【5】・【6】・【7】 可笑記評判

仮名草子関係書・解説 【5】
 
【5】・【6】・【7】 可笑記評判

【5】可笑記評判(上)  昭和52年1月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・21)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻一~巻三を収録。

【6】可笑記評判(中)  昭和52年2月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・22)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻四~巻七を収録。

【7】可笑記評判(下)  昭和52年3月25日,勉誠社発行,10000円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・仮名草子編・23)『可笑記評判』(名古屋大学図書館蔵本)を写真複製して収録したもの。巻八~巻十を収録し,解説を付したもの。

  一、著  者

 『可笑記評判』は、『可笑記』(如儡子作・五巻・寛永十九年刊)に対する批評書として、万治三年二月に刊行された。その奥書に「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」とあり、この「瓢水子」が浅井了意の号である事は、北条秀雄氏の『浅井了意』(昭和十九年刊)によって立証されている。浅井了意は、万治・寛文期に『堪忍記』『東海道名所記』『江戸名所記』『浮世物語』『京雀』『伽婢子』等の多くの仮名草子を著しているが、『勧信義談紗』『三部経鼓吹』をはじめとする仏書をも残している。この了意に関しては、北条秀雄氏の『改訂増補 浅井了意』(昭和四十七年刊)に詳しい(注1)。

  二、成  立

 『評判』の成立時期に関しては従来諸説が出されている。早く仮名草子研究の道を開かれた水谷不倒氏は、奥書の「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作之」(『可笑記』)「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆之」(『評判』)をそのまま信用して、『評判』の著者は『可笑記』を草稿の段階で読み、批評を付加した、とされた(『近世列伝体小説史』明治三十年刊)が、この水谷氏の説を除くと、藤岡作太郎氏、北条秀雄氏、寺谷隆氏、野田寿雄氏、松田修氏の各説は、その刊年記「万治三年庚子二月吉祥日」に近い頃に成立したという点で一致している(注2)。ところが最近、野間光辰氏は北条秀雄氏の説に疑問をもたれ、「了意が一年を出でずしてこれを読みこれに評語を加へたことも、十分あり得る。」いと、水谷不倒氏の               
説に近い、草稿内覧説を主張された(注3)。
 私もこの問題に関して種々検討してみたが、やはり万治に近い頃に成立したというのが実情ではなかったかと思われる。今は紙数の関係で詳しく述べられないので、そのように考える根拠の一つを示すにとどめたいと思う。かつて『可笑記』各版の本文異同に関して考察した事があるが(注4)、その結果によれば、『評判』所収の『可笑記』本文は無刊記本を底本に使用したものと判断される。また、無刊記本の刊行時期については、寛永十九年秋以後、万治二年以前、と考えるのが妥当のようである。したがって『評判』の著者は、寛永十四年に『可笑記』の写本に接して筆を起こし、二十三年後の万治三年頃までに完成したという説には従いがたい。『可笑記』は寛永十九年秋に十一行本が初めて刊行されたが、その後、この十一行本の準かぶせ版としての十二行本が出た。そして、おそらく、それに続く第三版として出版されたのが無刊記本であろう。さらに万治二年正月には絵入本が出ている。寛永十九年から万治二年まで十七年間、仮に機械的に計算すると、ほぼ六年毎に次の版が出された事になる。このような点から考えると、ある
いは、無刊記本の刊行は承応年間であったかも知れない。そして『評判』の著者は、この無刊記本をテキストにして批評を付加したものであろう。
 なお、この『評判』の成立に関しては、奥書の「于時寛永十四南呂上澣」、序の「寛永のころほひ……」をどのように解釈するか、如儡子と了意の関係等、多くの問題が関連してくる。今後、さらに考えを深め、別に発表したいと思っている。
                    
 さて、万治三年刊行の『評判』を最初に記載した書籍目録は、寛文六年頃の刊とされる『和漢書籍目録』(寛文無刊記本)であり、以後出版された書籍目録の記録を、年代順に列挙すると次の通りである(注5)。

○「十冊 同評判」(『和漢書籍目録』・寛文無刊記本)
O「十冊 同評判 浅井松雲了意」(『増補書籍目録 作者付大意』・寛文十一年・
  山田市郎兵衛刊)
O「十 同評判 了意」(『古今書籍題林』・延宝三年・毛利文八刊)
O「十 同評判 浅井松雲」(『新増書籍目録』・延宝三年刊)
○「十 同評判 浅井松雲 廿匁」(『書籍目録大全』・天和元年・山田喜兵衛刊)
O「十 同評判 了意作」(『広益書籍目録』・元禄五年刊)
○ 「十 上村 同評判 了意 十五匁」(『増益書籍目録大全』・元禄九年・河内屋
  喜兵衛刊)
O「十 可笑記評判 了意」(『新板増補書籍目録 作者付大意』・元禄十二年・永
  田調兵衛等刊)
O「十 上村 同評判 了意 廿五匁」(『増益書籍目録大全』・元禄九年刊正徳五
  年修・丸屋源兵衛刊)

