国際系の就職ランキング

国際系の就職ランキング

  • 2019.09.20 Friday
国際系の就職ランキング

●『大学通信』3019年9月17日
2019年「国際系」学部の実就職率ランキング

。。。。。。。。。。。。。。。。。

トップは昭和女子大・グローバルビジネス
社会のグローバル化が急速に進む中で、「国際系」学部で学んだ学生への期待は大きくなっている。グローバルに活動している企業はもちろん、日本国内での企業活動においても多様な背景をもつ顧客や取引先などと接する機会が増えているからだ。

表は「国際系」学部の実就職率ランキングだ。トップは昭和女子大・グローバルビジネスだ。卒業生115人のうち113人が就職し、実就職率は98.3%だった。2位は北九州市立大・国際環境工(96.4%)、3位は愛知大・国際コミュニケーション(95.9%)、4位は新潟県立大・国際地域(95.8%)、5位は静岡県立大・国際関係(95.0%)。トップ5校までに公立大が3校ランクインしている。

以下、学習院女子大・国際文化交流、同志社大・グローバル地域文化、山口大・国際総合科、金城学院大・国際情報、横浜市立大・国際総合科と続く。
「自立」を重視するキャリアデザイン・ポリシー
グローバルビジネス学部がランキング1位となった昭和女子大は、伝統的に就職に強い。大学全体としてみたときの実就職率は97.3%で、卒業生数1000人以上の女子大としては9年連続で全国トップだった。

キャリア教育の特徴は、独自に「キャリアデザイン・ポリシー(社会的・職業的自立に関する方針)」を策定・公開していること。このことについて、キャリア支援部長兼センター長で、グローバルビジネス学部の磯野彰彦教授はこう語る。

「キャリアデザイン・ポリシーは学科ごとに制定していますが、全体に共通するのは学生の自立を重視していること。社会人としての自立を促す教育を一貫して行っていることが、結果として就職実績に結び付いていると思います。」

昭和女子大・グローバルビジネスは2学科制だが、2018年設置の会計ファイナンス学科がまだ完成年度を迎えていないため、今回のデータはビジネスデザイン学科のみのもの。低年次より日商簿記2級の取得を目指すなど資格取得に強みのある会計ファイナンス学科も含め、今後も注目していきたい。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


斎藤筑後守広盛

斎藤筑後守広盛

  • 2019.09.19 Thursday
斎藤筑後守広盛

●如儡子、斎藤親盛の父、斎藤広盛は、最上義光に仕え、酒田の川北町奉行を務めた。最上家転封の時、牢人となり、如儡子も浪々の身となる。その厳しい牢人生活の中で、『可笑記』『百人一首注釈』『堪忍記』『百八町記』を執筆した。

●私は、大学三年の時から、この牢人の研究を続けてきた。そうして、今、ようやく、まとまろうとしている。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

齋藤筑後守記念碑

平成23年10月23日、山形県酒田市の上日枝神社境内に「齋藤筑後守記念碑」が建立された。

「齋藤筑後守記念碑

近世初期の戦乱の時代、越後(新潟)から出羽(山形)庄内に移住して活躍した齋藤一族があった。初代光盛、二代広盛、三代親盛と庄内・酒田を中心に活躍した。

齋藤家初代光盛  越後の出身。出羽の国に移り、庄内の守護、武藤義氏に仕える。天正元年(一五七三)以後、藤島城代となり、多くの戦功をあげた。天正十年頃に三十二歳で没する。

