2018.11.19 Monday
『近世初期文芸』第35号 責了
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近世初期文芸 第35号 2018年12月発行予定
目 次
〇『露殿物語』中巻の方法 小原 亨
――隠晦する主人公像――
〇国会本『絵本北条五代記』の挿絵 位田絵美
――本文と挿絵から見える成立過程――
〇『竹斎』再論(その四) 田中 宏
〇如儡子の祖父、斎藤家初代光盛の出自 深沢秋男
〇新出写本『可笑記』紹介 深沢秋男
〇仮名草子の書誌的研究 深沢秋男
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●昭和44年(1969)に創刊した『近世初期文芸』の、第35号が、間もなく責了になる。この号も、諸氏の力作論文を掲載することが出来た。感謝申し上げる。私は、『可笑記』の作者の祖父、斎藤光盛の本貫に関する私見を提出することができた。
●『可笑記』の作者は、出羽の酒田で生まれた。祖父・斎藤光盛は、越後の武士であったが、出羽に移り、藤島城の城代をつとめたという。光盛の本貫は、出羽のどこであろうか。これを明らかにしなければ、父・広盛が事ある毎に、酒田から越後へ帰った場所も、如儡子・斎藤親盛が、最上家改易の時に、まず越後を目指すが、その行き先も判然としない。
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「・・・以上のように、如儡子は、湯村式部とも、斎藤以伝とも、さては浅井了意とさえ言われており、これらのいずれが有力であるかということすら断じ得ない、というのが現状である。これに関して、私は『可笑記』絵入本挿絵中の〔むかしさる人〕の背中の紋所「丸に吉」がかなり一貫して用いられていることに気付き、この点からも調べてみたいと考えている。」
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これは、昭和37年(1962)1月、法政大学へ提出した、私の卒業論文の作者の項の一部である。
●『可笑記』絵入本の挿絵の中に出てくる「昔さる人」の紋所は「丸に吉」でほぼ一貫している。如儡子、斎藤親盛は、元和8年(1622)、最上家57万石が、大森藩1万石に転封になった時、酒田を去り、越後を目指すが、その行き先は、現在の阿賀町、赤岩地区の斎藤家総本家ではなかったか。この時、斎藤家総本家の当主は、第59代の、斎藤安近・西山吉兵衛だったのではないか。
●今回、ここまで、追究することができたが、それは、斎藤家総本家の『斎藤家系図』を閲覧・調査することが出来たからである。墨付き、6m40㎝という、重要文化財クラスの系図に出会えたのは、僥倖としか言いようがない。
卒論提出から55年が経過している。