 東寺観智院所蔵の『新板書籍目録』(万治二年の写本)には、未だ記載されていないが、これは『評判』の刊年記「万治三年庚子二月吉祥日」と符合する。右に挙げた書籍目録の記録によると。『評判』は「浅井松雲了意」の作として売買され、元禄九年頃の版元は「上村」であった事がわかる。この「上村」は、京都二条通リ烏丸西入ル北側(玉屋町)に住し、寛永から宝永に亙って『聖賢像賛』『続列女伝』『智恵鑑』『洛陽名所集』『尚書通考』『僧伝排韻』『左伝林註』等を刊行した上村次郎右衛門であろうと思われる(注6)。また価格も、廿匁(天和元年)、十五匁(元禄九年)、廿五匁(正徳五年)と時代により変化はあるが、同時代の他の書
に比較してみると、この作品はかなり高価なものとして扱われていたようである(注7)。                  
 万治三年より正徳年間までの、およそ五十年間、新本としてまた古本として、書肆の店頭に出されたこの作品も、享保十四年の『新撰書籍目録』(永田調兵衛刊)・明和九年の『大増書籍目録』(武村新兵衛刊)では、他の大部分の仮名草子類と共に、その姿を消している。以後は各蔵書家の手によって、細々と伝えられたのである。
 「此書久シク探索シテ漸ク京師書林石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテハ有益ノモ
  ノ歟今茲初テ得之珍蔵スペキモノナリ 七十四翁三園誌之」
 これは、名古屋大学附属図書館所蔵本の識語である。この旧蔵者・三園は「神
谷氏、名は克楨、通称喜左衛門。尾張藩士で、京に在ること二十五年、学を好み和漢の異本珍籍を蔵し、有職故実・算数・本草学にも精しかった。岡田文園・吉田雀巣・柴田海城・小寺玉晁・小田切春江らと交わり、畸人をもって目せられた。明治四年六月、八十四歳をもって没し」ている(注8)。また石田治兵衛は、京都一条通リ大宮西入ルで、寛政から明治にかけて活動した書肆と思われる(注9)。三園の没年から逆算すると、
この識語の書かれたのは文久元年となり、この時期の本書の状況を推察する事ができる。                       
  

  三、底本と諸本

 『可笑記評判』の諸本について実地に踏査した結果、現在、その所在が明らかになっているものは、次の七点である。
 1、赤木文庫(横山重氏)所蔵本
 2、京都大学附属図書館所蔵本
 3、国立国会図書館所蔵本
 4、東京大学附属図書館所蔵本
 5、名古屋大学附属図書館所蔵本
 6、竜門文庫所蔵本
 7、早稲田大学図書館所蔵本
 本影印の底本には、右の諸本の内、最も刷りが早く、しかも完本である、名古屋大学附属図書館所蔵本を使用した。以下書誌的概観を試みたいが、右の諸本は、いずれも同一版木に拠るものと思われるので、底本についてのみ、版式を詳しく記し、他の諸本はこれと異なる点を記すに止めたい。
                              

 1、名古屋大学附属図書館所蔵本(岡谷文庫 岡913 51 AI~10)
著者  瓢水子(浅井了意)。
表紙  雷文つなぎ牡丹唐草模様藍色原表紙、縦278ミリ×横182ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十)」縦176ミリ×横39ミリ(巻四)。
  各巻、部分的に磨損、欠損あり。
匡郭  四周単辺、縦208ミリ×横160ミリ(巻一の2丁表)。
内題 「可笑記評判巻第一 (~十)」。
目録題 「可笑記評判巻第一 (~十)目録」。ただし、巻八は「目録」の二字なし。
尾題  なし。
柱刻  巻一「可笑記評判一 乙(~五十六終)」。
    巻二「可笑記評判巻二 乙」。
      「可笑記評判二 二(~六)」。
      「可笑記評判巻二 七(~六十三終)」。
    巻三「可笑記評判巻三 乙(~四十六終)」。
    巻四「可笑記評判巻四 乙(~五十六終)」。
    巻五「可笑記評判巻五 乙(~四十七終)」。
    巻六「可笑記評判巻六 乙(~五十一終)」。
    巻七「可笑記評判巻七 乙(~六十五終)」。
    巻八「可笑記評判巻八 乙(~五十九終)」。
    巻九「可笑記評判巻九 乙(~七十六終)」。
    巻十「可笑記評判巻十 乙(~七十九終)」。
  版心は白口。
巻数  十巻(欠巻なし)。
冊数  十冊。
丁数  巻一…56丁。  巻二…63丁。  巻三…46丁。  巻四…56丁。
    巻五…47丁。  巻六…51丁。  巻七…65丁。  巻八…59丁。
    巻九…76丁。  巻十…79丁。
行数  毎半葉12行。
字数  一行約22字(批評の部分は一段下げのため、それより1字ないし2字少ない)。
章段数  序。愚序評。巻一…27段。  巻二…20段。  巻三…23段。
    巻四…24段。 巻五…25段。  巻六…17段。  巻七…21段。
    巻八…30段。 巻九…43段。  巻十…47段。  奥書
句読点  部分的に付されており、「。」「・」混用。
奥書 「于時寛永十四南呂上澣 瓢水子筆」。
刊記  「万治三年庚子二月吉祥日」。
蔵書印・識語等 「真照文庫」「名古屋大学図書印」「名古屋大学図書館/和書/89903(~
   89912)(黒印)」の朱印。「寄贈者岡谷正男氏/昭和二十六年二月十五日」の青印。巻
   一前表紙に白紙(縦157ミリ×横78ミリ)が貼付されており、墨書にて次の識語があ
   る。「可笑記評判十套 万治三年庚子二月吉祥日梓行/此書久シク探索シテ漸ク京師書
   書林/石田治兵衛ヨリ需ム雑書中ニテハ/有益ノモノ歟今茲初テ得之珍蔵ス/ペキモノ
   ナリ/七十四翁三園誌之」

