ウィキの警告 「井関隆子」即時削除

ウィキの警告 「井関隆子」 即時削除

  • 2020.10.20 Tuesday
ウィキの警告 「井関隆子」 即時削除

• 2013.03.08 Friday

• by 如儡子(にょらいし)

「井関隆子」即時削除しました。

●ウィキペディアに「井関隆子」を新たに項目を立てて、書き込んだら、ウィキのかもめーるさんから、次のようなメールが届いた。

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深沢あきおさんの作成なさった井関隆子については、はてなキーワード井関隆子日記からの丸写しが明確に確認できましたので、恐れ入りますが、即時削除いたしました。悪しからずご了承を賜りますよう、お願い申し上げます。

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●私は、初めての立項だったので、つい、自分の書き込んだ「はてなキーワート」をコピーしてしまった。済みませんでした。で、次のように新原稿で投稿した。

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井関隆子(いせき たかこ)

江戸時代後期から幕末にかけて活躍した歌人・日記作者・物語作者。

【生没】

天明5年(1785)6月21日~天保15年(1844)11月1日。60歳。法号は、知清院殿悟菴貞心大姉。

【閲歴】

幕臣、大番組・庄田安僚の4女として、四谷表大番町(現在の新宿区大京町26の辺)に生れる。20歳の頃、大番組の松波源右衛門と結婚したが、23歳の頃に離婚。30歳の頃、納戸組頭・井関親興と再婚、2人の間に子は無かった。井関家の屋敷は、九段坂下(現在の千代田区九段1-5の辺)にあった。文政9年(1826)夫・親興が没し、以後は、本を読み、歌を詠じ、日記や物語を書いて悠々自適の生涯を送った。

【著作】

1、『井関隆子日記』 全12冊。著者の自筆本が、昭和女子大学図書館に所蔵されている。天保11年1月1日~同15年10月11日、898日間の日記。その日の天候、地震、四季折々の自然の変化、その日その日の出来事、様々な見聞、人物・社会・政治・学問・文学などに対する批評などが記されている。特に、子の親経や孫の親賢から伝えられる、江戸城内の様子が詳細に書き留められている。江戸時代の日記文学としても価値があり、また、当時の歴史的資料としても価値がある。

2、『さくら雄が物かたり』 6巻1冊、著者の自筆本。東北大学附属図書館・狩野文庫蔵。内容は、平安朝の『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』などの構想を借りて、現実の仏教界を厳しく批判したものと解釈される。

3、『神代のいましめ』 写本、墨付28葉、昭和女子大学図書館所蔵の、鈴木重嶺の「翠園叢書」の、巻26の中に収録されている。内容は、平安朝の散逸物語『隠れ蓑』などに構想を得て創られた物語で、首席老中批判を通して、人間の表裏の2面性を描いている。

4、『いなみ野』吉海直人氏所蔵の写本『物かたり合』墨付54葉の内、5葉。播磨の国、印南野を舞台にした物語である。隆子は、すすき・尾花が大好きで、その思いを作品化したものと思われる。

5、『井関隆子長短歌』『秋野の花』に短歌が収録されている。その外、『井関隆子日記』にも800首ほどの、長歌・短歌が収録されている。

【書写本】

1、桑原やよ子著『宇津保物語考』 写本1冊、静嘉堂文庫蔵。
2、蔵田茂樹著『恵美草』 写本1冊、国立国会図書館蔵。
3、吉田兼好著『徒然草』 巻子本1巻、箱に「雅文 源隆子」とあり、『徒然草』第15段、第189段の書写。

【参考】

●『井関隆子日記』全3巻、深沢秋男校注、勉誠社、1978年11月~1981年6月。
●深沢秋男『井関隆子の研究』和泉書院、2004年11月
●深沢秋男『旗本夫人が見た江戸のたそがれ』文春新書、2007年11月。

■ウィキの警告

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●ウィキペディアに、初めて立項した時の事である。何しろ、投稿条件が沢山あって、むつかしかった。【はてなキーワード】に書き込んでいたものを、そのままコピーして投稿した。で、著作権侵害ななった。

●改めて執筆して投稿したが、スタイルが上手くいかない。何方かが助けてくれて、ようやく投稿完了した。

●ウィキペディアは、それぞれの項目の専門家が執筆投稿していると思うが、デジタルに弱いと投稿できない。その場合は、一般的な内容になってしまう。このあたりが、問題かと。  

2020年10月20日

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。