鈴木重嶺 すずき しげね

鈴木重嶺 すすき しげね

  • 2019.10.19 Saturday
鈴木重嶺  【はてなキーワード】

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鈴木重嶺 すずきしげね
目次

鈴木重嶺(すずき しげね)

幕臣・歌人 文化11年(1814)6月24日出生~明治31年(1898)11月26日没、85歳。墓は東京都新宿区大久保1-16-15 曹洞宗海亀山全龍寺。
本姓、穂積。初め小幡氏。名、重嶺・有定。字、子高。通称、大之進。号、翠園・緑堂・知足斎。従五位鈴木重嶺、不受法名。

■幕臣時代

天保2年(1831)小普請入り、同4年広敷き伊賀者となる。同12年広敷取締係、徒目付となる。同14年勘定吟味役となる。安政年(1855)勘定組頭となる。元治元年(1864)勘定奉行・槍奉行となる。慶応元年(1865)佐渡奉行となる。明治元年(1868)御役御免となり、田安家家老となる。同8年相川県判事となる。同9年廃県により官を辞す。

■歌人時代

幕臣時代から和歌の道に励んでいたが、国学・歌を、橘千蔭系の村山素行・伊庭秀賢に学んだ。官職を辞してからは和歌の世界で活躍した。
明治9年(1876)家督を重明に譲る。同年『翠園兼当歌』成る。同12年『雅言解』全4巻成る。同17年『越路廼日記』・『志能夫具佐』成る。同24年『早稲田文学』3号に、現在の和歌の名家として掲げられる。同25年『翠園寿筵歌集』刊行。同28年鶯蛙吟社を結社、短歌雑誌『詞林』を創刊。この『詞林』は後年、佐佐木信綱の『心の華』(『心の花』)に合併した。
明治31年(1898)翠園・鈴木重嶺は85歳で没したが、この年、25歳の佐佐木信綱は短歌雑誌『心の華』を創刊した。新派歌人の代表が佐佐木信綱であるとすれば、鈴木重嶺は旧派歌人の代表の1人であった。

■著作など

鈴木重嶺には『翠園叢書』『翠園雑録』全60巻という膨大な筆録があるが、その他、伊香保前橋之記、詠史清渚集、オトと子との差別或人問、於よづれ言、絹川花見の記、皇風大意、 御諡号概略、島曲廼古豆美、旅路記恵の露、旅路廼日記、二十二番扇合判、農愉、二荒山歌合、夢路の日記など多くの著作があり、歌は、当時の雑誌や歌集に収録されている。鈴木重嶺の著作・所蔵本・関係資料なとを集めた「翠園文庫」が昭和女子大学図書館に所蔵されている。

■「鈴木重嶺顕彰会」と全龍寺・鈴木重嶺墓所の案内標示板

平成16年4月「鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説」(『文学研究』第92号)を発表したのが機縁となって「鈴木重嶺顕彰会」を創設した。法政大学名誉教授・村上直氏の御指導を頂き、また佐渡市相川の諸氏とも相談して進めたものである。現在の会員は少数であるが、今後は「翠園文庫」を所蔵する昭和女子大学の方々にも参加して頂き、継続的に鈴木重嶺の研究を続けてゆきたいと思っている。
また、平成16年6月には、鈴木重嶺の御子孫・松本栄子氏、全龍寺・高崎宗矩氏・高崎宗平氏、佐渡市教育委員会等、多くの方々の御理解と御協力によって、鈴木重嶺の墓所に案内標示板を設置することができた。標示板の内容は次の通りである。

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■最後の佐渡奉行・歌人鈴木重嶺・翠園の墓■

鈴木家の祖・重経は北条氏康に仕えていましたが、二代・重元は徳川家康に召し出され、武州豊島郡大久保村に四千坪の領地を拝領し、以後、代々徳川家に仕えました。重元は寛永13年(1636)10月8日に没し大久保の全龍寺に葬られ、鈴木家は代々全龍寺を菩提寺としています。
鈴木重嶺は、文化11年(1814)、幕臣、小幡有則の次男として江戸駿河台で生まれましたが、鈴木家10代・重親の養子となって11代を継ぎました。20歳で広敷伊賀者となり、以後、広敷取締掛、勘定吟味役、勘定奉行、鎗奉行を勤め、慶応元年(1865)佐渡奉行となりました。明治維新後、佐渡相川県知事等を歴任しましたが、明治9年(1867)官職を辞し、以後は和歌の道に励みました。
鈴木重嶺は若い頃から、和歌や国学を村山素行・伊庭秀賢に学び、佐渡奉行在任中も相川を中心とする佐渡の人々の和歌の指導にあたり、多くの門弟を育てました。東京に戻ってからは、鶯蛙吟社を組織し、短歌雑誌『詞林』を主宰しました。明治歌壇旧派の代表歌人として活躍し、当時としては若い歌人、佐佐木信綱とともに活動し、『詞林』は佐佐木信綱の『心の華』と合併しています。また、当時の歌会には、樋口一葉も同席して、鈴木重嶺の指導を受けています。
鈴木重嶺は勝海舟とも深い交流があり、『海舟日記』には、その様子が記されています。明治31年(1898)11月26日、85歳の生涯を閉じましたが、『葬儀記録』には、毛利元徳・近衛忠熈・正親町実徳・久我建通・蜂須賀茂韶・前田利嗣・勝安房等々、錚々たる人々をはじめ、萩野由之・黒川真頼・井上頼圀・中島歌子・佐佐木信綱等々、全国の歌人など1068名の氏名が記載されています。
参考 「鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説」深沢秋男(『文学研究』92号、平成16年4月)

平成16年6月26日
鈴木重嶺 顕彰会
佐渡市教育委員会

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■鈴木重嶺関係資料→http://www.ksskbg.com/suzuki/index.html

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●鈴木重嶺は、幕臣として活躍し、最後の佐渡奉行でもあり、【ウィキペディア】には、詳細に記載されている。私が、追加した部分は、余りないので省略した。

●私は、国語学者・松本誠先生との関係で、鈴木重嶺の関係資料を昭和女子大学図書館へ寄贈して頂いた。この様な経緯から、鈴木重嶺も研究すべきかと考えた。しかし、仮名草子の事もあって、自分での研究は、時間的に無理だと判断した。貴重な資料が保存されている、昭和女子大学の関係者に研究して欲しいと、検討したが、実現しなかった。

●しかし、これだけの資料が保存されていれば、50年後、100年後には、きっと誰かが、この資料を、閲覧・調査して、本格的な〔翠園・鈴木重嶺の研究〕をまとめてくれると思う。

全龍寺の墓所に設置された案内板


投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。