 2、早稲田大学図書館所蔵本(ヘ13 1701 特別図書)
表紙  後補薄藍色表紙、縦272ミリ×横182ミリ(巻一)。大本。                           
題簽  左肩に、後補題簽、「可笑記評判 一(~十)」と墨書、縦172ミリ×横36ミリ(巻
   一)。
蔵書印 「早稲田大学図書」の朱印、その他朱印一顆。
その他  各巻頭の目録(乙丁)がすべて落丁。

 3、赤木文庫(横山重氏)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦267ミリ×横185ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、(可笑記評判 一(~十終)」縦187ミリ×横38ミリ(巻一)。
蔵書印 「西荘文庫」「アカキ」「よこ山」の朱印。
その他  巻八の31丁・32丁が乱丁。

 4、京都大学附属図書館所蔵本(国文学 pb 24)
表紙  縹色原表紙、縦269ミリ×横185ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十終)」縦約187ミリ×横38ミリ(巻
   一)。ただし、巻三欠。
蔵書印 「京都帝国大学図書之印」の朱印。「京大/170749/大正6・2・9」の青印。                   

 5、国立国会図書館所蔵本(146 171)
表紙  原表紙は失われており、昭和四十一年に改装し、茶色縞表紙を補う。縦269ミリ×
   横201ミリ(第一冊目)。大本。この折、本文紙も全冊に亙って総裏打ちされた。
題簽  左肩に、後補子持枠題簽、「可笑記評判 巻一~三(巻四~七・巻八~十)」と墨書、
   縦196ミリ×横38ミリ(第一冊目)。
冊数  三冊に合冊。第一冊…巻一・巻二・巻三。 第二冊…巻四・巻五・巻六・巻七。第三
   冊…巻八・巻九・巻十。
蔵書印 「不忍文庫」「阿波国文庫」「東京図書館蔵」の朱印。「書林柳校軒 日本橋小川二丁
   目 彦九郎」の黒印。
その他  巻九の75丁・76丁、下部三分の一ほど欠損。巻八の31丁・32丁、巻九の31丁、
   巻九の49丁~76丁が乱丁。

 6、東京大学附属図書館所蔵本(青洲文庫 E24 634)
表紙  縹色原表紙、縦267ミリ×横181ミリ(巻一)。大本。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「可笑記評判 一(~十)」了十」」縦175ミリ×横39ミリ
   (巻一)。ただし、巻五欠。
蔵書印 「青洲文庫」「東京帝国大学図書印」の朱印。

 7、竜門文庫所蔵本(一〇ノ三 815)
表紙 後補茶色表紙、縦255ミリ×横180ミリ(巻一)。大本。 
題簽  なし。
蔵書印 「永田文庫」「竹田文庫」「善宇」「龍門文庫」の朱印。「本治」の黒印。その他朱印一
   顆。
その他  巻一の52丁が落丁。巻三の2丁~6丁、巻十の76丁・77丁が乱丁。
 

以上、各所蔵本を概観したのであるが、これらは、印刷の先後によって、二つのグループに分ける事ができると思われる。初印本と断定できないにしても、明らかに早印本であると思われるのが、名大本と早大本であり、赤木文庫本・京大本・国会本・東大本・竜門文庫本は後印本と思われる。その根拠は、赤木文庫本系には、版木の破損によって、巻五の35丁・36丁に、かなり不明の箇所があるが、名大本系ではこれが明瞭に出ているし(注10)、また名大本系において。巻八の39丁の丁付は「丗」とあり「九」が脱落しているが、赤木文庫本系では「丗九」と訂正され「九」を埋木した跡が認められるからである。なお、同じ巻八の丁付が「廿八
・廿九・三十・三十一・丗一・丗二」とあるのは、諸本共通であり「丗一」は「丗二」の誤刻であるが、赤木文庫本と国会本は「三十一」と「丗一」を入れ替えて製本してしまっている。また、題簽に二種あるが、名大本と東大本が同じ版木によるものと思われ、赤木文庫本と京大本のものが同系統である。これらの点から考えると、後印本と思われるクループの中でも、東大本は名大本と近い関係にあるという事ができる。

                    
四、『可笑記』・『可笑記評判』章段対照表

 『評判』は『可笑記』の批評書であり、各段ごとに表題を付し、『可笑記』の本文をまず掲げ、その後に「評曰……」と一段下げて批評を連ねる、という体裁をとっている。『可笑記』全二八〇段中、批評を付加したのは二三一段である。各段の分量は、小は二行程度のものから、大は延々十三丁に亙るものもあり、必ずしも一定しないが、瓢水子の付加したものは、序、愚序評、奥書を加えると、二三四の長短の批評文という事になる。その他、各巻頭の目録題も新たに付加したものである。

