斎藤親盛の俳諧

斎藤親盛の俳諧

  • 2019.10.13 Sunday
斎藤親盛の俳諧

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今日の一句一首(小林勇一)

時事問題から思想哲学宗教問題、郷土史,文学、(俳句、短歌、詩)多様な問題を追求
(2005年11月29日開始)

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2009年05月10日

江戸時代の俳句(二本松の寛文時代の俳句)

三春迄着るや岩城のちゝみ布  斎藤親盛

 「三春まて」「岩城宇尓、縮布」(『毛吹草』)。岩城名産のちぢみ布は、三春の人々まで着ていることだ。如儡子は『梅花軒随筆』の著者・三休子ゆかりの地・三春に出かけた事があったのであろう
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/bungei/18/haikaige.html
寛文12年(1672)だからこの句は古い、芭蕉が出るのは元禄である。元禄1(1688)だから20年後になる、でもその前に俳句らしきものが二本松とか地方でも作られていた。

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斎藤親盛の発句一覧  深沢秋男

1 花の兄やこれも接木のたいかはり  
2 田舎にて花の都や和哥の友     
3 万代をかけて祝ふやおめて鯛    (夜の錦)
4 花の兄や是も接木のたいかはり   (佐夜中山集)
5 あけぬるや雲のいつこにいかのほり (夜の錦)
6 田舎にて花の都や和歌の友     (佐夜中山集)
7 夏引の手挽にするは麦粉かな    (夜の錦)
8 虚空より鉄花をふらす花火哉    (夜の錦)
9 塩くみやふりさけ見れは桶の月   (夜の錦)
10 金柑やけに色にそみ皮にめて    (夜の錦)
11 風ふけはをきつしらかに綿帽子   (夜の錦)
12 出立は足もとよりそ鷹の鳥     (時勢粧百韻発句)
13 たかや又生るを放つぬくめ鳥    (時勢粧)
14 お流れや二つ瓶子に三つの春    
15 松の戸やたえ/\ならぬ春の礼   
16 いはふとて朝に杖つく卯の日哉   
17 はま弓やひかりさしそふいはひ月  
18 笠鉾やかけ奉るひたち帯      
19 札押やみな身の祈祷二月堂     
20 をく露や声にちほ/\いもかへる  
21 栢の木に巣こもりやする碁石鳥   
22 秋もあれと松の海辺菊池の里    
23 うとの朱うはふ防風や膾のこ    
24 武さし野は本むらさきの菫かな   
25 けかれぬや蒜慈悲の高野山     
26 わらはへもあしたをまつやとり合せ 
27 あかなくにまたき生湯や如来肌   
28 いちこもやまいたるつるはいはら垣 
29 月の夜はうをのたなゝし鵜舟哉   
30 宇治丸のなれ押そおもふ桶のすし  
31 山復山みねより出てや雲の岑    
32 扇あれはいつも夏かと御影堂    
33 三春迄着るや岩城のちゝみ布    
34 一瓢も千金なれや水あそひ     
35 鼠火は尻に立ゝ大路かな      
36 口紅粉のあけをうはふやめはうつき 
37 是は畑のつくりもの也碁いしまめ  
38 祭見やいそしの栄花あはた口    
39 鴫は鴨の羽ねかきまかふ文字哉   
40 手折てやまた見ぬ人にこい紅葉   
41 炭櫃もや一家ひらけて四方の冬   
42 かけはこそ菩提樹となれ木葉経   
43 菅笠や憂世の民のしもおほひ    
44 二季まてみきとこたへん帰花    
45 出雲にや雪垣つくる軒の妻     
47 降雪やこしのしら山馬のくら    
47 つく餅や手水のこりて薄氷     
48 追鳥やせこにもれたる草かくれ   
49 渋柿もしゆくしにけりな色紙子   
50 ひゝきらす神や手なつちあしなつち 
51 笛太鼓おもしろひそよ小夜かくら  
52 今日斗あすはかすみの節季0    
53 海やあるまくらのしたにたから船  
54 はすを御池糸もかしこし花の色   
55 よきてけふ萩のあたりを鹿の笛   
56 霜八たび置てや鐘の七つ六つ    
57 老人や子に伏寅に置火燵      
58 鷹や又生るを放つぬくめ鳥     
59 猶おかし水無月祓虫払       
60 味はひもから紅の穂蓼哉      
61 はや乙矢順のこふしや弓始     
62 五月雨は船ながしたる酒屋哉    (参考)

