ドナルド・キーン氏が、遺したもの

ドナルド・キーン氏が、遺したもの

2019.04.21 Sunday

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ドナルド・キーン氏が、遺したもの

●今日、ドナルド・キーン氏の追悼放送を見た。素晴しい、研究人の生涯を拝見し、感動と敬意を捧げる。以下は、放送前の予告であるが、この通りの、見事な内容であった。
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今年2月24日、日本文学研究者のドナルド・キーン氏が96歳でこの世を去った。 訃報を受け、テレビ・新聞ではキーン氏についてのニュース・記事が絶え間なく報じられた。それは、改めて、氏の業績・功績の偉大さを感じさせるものであった。 BS-TBSでは、2011年1月3日放送「大英博物館から甦った 幻の古浄瑠璃 東京見参!!-越後国・柏崎 弘知法印御伝記-」に始まり、これまで10年以上に渡って、ドナルド・キーン氏を取材したドキュメンタリーやトーク番組を放送。その活動を紹介し続けてきた(※)。2月26日は、90分生放送の報道番組「報道1930」にて「ドナルド・キーン追悼特集 日本を愛したひとりの天才」を放送した。 そして逝去から約2カ月。BS-TBSはドナルド・キーン氏を偲ぶ特別番組を制作する。東日本大震災を機に日本人となることを決意したキーン氏のドキュメンタリーとして話題となった「ドナルド・キーン先生日本人となる~その半生に込められた日本への思い~」(初回放送2011年10月16日)を中心に、数々のアーカイブ映像から制作。ドナルド・キーン氏が一生をかけて取り組んだこと、そして自らの活動を通じて我々に遺したメッセージとは何だったのかを改めて伝える追悼ドキュメンタリー企画となる。

16年前のノートルダム大聖堂

 

ノートルダム大聖堂 16年前
2019.04.21 Sunday

●昨日は、息子が来てくれた。話題は、パリのノートルダム大聖堂の火災の事に及んだ。その時の写真が、出てこない、とぼやいたら、今朝のメールに添付してくれた。
自由時間に、セーヌ川クルーズに参加して、セーヌ川の船の上から大聖堂を撮ったものである。
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ノートルダム大聖堂 (パリ) 1163年着工、1225年完成。2019年一部焼損。
「ノートルダム・ド・パリ」という呼称でも知られ、ヴィクトル・ユーゴーの小説の名前にもなっている。また、ユネスコの世界遺産「パリのセーヌ河岸」の一部。  【ウィキペディア より抜粋】
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●平成15年(2003)8月8日~16日、息子と2人で、ドイツ、スイス、フランスの旅をした。ロマンティク街道、ライン川下り、ホーエンシュバンガウ、ノイシュバンシュタイン城、インターラーケン、ユングフラウヨッホ、ノートルダム大聖堂、ベルサイユ宮殿、エッフェル塔、セーヌ川クルーズ、ロダン美術館。

●息子は、ニコンのクールピックス、私はニコンD300。大聖堂の中の写真もたくさん撮ったが、どこかにしまい忘れてしまった。

●このツアーは、計画も、全て息子が進めた。私は、ただ、後をついて行っただけ。最終日、パリ→成田が、JALの直行便に変更になり、パリで8時間の自由時間が生じた。私は、何としても、ロダン美術館へ行きたかった。息子は、地下鉄の路線図をチェックして、連れて行ってくれた。これは、大変な感動で、息子に心から感謝している。ロダン美術館へ行ったお陰で、ロダンの制作過程がよく分かった。16年前の思い出である。