★【章段対照表 省略】  原本参照

 注1、○七囲んだものは、批評を省略した談。
 注2、空白の箇所(『可笑記』巻一の32・巻二の15・巻四の42)は『可笑記』本文、批評
    ともに省略した段。
 注3、『評判』巻三の「19・20・21・22・23」は原本では「16・19・20・21・22」となっ
    ている。

★【章段数対照表 省略】  原本参照

批評を付加した段……………………………231段
批評を省略した段…………………………… 46段
本文・批評ともに省略した段………………  3段
総数……………………………………………280段

五、『可笑記評判』所収の『可笑記』本文について

 『評判』所収の『可笑記』本文が無刊記本に近い事は、すでに前田金五郎氏が指摘しておられる(『国語国文』昭和四十年六月号)が、その後、私は『近世初期文芸』第一号(昭和四十四年十二月)でやや詳しく考察した事がある。今は、その結果の概略を示すにとどめたい。
 『可笑記』の版本には次の四種がある。( )の中は略称。
 ○寛永十九年版十一行本(十一行本)
 ○寛永十九年版十二行本(十二行本)
 ○無刊記本
 ○万治二年版絵入本(絵入本)
 この中で、十一行本が初版、十二行本は十一行本の準かぶせ版、無刊記本は十一行本を底本にして改版したもの、絵入本は無刊記本を底本にして改版し挿絵を加えたもの、という事ができる。これら各版の本文と『評判』所収の本文を比較した結果は次の通りである。
 1、無刊記本・絵入本・評判共通の異同が多い事から、この三版が近い関係にあると言える。
 2、評判には四箇所に亙って長文の脱落があり、他の版が評判を底本に使ったという可能性
   はない。
 3、無刊記本・絵入本に対する評判の異同を分析すると、より無刊記本に近いと言い得る。
   そこから評判は無刊記本を底本に使用した事が推測されるが、その際、十一行本・十二
   行本は参照しなかったものを思われる。                        
 4、評判には四箇所に長文の脱落があるが、その外にも機械的な誤脱が多い。
 5、評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、積極的に補っている。
 6、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
 7、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを認め得るが、それだけ
   に、ゆき過ぎもみられる。
 8、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても。それほど無刊記本に忠実で
   はない。
 要するに『評判』は無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、誤脱も多く。他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかし『評判』は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この『評判』は、むしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたというべきである。

★【諸作品価格一覧表 省略】  原本参照

注1 浅井了意に関する参考文献については、日本古典鑑賞講座『御伽草子・仮名草子』所収
  の水田紀久氏編「仮名草子文献目録」、『改訂増補 浅井了意』所収の若木太一氏編「浅井
  了意関係研究文献目録」。『近世初期文芸』第三号所載の小川武彦氏・深沢秋男編「仮名草
  子研究文献目録」を参照願いたい。なお、その後、北条秀雄氏に『新修浅井了意』(昭和
  四十九年刊)があり、拙稿「『可笑記評判』について」(昭和四十九年刊『日本文学の研究』
  ―重友毅博士頌寿記念論文集―所収)がある。
注2 藤岡作太郎氏は万治年間(『近代小説史』)、北条秀雄氏は慶安・承応の頃(『浅井了意』)、
  寺谷隆氏は明暦前後(『国語国文』昭和二十九年三月)、野田寿雄氏は慶安か承応のころ(『国
  語国文研究』昭和三十八年二月)、松田修氏は正保末、万治初年(『文学』昭和三十八年五
  月)とされている。
注3 「了意追跡」(昭和四十七年三月刊、北条秀雄氏『改訂増補 浅井了意』所収)
注4 「『可笑記』の本文批評」(『近世初期文芸』第一号・昭和四十四年十二月)
注5 書籍目録については『江戸時代書林出版書籍目録集成』(慶応義塾大学附属研究所斯道
  文庫編)に拠った。
注6『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏編)によると上村姓の書肆は五名あるが、次郎右衛門
  が時代的にも妥当と思われる。
注7 価格を記した書籍目録の主なものは、次の四種である。
  ①『書籍目録大全』(天和元年・山田喜兵衛刊)
  ②『増益書籍目録大全』(元禄九年・河内屋喜兵衛刊)
  ③ ②の増修本(宝永六年・丸屋源兵衛刊)
  ④ ②の第五次増修本(正徳五年・丸屋源兵衛刊)
  この中から主な作品を取り上げ、冊数の多い順、価格の高い順に配列したのが後に掲げた
  「諸作品価格一覧表」である。もちろん、重版の有無、丁数なども関係してくるので、一
  概には言えないし、また『評判』が再版されなかった事とも関わっていると思うが、他の
  作品に比して、本書が高額である事は言い得ると思う。
注8 これは、小野晋氏著『近世初期遊女評判記集』(研究篇)より引用させて頂いた。なお、
  小野氏の御厚意により、愛知県刈谷市立図書館所蔵の『そゞろ物語』の識語と筆蹟を比較
  することを得た。その結果、同じ三園のものと判断される。
注9 前掲『慶長以来書賈集覧』に拠る。
注10 巻五の不明箇所について、竜門文庫本は未確認であるが、丁付その他の点から後印本
  に入れた。機会をみて確認し、正確を期したいと思う。

