60年安保

60年安保

  • 2020.06.23 Tuesday

60年安保

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1960年6月。無数の市民が国会議事堂を取り囲み、日米安保条約の改定を強引に推し進める岸信介政権へ、怒りの声を上げた。日本の政治の分水嶺(ぶんすいれい)となった出来事から60年が経つ。60年安保闘争を見つめる、世代の異なる2人に話を聞いた。(山本悠理)

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●先日、17日の朝日新聞・夕刊で1960年安保闘争とは、60年経った今、あの政治闘争に対する2人の意見を掲載していた。現在の状況からすると、想像もできないデモだった。

●実は、1960年6月18日、樺美智子さんが死亡した日のデモに、私も参加していた。担当の学生が、私達のカバンを持ってくれて、信号が赤であろうと青であろうと、堂々と歩けたのは、とても気分がよかった。私は学生運動の趣旨には、原則賛成していたが、デモに参加したのは、この日だけだった。私は、ここで、デモの実体と、警察の扇動の様をみた。

●安保闘争の時に、全学連から5、6人の学生が法政大学に来て、集会を開いた。私も授業放棄して参加した。大教室では満員の学生が詰めかけていた。全学連の学生の演説が一段落した時、私は質問した。「安保改定反対と言うが、どこを改定するのか教えて下さい」と。しかし、檀上の全学連の学生は答えられなかった。その点は、兎に角として、反対の行動を盛り上げよう、などと言ってお茶を濁した。私は、日米安全保障条約を全文読んでいたのである。学生運動の一面を物語っている。この一件以後、授業放棄はせず、集会には一切参加しなかった。「深沢は日和見だ」とクラスの連中からは批判されたが、授業と図書館を優先した。

●後日、早稲田大学図書館へ行った時、早稲田も学生運動で盛り上がっていた。ところが、学生たちは、ホースを引っ張ってきて、図書館に水を振り撒こうとしていた。あの貴重な書籍が満載の早稲田図書館である。あきれてモノが言えなかった。確か機動隊か何かに要請して鎮まったと思う。

●学生時代の思い出は、テニス部に入って川崎木月のコートで、先輩の指導を受けたり、長野の合宿にまで参加したが、やがて退部し、図書館通いに明け暮れた。学生運動も、純粋な主義主張には賛成であったが、熱病のように騒ぎ立てる一団とは距離をとるようになった。

朝日新聞デジタル より

 

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。