二代広盛  又十郎、助左衛門、筑後守。最上義光の武将で、亀ケ崎城代の志村光安・光惟父子に仕え、三奉行の一人として活躍した。光惟が没した後、川北代官として志村氏の領地である川北地方の行政にあたった。齋藤助左衛門、齋藤筑後守の名で、年貢皆済状、棟札が多く伝えられている。酒田の筑後町は、齋藤筑後守の屋敷があった場所であるとも伝えられている。妻は東禅寺筑前守の弟、東禅寺右馬守の娘であると思われる。最上家は、元和三年(一六一七)に最上家親が急死し、家中の内紛もあって、同八年に最上五十七万石は近江一万石に転封となる。この時、広盛は最上家を辞して酒田を去る。長年住み慣れた筑後町を後に、妻子を連れて、鼠ケ関を越えて越後へ向かったものと推測される。しかし、広盛は、にわかに病んで、五十五年の生涯を閉じた。

三代親盛  仮名草子作者。清三郎、号は以伝、筆名・如儡子、法名・武心士峯居士。慶長八年(一六〇三)頃、酒田筑後町にて、広盛の長男として生まれる。幼少から最上家親に側近く仕え、主君から「親」の一字を賜り、「親盛」の名を許された。元和八年、最上家の改易と同時に、父広盛に従って主家を辞し、先祖の出身地・越後に赴くが、やがて江戸へ出て仮名草子作品などの執筆に励んだ。著作に『可笑記』(仮名草子)・『砕玉鈔』(百人一首注釈書)・『堪忍記』(諸大名の批評書)・『百八町記』(三教一致を説いたもの)などがあり、晩年、二本松で詠んだ俳諧も多く残されている。延宝二年(一六七四)三月八日没、享年七十二歳。二本松の松岡寺に葬られた。

その後の齋藤家  四代秋盛が二本松藩主丹羽光重に召抱えられたため、万治三年(一六六〇)、一家は江戸から福島の二本松に移住した。以後、五代富盛、六代常盛、七代親盛、八代邦盛、九代英盛、十代徳盛と、代々二本松藩に仕えた。齋藤家の子孫は、第十三代豪盛氏、第十四代康盛氏まで絶える事なく続き、現在、齋藤家は山形県長井市に居住し、墓所は、二本松の松岡寺にある。

平成二十三年十月吉日

昭和女子大学名誉教授  深沢秋男 撰文
昭和女子大学講師    承 春先 謹書
齋藤家 第十三代   齋藤豪盛 建立」


斎藤親盛(如儡子)の研究

斎藤親盛(如儡子)の研究

  • 2019.09.19 Thursday
斎藤親盛(如儡子)の研究

目次

① 仮名草子研究の思い出――今後の課題と計画――(昭和女子大学 最終講義資料)
②『可笑記』と儒教思想
③斎藤親盛(如儡子)の俳諧(上)
④斎藤親盛(如儡子)の俳諧(中)
⑤斎藤親盛(如儡子)の俳諧(下)
⑥『可笑記』の諸本
⑦斎藤親盛(如儡子)の著作
⑧川北奉行齋藤筑後守広盛の事績
⑨如儡子(斎藤親盛)の父、斎藤筑後守は「盛広」か「広盛」か
⑩平成22年度香川県公立高校入学者選抜学力検査に、仮名草子『可笑記』出題
⑪平成23年度京都府公立高校入学者選抜学力検査に、仮名草子『可笑記』出題
⑫「齋藤筑後守記念碑」建立
⑬一條八幡神社にあった筑後文書
⑭可笑記の著者について
⑮『如儡子百人一首注釈の研究』 刊行
⑯斎藤家の墓所、第3次改葬
⑰酒田古町名物語り(一)
⑱『東京都道徳教育教材集』に『可笑記』採録される
⑲武士道の系譜(講演)  笠谷和比古
⑳仮名草子研究の思い出(昭和女子大学 最終講義)
21平成26年度京都府公立高校入試に『可笑記』出題

最上義光 〔残忍〕 → 〔文化人〕

最上義光 〔残忍〕 → 〔文化人〕

  • 2019.09.19 Thursday
最上義光  〔残忍〕 → 〔文化人〕

悪評武将、研究進めば別の顔 大友宗麟・最上義光・大内義興

2019年9月18日16時30分 【朝日新聞 デジタル】

。。。。。。。。。。。。。

日本列島に群雄が割拠した戦国時代。織田信長や豊臣秀吉のほかにも、各地に地域ごとの覇者が誕生した。中にはこれまで必ずしも評判がよくなかった武将もいるが、研究の進展とともに、その再評価が進んでいる。