付 記

 『可笑記評判』の解題をまとめるにあたって、
 名古屋大学附属図書館では、貴重な御所蔵本を。底本として使用することを御許可下さいました。
 前田金五郎、横山重両先生には、仮名草子全般に関して多大の御指導を賜り。小野晋先生には、刈谷市立図書館所蔵の『そゞろ物語』に関して、種々御教示を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、赤木文庫、京都大学附属図書館、国立国会図書館、東京大学附属図書館、竜門文庫、早稲田大学図書館の御高配を賜りました。
 ここに記して、厚く御礼申し上げます。
                       昭和五十年四月四日

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【追 記】

 浅井了意の『可笑記評判』は、昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会から、最初の翻刻として出した。しかし、全10巻の大部な作品ゆえ、『可笑記』の本文は省略して、了意の付加した、批評の部分のみを収録するという不本意なものとせざるを得なかった。。しかも、タイプ印刷という、極めて厳しい印刷条件の下での作業であった。
 そのような経過があったが、それから7年後、『近世文学資料類従・仮名草子編』の第2期が刊行されることになり、その中に『可笑記評判』を加えて頂くことになったのである。これは、横山先生と前田先生に、私から、以上の経過事情を説明して、お願い申上げて、実現したものである。
 底本に関しては、前回の対応に、反省点もあったが、ここで、最も印刷の早い、名古屋大学附属図書館の所蔵本を使用させて頂けたことは、本当に感謝している。

                            平成28年12月7日
                                      深沢秋男

【1】『新可笑記』

書籍・解説(仮名草子以外)

【1】新可笑記  昭和49年10月25日,勉誠社発行,9500円。(近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・西鶴編・11)『新可笑記』(吉田幸一氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。

 一、はじめに

 『武道伝来記』・『武家義理物語』に続いて、いわゆる西鶴・武家物の第三作として創られた『新可笑記』の書名は、寛永十九年刊行の仮名草子『可笑記』(如儡子作・五巻)に基づいている。
 当時の書籍目録の中で最初にこの作品を記載したのは、元禄五年に京都の永田調兵衛等から出版された『広益書籍目録』(注1)である。『新可笑記』はこの目録の二箇所に記されている。まず「物語類」の部には、

 「八  武道一覧    団水
  八  同伝来     西鶴
  六  武家義理物語
  五  本朝廿不孝   西鶴
  二  螢随筆
  五  新可笑記      」

の如く『武道伝来記』・『武家義理物語』・『本朝廿不孝』等と共に並べられている。しかし他の一箇所は、本書が『本朝桜陰比事』と共に「仮名和書」の部に記されているのに対して、『武道伝来記』・『武家義理物語』は「軍書」の部に記されているのである・本書は当時から、必ずしも『武道伝来記』・『武家義理物語』と同類の作とのみはみられていなかったもののようである。
 『新板増補書籍目録 作者付大意』(元禄十二年正月刊)は、同じ永田調兵衛等が出したものであるが、この目録では『新可笑記』は削除されている。阿部隆一氏は「「五の目録」(元禄五年刊の目録)は江戸前期からその頃までの出版物を殆ど収録する方針をとったが、元禄末になるとその中には絶板書も生じて来ているので、その類は本目録では削除し始めている。」と説いておられる(注2)。もしそうであるとすれば、『新可笑記』は『武家義理物語』・『本朝桜陰比事』・『一目玉鉾』等と共に、この時点ですでに絶版になっていた事になる。絶版になっていたか否かは別として、何等かの理由――例えば。新刊書が多いためとか、その本の部数が少ないとか、あるいは市場価値が低いとか、など――によって削除されたのであろう。
 『増益書籍目録大全』(元禄九年河内屋利兵衛刊・正徳五年改訂丸屋源兵衛刊)は、伊呂波わけ目録で価格も記されている。
 「五 池田ヤ しん新か可せう笑き記  五匁五分」            
この「池田ヤ」は本書の版元・岡田三郎右衛門の屋号である。本書以外の西鶴本の価格をみると次の如くなっている。

 武道伝来記 八冊 七匁    武家義理物語 六冊 四匁五分
 日本永代蔵 六冊 四匁    本朝桜陰比事 五冊 四匁五分
 一目玉鉾  四冊 五匁五分  西鶴置土産  五冊 二匁八分
 西鶴織留  六冊 三匁八分  万の文反古  五冊 三匁五分
 西鶴俗つれづれ 五冊 二匁八分

 これらの価格を、丁数をも考慮して比較してみると、『一目玉鉾』が最も高く、『置土産』・『織留』・『俗つれづれ』・『永代蔵』が低いグループに入る。その他は『新可笑記』を含めてヽ中間の価格となっている。

