養生の心得

養生の心得

  • 2020.08.06 Thursday
養生の心得

●菊池先生のエッセイに、日々の養生の心得に関して書き込まれていた。

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2020年08月06日

関寛斎
関寛斎『命の洗濯』(明治四十五年)に、「養生心得草」がある。これは明治八年四月徳島新聞第七号附録としたものという。全十条。

第一 毎日六時に起き〈中略〉朝飯を食する事。
第二 毎日の食餌は三度を限り、分量を定む可し。〈下略〉
第三 酒茶菓子の類は〈下略〉
第四 長日の間は、午後一時の頃半時計の昼眠は養の扶〈下略〉
第五 坐時と起時と平均(みなら)して〈下略〉
第六 毎日一度は冷水或は微温湯にて身体を清潔に拭ひとり〈下略〉
第七 一ヶ月五六度は〈中略〉四五里の道を歩行すべき事。
第八 〈略〉肌着は木綿フランネルを良とす。〈下略〉
第九 〈略〉肉食は鮮(あざら)けく新らしき品、野菜は稚(わか)き柔らなる品を択ぶべし。〈下略〉
第十 常居(ゐま)は湿気少く日当りよくして風の透る様に心を用ふ可し。〈下略〉

言っていることは理に叶っている。これを守った生活をしていたならさぞかし長生きしたことだろうと、ウィキペディアを見ると、

明治35年(1902年)、72歳にして一念発起し、徳島を離れ北海道に渡る。原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、大正元年(1912年)、82歳にして服毒により自らの命を絶つ。

やがて目指す自作農創設のため、彼は徳富蘆花を通してトルストイ主義に近づき、「平等均一の風」実現の農地解放へと向かう。しかし家族との対立などによりそれを果たせず、死を選んで波乱の生涯を閉じた。

とあった。自死しなければ、九十過ぎまで生きただろうか。
文政十三年生まれ、若い頃蘭医学を学んだという。

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●なるほど、と思う。私も老齢となり、日々、健康に注意して過ごしている。

●朝食7時、昼食12時、夕食7時、を原則として、午前中は、原稿書き、午後は、散歩を兼ねて外食する。水やポカリスエットは、喉が渇く前に飲む。

●妻と2人の時は、妻の健康第一に考え、1人の今は、原稿が仕上がるまで、原稿と自分のために、日々を過ごしている。

●これが済めば、本当にリタイアで、気ままに過ごしたいと思う。、

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。