最上義光 「残忍」今や「文化人」

山形県では、「虎将」などの異名がある最上義光(1546~1614)の再評価が
進んでいる。
義光は羽州探題の当主という名家に生まれた戦上手。関ヶ原合戦後には出羽国(現在の山形県)など57万石を得る。これは諸大名の中でも加賀の前田家や仙台の伊達家などに次ぐ石高だったが、義光の没後、お家騒動が起こり、藩は減封・国替えになった。
義光も近年まで評判が悪かった。きっかけとなっだのは1960年代に刊行された
『山形市史』だ。この中で義光は、徹底して傲慢・残忍・冷酷な人物として描かれた。
その評価が定着し、「1977年に山形城に義光像を建
立する話が出た際には、『武力闘争と権謀術数で地域を制覇した人物の肖像を、市民の憩いの場に建てるとはなにごとか』という反対運動が起きたほどだった」と最上義光歴史館の揚妻昭一郎主幹。
さらにNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(87年)が追い打ちをかける。政宗の敵役
として、残忍で陰気な武将像が強調されたのだ。
最上義光歴史館はそんな義光の悪評を払拭するという意図もあり、山形市が市制100周年の89年に開設した。
力を入れているのは小学校への出前授業。「最初は子どもたちに興味を持ってもら
い、後日、ご家族と一緒に来館してもらって、実像を説明する。その繰り返しでやってきた」と揚妻さん。
歴史館の事務局長を務めた片桐繁雄さんらの研究もあり、2000年代以降、連歌
に造詣が深い文化人武将として義光のイメージは大きく変わりつつある。
揚妻さんは「武将の評価は時代や語り手によって大きく変わる。一つの見方に固執することなく、様々な角度から見直すことが必要なのではないでしょうか」と話す。
(編集委員・宮代栄一)


御湯印巡り

御湯印巡り

  • 2019.09.18 Wednesday
御湯印巡り

【期間】

令和元年(2019年)7月7日(日)~令和2年(2020年)3月31日(火)

【参加施設】

○みはらしの丘 みたまの湯(市川三郷町)
○六郷の里 つむぎの湯(市川三郷町)
○甲州鰍沢温泉 かじかの湯(富士川町)
○光源の里温泉 ヘルシー美里(早川町)
○下部温泉郷 下部ホテル(身延町)
○下部温泉郷 健康・旬菜の宿 ホテル守田(身延町)
○下部温泉・湯沢温泉郷 湯治場の湯 不二ホテル(身延町)

【御湯印めぐりの手順】

1.参加施設のフロントで「御湯印帳」を入手します。
2.入浴すると各施設からそれぞれの「御湯印札」が手渡されます。「御湯印札」は「御湯印帳」に張り付けて集めましょう。
3.全7施設で入浴すると「満願」となります。「満願所」である下部ホテルに行くと、「満願証」(身延町の手漉き和紙と市川三郷町の印章で制作)がもらえます。
4.「満願」達成された方の中から抽選で、10組20名様に、参加施設のペア無料入浴券をプレゼントします。

【問い合わせ先】

○富士川湯めぐり倶楽部事務局 みはらしの丘 みたまの湯 渡邊
(住所:市川三郷町大塚2608/電話:055-272-2641)
○御湯印巡りについてのHP https://fujikawa.goyuin.net/