 水谷弓彦氏の『明治大正古書価の研究』(昭和八年)には、明治二十三年から大正十五年までの三十七年間に古書店に出た浮世草子が記録され
ているが、『新可笑記』は二点だけ記されている。
                                  
「大正三年
  新可笑記   西鶴 元禄元年 上本 五冊 三五円
  日本永代蔵  同  一冊取合    六冊  六円
  置土産    西鶴絵入 裏打あり  五冊 一二円
 大正四年
  西鶴織留   合          三冊  五円
  本朝桜陰比事            五冊  六円
  新可笑記   西鶴         五冊  五円
  置土産    同          五冊 一〇円」

この水谷氏の記録からもわかるように、本書は、近代に入ってからは、かなり高価な本として売買されているが、やはり伝本の数が少ない事が、その主たる原因のように思われる。
 この作品の本文は、『定本西鶴全集』をはじめ十指に余る翻刻がなされているが、複製は昭和二十九年の古典文庫のみである。ここに、現存諸本中、最上本と判断される、吉田幸一氏所蔵本を底本として複製公刊することは、十分の意義があるものと思う。

 二、底本と諸本

 『新可笑記』の諸本について実地に踏査した結果、現在、その所在が明らかになっているものは、次の八点であり、それらは、大本と半紙本とに分けられる。

〔一〕、大 本

1、吉田幸一氏所蔵本
2、天理図書館所蔵本・I

〔二〕、半紙本

 1、大阪府立図書館所蔵本
 2、国立国会図書館所蔵本
 3、青果文庫(前進座)所蔵本
 4、天理図書館所蔵本・Ⅱ
 5、東京大学附属図書館(霞亭文庫)所蔵本
 6、平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)所蔵本

 以下、これら諸本の書誌的概観を試みたいが、右の各所蔵本は、いずれも同一版木に拠るものと判断されるので、底本に使用した、吉田幸一氏所蔵本についてのみ、版式を詳しく記し、他の諸本は、これと異なる点を記すに止めたい。

〔一〕、大 本

 1、吉田幸一氏所蔵本(本影印の底本)
著者  井原西鶴。
装訂  袋綴。
表紙  黒色原表紙、縦267ミリ×横180ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、子持枠原題簽、「ゑ入 新かせう記 一」「絵入 新可笑記 二
   (~五)」縦175ミリ×横35ミリ(巻一)。
匡郭  四周単辺、縦182ミリ×横137ミリ(巻一の3丁表)。ただし、巻一の
  1丁(序)は匡郭なし。
目録題  巻一は2丁表に、巻二以下は各巻頭に「新可笑記 巻一(~四)/目
  録」「新可笑記 巻五/目ろく」。
内題・尾題  なし。
柱刻 「新笑一 一 (三、四~三十)」巻一巻頭の丁付は、2丁目(目録)に「一」、 
  3丁目(本文の初め)に「三」とあり、「二」が無いが、内容は完全である。
  また、1丁目(序)に丁付が無いため、最終丁の「三十」と実丁数30丁は合
  致している。「新笑二 一(~二十一、二十二、二十二、二十三~二十八終)
  」巻二の22丁目は重複しているが、内容は完全である。したがって最終丁が
  「二十八終」とあっても実丁数は29丁となる。「新笑三 一(~二十四終)」。
  「新笑四 一(~二十五終)」。「新笑五 一(~二十三終)」。
  版心は白口。その体裁には次の四種がある。(丁付は原本に従う。)
  ①★ 図は省略  原本参照
   一の1、二の1・26、三の1、四の1・23、五の1。
  ②★ 図は省略  原本参照
   一の10・13・14・21、四の11・21。
  ③★ 図は省略  原本参照
   一の3~9・11・12・15~20・22~26・28~30、二の2~25・27・28、
   三の2~24、四の2~10・12~20・22・24・25、五の2~23。
  ④★ 図は省略  原本参照
   一の27。
巻数  五巻(欠巻なし)。
冊数  五冊。
丁数  巻一…30丁(内、序1丁、目録1丁)。巻二…29丁(内、目録1丁)。巻
  三…24丁(内、目録1丁)。巻四…25丁(内、目録1丁)。巻五…23丁(内、
  目録1丁)。
行数  序…7行。目録…6行(巻二は8行)。本文…毎半葉11行。
字数  序…約11字。本文…約19字。
章段数  序。巻一…5話。巻二…6話。巻三…5話。巻四…5話。巻五・・・5話。
  なお。巻一、巻二の章番号には乱れがあり、さらに章番号を囲む枠に四種が
  ある。それを整理すると次の如くである。
 巻一    ★図は省略  原本参照
 巻二    ★図は省略  原本参照
 巻三    ★図は省略  原本参照
 巻四    ★図は省略  原本参照
 巻五    ★図は省略  原本参照
句読点 「。」「・」混用。
挿絵  巻一…6図、内見開き3図(4丁裏5丁表・12丁表・15丁裏16丁表・
   17丁表・20丁裏21丁表・29丁表)。
  巻二…6図、内見開き3図(3丁裏4丁表・8丁裏9丁表・13丁表・14丁裏・
   16丁裏17丁表・23丁表)。
  巻三…6図、内見開き2図(4丁裏5丁表・9丁表・11丁表・15丁裏16丁
   表・19丁表・23丁表)。
  巻四…5図、内見開き3図(3丁裏4丁表・10丁表・13丁裏14丁表・18丁
   表・22丁裏23丁表)。
  巻五…5図、内見開き3図(3丁裏4丁表・9丁表・12丁裏13丁表・16丁
   表・19丁裏20丁表)
  絵師…吉田半兵衛風(注3)。
  巻四の13丁裏14丁表の絵は入れかえられている。
序跋  巻一の1丁に自序「難波俳林/西鵬/松寿(方形印・陰刻、縦35ミリ×横35ミリ)」。
刊記  巻五の23丁裏に、 
    「元禄元戊辰稔
       十一月吉日

