて欲しい。

■横山重 え・山藤章二

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。