天保12年11月1日

天保12年11月1日

  • 2019.09.17 Tuesday
天保12年11月1日

※天保12年(辛丑)11月1日(1841.12.13月)
赤松大三郎が江戸深川元町で生まれる。「明治維新人名辞典、日本歴史学会編、(吉川弘文館)」
※天保12年(辛丑)11月3日(1841.12.15水)
天保の改革の徹底の為、北町奉行の指示で江戸市中取締掛名主が17名から30名に増員される。
※天保12年(辛丑)11月5日(1841.12.17金)別紙
※天保12年(辛丑)11月6日(1841.12.18土)別紙
※天保12年(辛丑)11月7日(1841.12.19日)
※天保12年(辛丑)11月8日(1841.12.20月)
代官篠田藤四郎が勘定組頭上座御取箇掛に任命される。印旛沼干拓担当の技術者の大竹伊兵衛の上司である勘定組頭立田岩太郎に代わって利根川分水掛を兼務し、大竹の計画を奉行に進達することを押さえた、このため篠田と大竹の対立が発生する。
※天保12年(辛丑)11月10日(1841.12.22水)
幕医池田謙斎が生まれる。「明治維新人名辞典、日本歴史学会編、(吉川弘文館)」
緒方洪庵の門下で、幕府医官池田秀真の養子となる。蘭医ボードインについて西洋医学を修める。
唐人お吉(斉藤きち)が尾張国知多郡内海に生まれる。伊豆下田に引っ越したのは弘化元年「明治維新人名辞典、日本歴史学会編、(吉川弘文館)」
※天保12年(辛丑)11月11日(1841.12.23木)
※天保12年(辛丑)11月12日(1841.12.24金)別紙
※天保12年(辛丑)11月13日(1841.12.25土)
御広敷御用人井関親経が家斉の正室広大院の名代として、早朝江戸を発ち京都へ向かう。
徒士侍を先頭に、槍持、弓持ち、引き馬、具足の櫃などが並んで進む様子は、ちょっとした大名の出で立ちである。行程は戸塚、小田原、箱根、沼津、江尻、金谷、浜松、赤坂、宮、四日市、坂ノ下、石部、大津。京都には25日に到着する。
前の近衛殿の北の方円台院の上の葬儀のため広大院の名代として上京。
同行志願の親戚は拒絶する。
種々な物を賜っている、広大院からは御衣に添えて黄金60両、御文庫二つ、白羽重に八丈絹、御杯、様々の袋物、綾錦の楊枝差など。
東明(とめ)の宮からは、白紅の紗綾二巻、家定の君からは白紗綾二巻を賜る。峯寿院の上より白銀三包に御文庫を賜る。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保12年(辛丑)11月14日(1841.12.26日)
近衛家の吉村伊勢介は書状で清水寺成就院に「無御拠御方より御祈祷」を依頼する。
※天保12年(辛丑)11月15日(1841.12.27月)
前日、近衛家の吉村伊勢介からの書状で祈祷を依頼された月照が、この日、近衛家に直参し「関東御台様(西丸御台所有君、近衛忠凞の養女として家定の室となった)より御寿命長久等」の願望をたのまれ白銀三枚を受ける。
※天保12年(辛丑)11月17日(1841.12.29水)
長野義言夫妻が醒井をへて、近江坂田郡市場村(彦根藩の領地、現山東町)に到着する。
