日本文学研究会(法政大学)

日本文学研究会

  • 2020.09.12 Saturday
日本文学研究会の実際

●重友重先生主宰の日本文学研究会の組織などに関しては、そのおおよそを紹介した。私は、常任委員にして頂いてから、欠席は皆無に近かった。1月は新年会、8月は、文学散歩だったので、年10回。とする。

●私は、1962年から、先生御他界の1978年まで御指導を頂いた。19年間。晩年の御病気の頃を除き、研究会はざっと1500回である。場所は、法政大学、文理書院、重友先生の御自宅、(練馬区、千葉・市原市)、東京都教育会館と変わった。

●先生の御自宅での研究会は、午前10時開始、昼食を外でとり、13時から15時閉会、というのが通例だった。

●午前中は、『徒然草』、芭蕉の『猿蓑』、森鴎外の諸短編、志賀直哉の『暗夜行路』等を取り上げ、演習形式で講読・分析・批評・評価をした。その段、その句を誰が担当するか、当日になってみなければ分からない。私は、1週間くらいかけて、諸説の調査などを済ませて、自説もノートに書き留め、参加させて頂いていた。

●出席者全員が、そのような準備をして、参加しているので、質問や批判などが活発に出され、それに対応しなければならなかった。各自の文学批評眼が試される場でもあった。

●最後に、重友先生の講評があって先に進んだが、10時から12時までの2時間、私にとって、平常の時間とは、まるで密度の異なるものだった。文学への新たな芽が開かれ、唸ることも少なくなかった。私は、ここで、次なる段階の文学修行をさせて頂いた。

●午前中の会が終って、先輩方と昼食にでたが、余り口は開けなかった。

●午後は、委員各自の研究の成果を問う発表の場でもあった。古代・中古・中世・近世・近代・国語教育。諸先生の御研究を、たくさん、拝聴させて頂いた。

●私の場合は、大部分の論文の、最初の関門は、この研究会での発表だった。諸先生の御批判、重友先生の御講評を頂いて、その後、『文学研究』に掲載して頂いたのである。

●「日本文学研究会」は、私を育ててくれた、大切な研究会だった。
  2020年9月13日

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。