〔江戸連〕の思い出

〔江戸連〕の思い出

  • 2019.12.07 Saturday

江戸連の思い出

2011年8月20日(土)

葉月講 旗本夫人が見た江戸のたそがれ

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◆未知を知ることは楽しい。それが一級品の資料や日記に裏打ちされているものなら尚更のことだ。20日に開催した工戸連葉月講で、講師・深沢秋男氏(昭和女子大名誉教授)が語ってくれた「井関隆子日記」はまさにそう。講演会場
となった日本橋伊場仙7階ホールは「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」というタイトルに魅せられたのか、講演行事でば今年最高の入りの4フ人が参加した。その中で深沢氏が語った要旨は次の通り。

◆1、『井関隆子日記』は幕末に生きた、バツイチで酒好きで古典に精通した豊
かな教養を持った旗本夫人が残した、天保年間5年間の日記である。近世仮名草子を専門とする深沢先生にとっては、全くの専門外であり、不安を抱えたままの研究だったが、いつか隆子という人物に惹かれるようになしり、この魅力的な女性を世に知らしめたいと決意するようなったという。

◆2、隆子という女性は、井関家に嫁いだ後も、旗本の主婦として夫に慕われ、
子や孫からも尊敬され、蓄積した教養と天性の批評眼で、様々な対象に対して的
確な批評・感想・意見を書き残した。「目の前にしている様々な出来事を書き留
めていると・・・百年も経過すると・・・貴重な記録にもなる」という隆子の歴史認識の確かさには驚かされる。また、天下祭り・四季遊び・見世物・地震などの市井や自然など、あらゆることに旺盛な好奇心を示し、貴重な記録として残してくれた。

◆3、井関家は代々将軍や大奥に仕える仕事柄であったため、『徳川実紀』など
の公式見解とは異なった真実の情報(将軍の死亡日ほか)が『日記』に書かれて
いるのも興味深い。子や孫は尊敬する隆子に、折にふれて城内・大奥の情報を密
かに伝えていたのである。天保15年の江戸城本丸全焼の様子なども、現場に居合わせた者からの情報として臨場感あふれた記録になっている。

◆4、『日記』の文章・文字、そして絵を見ても隆子の教養の深さが半端でないことを物語っており、10年以上前からいくつかの大学入試で出題されるなど『日記』記』の評価が高まっている。

◆講演要旨はこんなところだ。講演の中で印象的だったのは、深沢氏が語った
「研究者に必要なことは、何かを発見すること、そして歴史を正しく修正すること」の一言。井関日記からは知られていない江戸近世末期の世相・流行が読み取れると語った。またその日記が最近大学入試で出題されていると語った時、深沢氏のうれしそうな顔が大変印象的たった。本来研究の仮名草子から十年間も寄り道して井関曰記に没頭してきた成果が評価された結果の満面の笑みなのだろう。(圓山稔)

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●大学を定年になって、間もない頃に、〔江戸連〕の圓山稔氏から依頼されて、講演した。その様子を、今日、ネットで見つけた。

●ここに掲げた、圓山氏の記録を読むと、私が、『井関隆子日記』が評価されてきて、喜んでいる様子を伝えてくれていて、とても嬉しい。8年間も、仮名草子研究を放り出して、取り組んだ作品が、世に受け入れられなければ、自分の研究が否定されたことになる。

●しかし、新しい道を拓く、という事は簡単ではない。今、当時を振り返って思うことは、まず、勉誠社の社長・池嶋洋次氏の批評眼と決断である。最初依頼された出版社が企画を中止して、私の3000枚の原稿は行き場を失った。
長年お世話になっていた、勉誠社の池嶋氏に出版をお願いした。池嶋氏は、御自分で、原稿を読んで下さり、出版を引き受けくれたのである。
しかも「これは、日記文学として出しましょう」と言って下さったのである。その時の感謝、感激の気持ちは、今も決して忘れていない。

●池嶋氏は、その言を実行して下さった。しかし、世間は、甘くなかった。「これは歴史史料ですね」とか「これは日記文学ではない、岩波の古典文学大辞典をみても解る」とか、批評力のない御仁は、言い放った。そのような時間を経て、大学入試センター試験や、明大、京大の入試にも採用され、研究面でも、具眼の士によって、評価されるようになったのである。

●講演の時の、私の喜びを、圓山稔氏は、見逃さずに記録して下さった。


投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。