※天保12年(辛丑)11月18日(1841.12.30木)別紙
※天保12年(辛丑)11月19日(1841.12.31金)別紙
※天保12年(辛丑)11月20日(1842.1.1土)
幕府は医師の風儀戎・(かいちょく)令を出す。「日本史年表(日本歴史大辞典編集委員会編1990)河出書房新社」
月照が近衛家に参殿し祈祷の巻数を献上する。
昌平校の講演が再興され、庶民に聴講が許される。
※天保12年(辛丑)11月21日(1842.1.2日)
感応寺の日詮上人が池上檀林照栄院へ退身。
将軍世子家定と鷹司前関白政煕の末娘任子(ただこ、あつこ、有君御方、有姫、関白鷹司政通の養女)が西の丸において婚礼。
旗本夫人「井関隆子日記」では、有姫は実は光格天皇の子で関白鷹司政熙の養女となり家定の正室に下されたとなっている。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保12年(辛丑)11月23日(1842.1.4火)
幕府は昌平坂学問所日講、貴賎に限らず、聴聞すべき旨を令す。「徳川十五代史」
※天保12年(辛丑)11月24日(1842.1.5水)別紙
※天保12年(辛丑)11月25日(1842.1.6木)
前の近衛殿の北の方円台院の上の葬儀のため広大院の名代として広敷御用人井関親経が京都に到着する。「旗本夫人が見た江戸のたそがれ、深沢秋男、文春新書」
※天保12年(辛丑)11月26日(1842.1.7金)別紙
※天保12年(辛丑)11月27日(1842.1.8土)
◎夜、娘浄瑠璃 (女義太夫 )36人が召し捕られて入牢する。武江年表
※天保12年(辛丑)11月28日(1842.1.9日)
公家久我建通の長男久我通久が生まれる。
※天保12年(辛丑)11月29日(1842.1.10月)別紙
※天保12年(辛丑)11月30日(1842.1.11火)
夜、上野大仏堂より出火、仏像が焼損する。武江年表
薩摩藩士野津道貫(みちつら)が鹿児島城下高麗町に生まれる。野津鎮雄の弟。
戊辰戦争では兄が五番隊長、道貫が六番隊長で参加。「明治維新人名辞典、日本歴史学会編、(吉川弘文館)」
※天保12年(辛丑)11月 日付不明
1、泉涌寺(光格天皇が葬られている)が焼失する。
2、近江全域にわたる主に大小の川筋にある百カ村の庄屋が京都町奉行所に呼び出される。奉行から口頭で、幕府より直々に琵琶湖、仁保川、野洲川、草津川などの川筋の村の空き地、堤防の内側、川敷・寄り洲などで、開発可能な場所を検分するので、各準備するようにと言い渡される。幕府の真意は隠田畑の摘発にあった。この際、打ち出し(増し分)をねらい、1間の長さ六尺一分を改め、五尺八寸とした。
3、下旬、ジョン万次郎らを乗せた米国に捕鯨船ジョン・ホーランド号がホノルルに到着する。万次郎らはホノルルで生活を始める。
4、天保の改革により発足した北町奉行の市中取締掛が30名に増員される。
5、水野越前守忠邦は、土着住民の減少と無宿の横行を生み出す追放刑に替わる、適当な刑罰の有無を評議させたが、評定所は追放刑の存続を決める。
6.松平近直が目付となる。「明治維新人名辞典、日本歴史学会編、(吉川弘文館)」
P3-24/2011.3.6