      江戸日本橋青物町
            万屋清兵衛   板
      大坂真斎橋筋呉服町角
            岡田三郎右衛門 行」
   ただし、これは埋木。
版下  序・本文見出し…西鶴。題簽・目録・刊記…伊藤長右衛門道清。本文…
  未詳であるが、『本朝二十不孝』『武道伝来記』『日本永代蔵』等と同筆(注4)。
蔵書印・識語等  「田氏文庫」「吉田幸印」の朱印。巻三の前見返しに「元文四
  己未歳/(梅一枝の絵)/(花押)」、巻四の前見返しに「富蔵」、巻五の13
  丁表上欄に「やつこ/ぼたもち」と、それぞれ墨書。

  2、天理図書館所蔵本・I(913 62 イ3 1~5)
表紙  後補万字つなぎ蔦模様黒色表紙、縦256ミリ×横179ミリ(巻一)。
題簽  巻一・巻二に原題簽の部分を存す。ただし、巻一に巻二のものが、巻二
  に巻一のものが貼られている。
蔵書印等 「月明荘」「天理図書館蔵」「天理図書館/昭和十五年四月十日/
  105603~7(青印)」の朱印。その他黒印二顆。巻五の23丁裏(刊記)に墨
  の書入れあり。              
その他  五冊の内、巻一・巻二の上小口の切断面は、やや新しく、巻一・巻二
  のみの巻末に同じ黒印二顆がある。さらに、原題簽を存するのも巻一・巻二
  のみである。これらの点から推測すると、製本寸法の大きい巻一・巻二を、
  他の三冊に合わせて上小口を切り、五冊揃いにしたのではないかと思われる。
  また、巻三・巻四は殊に虫損(補修済み)が多いところから考えると、ある
  いは、巻五も別の本であったかも知れない。「弘文荘待賈書目」第十一号(昭
  和十三年五月十日発行)に『新可笑記』全五冊が記載されており、巻一の1
  丁裏と2丁表の写真が掲げられている。それによると本書と同一本と思われ
  る。古書目には「保存は概してよけれども、惜むらくは第五巻第十九葉の裏
  の絵一頁だけ落丁せり。」とあるが、本書では巻五の19丁裏の絵は入ってお
  り、その丁に「月明荘」の朱印が押されている。
 

  〔二〕、半 紙 本

 1、大阪府立図書館所蔵本(甲和248)
表紙  濃縹色原表紙、縦225ミリ×横160ミリ(巻一)。
題簽  左肩に原題簽を存するが、巻一に巻三のものが、巻二に巻一のものが、
  巻三に巻二のものが貼られており、「三→壹」「一→二」「二→三」とそれぞれ
  墨書にて補筆訂正されている。
蔵書印等 「●住友/長堀」「大阪府立図書館蔵書之印」「大阪府立図書館/明治
  四十年十月十五日/18905(青印)」の朱印。巻一の第五話の章番号は「一」と
  あるが、墨書にて「五」と補筆訂正されている。
                         
 2、国立国会図書館所蔵本(別 5-6 2-5)
表紙  藍色原表紙、縦223ミリ×横158ミリ(巻一)。ただし、巻一・巻二・
  巻四の各後表紙は欠。巻一・巻二・巻三を一冊に、巻四・巻五を一冊にそれ
  ぞれ合して、渋引き国会図書館専用表紙にて綴じてある。この合綴の折に、
  中間の後表紙のみを省いたとも考えられる。
冊数  二冊(巻一・巻二・巻三を一冊に、巻四・巻五を一冊に、それぞれ合冊)。
蔵書印等 「東京図書館蔵」「図/明治二四・三・九・購求」の朱印。巻一の1丁
  表に「NO469/XXIV」、巻二の1丁表に「NO470/XXIV」、巻三の1丁表に
  「NO471/XXIV」、巻四の1丁表に「NO472/XXIV」、巻五の1丁表に
  「NO473/XXIV」、とれぞれ墨書。

 3、青果文庫(前進座)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦220ミリ×横160ミリ(巻一)。ただし、巻四の後表
  紙は藍色の後補表紙。巻二の前・後、巻三の後の表面紙は部分的に剥離して
  いる。
題簽 巻三のみ、左肩に原題簽の部分を存する。
巻数  四巻(巻五欠)。
冊数  四冊。
蔵書印 「泉」「百□」の黒印。「青果文庫/前進座蔵」の朱印。
その他  巻五が欠。巻四の20丁・21丁が落丁。

