遺書と墓石

遺書と墓石

  • 2019.07.11 Thursday
  • 09:19
遺書と墓石

●菊池先生のエッセイで、辞世を取り上げている。世を去るに当たって、後世へ遺す言葉、詩歌。
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辞世
2019/07/10_Wed_12:54
昔の人は死にあたって詩歌を作った。辞世の作を集めたものはないかと見ると、
『近世慷慨辞世集』(明治十九年)
『古今辞世集』(大正四年)
などがあった。俳句に限定して「辞世の句」を集めた本も多い。近年、遺言状を書き残す人は増えたようだが、辞世の詩歌を残す有名人の話は聞かない。
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●私は、かつて、遺言に関して記したことがある。
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2013-08-23
遺書と墓石

●人間も、老齢になると、〇〇霊園とか、〇〇寺院とかから、電話がかかってきて、お墓はいかが? と問いかけられる。私のように、本を頼りに生きてきた者には、蔵書の処理が大変である。著書も死後50年は著作権があるので、このあたりは整理しておかないと、遺された家族が迷惑をする。私は、自著も70冊(実際は66冊)ほどあるので、その処置も含めて、既に処理方法を作成して引出に入れてある(実は、その文書を紛失してしまった)。

●私の墓石は、「深澤秋男之墓」というものは建てない事にしている。しいて言えば、平成23年10月、酒田の上日枝神社の境内に建立した「齋藤筑後守記念碑」を密かに、自分の墓石がわりに考えている。私が建てたものではないが、文章は私が書いたので、そのように、仮に(心の中で)考えても許されるかナ、と思っている。如儡子・斎藤親盛の影に、ひっそりと、添えてもらえれば、それで十分である。しかも、浄書者は、昭和女子大学の承春先 先生である。最高の〔墓石?〕である。(自分では、そのように考えているが、これは、妻や息子の考えもあるので、独断では決められない。)

●平成25年4月、『芸文稿』第6号に「重友毅先生と私」という一文を掲載した。これを、私は遺書と思っている。これ以上、後世に遺す言葉はない。これが、全てを尽くしている。

●もう、遺書も書いたし、墓石らしいものも、建立したし、あとは、死後の遺骨を海に撒くなり、森の下に埋めるなり、してもらえばよい。もちろん法名など不要である。鈴木翠園も「鈴木重嶺之墓」として法名は不受だった。
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●「重友毅先生と私」(『芸文稿』 第6号、平成25年4月)

目次

一、はじめに
二、工学部か文学部か
三、『雨月物語』の成績
四、卒業論文の御指導
五、卒業論文提出・面接試問
六、私の『源氏物語』――「夕顔」と「吉備津の釜」――
七、大学院進学の断念
八、日本文学研究会と『文学研究』
九、『可笑記評判』
十、「桜山文庫」・『春雨物語』
十一、『重友毅著作集』
十二、『日本文学の研究――重友毅博士頌寿記念論集――』
十三、御入院中の頃
十四、御葬儀の頃
十五、遺著『志賀直哉研究』
十六、おわりに  重友先生追悼
附録 はてなキーワード「深沢秋男」

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一、はじめに

昭和女子大学を定年退職して七年目、私の人生も終末にさしかかった。ここで、大学入学以降の歩みを振り返ると、いかに多くの方々の御世話になり、御指導を賜ったことか。昨年は、本誌第五号に横山重先生の思い出を記して、感謝の心を捧げた。今回は、私の研究生活で最も大きな学恩を賜った、重友毅先生との出会いや、御指導の大略、私の大学時代の事などを併せて記しておきたい。このような事は、遅すぎるよりも早すぎる方がよいと思うからである。
【以下略】

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●全文を紹介しようと思ったが、40頁と長文であるので、再録する訳にもゆかない。とにかく、これが私の遺言である。

■「齋藤筑後守記念碑」

■『芸文稿』第6号

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。