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●この記録は、ある大きなサイトの、3頁から24頁のもので、2011年3月6日に追加されたものであろうか ?

風 KAZE ウェブ マガジン

風 KAZE ウェブ マガジン

  • 2019.09.16 Monday
風 KAZE ウェブ マガジン

●今日、〔ウェブ マガジン 風 KAZE〕というサイトに出会った。連想出版を運営しているらしい。新書の中に『旗本夫人・・・』も入っていた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

理念
インターネットの急速な普及にともなって、わたしたちは多種・多量の情報を瞬時に得られるようになりました。しかし、その反面、情報の信頼性や公共性という点では、個々の情報によって千差万別です。一方、新聞や出版物など紙媒体を中心とする既存のメディアが発する情報は、信頼性や公共性を確保していますが、多様性や即応性という点では限界があります。
連想出版は、こうした二種類の情報がもつ特性を鑑みて、それぞれの利点を生かし、互いに補完しあう形をとることによって、より有用な情報を生み出すという考えに立って、公共の資産としての情報を収集・整理し、発信・提供していくことを目的としています。

お茶ナビゲート
まち歩きの起点&情報発信の拠点「お茶ナビゲート」の案内ブログ

e読書ラボ
本の街・神保町にオープンした小さな公開実験室で、電子書籍端末、紙の本、パソコンを自由に組み合わせて未来の読書を体験できる

「本と街の案内所」公式ブログ
神保町界隈の本探しをお手伝いする施設「本と街の案内所」のブログ

神保町へ行こう
本、食、街を主軸に、神保町のタウンガイドを行う

想-IMAGINE Book Search
あなたの想いが伝わる本探し

新書マップ
新書10000冊をテーマで連想検索

Web magazine 風
「新書マップ」と連動したWebマガジン

Book Town じんぼう
神保町の古書店180店、古書10万冊を連想検索

闘病記ライブラリー
さまざまな病気の体験記(書籍)のデータベース。病気についての理解を深める

。。。。。。。。。。。。。。。


美文字少女

美文字少女

  • 2019.09.16 Monday
美文字少女

●菊池先生のエッセイで、中国の、美しい文字を書く少女の事を書き込んでいた。早速、見たが、すごい美文字だ。写真を紹介する。

●昭和女子大の頃、毛筆書道の時間に加えて、硬筆書道の授業を開講したことがある。その、担当に、承春先先生をお願いしたことがある。受講生は、綺麗なペンの文字を、一生懸命に習っていた。この〔美文字少女〕には及ばなかったが、皆、綺麗な文字を書くようになった。検定試験もあった。

。。。。。。。。。。。。。。。

美文字少女
2019/09/15_Sun_07:55
まるでフォントのような美文字を書く中国の少女が話題に
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1993817.html
『千字文』をボールペンで書いているのだが、教科書体で印刷したかのような美文字。何の変哲もないボールペンのように見えるが、このペンに秘密があるのか、あるいは下の用紙ならぬマットに秘密があるのか、又はこの少女の超絶技巧なのか。毛筆で書道をやったらよかろうと思う。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。


『古典文学の常識を疑う Ⅱ』

『古典文学の常識を疑う Ⅱ』

  • 2019.09.15 Sunday
『古典文学の常識を疑う Ⅱ』

松田浩 上原作和 佐谷眞木人 佐伯孝弘  編
A5判、238頁、定価 2800円+税
2019年9月10日、勉誠出版発行。

目 次

はじめに

第一部 上代文学

『古事記』・『日本書紀』の思想    呉 哲男
『古事記』の〈神話〉はいかにして生まれたのか   松本直樹
『古事記』の構成要素が系譜と物語なのはなぜか   谷口雅博
『日本書紀』の編述者の知の基盤はどのようなものか   山田 純
『万葉集』の書記と表現はどのようなものか   松田 浩
新年号「令和」の典拠は現代に何を語りかけるのか   松田 浩
大伴家持は『万葉集』の完成にどう関わったのか   鉄野昌弘
『風土記』と『古事記』・『日本書紀』で神話はどう異なるか   神田典城
『風土記』から見える日本古代   森 陽香
日本の神話はどのように変貌してゆくのか   斎藤英喜
『日本書紀』はどのように読まれたのか   金沢英之
懐風藻と東アジア   高松寿夫
『万葉集』はどのように読まれてきたのか   新沢典子
国語教科書で『万葉集』がどこまでわかるのか   梶川信行
『風土記』はどのように読まれたのか   兼岡理恵
『日本霊異記』は「日本」の仏教説話集か   山口敦史

第二部 平安朝時代文学

かぐや姫の求婚者達はどのような結末を迎えたのか   岸川大航
物語は離婚と財産分与をどう書いたのか   湯浅幸代
和歌に女歌・男歌はあるのか   高木和子
女流日記は女が女のために書いた文学か   竹内正彦
紫式部はどのような宮廷女房生活を送ったのか   高橋麻織
『源氏物語』はなぜ中世に学問となったのか   武藤那賀子
女人往生・出家作法と疑偽経典は日本人の精神史をどのように描いか   上原作和
平安才女と歳の差婚   阿部好臣
枕草子はほんとうに清少納言が編集したものか   山中悠希
『更級日記』作者・菅原孝標女は本当に『浜松中納言物語』の作者か   福家俊幸
『今昔物語集』の東アジア世界はどのように形成されたか   高 陽
『大鏡』『栄華物語』が国語教材に選ばれるのはなぜか   中島和歌子
日記文学はなぜ巻子装から冊子本に書写されたのか   佐々木孝浩
三島由紀夫は古典をどのように小説化したのか   伊藤禎子

