『井関隆子日記』の現代語訳

『井関隆子日記』の現代語訳

  • 2019.08.16 Friday
『井関隆子日記』の現代語訳

●2019年8月15日の『山梨日日新聞』に記事は出た。郷里、身延町の作家、池田茂光氏が、『井関隆子日記』の現代語訳に取り組んでおられる、という内容。

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■幕末の社会批評 現代訳に
■旗本の妻日記 5年がかりで
■本紙に小説連載・池田さん

山梨日日新聞で小説「サンセット」を連載している身延町常葉の池田茂光さん(71)は、江戸時代に旗本井関家へ嫁いだ妻隆子の目線から世相をつづった『井関隆子日記』の現代語訳に取り組んでいる。池田さんは「高い洞察力で幕末の社会を批評した貴重な資料。分かりやすく伝えたい」と意気込んでいる。(小林諒一)

池田さんによると、井関家は江戸城近くの九段坂下に屋敷を構えた旗本。日記は幕末の1940(天保11)年から44(同15)年にかけて、徳川家斉、家慶、家定3代治世による武家社会や公家、市井の出来事を記している。特に家斉が亡くなった際の江戸城内や家臣の様子、庶民の反応を詳細に記録している。

同町出身で昭和女子大学名誉教授の深沢秋男さんが鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の書庫から発見し活字化されて1978年に出版された。身延町の広報誌で池田さんが執筆していた町内の歴史や史跡を紹介する連載が深沢さんの目にとまり、現代語訳を依頼された。

日記で隆子は、天保の大飢饉や天保の改革について幕府を批判。一方、大塩平八郎の乱については「乱を起こし、大路の町へ火を放ちけるに、家ども多く焼けほろび、人もそこねたりなど聞えたりき(中略)大盗人なりければ」(原文ママ)と、犯罪行為として表現するなど、史実と一部異なる部分もある。

池田さんは「幕府が都合の良い情報を旗本に伝えたことがうかがえる」と解説する。

歌人でもあった隆子は、日記に約800首の和歌を記している。源氏物語や枕草子、萬葉集などを引用していて、池田さんは「読書家で文化人としての識見も高かった」と分析する。
現在は全体の数%の現代語訳にとどまっていて、注釈を入れると作業は5年ほどかかる見込み。
池田さんは「日記文学だけでなく、歴史資料としても高い価値がある。存在を多くの人に知ってほしい」と話している。
【山梨日日新聞 2019年8月15日】
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●8月15日のFBで、池田茂光氏は、次のようにコメントされている。
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今朝(8月15日)の山梨日日新聞です。私が作業中の幕末旗本婦人「井関隆子日記」について紹介されました。
これは昭和女子大学名誉教授・深沢秋男先生の8年に及ぶご研究の結果世に出されたものです。
私は先生のご了解のもと、現代語意訳に取り組んでいます。これについては、記事にある通り、歴史資料としてもちろん価値あるものですが、私としては、故ドナルドキーン氏が朝日新聞で激賞したように、日記文学としての価値をより強く訴えていきたいと考えています。

完成までには数年を要すと思っています。また、原稿枚数も4、000枚程度になると考えています。
71歳の私としては、生涯の大仕事だと心得ています。

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●私が、この名も無い女性の日記に出会ったのは、昭和47年(1972)のことである。47年前になる。勉誠社から、全3冊として出版したのは、昭和56年(1981)、38年前になる。

●この『井関隆子日記』の現代語訳に関しては、某新聞社から依頼されたこともあったが、私には、別の研究主題も残っていて、この日記だけに取り組んでいることが出来なかった。

●この日記の内容は、現代の人々に伝えたいものが沢山ある。そんな思いでいた折に、郷里、身延町の作家、池田茂光氏にめぐりあった。是非にとお願いしたら、検討の結果、引き受けて下さることになった。井関隆子と共に喜びたい。

●『井関隆子日記』の本文原稿は、3000枚だった。この清書は、全て妻が引き受けてくれた。今度の池田氏の現代語訳の原稿は、4000枚になるという。注釈も付けるので、これは、大事業である。

●改めて、妻に感謝し、新たに、池田茂光氏に感謝申し上げる。
2019年8月16日


投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。