大学を去って14年

大学を去って14年

  • 2019.10.08 Tuesday
大学を去って14年

●平成17年(2005年)3月2日(水)
「さようなら・・・昭和女子大学」  として、次のように書いた。

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●本年度で、昭和女子大学ともお別れである。22年間お世話になった。学長の人見楠郎先生、副学長の原田親貞先生、同じく松本昭先生、同じく岡村浩先生、そのほか、多くの方々の御指導を頂いた。未熟者の私が、曲りなりにも定年まで勤務できたのも、皆様の御厚情によるものである。心からの感謝と御礼を申し上げます。

●このサイト「深沢秋男研究室」も間も無く閉鎖する。ただし、これらのデータは、菊池眞一先生の御配慮で、私のHP「近世初期文芸研究会」にコピーされる。今後は、そこで更新を継続してゆきたい。御興味のある方は、アクセスしてみて下さい。

◎「近世初期文芸研究会」→http://www.ksskbg.com/
◎「近世文学研究所」→http://www.gwaikotsu.com/
◎「日本文学電子図書館」→http://www.j-texts.com/

●2年間が経過した。毎週、火曜日に日本文学科で、仮名草子と近世出版文化・版本書誌学を講じてきた。その任務もこの3月で終り、非常勤講師も辞める。24年間、昭和女子大学にお世話になった。この間、私の講義を受けた学生は、少しは得るものがあったのだろうか。はなはだ、覚束ない。しかし、私は、昭和女子大学によって身分を保証され、研究を進める事ができた。このことに、心から感謝している。

●「深沢秋男研究室」も予定通り「近世初期文芸研究会」に移行し、それなりに追加更新をしてきた。これには、菊池眞一先生の御配慮があった。合せて感謝する。ただ、その後、「近世文学研究所」は閉鎖され、データは「近世初期文芸」に移動した。

●私が「近世初期文芸研究会」のHPを開設したのは平成10年(1998)であるから、21年前である。この時、昭和女子大に自分のHPを作りたい、と申し出たが、そのようなシステムは無い、と断られた。システムが完備して、「深沢秋男研究室」を開設できたのは、5年後の平成15年であった。今、振り返ると懐かしい。

●昭和女子大学は、この3月で完全に辞するが、この研究室は、今後も継続追加更新してゆく予定である。

●研究生活を振り返ると、実に感慨深い。ネット社会への対応も懐かしい。私は、この文明の利器を、今後も、フル活用してゆきたいと念じている。

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●私がネット情報を吸収し始めたのは、国文学研究資料館が情報発信を開始した時である。最初は、昭和女子大学国文学科として登録した。やがて、自宅から個人で登録した。息子のパソコンを払い下げて貰って、電話回線で接続した。それでも、これらの情報には、大変助けられた。

●2015年10月、転居。榎町 → 花園。 妻の美容室・エクセル所沢店閉店。
この時、蔵書も整理して、神田の一誠堂書店に引き取って頂いた。まだ、研究が残っていたので、必要な書籍・資料は残した。

●この時、インターネットも終了した。しかし、現在、ネット無しには研究できない。そこで、菊池先生と息子に助けてもらって、ネットを再開した。

●〔近世初期文芸研究会〕は、菊池先生の〔J-TEXTS〕の中に入れて頂いた。この時、新たに〔深沢秋男の窓〕を創設、ブログは、年齢にふさわしく〔老人雑録〕とし、FBは〔深沢秋男〕として再開した。

●2017年5月、妻の美容室・エクセル豊田店を閉店。以後、妻と2人で、毎日、散歩をして老後を過ごしてきたが、妻第一、家庭第一、研究は、2の次、3の次の生活である。

●今年の4月、結婚50年になった。媒酌人は、法政大学名誉教授・林田不二生先生。振り返ると、実に多くの方々の御配慮で、ここまで来た。妻には、本当に世話になった。常に、私の研究が進むように、配慮してくれた。感謝、感謝、の50年間だったと思う。
【2019年10月8日】

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。