記録の破壊

記録の破壊
2019.04.20 Saturday

●今日、4月20日の朝日新聞、読書欄に、フェルナンド・バエス著、八重樫克彦・八重樫由貴子訳、紀伊国屋書店発行、『書物の破壊の世界史』定価3780円、の書評が出ていた。評者は、長谷川眞理子氏(総合研究大学院大学学長)である。長谷川氏は、述べておられる。 
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・・・なぜ、書物は破壊されるのか? 一つには、書物がある種の記憶の記録であるので、そのような記憶を抹殺したいと考える集団がつねに存在するから。二つ目は、書物が、思想、考え、価値判断の表明であるので、気に入らない考えを抹殺したいと考える集団がつねに存在するから。三つ目は、自然災害と近代戦争時の空爆。世界史は、なんと蛮行の歴史であるか。
 では、現在のデジタル化で、この状況はどうなるだろう? 一度ネット上に上がればなかなか消せないともあるが、ちょっとしたことで読めなくなる脆弱さもある。それより、人々が書物を読まなくなったことが最大の「破壊」かもしれない。
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●私は、今、近世初期の東北の戦乱の記録を検討している。国盗り時代の大きな戦いになれば、残された記録もかなりある。その歴史上の事実を、どのように記録するか。それは、その記録する者の立場によって異なる。誇張もあり、誤記もあ、身びいきもある。残された史料は、十分に資料批判を加えて使わなければ、歴史の真相には近づけない。

誕生日ネット 深沢秋男

誕生日ネット 深沢秋男
2019.04.19 Friday

深沢秋男
ふかさわ あきお
国文学

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深沢秋男さんについて
昭和10年(1935)山梨県身延町に生まれる。県立身延高校、法政大学卒。昭和58年(1983)より昭和女子大学に勤務。平成17年(2005)定年退職。平成20年(2008)名誉教授。仮名草子、斎藤親盛(如儡子)、井関隆子、鈴木重嶺などの研究がある。

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2014.01.22 ID:145836

仮名草子の研究、井関隆子の研究、鈴木重嶺の研究。
山梨県生まれ、県立身延高校・法政大学卒。昭和女子大学名誉教授。

2013.07.12 ID:28697
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●この項は、2013年にアップされたのであろうか。6年後に、私は訪れた。さすがに、「お線香を上げる」とは出ていない。ネット社会になる前は、こんな事も無く、人はこの世から消えて行った。この項は、死後、何年継続されるのだろうか。お線香をあげてくれる人はあるのだろうか。

ある研究者の死

ある研究者の死
2019.04.18 Thursday

気鋭の研究者、努力の果てに ある女性の死
2019年4月18日05時00分    朝日新聞デジタル

 大きな研究成果を上げて将来を期待されながら、自ら命を絶った女性がいる。享年43。多くの大学に就職を断られ、追い詰められた末だった。
 西村玲(りょう)さん、2016年2月2日死去。
 東北大で日本思想史を学んだ。江戸中期の仏教研究で、04年に博士(文学)に。都内の実家に戻って両親と同居しながら、【朝日新聞 デジタル より】
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●大きな研究成果を上げながら、大学に就職できず、43年の生涯を閉じた研究者。

■著書は高い評価
■バイトで研究費
■20の大学で不採用

●博士課程を出ても就職先がない。特に文科系は厳しいという。専門家のアドバイスに、「経済的な苦境に陥った際、研究者も生活保護など自分の身を守る方法を知っておくことが大切だ。」何という事か。朝日新聞の記事を読んで、心がいたむ。

10連休

10連休
2019.04.18 Thursday

●今、世間では、10連休が話題になっている。平成 → 令和 の関係で、10連休となるらしい。海外へ出る人、子供と国内旅行を計画する人、テレビを見て、本を読む人。老人の私は、全く変わらない日々となるだろう。

●私は、大学を卒業して、日本文学研究を目指した頃、自分の時間について考えた。会社は、土日祝日は休み、年末年始は休み、365日のうち、120日ほどは、自分の時間である。これを、有効に使わない手はない。

●大学へ移籍してからは、更に、60日間の夏季休暇がある。もちろん、この中には、自宅内外研修が含まれるが、2か月間は大学へ出ない。その上、春休み、冬休みがある。通常も、大学へ出るのは、週3日か4日。もちろん、校務や、学生指導に時間は使う。しかし、自分の研究に使う時間は多い。

●私は、大学の研究室で、自分の研究をしたことは、ほとんど無い。研究室では、授業の準備か学生指導、校務に追われた。研究室の書籍は、研究用のものは、ごく少数で、大部分が学生指導用の参考書だった。それが、2000冊くらいあった。大部分は、上海交通大学へ寄贈した。

●昭和女子大学には東明学林、望秀海浜学寮がある。ここで、学生との合宿研修を行う。この期間中に〔感話〕という時間があった。食事の終わった頃、一言、感じたことを話す。学生も話すが、教員も指名されれば話す。私は、ある時、〔客観的な時間と人それぞれの主観的な時間〕について、3分間ほど話したことがある。思い出しても、懐かしい

