井関隆子  いせき たかこ

井関隆子 いせき たかこ

  • 2019.10.17 Thursday

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井関 隆子(いせき たかこ、1785年(天明5年)6月21日 – 1844年(天保15年)11月1日)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した女流歌人、日記作者、物語作者。

目次
• 1来歴
• 2著書
• 3書写本
• 4脚注
• 5参考文献

来歴

幕臣、大番組・庄田安僚の四女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826年)に夫が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送ったという[1]。

著書

• 『井関隆子日記』全12冊
著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日から同15年10月11日までの900日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある[1]。
• 『さくら雄が物かたり』 6巻1冊
著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される[2]。
• 『神代のいましめ』写本、墨付28葉
昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の二面性を描いている[1]。
• 『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉
播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる[3]。
• 『井関隆子長短歌』
『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されてい
• 『しのびね』写本、1冊、静嘉堂文庫蔵。擬古物語。井関隆子が、頭注、傍注を追加したもの。書写も井関隆子と推測される。
• 深沢秋男「井関隆子校注『しのびね』(静嘉堂文庫蔵)考」(『近世初期文芸』34号)。

書写本

1. 桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
2. 蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
3. 吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写[4]。

脚注

1. ^ a b c 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
2. ^ 新田孝子「井関隆子の文芸―館蔵『さくら雄が物かたり』の著者」(『図書館学研究報告』東北大学、13号、1980年12月)
3. ^ 吉海直人「新出資料『物かたり合』の翻刻と解題―井関隆子周辺の創作活動―」(『同志社女子大学 日本語日本文学』8号、1996年10月)
4. ^ 吉海直人「〈新出資料〉井関隆子自筆『雅文』の影印と解題と紹介」(『文学研究』91号、2003年4月)

参考文献

• 『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月 – 1981年6月。
• ドナルド・キーン「井関隆子日記 ①・②・③(百代の過客―日記にみる日本人―)」朝日新聞、1984年4月4日 – 6日
• 深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
• 深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月
• 真下英信『古代ギリシア史論拾遺』私家版、2008年2月
• 真下英信「『井関隆子日記』に見られる地震の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』26号、2009年3月
• 真下英信「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』29号、2012年3月
• 真下英信「音で読む『井関隆子日記』:天気の記述」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』30号、2013年3月
• 真下英信「音で読む『井関隆子日記』:鳥」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』31号、2014年3月
• 真下英信「音で読む『井関隆子日記』:物売り」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』32号、2015年3月
• 真下英信「『井関隆子日記』が綴られた頃の江戸の天候について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
• 真下英信「『井関隆子日記』天保15年4月29日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』33号、2016年3月
• 真下英信「『井関隆子日記』 月の初日と末日の記述について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
• 真下英信「『井関隆子日記』天保11年7月3日の日付について」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』34号、2017年3月
• 真下英信「井関隆子の防災意識に学ぶ」『慶應義塾女子高等学校研究紀要』35号、2018年3月
• 深沢秋男「『井関隆子日記』の日付訂正」『芸文稿』11号、2018年7月

典拠管理
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• CiNii: DA04267090
• GND: 1029300984
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• LCCN: n79051546
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カテゴリ:
• 日本の女性歌人
• 江戸時代の女性
• 江戸時代の歌人
• 江戸時代の文人
• 武蔵国の人物
• 1785年生

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井関隆子日記   【はてな キーワード】

読書

井関隆子日記 いせきたかこにっき

目次

• 井関隆子日記とは

1、著者 井関隆子

井関隆子(いせき・たかこ) 幕末の旗本の主婦。天明5年(1785)6月21日出生~天保15年(1844)11月1日没、60歳。
江戸・四谷表大番町で生れた。現在の新宿区大京町26の辺である。父は大番組・庄田安僚である。
隆子の実家の庄田家は、3千石の旗本、庄田安信を祖とする庄田家の分家である。庄田本家の第3代安勝は長男安利に2千6百石を与え、次男安議に4百石を分知して、これを分家とした。
安議を祖とする分家の庄田家は、延宝5年(1677)3月、四谷表大番町に6百60坪余の屋敷を拝領した。隆子はここで生れ、育った。
父は、分家4代の大番組・庄田安僚で、隆子には、3人の兄、3人の姉、1人の妹がいた。
父・安僚は、隆子が8歳の時に没したので、隆子は母親と長兄・安邦の下で成長した。
20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、間も無く離婚し、しばらく実家にいたが、30歳の頃、納戸組頭・井関親興の後妻として井関家へ嫁いだ。
嫁ぎ先の井関家は、江戸城に近い九段坂下の飯田町にあった。これは、井関家が代々、小納戸組や広敷用人など、将軍の側近くに仕える家柄であったためである。
井関家に嫁いでからも、暫くは旗本の主婦として多忙であったと思われるが、12年後に夫・親興が没し、家督を子の親経が継いだので、家庭の切り盛りも、親経の妻が引き継ぎ、隆子は悠々自適の生活を送ることになる。このような生涯を見わたすと、家庭環境の上でも時間的にも、比較的に自由に、文筆の道に打ち込む事ができたものと思われる。
隆子は、古学を教える塾に学んだり、冷泉流の老女に歌の指導を受けたり、また、国学者の林国雄を家に招いて講釈を聞いたりしたようであるが、いずれも満足できるものではなかったようである。結局は、賀茂真淵や本居宣長などの国学関係の本を読んで、独学で古典の知識を身につけ、教養を蓄えていったものと推測される。
隆子の著作には、『井関隆子日記』『さくら雄が物かたり』『神代のいましめ』『いなみ野』などがある。

