仮名草子研究者 三浦邦夫氏

仮名草子研究者 三浦邦夫氏

  • 2019.10.14 Monda
仮名草子研究者・三浦邦夫氏

『仮名草子についての研究』平成18年(2006)10月10日発行
おうふう 発行、A5判、652頁

著者略歴
三浦邦夫(みうら・くにお)
昭和12年 秋田県に生まれる。
昭和35年 東北大学文学部国文学科卒業。
昭和37年 東北大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程
修了。
秋田県立秋田南高等学校を経て,
昭和41年 秋田工業高等専門学校講師。
昭和46年 秋田工業高等専門学校助教授。
昭和61年 秋田工業高等専門学校教授。(現在に至る)。
平成8年 東北大学より博士(文学)を取得。
論  文「『為人妙』の方法」(「文芸研究」140集,平成7・9)
「『秋寝覚』管見」(「近世初期文芸」第12号,平
成7・12)など。
現住所 〒011秋田市将軍野南

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弔電

三浦邦夫先生の御逝去を悼み、心からお悔やみ申し上げま
す。
三浦先生は『近世初期文芸』の有力な執筆者でした。先生
の御論文によって、雑誌を充実させる事が出来ました。先
生の御論文は、常に鋭い批評性を持ち、それを手堅い実証
性で支える、という特色を備えていました。
先生の御研究の一部は、昨年十月出版された『仮名草子に
ついての研究』にみごとに実を結びましたが、私達は、第
二、第三の御著書を期待していました。この若さで他界さ
れた事は残念でなりません。私達は、三浦先生の仮名草子
研究への念いを継承し、今後も研究を進めてゆく事を、先
生の御霊前に誓います。先生、ありがとうございました。
どうぞ、安らかにお休み下さい。

平成九年四月十一日
近世初期文芸研究会
深沢 秋男

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三浦邦夫氏追悼

三浦邦夫氏は、平成九年四月五日零時三十分に他界され
た。三浦氏の病気の事を知ったのは、前年の十二月二十七
日のことであった。奥様のお話によると、十一月十一日に
入院、心筋梗塞で十二月三日に手術を受けたが、その後の
経過は順調とのこと。奥様と私は、最近の医学の進歩に感
謝して、回復を願い、御退院の一日も早い事をと、語り合
った。しかし、本年二月二十七日、バイパス手術を受け、
手術は成功したが、心臓から血液を送り出す力が弱く、以
後、集中治療室での治療が続いた。この間、三浦氏は常に
明るく、意識は明晰で、折々、研究の事なども話しておら
れたとのことである。ベッドの上で、突然上半身を起こし
て、次の瞬間倒れて、そのまま息を引きとられたという。
氏はその時まで、御自分の生を信じておられたようである
とも、奥様から教えて頂いた。大著を世に送り出して、ホッ
卜はされたと思うが、さらに、次の研究に関して、あれこ
れと思いを馳せておられたのではないかと想像するにつけ
ても、この早すぎる御他界が残念でならない。
三浦邦夫氏の御冥福を心からお祈り申し上げます。

平成九年十一月十四日         深沢秋男

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●三浦邦夫先生と私は、同じ仮名草子研究の仲間として、非常に親しく交流させて頂き、長年月に亙って御指導を賜わった。先生とは、何回も何回も手紙のやり取りをし、電話で何回も何回も話し合っていた。しかし、実は、一度もお会いしたことがない。近世文学会で、今度、お会いしましょう、と、これも何回も打合せながら、すれ違いであった。

●いずれ、その内に、お会いできる、お互いにそう思っていた。それが、永久のわかれとなってしまった。私は、『井関隆子日記』の件で、東北大学の新田孝子先生とは、特別に交流させて頂いていた。新田先生のお話によると、三浦先生の御葬儀には、300人以上の方々が参列され、しめやかに執り行われたとのことであった。

●今、私は、三浦先生の御論文を、二読、三読させて頂き、学問の恩恵を賜わっている。


投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。