第三部 中世文学

京極派和歌の独自性とは何か   阿尾あすか
『平家物語』の典拠としての早歌   岡田三津子
擬古物語を文学史にどう位置づけるか   中島正二
『方丈記』『徒然草』は禅宗とどうかかおるのか   荒木 浩
『平治物語絵巻』は何を表現しているのか   滝澤みか
『平家物語』の「作者」をどう考えるか   松尾葦江
『平家物語』は女人往生をどのように描いているか   森 誠子
『曾我物語』はどのように語られたか   二本松康宏
『義経記』と語り物はどのように関わるのか   佐谷眞木人
切支丹能は存在したか   宮本圭造
世阿弥の「幽玄」「夢幻能」「歌舞能」を問い直す   重田みち
お伽草子はどのように異界・異国を表現しているか   宮腰直人
民俗学は説話文学の研究にどのような影響を与えたか   伊藤慎吾
『百人一首』はなぜ流行したのか   谷 知子

第四部 近世文学

『奥の細道』のネットワークの意味   玉城 司
本居宣長が文学研究に果たした役割は何か   杉田昌彦
狂歌に文芸性はあるのか   小林ふみ子
「仮名草子」をどのように定義すべきか   柳沢昌紀
秋成の学問は創作とどう関わるのか   飯倉洋一
江戸時代の人々は怪異を信じていたのか   佐伯孝弘
草双紙における絵と文はどう関わるのか   佐藤至子
「作者近松門左衛門」とはどういう意味か   阪口弘之
上方歌舞伎と江戸歌舞伎はどのような関係か   武藤純子
江戸時代の出版統制の実態はどうであったか   山本秀樹
古典文学における「個」をどう捉えるか   西田耕三
古典文学において「悪」はどう形象されているか   横山泰子
幕末漢詩における政治性とは何か   合山林太郎

執筆者一覧

呉 哲男(相模女子大学名誉教授)
松本直樹(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
谷口雅博(国學院大學文学部教授)
山田 純(相模女子大学学芸学部准教授)
松田 浩(編者(→奥付参照))
鉄野昌弘(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
神田典城(学習院女子大学学長)
森 陽香(目白大学専任講師)
斎藤英喜(佛教大学歴史学部教授)
金沢英之(北海道大学大学院文学研究院教授)
高松寿夫(早稲田大学文学学術院教授)
新沢典子(鶴見大学文学部教授)
梶川信行(日本大学文理学部教授)
兼岡理恵(千葉大学大学院人文科学研究院准教授)
山口敦史(大東文化大学文学部教授)
岸川大航(千葉大学大学院融合理工学府地球環境科学専攻都市環境システムコース)
湯浅幸代(明治大学文学部准教授丿
高木和子(東京大学大学院人文社会系研究科教授)
竹内正彦(フェリス女学院大学文学部教授)
高橋麻織(椙山女学園大学国際コミュニケーション学部専任講師)
武藤那賀子(鹿児島国際大学専任講師)
上原作和(編者(→奥付参照))
阿部好臣(日本大学文理学部教授)
山中悠希(東洋大学文学部准教授)
福家俊幸腸稲田大学教育・総合科学学術院教授)
高陽(清華大学人文学部外文系准教授)
中島和歌子(北海道教育大学札幌校教授)
佐々木孝浩(慶応義塾大学附属研究所斯道文庫長・教授)
伊藤禎子(学習院高等科教諭)
阿尾あすか(奈良学園大学准教授)
岡田三津子(大阪工業大学知的財産学部教授)
中島正二(洗足学園中学高等学校教諭)
荒木 浩(国際日本文化研究センター教授)
滝澤みか(日本学術振興会特別研究員(PD))
松尾葦江
森 誠子(九州産業大学基礎教育センター准教授)
二本松康宏(静岡文化芸術大学文化政策学部教授)
佐谷眞木人(編者(→奥付参照))
宮本圭造(法政大学能楽研究所教授)
重田みち(京都造形芸術大学非常勤講師)
宮腰直人(同志社女子大学表象文化学部准教授)
伊藤慎吾(国際日本文化研究センター客員准教授)
谷 知子(フェリス女学院大学文学部教授)
玉城 司(清泉女子大学人文科学研究所客員所員)
杉田昌彦(朋治大学文学部教授)
小林ふみ子(法政大学文学部教授)
柳沢昌紀(中京大学文学部教授)
飯倉洋一(大阪大学文学研究科教授)
佐伯孝弘(編者(→奥付参照))
佐藤至子(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)
阪口弘之(大阪市立大学名誉教授)
武藤純子(清泉女子大学兼任講師)
山本秀樹(岡山大学大学院社会文化科学研究科教授)
西田耕三(元近畿大学教授)
横山泰子(法政大学理工学部教授)
合山林太郎(慶應義塾大学文学部准教授)

