文学と歴史

文学と歴史

  • 2020.08.03 Monday
歴史と文学

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近代的な国語辞典の最初の名著、大槻文彦の『大言海』は「文学」の語の意味に、小説・詩歌などと共に「歴史」を含めている。これは決して誤りではない。現在、私達は、歴史と文学を別の学問として扱っているが、それは研究が進み細分化されたという事に過ぎない。
 歴史学とは、過ぎ去った時代の、我々の先祖が、それぞれの時代において、どんな事を行い、どんなモノを後世に伝えたか、そして、それは、人類の歴史において、どんな意味をもっているか、それを解明する学問であり、それは、あくまでも、残された事実に基づくもので無ければならない。その点で、フィクションが中心になる文学とは異なる。しかし、文学は時として、過去の出来事の背後にひそむ真実を伝えている事がある。

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●これは、平成18年12月16日、昭和女子大学の文化史学科の学生にお話しした時の、マクラにしたものである。

●私は、もともと近世文学の仮名草子を研究していた。しかし、文学研究には、歴史学の援用が必要だと考えて、卒論の頃から、『徳川実紀』や『徳川禁令考』などは利用していた。作成論文の主題によって、書き方を変えていた。

●論文の雑誌発表は、日本文学研究会の公開研究会・月例会で口頭発表し、重友先生はじめ、常任委員の諸先生の御指導を頂いたのち、編集委員の査読を経て、学術刊行物『文学研究』に掲載して頂いた。

●私の第一論文は、「『可笑記』と儒教思想」であるが、これは、法政大学で行われた公開研究会で口頭発表して、『文学研究』第19号、昭和39年(1964)5月発行、に掲載して頂いた。当時は、複写機が無く、私は、論文、5部を清書して、重友先生と、編集委員の先生4名に送付して、査読して頂いた。

●昭和44年(1969)12月、『近世初期文芸』を創刊した。この号に掲載した、「『可笑記』の本文批評」は、150枚だったが、重友先生に査読して頂いた。また、書誌的論文の場合は、天理大学の金子和正先生に査読して頂いた。

●重友毅先生主宰の日本文学研究会の例会は、午前中、芭蕉、近松、西鶴、秋成などの作品を演習形式で講読し、午後は、常任委員各自が、自分の研究を発表して、質疑応答、その結果、いくつかが、『文学研究』に掲載された。私は、この研究会に、ほとんど欠席無しに参加した。合計では、450回位になる。

●私が発表した時は、「それで、文学的には、どうなんですか?」 と詰問されることが多かった。重友先生主宰の研究会は、〔文学的〕ということが、重要だった。それなのに、私は、極めて事実探索的な内容が多かったからである。〔深沢は文学がわかっていないのではないか〕 そんな風にとられていたようにも思う。文学研究か、歴史研究か、判然としない私は、研究会では、異端だったように思う。しかし、重友先生も、常任委員の諸先生は、私をあたたかく包み込んで、御指導くださったのである。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。