川嶋至先生追悼

川嶋 至 先生
2019.03.09 Saturday

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川嶋至 かわしま-いたる

1935-2001 昭和後期-平成時代の文芸評論家。
昭和10年2月15日生まれ。37年「位置」を創刊し,川端康成論で注目される。44年「川端康成の世界」を発表。研究領域を安岡章太郎,吉行淳之介ら戦後作家にひろげ,「美神の反逆」「文学の虚実」などを刊行。東京工業大教授をへて昭和女子大教授。平成13年7月2日死去。66歳。北海道出身。北大卒。筆名は細川皓(こう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
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●川嶋先生も私も糖尿病だった。先生も1935年うまれ、私も同じ、昭和10年生まれ。
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  文章千古事  追悼 川嶋 至 先生

 平成十三年七月二日、日本文学科長の川嶋至教授が急逝された。享年六十六歳であった。「日本文学紀要」の編集委員としても、六年間に亙って御指導を賜った。
 川嶋先生は、北海道の札幌にお生まれになり、北海道大学で日本文学を専攻された。昭和三十七年、大炊絶氏・亀井秀雄氏らと『位置』を創刊、「川端康成-大正期に於ける批評活動」「川端康成の創作意識―観戦記から「名人」へ」等を執筆された。昭和四十二年九月『群像』に「川端康成論―『伊豆の踊子』を手がかりに―」を細川皓の筆名で発表、これが伊藤整氏から高い評価を受けた。さらに昭和四十四年十月には『川端康成の世界』を講談社から出版され、研究・評論の両面から川端文学を鋭く探究された。その後、『美神の反逆』(昭和47年10月 北洋社)、『文学の虚実-事実は復讐する』(昭和62年5月 論創社)等の著書を次々と刊行され、活発な研究活動を展開された。『学苑』にも「川端康成日記の改変」(平成7年9月 668号)など、多くの川端康成論を執筆して下さった。先生の川端文学の御研究が、さらに大きく実を結ぶのを期待していただけに、誠に残念である。
 川嶋先生は、学内にあって、常に穏和で誰にもやさしく接して下さった。しかも、学生指導などは、熱心で誠実あふれるものであった。
 しかし、先生の残された御研究の内実は、「学風は骨が太かった。かなり硬い骨だった。私小説ないし実名小説に対する精到な批評は、鋭い牙も磨いていて、臆するところなかった。」という秦恒平氏の追悼の言葉(「私語の刻 闇に言い置く」平成13年7月3日 同氏のホームページ)が的確に示しているごとく、決してひ弱で脆弱なものではなかった。「文章千古事 得失寸心知」という杜甫の詩の一節を捧げて、感謝と追悼のことばにしたい。(F=深沢秋男)

(平成14年1月、昭和女子大学『学苑』〔日本文学紀要〕)
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投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。