三たび 『源氏物語』

三たび 『源氏物語』

 

  • 上田秋成は、『源氏物語』の各巻に対して、それぞれ、一首の歌を詠じている。

 

  • ある年の冬の夜長に、妻(かたはらにある人)に『源氏物語』を読んでもらい、一巻終わるごとに一首ずつ詠じたというのがある。高田衛氏によれば、『源語』を読んでくれたのは、妻でなく、足立紫蓮尼であるという。
  • この高田氏の説に従うならば、この歌は、紫蓮尼と出会った寛政十年から、『藤簍冊子』の自序の成った享和二年頃のものであったかも知れない。秋成六十五歳から六十九歳ということになる。

 

 以下、各巻の歌を具体的に見てゆきたい。

 

    桐 壷

よひのまにはかなの月は入にけり ねためる雲をかけしながらに

 

 まだ宵であるというのに、もう月は入ってしまった、それをあたかも残念がっているかのような雲を残したまま。

 

 宵のうちに姿を消してしまう月の、宵月の、なんとはなしにはかない情趣を詠じたものであるが、この歌における「月」は、桐壷帝の寵愛を一身に受ける桐壷更衣であり、それを妬む雲は弘徽殿女御をはじめとする多くの女御・更衣たちである。そして「よひのまに」の「よひ」は桐壷更衣の子・光君の幼さに通じる。

 この歌は桐壷巻頭のレジュメの如くであり、その内容をそれぞれの風物にたとえて、歌っているが「ねためる雲」の発想は、やはり秋成的であり、秋成の『源語』に対する考えの一端が出ていると思う。

 

    帚 木

さまざまに定めあらそふ人の上に はては心もさみだるゝ空

 

 お互いに女性(人の上)のよさについて批判し合うが、しまいには(これと定めることも出来ず)五月雨の空のように判然とせず、訳のわからない義論になったことである。

 これは、浅野氏の注にもある通り、雨夜の品定めを歌ったものであるが「はては心もさみだるゝ空」は、第五句を「自筆短冊」が「さみだれの夜半」としており、品定め末尾の「何方により果つともなく、はてはてはあやしき事どもになりて、明し給ひつ。」に対応する。

 秋成は『ぬば玉の巻』で「一部の大むねを求むれば、雨夜の物語に世にある女のうへを、さまかたち心ばへをまで、漏らさじと書いあらはしたる程に、筆のすさみの行くに任せて、そこはかとなく書きひろめたる物とこぞ覚ゆれ」と言い、また国学の師・加藤宇万伎の『雨夜物語たみことば』を刊行し、その序で、「物がたりぶみは世におほかめれど、光源氏のもの語ばかりあやにたくめるはなし。それが中にもあま夜のしなさだめなむ、いといと心得がたきを、静舎のうしいにしとし人のもとめによりて、そこをなむ書いでゝ、こと葉をそへつゝとかれしを、人のつてに見てしより……」と述べ、この帚木の巻を重視しているが、これは『源語』研究史上、従来の諸学者によって説かれてきた事であり、これを認め、更に、真淵・宇万伎の説に従っており、この一首も、そのような秋成の『源語』評価を背景として作られた歌である。

 

    空 蝉

やり水のほまれの門をひき入る 車は恋の重荷なりけり

 

 最初遣り水が涼しいからとくぐったこの門を、今引き入れる車は、恋に苦しみ悩む光源氏を乗せているのである。

 「やり水のほまれの門」は、光源氏が遣り水が涼しいからといって、紀伊守の家に方違えをし、再度、ここを訪れた時、紀伊守が「遣水の面目とかしこまりよろこ」んだことに拠る。

 伊予介の後妻・空蝉への恋にとりつかれた光の心境は、まさにこのように重苦しく、居たたまれぬものである。秋成は、最高の権威と、この上ない美貌の持ち主・光に対して、中流階層の女性として、また人妻として自らのモラルを貫き通した空蝉に直接ふれず、その彼女への恋のために苦しむ光源氏の姿をとらえた。やや、光を突き放した形でとらえているところに、秋成の光に対する考えが出ている。

 

    夕 顔

けやすしと思はゞなどてよりて見ん 明るをまたぬ夕がほの露

 

 夜の明けるのを待たずに散ってゆく夕顔の花の露のように、そんなにもはかない女性と知っていたならば、どうして寄って見ただろう、見はしない。

  「よりて見ん」は「寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔」という光源氏の歌からの連想と思われる。また、「けやすしと」に浅野氏は「源氏の君の心が消えやすいと。」と注を付しておられるが、ここは、光の心が消えやすいのではなく、夕顔の花の露が消えやすいのであり、夕顔という女性の、 一夜にして死んでしまったはかなさを言っているのだと思う。「けやすし」は 「消え易し」の意であるが、次に掲げる『万葉集』の用例でもわかるように、多くは、命などのはかないさまに使われている。「朝露の消易きわが身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り」(巻五)「朝霜

の消やすき命誰がために千歳もがもとわが思はなくに」(巻七)「父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の命は 朝露の 消やすき命 神の共……」(巻九)「朝露の消やすきわが身老いぬともまた若ちかへり君をし待たむ」(巻十一)「露霜の消やすきわが身老いぬともまた若反り君をし待たむ」(巻十二)

 五条の宿で夕顔の花を媒介として知り合った二人の男女が、その身分を超えた場において愛し合うというこの巻の構想は『源語』本伝の世界から離脱することによってはじめて可能であった。雨夜の品定めで受領階層の女性に興味を覚えた光であるが、それを充たすためには、愛情と利害とが切離された新たな世界を必要とした。作者・式部は、光源氏を一介の男性として登場させることによって、夕顔との間に、より純粋な愛を描くことに成功したのである。

 秋成のこの歌は、はかなく消えていった恋人への心情としてみるとき、やや打算的に過ぎると思う。事実、光は夕顔の死を心から悼み、悲しみ、その故に病の床に臥している。その光源氏の姿を秋成は、皮肉をこめて冷ややかにとらえているのである。

 

    若 紫

九重の北山ざくら咲にけり かけし霞も名残なき空

 

 京の北山の桜も今を盛りかと咲き乱れ、空は一面に春霞につつまれて絵のようである。

 光源氏が北山を訪れた時の景色である。桜の花に霞がかかる、春特有のおぼろげなさまを詠じているが、この歌にはその裏に、この北山で幼い紫の上を垣間見た光の心中がこめられている。霞を通して見る桜は紫の上であり、下の句の「かけし霞も名残なき空」には「なんとはなしにかけた思いではあるが、はなはだ心残りのする心

地であるよ」の意が含められていると思われる。技巧をこらした一首と言えよう。

 

    末摘花

中川にことよき橋をわたされて 見るめなき野を分(け)もこしかな

 

 末摘花の住む中川へ、大輔命婦の調子のいい話に心を動かされて、それを見抜くことも出来ずによくも来たものだ。

 光は夕顔との死別を忘れられずに、「いかで、ことごとしきおぼえはなく、いとらうたげならむ人の、つつましき事なからむ、見つけてしがな、と、こりずまに思し渡」る、そんな折、大輔命婦のうまい話を耳にする。そして、醜い容貌の女性とも知らずに、頭の中将と張り合いながら、中川へのこのこと出かけでゆく。秋成は、この色好みの光源氏のさまをアイロニーをこめて歌っているが、得々と詠じた一首ではなかったかと思う。

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  • 上田秋成の『源語』観を解明しようと、間接的な歌を分析してみた作業である。「上田秋成と『源氏物語』――『源語』に寄せる五十四首の歌――」として、『文学研究』51号(1980)に掲載したもの。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。