  三,斎藤親盛と二本松の俳諧

 近世初期の二本松の俳諧について、田中正能氏が『二本松市史』第九巻で次の如く整理しておられる。

 「  二 奥州二本松の俳諧
  二本松丹羽家中の俳諧は、寛文期より元禄期には奥羽地方においては全国的に有名であった内藤風虎、その子内藤露沾の岩城平藩の平地方と等しく多数の俳人をもち、双璧をなすと称せられていた。藩政約二四〇年間で最高の文芸の花を咲かせた時代であった。以後は再びこの時代を超越する時代が現われない程の盛況であり、藩政の実証でもあったのである。
  二本松の俳人として最初の人に、江口塵言=江口三郎右衛門正倫と、水野林元=水野九郎右衛門林元の名が現われる。寛文五年(一六六五)四月、松江重頼(維舟)が岩城平藩主内藤風虎に招かれて京都を発し、近江路―木曽路―江戸着、さらに日光―宇都宮―白河―二本松に泊り、江口塵言・水野林元を尋ねたことが紀行中に見られ、当時第一級の俳人をして訪ねさせ得た程の俳人が当二本松藩に存在していたことが判る。重頼は松島一見後仙台・・・岩城平に永らく滞在して、冬になり平を出て江戸へ、東海道を経て師走上旬京都に帰っている。江口・水野の両氏の外に、二本松藩における俳人は、寛文十二年(一六七二)~延宝二年(一六七四)間に岩城平藩主内藤風虎・その子露沾の命により、松山玖也によって編纂された「桜川」に 見出せる。」

 とされ,収録俳人を掲げておられる。親盛の句が入っている撰集に採録された二本松の俳人を,その句数と共に整理すると次の如くである。

寛文四年,重頼撰『佐夜中山集』(二〇名)
 水野氏/林元 二四   寺田氏/寒松  二
     塵言 二〇   伴 氏/人似  二
 日野氏/好元 一四       古硯  二
 長岡氏/道高 一三   不破氏/一与  二
 小沢氏/衆下 一一   小原氏/幸益  二
 中井氏/正成 一〇   斎藤氏/親盛  二
 小河氏/可著  八       元知  一
 斎藤氏/友我  七   釈 氏/智蔵主 一
 奥田氏/方格  四   根村氏/吉元  一
 古市氏/正信  二   槙 氏/陳旧  一

寛文六年,風虎撰『夜の錦』(二九名)
 江口氏/塵言 二六   今村氏/林昌  二
 水野氏/林元 二四   佐藤氏/幸之  一
 日野氏/好元 二一       正秀  一
 長岡氏/道高 一九   白岩氏/人任  一
 斎藤氏/親盛 一一   安保氏/一実  一
 同 氏/友我  七   豊田氏/政氏  一
 小沢氏/衆下  六   釈 氏/知蔵司 一
 不破氏/一与  五   古市氏/正信  一
 中井氏/正成  五   小池氏/又笑  一
 奥田氏/方格  四       秀伝  一
 小川氏/可著  四   伴 氏/人似  一
 斎藤氏/如酔  三   土屋氏/有房  一
 須藤氏/之也  三   下河辺氏/00 一
 寺田氏/寒松  三   釈 氏/随言  一
     古硯  一

寛文十二年,風虎撰『桜川』(四五名)
 水野林元 二〇一   長岡道高   八   佐藤萍心  一
 日野好元 一八二   座頭城益   五   寺田守昌  一
 小沢衆下 一一八   佐野相興   五   松下是一  一
 江口塵言 一〇八   伴 人似   五   土屋有次  一
 内藤未及  八〇   安田未元   五   金田古硯  一
 中井正成  七〇   0山子    五   津田正吉  一
 斎藤如酔  六六   日野好久   四   山田相知  一
 須藤之也  五一   大崎口友   四   貝山友志  一
 下河辺□□ 四三   佐藤幸之   四   清水直治  一
 斎藤親盛  四〇   藤村守幸   三   豊田政氏  一
 小池又笑  三九   青戸未入   三   石橋0同  一
 奥田方格  二六   滝川寸志   三   三崎如雲  一
 釈 随言  二三   寺田万之助  三   今村林昌  一
 白岩人任  一六   安積治水子  三   横山笑甫  一
 斎藤友我  一〇   小松崎破衣  一   鈴木友言  一

寛文十二年,維舟撰『時勢粧』(二七名)
   塵言  四一   釈 随言  五   伴 人似 二
 日野氏好元 四〇   斎藤親盛  四   丹羽捨拾 一
 水野林元  三九   不破一与  四   佐野相興 一
 小沢衆下  一五   小池又笑  四   野沢似言 一
 斎藤如酔  一四   下河辺□□ 三   毛利以由 一
 中井正成  一一   白岩人任  三   今村林昌 一
 須藤之也   八   内藤未及  二   奥田方格 一
 長岡道高   七   土屋有房  二   河村惣広 一
 斎藤友我   五   日野好久  二   釈 永雲 一

