第48回 信玄公祭り

第48回 信玄公祭り

2019.06.05 Wednesday

第48回 信玄公祭
2016年4月6日
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風の2番隊
飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)

赤備えの軍団を編成して伊那、佐久攻略で活躍、”赤い稲妻”の異名をとどろかせた猛将。
参加団体 身延町
陣屋 甲府駅北口よっちゃばれ広場
身延町は「生まれてよかった 育ってよかった 住んでよかった身延町」を目指し「日本一のしだれ桜の里づくり」、「あけぼの大豆6次産業化」「子育て世代への支援や学校教育の充実」等様々な施策を推進しています。本日は町を代表して赤池団長を大将に身延町消防団精鋭40名が出陣しています。身延町に縁がある飯富氏として出陣できることを誇りに思い威勢よく勝鬨を上げていきます。

●身延町消防団員総勢、40名参加。第48回信玄公祭りに参加。風の2番隊、本隊は赤備えの軍団として名高い、飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶのしょうゆうとらまさ)隊として、甲府駅北口〔よっちゃばれ広場〕にて勢ぞろいして、甲府市内に繰り出した。
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飯富氏は甲斐源氏の一族で、源義家の四男・源義忠の子・飯富忠宗の末裔と言われる。別説に古代の多氏の末裔説がある。戦国時代の甲斐国では武田信虎家臣に飯富道悦がおり、『勝山記』によれば永正12年(1515年)10月17日に道閲は西郡の国人・大井信達との戦いにおいて子息とみられる「源四郎」と共に戦死している。この飯富源四郎が虎昌・山県昌景兄弟の父親にあたると考えられている。
永正元年(1504年)に生まれたとされているが、生年には諸説があって定かではない。 出身地は飯富村(現在の山梨県身延町飯富)と伝わっている。
【ウィキペディア より抜粋】
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『広報 みのぶ』6月号 より


投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。