研究の軌跡に感謝

研究の軌跡に感謝
2019.03.30 Saturday

●このところ、『近世初期文芸』の整理をしている。この雑誌は、昭和44年(1969)に創刊した。法政大学で、貞門俳諧を講じておられた、島本昌一先生と私で検討し、先ず、〔連歌俳諧研究会〕を改名して、〔近世初期文芸研究会〕を設立した。メンバーは、島本先生を中心にして、先生のゼミの参加者、15名ほどと私であった。島本先生が初期俳諧、私が仮名草子、という柱でスタートした。
●この研究会の創設の1年後に、『近世初期文芸』を創刊した。第1号から、第35号まで、50年間を要した。今日、改めて調べてみたら、データは、次の通りである。

全35号の、総頁数=4462頁。論文数=188点。新刊紹介など=97点。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

あ と が き

室町末期から江戸初期にかけての時代の変化は、まことに興味深いものがある。
そして、この時代の文芸もまた、日本文学史の研究を志す者にとっては、多くの示唆をあたえるものである。
しかし、その研究が十分進んでいるとは思われない。
一つの理由は、資料の分散と未整理である。さらに重要な事は、この期の作品が、既成の研究方法ではとらえる事のできない多様性をもっているということである。そして、持続的な研究者もまたすくない。孤立した研究は、この時代の文芸を十分に解明し得ないと思われる。
この研究会は、近世初期に関心をもたれる人々の援助をも得て、資料の調査・整理、およびそれを使っての研究を継続的に進めてゆきたいと思っている。
         一九六九・十  近世初期文芸研究会
。。。。。。。。。。。。。。

●この「あとがき」は、御茶ノ水駅前の喫茶店で、島本先生と私で書いた。第1号を発行して、諸方面へ寄贈したが、反応は様々であった。特にショックだったのは、ある大家から、「近世初期」とは、小さすぎる、とお叱りを受けたことである。私は、その方を無視して、以後、一切寄贈しなかった。50年経った今、どうだろうか。188点の論文は、近世初期の文芸の何かを解明したのであろうか。やがて、歴史が明らかにするだろう。
●研究者は、1年かけて、一つの論文を書き上げる。私の経験では、10年続けて、やっと、先が見えてくる、そのように思う。この雑誌に掲載された、188点の論文は、そう軽くはないと思う。研究者、一人一人が、調査を重ね、考察した、その結果のものである。
●この『近世初期文芸』は、国会図書館をはじめ、30余の主要大学図書館に所蔵して頂いている。ここに掲載された論文は、永遠に後世へ伝えられ、後世の研究者によって、批判され、修正されて、活用されるだろう。
多くの方々の御援助、御協力によって、50年間の研究が継続できた。改めて、心からの感謝を捧げたい。

平成31年(2019)3月30日
深沢秋男
。。。。。。。。。。。。。。

●『雑誌かたろぐ』には、次の如く出ている。
。。。。。。。。。。。。。。

■近世初期文芸 キンセイショキブンゲイ
  
 掲載分野 0580 文学・文芸総合

◎1969.12.00創刊、◎年刊、◎雑誌、◎日本語、◎B5、◎平均90頁、◎最大246頁、◎非売品、◎会員配布、◎実売日12月20日、◎発売元 359-1104 埼玉県所沢市榎町3-20 近世初期文芸研究会 04-2924-7293、◎発行500部、編集責任者・深沢秋男、◎読者構成=大学図書館・近世文学研究者、◎内容=近世初期文芸研究会の学術研究誌。近世初期(元和・寛永~元禄)の仮名草子・俳諧・和歌などの文芸作品の翻刻および研究論文を収載、◎広告無し、◎HP=「近世初期文芸研究会」http://www.ksskbg.com/
。。。。。。。。。。。。。。。。。

■『近世初期文芸』第1号、第35号
(写真)

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。