〔年寄りの漬物歴史散歩〕

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  • 2020.08.09 Sunday

〔年寄りの漬物歴史散歩〕

東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

井関隆子日記 中巻
2011年05月28日 | 福神漬

井関隆子日記 中巻
天保の改革時代の幕府中枢部の情報を知り得た婦人の日記。
天保12年初めに徳川家斉が亡くなると天保の改革が始まった。この日記を書いた井関隆子は後にペリー来航時に久里浜でアメリカの国書を日本代表で受け取った戸田伊豆守氏栄の妹が嫁いでいた井関家に住んで優雅に生活をし、幕府の内部情報を記述している。

天保12年閏1月24日
西小姓組戸田寛十郎氏栄はようやく願いがかない徒士の頭となる。
天保12年2月27日
氏栄は井関家を訪問し、上野の御堂の様子を語る。
天保12年7月1日
氏栄は徒頭から使番に出世する。(使番とは幕府の職制の一種で目付けと共に遠方において職務を行う幕府官吏に対する監察業務を担当する事となる。)
天保13年6月13日
戸田氏栄が井関家を訪れ、今の本郷6丁目付近にあった森川宿で水戸の殿様の下郎と2千石の侍の下郎とのいさかいがあったことを井関隆子が氏栄に質した。氏栄の森川宿付近にあって今の文京区小日向1丁目付近だった。
天保13年7月24日
井関家の家刀自(氏栄の妹)が21日に7年前に盗賊によって殺害された父の法要のため寺に赴き、ついでに実家に訪れた。そこで氏栄が駿府に、当時百日目付といわれていた駿府使番となり出発するという情報を得る。
天保13年8月14日
戸田氏栄が朝に井関家を訪れ、20日過ぎに旅立つと告げに来た。甲斐の国に立ち寄り、駿府に向かい,公事を処理し江戸に帰ってくるのは暮れになるだろう告げてあわただしく帰った。
天保13年9月3日
印旛沼埋め立ての記事。この様な話が出ていたと思われる。
天保13年12月14日
戸田氏栄が駿府から戻る。

天保14年の印旛沼工事に目付として戸田氏栄が出てくるにはこの様な経歴があった。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。