『可笑記』諸本研究の思い出

2018.06.06 Wednesday

『可笑記』研究の思い出

●私の第一論文は、昭和39年(1964)5月発行の『文学研究』第19号の「『可笑記』と儒教思想」である。54年前になる。
●今日、慶應義塾大学学術情報リポジトリで、1969年3月発行『芸文研究』27号掲載、関場武氏の論文「如儡子とその作品――「可笑記」―― その一」を見た。懐かしい論文である。関場氏は、「諸本について」の中の 注10 で、次の如く記しておられる。
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京都府立図書館(現京都府立総合資料館)所蔵の万治二年版可笑記には、巻第五の後表紙見返しに、「定栄堂蔵版目録」、すなわち大坂書林吉文字屋市兵術・同源十郎の刊行書目が附せられている。深沢秋男氏は「可笑記の読者」(文学研究 第二十六
号 〈研究余滴〉昭和四十二年十二月)で、その中に「西鶴織留」や「西鶴置土産」の名が見られるところから、この「可笑記」の刷りたてられた時期を、万治二年より三十数年後の西鶴没年前後と推定されたが、これはもう少し引き下げて考えるべきものであると思われる。例えばこの「西鶴織留」は、元禄七年三月刊の初刻本を指すものではなく、いわゆる享保版のそれである。同書の巻六後表紙見返しには、「廣大節用集 享保十五年新板」と年次の明記されている一書の名を含む「板本 心斎橋筋 吉文字屋市兵衛」の出版書目が貼付されている。またこの「可笑記」に附せられた蔵板目録の第一番にあげられている「古今百物語」は、「拾遺御伽婢子」(宝永元年正月刊)の改題本たる、宝暦元年正月 大坂 吉文字屋市兵衛・同源十郎・江戸 同次良兵衛刊のそれをさすものであろう。そこでこの「可笑記」を、仮に宝暦初年頃の求板本とすれば、万治二年より約九十数年後のものとなり、またその同じ吉文字屋が「可笑記」の小説化とも言われている「浮世物語」を宝暦七年に「続可笑記」と改題した意図の、奈辺に存するかも、かなり明白になってくると思われる。
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●関場氏の論文は、私の研究余滴の誤りを指摘して下さったもので、現在も、感謝している。当時、勉誠社の『近世文学資料類従』では、編集会議などで同席したり、諸本調査の折に、偶然会って、お茶を飲んだりして、いろいろ教えて頂いた。その後、関場氏は、国語学や古辞書の研究に進まれたように思う。
●今日は、リポジトリなどという、新しい媒体のお陰で、懐かしい論文にであった。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。