2、『井関隆子日記』(いせきたかこにっき)

幕末・旗本主婦の日記。著者の自筆の原本が、昭和女子大学図書館・桜山文庫に所蔵されている(鹿島則幸氏旧蔵)。大本、12冊、合計966葉、毎半葉11行、1行約29字、挿絵18図、鹿島則文・鹿島敏夫の識語を付す。
内容は、天保11年(1840)1月1日から同15年10月11日までの日記。著者56歳から60歳までの5年間であるが、毎日記されている訳ではなく、全1753日間の内、898日について記されており、1日の分量も小は2行程度のものから、大は12葉(24ページ)に及ぶものもあり、必ずしも一定していない。各年の分量は、最初の11年が最も多く4冊、以後は各2冊と半分になっている。これは、12年以後、年中行事などの記述を省いたためと推測される。
『日記』に書かれている具体的な内容は、日付、その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、幼い頃や若い頃の思い出、人物・社会・政治・学問・文学等に対する批評、折々に詠じた和歌などが、著者の意のおもむくままに記されている。
特筆すべき点は、著者の子の井関親経(ちかつね)が、御広敷御用人を勤めていて、第11代将軍・徳川家斉の正室・広大院(松の殿)の係であったところから、当時の江戸城大奥の様子が詳細に伝えられていることである。

【テキスト】

『井関隆子日記』全3巻(深沢秋男校注、昭和53年(1978)11月30日~昭和56年6月5日、勉誠社発行)

【参考文献】

○深沢秋男著『井関隆子の研究』(平成16年(2004)11月1日、和泉書院発行)
○音で読む『井関隆子日記』:物売り
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第32号 2015年3月刊行
○補遺2“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第32号 2015年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:鳥
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第31号 2014年3月刊行
○音で読む『井関隆子日記』:天気の記述
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第30号 2013年3月刊行
○補遺“江戸は諸国の掃き溜め”との表現について
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第30号 2013年3月刊行
○『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第27号 2012年3月刊行
○『井関隆子日記』に見られる地震の記述 補遺
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第28号 2011年3月刊行
○井関隆子の自然を見る目
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第27号 2010年3月刊行
○『井関隆子日記』に見られる地震の記述
真下英信 「慶應義塾女子高等学校研究紀要」
第26号 2009年3月刊行

●『井関隆子日記』は、次の大学入試に出題された。

〔3〕 平成23年度、京都大学入試に『井関隆子日記』出題
〔2〕 平成20年度、明治大学入試に『井関隆子日記』出題
〔1〕 平成11年度、センター入試に『井関隆子日記』出題

★詳細は → http://www.ksskbg.com/takako/index.html
■→「井関隆子日記」http://www.ksskbg.com/takako/index.html

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●「井関隆子」の項目は、【ウィキペディア】も【はてなキーワード】も共に、私が立項し、執筆した。【ウィキ】は初めて項目を立てたので、要領がよくわからず、どこかの方に、修正してもらって、ようやく登録できた。

●私は、昭和47年(1972)、鹿島則文の桜山文庫の中の写本12冊の『日記』に出会った。47年前のことである。仮名草子研究を中断して、世に送り出した。もちろん、日記文学である、という自信があった。

●しかし、この『日記』が、日記文学として認められるまでには、かなりの時間を必要とした。現在、近世文学の中の日記文学として、ほぼ、認められた。見識のある多くの方々の御配慮によるものである。長生きをすれば、こんな御褒美も貰える。 〔真理がわれらを自由にする〕

2019年10月17日


投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。