延宝三年,重安撰『糸屑集』(三名)
   道高 三   林元 二   親盛 一

延宝四年,季吟撰『続連珠』(八名)
 小沢氏/衆下 七  正成 二  親盛 一  塵言 一
 日野氏/好元 五  秀伝 二  林元 一  如酔 一

 また,各集の国別の俳人の数を整理すると次の如くである(『夜の錦』は除いた)。

寛文四年,重頼撰『佐夜中山集』(二本松・二〇名)
 京之住       一三五   同(勢州)松坂之住   八
 摂津大坂之住     五九   備中之住        八
 金沢之住       四三   信州飯田之住      七
 備前岡山之住     二一   奥州岩城        七
 和州郡山之住     二〇   南都之住        五
 同(勢州)山田之住  二〇   近州大津之住      五
 二本松之住      二〇   美濃岐阜之住      五
 武州江戸       一九   加賀大正寺之住     五
 尾州名古屋之住    一八   長門萩之住       五
 肥後熊本之住     一八   同(和州)国箸尾之住  四
 因幡鳥取之住     一六   平野之住        四
 和泉境之住      一五   阿波之住        四
 羽州山形之住     一三   同(伊予)国松山之住  四
 下野宇都宮之住    一一   同(肥前)国平戸之住  四
 越前福井之住     一〇   同(和州)国田原本之住 三
 伊賀上野之住      九   河内波瀲之住      三
 会津之住        九   同(伊予)国小松之住  三
 兵庫之住        八   伏見之住        二
 勢州津之住       二   常陸水戸        一
 参河吉田之住      二   同(近州)柳川之住   一
 同(参河)御油之住   二   同(近州)河並之住   一
 相模鎌倉之住      二   同(下野)皆川之住   一
 同(相模)小田原之住  二   仙台之住        一
 伯耆之住        二   若狭之住        一
 淡路之住        二   越中高岡之住      一
 伊予今治之住      二   越後村上之住      一
 土佐之住        二   播磨明石之住      一
 豊後臼杵之住      二   同(播磨)完粟之住   一
 山崎之住        一   安芸広嶋之住      一
 同(和州)国長楽村之住 一   周防岩国之住      一
 同(和州)国今井之住  一   出雲之住        一
 同(和州)国宇多之住  一   同(伊予)国宇和嶋之住 一
 摂津柱本之住      一   豊前仲津之住      一
 同(摂津)国勝尾山   一

寛文十二年,風虎撰『桜川』(二本松・四五名)
 武蔵国江戸住  一三二    肥前国大村住    二
 山城国京住   一〇八    山城国山崎住    一
 摂津国大坂住   八五    大和国多武嶺住   一
 陸奥国岩城住   七二    大和国下市住    一
 陸奥国二本松住  四五    大和国新庄住    一
 伊勢国山田住   二八    河内国松原住    一
 下野国宇都宮住  二一    摂津国西宮住    一
 和泉国堺     二〇    摂津国榎並住    一
 尾張国名古屋住  一八    伊勢国津住     一
 近江国彦根住   一二    伊勢国桑名住    一
 参河国吉田住   一一    伊勢国一之瀬住   一
 参河国岡崎住   一〇    伊勢国鳥羽住    一
 加賀国金沢住   一〇    参河国藤川住    一
 陸奥国仙台住    八    参河国竹広住    一
 大和国郡山住    七    参河国牛久保住   一
 美濃国大垣住    七    遠江国中村住    一
 陸奥国会津住    七    甲斐国       一
 因幡国鳥取住    七    相模国鎌倉住    一
 摂津国尼ケ崎住   六    相模国小田原住   一
 伊賀国上野住    六    武蔵国岩村住    一
 尾張国熱田住    六    安房国歩行山住   一
 美濃国竹ケ鼻住   六    下総国横曽根住   一
 肥前国佐賀住    六    
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●小林氏は、〔近世初期文芸研究会〕の私の研究を引用しておられる。実は、斎藤親盛は、晩年、二本松で、俳諧を学び、晩年を楽しんでいたようである。それにしても、貞門俳諧の第一人者、松江重頼の指導を受けたのだから、ラッキーだったと言えよう。

●実は、二本松の初期俳諧は、東北では、岩城の俳諧と共に、非常に活発だったのである。そうでなければ、松江重頼が、10日間も泊まって、指導するはずがない。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。