老いに励む、歌 梶木剛

老いに励む、歌  梶木剛

  • 2020.11.01 Sunday
老いに励む、歌

梶木剛

古稀、七十歳を迎えるに当って、心ときめかせた歌人がいた。佐藤佐太郎だ。
先師斎藤茂吉に七十歳以後の作はない。先師が与り知らぬ七十歳以後、未踏の境地を覗きみる気持で作歌が可能な七十歳台に踏み入るに、心ときめかない筈はなかった。佐藤佐太郎はそう書く。七十歳以後、四年間の作を纏めた歌集『星宿』の後記。
佐太郎は老いに励んだ。七十歳以後の老いに励んで、作歌をなした。老いに励む、歌、その展開、『星宿』はそれを収める。

来日の多からぬわが惜しむとき春無辺にて梅の花ちる
得喪のひとしきわれのひそけさや辛夷の花芽冬日に光る

瞠目すべき老いの歌である。先師斎藤茂吉の与り知らぬ未踏の境地の作がここにある。それは確かなことだ。そう言っていい。前者は、昭和五十四年、七十歳の作、後者は昭和五十五年、七十一歳の作、佐藤佐太郎が亡くなるのは、昭和六二年七月、七十八歳であった。『星宿』の後続歌集として没後の『黄月』がある。
老いに励む、七十歳以後の老いの歌に励んだと言っても、佐藤佐太郎の場合は、右のように、七十八歳止まりであった。そんなものではない。それよりも遥かに、遥かに高齢、百歳までの老いに励んだ歌人がいた。上屋文明である。

土屋文明が百歳で亡くなるのは平成二年十二月、その年の「アララギ」六月号に《鉛筆の短かき心になづみつつ老いの朝宵をしるさむとする》が載っている。土屋文明は百歳の老いの朝宵をしるすことに励んでいた。百歳の老いに励んでいたのである。作は七月号になく、八月号に二首、九月号に一首、それが最後の作となった。
没後歌集「青南後集以後」は、昭和五十九年から平成二年の最終作品までを収める。九十四歳から百歳まで七年間の作である。そこに認められる、驚嘆すべき作。

ひらくなき百年の前に立つ如き或夜うつろなるしばしの目覚
食細くなりつつ生きて霜の下の草の枯れゆく心をぞ知る

そうなのか、と思う外ない未踏の境地、そういうものかと一読にして納得する外ない名品、それがここにある。前者、昭和六十一年、九十六歳の作、後者、平成元年、九十九歳の作。
土屋文明が没してから十年経って、門下の小暮政次が亡くなった。平成十三年二月、九十三歳であった。その晩年、小暮政次は溢れるほどの作歌に従った。老いに励み、老いの歌を作ることに励んだ。最後、平成十年から平成十三年の亡くなるまでの作が没後歌集『雖冥集』に収められた。最晩年三年強で九百三十六首である。作歌が溢れている。九十歳台の老いの仕事として、それがある。何と老いに励んでいたことか。何と老いの歌を作ることに励んでいたことか。

みづからの自然を表現し難きを嘆きなされし左千夫先生
生の動揺の表現として考へよしかは知るとも吾は呆け果てて

両首とも、平成十二年、九十二歳の作である。伊藤左千夫は大正二年に五十歳で亡くなった。一首目、九十二歳の老いが、八十七年前、五十歳で亡くなった伊藤左千夫を追懐している。遠い昔、みずからの自然の表現し難いのを嘆いた左千夫の嘆きは、今日、老いの自然の表現し難いのを嘆く、自分の嘆きに重なる。小暮政次は苦吟を重ねつつ、老いの歌に励んでいた。この一首はそのことを示す。
二首目、苦吟に苦吟を重ねつつ老いの歌に励んだ小暮政次の、到り着いた結論がここにある。「生の動揺の表現として考へよ」と。文芸、短歌は「生の動揺の表現だ、ということになる。要するに〈写生〉である。これを〈写実〉と受け取るのは正しくない。老いに励み、老いの歌に励んで九十二歳の小幕政次か出した結論、それは〈写生〉であった。
もう一人の土屋文明門下、清水房雄。こちらはなお現役で、今年八十九歳。昨年上板された最新歌集『蜀孤意尚吟』を覗いていて、巻末近く次の作が目に止まった。

この集もて吾もて吾もいよいよ終末か守旧派最後の歌よみとして
演技無く装飾無き表出を旨とせし時代もすでに遥かなる過去

平成十五年、八十八歳の作である。内容的には老いのしょぼくれが歌われている。だが、意味的なしょぼくれとは裏腹に、調べはとっても元気がいい。張り詰めている。意味的にはしょぼくれているけれども。声調的には元気がいい。老いのしょぼくれを歌って元気のいい見本、それがここにある。
「この集」が終末でありそうもない。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

●今日、梶木剛氏の一文に出会った。実に懐かしい。梶木氏とは、同じ法政で、長年交流があった。梶木氏は現代文学評論、私は古典研究、しかし、梶木氏は学生時代から吉本隆明氏に師事し、評論を発表しておられた。年は一つ下であったが、私は先輩として接してきた。合う度毎に、文学とは何か、と論をして、多くの事を教えて頂いた。私よりも先に他界された事が惜しまれてならない。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

梶木剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  より抄出。

梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 – 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。

経歴
新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。
2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
著書
• 『古代詩の論理』試行出版部 1969年
• 『斎藤茂吉 』1970年 (紀伊国屋新書) 増補版、芹沢出版、1977年
• 『思想的査証』国文社 1971年
• 『存在への征旅』 国文社 1972年
• 『知識の倫理』国文社 1974年
• 『夏目漱石論』勁草書房 1976年
• 『宿命の暗渠』芹沢出版、1977年
• 『横光利一の軌跡』国文社、1979年
• 『長塚節-自然の味解の光芒』芹沢出版、1980年
• 『折口信夫の世界-まれびとの存在』砂子屋書房、1982年
• 『柳田國男の思想』勁草書房、1989年
• 『正岡子規』勁草書房、1996年
• 『抒情の行程-茂吉、文明、佐太郎、赤彦』短歌新聞社、1999年
• 『写生の文学-正岡子規、伊藤左千夫、長塚節』短歌新聞社、2001年
• 『子規の像、茂吉の影』 短歌新聞社 2003年
• 『文学的視線の構図―梶木剛遺稿集』 深夜叢書社 2011年
• 『文学的思考の振幅』深夜叢書社 2012年
• 『文学的思念の光彩』深夜叢書社 2012年
論文
• 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所.2010.05.23閲覧。
参考
• 『文学的思念の光彩』
典拠管理
• BNF: cb13481780k (データ)
• ISNI: 0000 0000 8103 6443
• LCCN: n88197088
• NDL: 00030139
• VIAF: 24752716
• WorldCat Identities: lccn-n88197088

。。。。。。。。。。。。。。。。。

投稿者:

fukaaki

近世文学、特に、仮名草子、近世日記文学を研究している。 昭和女子大学に勤務していたが、定年退職。現在、同大学名誉教授。 仮名草子は、特に、如儡子・斎藤親盛を研究。日記文学では、井関隆子の研究をしている。