蓬左文庫の蔵書検索

蓬左文庫の検索システム
2019.04.17 Wednesday

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資料詳細情報

資料名 「可笑記」の諸本について 1冊
資料名ヨミ カショウキノショホンニツイテ
年代1 昭和43
年代2
作成者
宛名
著編者 深沢秋男
出版書写地
出版書写者
出版書写年 昭和43
大きさ(cm)
叢書名
注記その他 文学研究 28
印記
旧蔵
別書名
分類 抜刷 (五十音順)カーコ
資料所蔵情報
コレクション区分 2
請求番号 尾S -22- – – –
重要図書区分 -
複写

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●蓬左文庫に『文学研究』は寄贈していない。書店で購入したか、何方かが寄贈したものと思う。〔諸本調査〕故に保存したのであろうか。有名な文庫に所蔵して頂いて感謝する。

鹿島則文の伝記

鹿島則文の伝記
2019.04.16 Tuesday

●国学院大学のデーターベースで、鹿島則文の項を見て、鹿島則文の伝記を書いた頃を思い出した。『井関隆子日記 中巻』(昭和55年8月30日、勉誠社発行)の巻末に「鹿島則文と桜山文庫」を収録した。これは、やや異例なことである。桜山文庫の所蔵者、鹿島則幸氏の要請によって、私は、鹿島則文伝を執筆し、この中巻に入れたのである。

●鹿島則文は、鹿島神宮大宮司家の、第67代目である。内容は以下の通り。

① 鹿島則文(国学者伝記集成)
② 鹿島家系図
③ 『先考略年譜稿』(鹿島敏夫)
④ 鹿島則文の生涯
  八丈島送り
  八丈実記序
  伊勢神宮・大宮司
  皇學館大學の開校
  古事類苑の編纂刊行
  桜山文庫
  参考文献

●私は、鹿島則文の伝記を執筆していて、ある段階で、ピタリと筆が止まった。それは、則文に著作が、ほとんど無い、という事にぶつかったからである。それまでの、私の常識では、過去の偉大な人物は、多くの著作を遺している。人は、その著作によって、歴史上の評価も受ける。

●この偉大な鹿島則文に著作が、余りにも少ない。鹿島則幸氏にたずねても、「ございません」という答え。これでは、伝記は書けない。1か月余り、中断した。私など、貧しい知識を振り絞って、本を書いている。則文ほどの人物が、どうしてなのか。
●そんな、ある日、ふっと、あの狩野文庫の狩野亨吉を思い出した。
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 則文は、五歳にして歌を詠じ、小説を読んだという。幼くして吉川天浦の指導を受け、長じては安井息軒の門に学んだ。しかし、後世に自らの詩文を遺すことには、あまり意を用いなかったようである。則文の書き残したものでまとまっているのは、八丈流人時代の『南遊雑録』『八丈八景帖』『南島名勝集』(編著)くらいのものである。全身全霊を以て神に仕え、子弟の教育に専念する時、自分の詩文を作るゆとりはない、そんな生き方を則文はしたのかも知れない。
 日本自然科学思想史の開拓者と言われる、哲学者で大教育者の狩野亨吉は、死後、書き残したものを集めたところ、一部の小冊にしかならなかったという。しかし、亨吉の蒐収した貴重な古典籍は「狩野文庫」として遺された。
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●私は、鹿島則文の伝記をまとめて、人間の生き方の、ひとつのタイプを発見したのである。

■鹿島則文の墓(鹿嶋市)

■現在の鹿島家

国学院大学 データベース 鹿島則文

国学院大学 データベース 鹿島則文
2019.04.16 Tuesday

国学院大学 国学・神道関係人物研究情報データベース
鹿島則文
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国学・神道関係人物研究情報データベース
「明治期国学・神道・宗教関係人物データベース」は、國學院大學研究開発推進機構日本文化研究所における平成27〜29年度の研究事業、「「國學院大學 国学研究プラットフォームの展開―明治期の国学・神道関係人物を中心に―」の事業成果として作成されたものです。

