重友 毅

重友 毅

  • 2019.10.20 Sunday
重友 毅

重友 毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

重友毅(しげとも き、1899年12月25日 – 1978年8月11日[1])は、日本の国文学者。

山口県吉敷郡山口町(現萩)生まれ。第一高等学校を経て、1924年東京帝国大学文学部国文科卒。旅順工科大学予科教授、33年東京体育専門学校教授(-41年)、38年武蔵高等学校教授、49年武蔵大学教授、法政大学教授を兼任、52年「雨月物語の研究」で東大文学博士。56年武蔵大を辞任、58年法政大文学部長(-60年)、66年法政大を定年退任、名誉教授、67年広島女学院大学教授。近世文学を専門とした。著作集全5巻がある。

目次
• 1著書
• 2校訂など
• 3記念論集
• 4参考
• 5脚注

著書

• 『近世国文学考説』積文館、1933
• 『近松』日本評論社、日本古典読本 1939
• 『江戸の町人文学』日本放送出版協会、ラヂオ新書 1940
• 『秋成』日本評論社、続日本古典読本 1943
• 『近世文学の位相 古典による自覚と反省』日本評論社、1944
• 『雨月物語の研究』大八洲出版、1946
• 『近松の人間愛』生活社、日本叢書 1946
• 『日本文学論攷 古典と現代』昭森社、思潮文庫 1949
• 『日本近世文学史』岩波全書 1952
• 『雨月物語評釈』明治書院、1954
• 『日本近世文学 展望と考察』みすず書房、1954
• 『雨月物語』弘文堂 アテネ文庫 古典解説シリーズ 1956
• 『近世文学史の諸問題』明治書院、1963
• 『重友毅著作集 第2巻 芭蕉の研究』文理書院、1970
• 『重友毅著作集 第4巻 秋成の研究』文理書院、1971
• 『重友毅著作集 第5巻 近世文学論集』文理書院、1972
• 『重友毅著作集 第3巻 近松の研究』文理書院、1972
• 『重友毅著作集 第1巻 西鶴の研究 文理書院、1974
• 『志賀直哉研究』笠間書院、1979

校訂など

• 上田秋成『胆大小心録』岩波文庫 1938
• 上田秋成『春雨物がたり・くせものがたり』岩波文庫 1939
• 『近松の人々』編 紫乃故郷舎、1950
• 『上田秋成集』日本古典全書 朝日新聞社、1957
• 『近松浄瑠璃集 上』日本古典文学大系 岩波書店、1958
• 『濹東綺譚の世界』高橋俊夫共編著.笠間書院、1976

記念論集

• 『日本文学の研究 重友毅博士頌寿記念論文集』日本文学研究会編 文理書院、1974

参考

• 「重友毅博士年譜」『日本文学の研究 重友毅博士頌寿記念論文集』
• 「重友毅博士追悼号」『文学研究』50号、1979年12月

脚注

1. ^ 『人物物故大年表』
典拠管理
• WorldCat Identities
• ISNI: 0000 0000 8459 7924
• LCCN: n84106633
• NDL: 00070791
• SUDOC: 114548471
• VIAF: 108212610

カテゴリ
:
• 日本の文学研究者
• 日本文学研究者
• 武蔵大学の教員
• 法政大学の教員
• 広島女学院大学の教員
• 東京大学出身の人物
• 山口県出身の人物
• 1899年生
• 1978年没

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重友毅  しげとも き  【はてなキーワード】

目次

• 重友毅とは

近世文学研究者。

重友 毅  しげとも き

日本近世文学研究者 明治32年(1899)~昭和53年(1978)

〔閲歴〕

明治32年(1899)山口県に生れる。
大正13年(1924)東京帝国大学文学部国文科卒業。
同年         旅順工科大学予科教授。
昭和8年(1933) 東京体育専門学校教授。
昭和13年(1938)武蔵高等学校教授。
昭和24年(1949)武蔵大学教授、法政大学兼任教授。
昭和31年(1956)法政大学、同大学院教授。
昭和41年(1966)法政大学教授を定年退職。
昭和42年(1967)広島女学院大学日本文学科主任教授。
非常勤講師 二松学舎大学・東京女子大学・都立大 学大学院・駒沢大学

昭和27年(1952)「雨月物語の研究」により、東京大学から文学博士の学位を受ける。

昭和53年(1978)8月11日午後1時48分、脊椎転移癌のため死去。享年78歳。
告別式 8月20日午後2時から市原市の瑞安寺。
葬儀委員長 山岸徳平、友人代表 谷川徹三

朝日新聞 8月12日朝刊
「重友 毅(しげとも・き=元法政大学文学部長)
十一日午後一時四十八分、せき髄転移がんのた
め、千葉県市原市五井の南総病院で死去、七十
八歳。告別式は二十日午後二時から市原市椎津
(しいづ)の瑞安寺(ずいあんじ)で。喪主は、
長男尚(たかし)氏。自宅は市原市姉ヶ崎。
文学博士。上田秋成研究の第一人者。武蔵大、
法政大、広島女学院大の各教授を歴任。著書に
「日本近世文学史」「雨月物語の研究」「重友
毅著作集」がある。(写真入り)」

〔主要著書〕

昭和8年(1933)  『近世国文学考説』積文館。
昭和19年(1944) 『近世文学の位相』日本評論社。
昭和21年(1946) 『雨月物語の研究』大八洲出版。
昭和24年(1949) 『日本文学論攷』昭森社。
昭和25年(1950) 『日本近世文学史』岩波書店。
昭和29年(1954) 『日本近世文学―展望と考察―』みすず書房。
昭和38年(1963) 『近世文学史の諸問題』明治書院。
昭和45年(1970) 『芭蕉の研究』重友毅著作集第2巻、文理書院。
昭和46年(1971) 『秋成の研究』重友毅著作集第4巻、文理書院。
昭和47年(1972) 『近松の研究』重友毅著作集第3巻、文理書院。
昭和47年(1972) 『近世文学論集』重友毅著作集第5巻、文理書院。
昭和49年(1974) 『西鶴の研究』重友毅著作集第1巻、文理書院。

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●【ウィキペディア】 は何方かが立項、私が追加した。【はてなキーワード】は、私が立項、執筆した。

●研究会の新年会の席上で、重友先生は、『近世国文学考説』積文館、1933  を示され、

深沢君、これは、キミが生まれる前の本です。モンクは無いでしょう?

と申されて、笑われた。いつも、いつも、言いたい放題の私を、たしなめられた、のである。

●研究会の常任委員は、全員が大学院修了者であったが、私だけは学部卒で、参加を許された。そんな関係から、重友先生は、私をいつも、あたたかく、お導き下された。私は、心の底から、重友毅先生を尊敬し、敬愛して、研究を続けてきた。

●重友先生晩年の頃は、御他界の折、各新聞社へ連絡する内容を、手帳に書き込んで。常に持ち歩いていた。

●重友先生が、倒れられた時、高橋俊夫先生と私は、重友先生に呼ばれて、以後の処置に関して、御指示を頂いた。

●私は、重友先生によって、研究の指針を与えられ、初期の論文原稿は、全て先生の査読を頂いていた。「深沢君、もういいでしょう」というお言葉で、私は独り立ちしたのである。

●研究方法は、重友先生とは異なるが、作品に基づく実証性と、人間探究という本筋は、重友先生の方法に従っている。

先生のお嬢様は、昭和女子大学卒

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。