編者略歴

松田 浩(まつだ・ひろし)
修士(文学一慶應義塾大学)。フェリス女学院大学文学部教授。専攻は日本古代文学(上代文学)。
共著に『法制と社会の古代史』(慶應義塾大学出版会、2015年)、論文に「歌の書かれた木簡と「万葉集」の書記」(『アナホリッシュ國文學』響文社、2012年12月)、「県守の虬退治「妖気」と――『日本書紀』仁徳紀・聖帝伝承の叙述方法と「無為」」(『日本神話をひらく』フェリス女学院大学、2013年3月)、「漢字で書かれた歌集――「人麻呂歌集」の書記と「訓み」と」(『古代文学』古代文学会、2013年3月)などがある。

上原作和(うえはら・さくかず)
博士(:文学一名古屋大学)。桃源文庫日本学研究所教授・法人理事。専攻は平安時代物語文学、文献史学、日本琴學史。
主著に『光源氏物語傅来史』(武蔵野書院、2011年)、共編著に『人物で読む源氏物語』全20巻(勉誠出版、2005~2006年)、『日本琴學史』(勉誠出版、2016年)などがある。

佐谷眞木人(さや・まきと)
博士(文学一慶應義塾大学)。恵泉女学園大学人文学部教授。専攻は古典芸能、軍記物語、民俗学。
主著に『平家物語から浄瑠璃へ――敦盛説話の変容』(慶應義塾大学出版会、2002年)、『日清戦争――「国民」の誕生』(講談社現代新書、2009年)、『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』(講談社選書メチエ、2015年)などがある。

佐伯孝弘(さえき・たかひろ)
博士(文学一東京大学)。清泉女子大学学長・文学部教授。専攻は日本近世(江戸時代)文学。
主著に『江島其碩と気質物』(若草書房、2004年)、共編著に『八文字屋本全集』全23巻(汲古書院、1992~2000年)、『浮世草子研究資料叢書』全フ巻(クレ馮出版、2008年)、『浮世草子大事典』(笠間書院、2017年)などがある。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●『古典文学の常識を疑う Ⅱ』が刊行された。内容は、上記の目次の通りである。全項目を読んだ訳ではないが、初感は、〔日本古典文学研究も悩んでいるナ〕であった。

●私たちの、古典文学研究は、永遠に続くのであろうか。『古事記』や『源氏物語』は、いつまで研究すれば、一段落するのであろうか。

●「仮名草子」「浮世草子」は、どの段階まで進んでいて、終点は、どのあたりだろうか。

●研究完了の作品はないだろうか。未研究の作品は残っていないだろうか。そんなことを、漠然と感じた。