詳細表示 (Complete Article)
人名 鹿島則文

読み仮名 / NAME / 性別 かしま のりぶみ / KASHIMA Noribumi / 男
別称 〔姓〕中臣[和学]
〔称〕出羽守[和学]・布美麿・矗之輔[日本]
〔号〕桜宇[和学]
生年月日 天保10年(1839)1月13日[国史]
没年月日 明治34年(1901)10月10日[国史]
学統・宗派 安井息軒[国史]

研究書・伝記 海野正造『佐原喜三郎と鹿島則文—江戸時代行刑史料八丈島流人の秘録』柳翠史料館、1977年。
鹿島町総務部広報公聴課編『鹿島のあゆみ』鹿島町、1979年。
深沢秋男校注『井関隆子日記 中巻』勉誠社、1980年。
小野友五郎『小野友五郎君国事鞅掌の事歴』茨城県立図書館、1992年。
深沢秋男『鹿島則孝と桜斎随筆』私家版、1993年。
大久保錦一・鹿野貞一『目で見る鹿嶋市・鹿島・行方の100年』郷土出版社、1997年。
鹿嶋市文化財愛護協会編『鹿島史叢 第24号』鹿嶋市文化財愛護協会、1998年。
研究論文 「鹿島則文君実歴附十二節」『史談会速記録』60、1897年。
☆葦津大成「神祇官興復運動における神職の活動」『明治維新神道百年史』5、神道文化会、1968年。
深沢秋男「桜山文庫目録 和書之部」(上)『近世初期文芸』25、2008年。
事典・略伝等 『神宮大宮司鹿島則文書翰』。
大脇繁吉著・大脇伊三郎編『八丈島仙郷誌』大脇旅館、1952年。
川端義夫校訂『校訂伊勢度会人物誌』楠木博、1975年。
中野三敏編『近代蔵書印譜』3編(日本書誌学大系41-3)、青裳堂書店、1989年。
鹿島町史編さん委員会編『鹿島町史別巻 鹿島人物事典』鹿島町、1991年。
『国学者伝記集成』続編
『名家伝記資料集成』1
『明治維新人名辞典』

*国史大辞典、国書人名辞典、神道事典、神道辞典、神道人名辞典、神道大辞典、大日本人名辞書、日本人名大事典、和学者総覧
キーワード(1) 神道家教導職
国学関連人物データベース http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_ckp&data_id=39210

典拠 「国史」=国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』3、吉川弘文館、1983年。
「日本」=上田正昭・西澤潤一・平山郁夫・三浦朱門監修『日本人名大辞典』講談社、2001年。
「和学」=國學院大學日本文化研究編『和学者総覧』汲古書院、1990年。

観楽読楽――井関隆子日記

観楽読楽ーー井関隆子の日記
2019.04.15 Monday

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観楽読楽-観て楽しみ、読んで楽しむー

旗本夫人が見た江戸のたそがれー井関隆子のエスプリ日記ー」

<< 作成日時 : 2009/11/02 22:45 >>
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今の九段下の駅のところに屋敷地(九段坂下のりそな銀行のところ350坪)を持っていた旗本井関家の老夫人の日記を読み解いて解説した本である。日記は天保の改革が行われた天保11年元旦から天保15年10月11日までのことが記されている。井関隆子の56才から60才までの日記である。
息子が大奥との連絡責任者であり、当時の幕閣の動きにも詳しい。江戸の祭り、天保の改革についての評判なども書かれている。
なお、この日記は鹿島神宮、伊勢神宮の大宮司を歴任した鹿島則文の書籍コレクション「桜山文庫」に伝わったものという。
井関隆子は植物が好きで、とりわけススキを好んだようだ。日記に家族で月見をする様子も書かれている。また酒が好きな女性だったようだ。実家は旗本庄田家である。若い時から古典に親しんだ女性のようだ。
興味深いのは徳川将軍家が亡くなった日が、当時の公式記録とは違うことだ。11代将軍家斉は天保12年閏1月晦日に逝去されたと記録にあるが、この日記によると閏1月7日の夕刻に逝去したと書かれている。大奥の事情がわかる家であり、実際はこの通りなのだろう。解説者は、このことから他の将軍も同じように公式記録の没日時と、実際の没日時の違いの可能性を指摘しているが、政治上の思惑で、逝去の日をずらすことなどはよく行われていたと思われる。

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●古いブログであるが、私は初めて見た。