「みはるかす」

法政大学校歌

2019.06.03 Monda


●菊池先生のエッセイに「みはるかす」という言葉が取り上げてられている。

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みはるかす
2019/06/03_Mon_16:56

ネットの記事に
晴海から見晴るかす東京都心の眺めは絶景だろうが、
とあった。
https://biz-journal.jp/2019/06/post_28169_3.html
「ハルミ」「ミハル」と洒落ている。筆者は牧野知弘。不動産事業プロデューサー。
この人は「見霽かす」という古い言葉をどうして知っているのか。学識があるから、といえばそれまでだが、私の小学校の校歌が「みはるかす」で始まるものだ。ひょっとして同じ小学校の卒業か、とも思うが、大学以前の学歴はネットではわからない。
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●実は、私の出た法政大学の校歌にも、「みはるかす」がある。

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法政大学校歌

楽譜(左下)、直筆歌詞(右上)、作曲:近衛秀麿(右下)、作詞:佐藤春夫(左上)

1929(昭和4)年、学生の間に校歌作成委員会が結成され、同時に経費の募金運動が始まりました。「学生委員が、帽子を持って学生の間を回ると、すぐ帽子が銀貨でいっぱいになった」といわれています。無論、当時校歌が無かったわけではなく、現在行進曲として歌われている「名大いなれ法政」が校歌だったのです。しかし、「我等が法政の意気を示すべく」新しい時代にふさわしい校歌が待望されたのでしょう。
学生の応募作品73編については意見の一致が得られず、結局佐藤春夫教授に作詞を依頼することになりました。作曲については近衛秀麿氏の快諾を得ました。作詞者、作曲者の間の激しい論争を経て、ようやく新しい校歌ができあがりました。近衛氏は1930年(昭和5)秋、洋行の途につき、楽譜は遠くベルリンから届けられて、わが校歌の誕生をみたわけです。
佐藤春夫は、抒情的な作風で知られる詩人で、小説や随筆などにも多才さを発揮した大正・昭和初期を代表する作家の一人。近衛秀麿は、後に首相を務める近衛文麿の弟で、指揮者・作曲家として草創期の日本のオーケストラ運動をになった人物です。

若きわれらが命のかぎり
ここに捧げて(ああ)愛する母校
見はるかす窓(の)富士が峯の雪
蛍集めむ門の外濠
よき師よき友つどひ結べり
法政 おお わが母校
法政 おお わが母校

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投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。