 4、天理図書館所蔵本・Ⅱ(913 62 イ43)
表紙  縹色原表紙、縦225ミリ×横155ミリ(巻二)。巻三の表面紙が部分的
  に剥離している。
題簽  欠。左肩に「新可笑記」(巻二)、「新可笑記 三」(巻三)と墨書。
巻数  二巻(巻一・巻四・巻五が欠)。
冊数  二冊。
蔵書印 「天理図書館蔵」「天理図書館」「天理図書館/昭和廿六年十二月五日/
  247876~7(青印)」の朱印。「昭和廿六年七月十日/寄贈/中山正善氏」(朱
  印・墨書・紫印併用)。
その他  巻二、巻三の二巻を存す。

 5、東京大学附属図書館・霞亭文庫所蔵本(341 西11)
表紙  砥粉色原表紙、縦221ミリ×横159ミリ(巻一)。
蔵書印 「幸堂」「霞亭図書」「松雲堂」「東京帝国大学図書印」「東京帝国大学附
  属図書館/大正十四年登記/文/18532(青印)」の朱印。

 6、平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)所蔵本
表紙  濃縹色原表紙、縦225ミリ×横159ミリ(巻一)。巻一・巻二・巻五の
  み存す。巻三・巻四は、巻五の表紙の中に入っている。
題簽  巻一・巻二・巻五のみ、原題簽を存す。
冊数  三冊(巻三・巻四・巻五を合冊)。
蔵書印等  巻一・巻二・巻五に「津山文庫」の朱印。巻三・巻四に「石田文庫
  」の朱印(ただし、この印の上部は切断されている)。巻一に朱印にて、裸体
  の人物が本を読む図があり、その本に「志ぶ井」とある。各巻に「乱」の朱
  印。各巻(一・二・五)表紙右上に、縦67ミリ×横40ミリの紙片が貼られ、
  「官本」の黒印がある(巻五は、文字のみ墨にて補筆)。巻一前表紙に「元禄
  元年」「井原西鶴作」と朱書。
その他  巻三・巻四は、大本を半紙本の大きさに切断して、入れ本したものと
  思われる。

 以上、諸本の略書誌を記したが、その他、金子和正氏の「台湾大学図書館所蔵国書目録抄(一)」(『ビブリア』第四十二号)に次の二本が記載されている。
 「新可笑記  合一冊
   後補表紙 原題簽鬫
   刊記 (入木)元禄元 戊辰 稔/十一月吉日/江戸日本橋青物町万屋清
      兵衛/大坂真斎橋筋呉服町角岡田三郎右衛門/板行
  同     残一巻(存巻三)   一冊   原表紙     」

 このように『新可笑記』の諸本には、大本と半紙本の二つがあるが、大本は全体的に非常に刷度が良い。後述の如く、刊記の部分が埋木になっている点で、これを直ちに初印本と断定できないにしても、それに近い早い刷りである。半紙本は、刷度・版の欠損等を大本と比較してみるに後印本と判断される。以下、この版本のいくつかの問題点について、簡単に述べてみたいと思う。

 三、刊年及び版元

 調査済諸本の刊記は、
  「元禄元 戊辰 稔
    十一月吉日
        江戸日本橋青物町
           万屋清兵衛   板
        大坂真斎橋筋呉服町角
           岡田三郎右衛門 行」

となっている。これに拠ると本書は、元禄元年十一月に、江戸・万屋清兵衛と大坂・岡田三郎右衛門との相版で刊行された事になる。しかし、この刊記の部分は上下の匡郭の四隅が切断されており、この半丁全体が埋木であると思われる。水谷弓彦氏は『西鶴本』下巻にこの刊記の部分を覆刻しておられるが、匡郭の中断箇所は接続されている。また日本名著全集『西鶴名作集下』の複製も接続されている。果たして、そのような原本が在ったのであろうか。仮に刷りの早い原本が在ったとした場合、刊年も、版元も、その文字の字形までも全く同じものを、後で埋木する必要はないように思う。この両者の上下の匡郭がやや作為的に見えるところからすると、やはり、その底本は切断されていたのではないかと思われる。いずれにしても、この刊記の部分全体が埋木であるという事は、十分注意する必要がある。
 さて、この刊記から推測すると、本書の初印本は、他の書肆から元禄元年十一月以前に刊行された、という可能性も全く無いわけではない。前に述べたように水谷弓彦氏は大正九年の『西鶴本』では同じ刊記(元禄元年十一月)の大本を掲げているが、昭和四年の『新撰 列伝体小説史 前編』では「新可笑記 五 同(元禄元)年十月」と記しておられる。これは単なる誤植だとは思うが、一応注意しておくべきだと思われる。
 次に推測されるのは、この刊記を版木に彫り付けた段階か、または数部印刷の後に、何等かの理由で訂正する必要が生じ、埋木した、という事である。この埋木の状態から考えて、これは刊行年を改める如き部分的な訂正ではなく、刊行年月日と書肆名、あるいは、その配列順序などを改めるという如き、かなり大きな訂正であったと思われる。刊記に見える岡田三郎右衛門は、大坂真斎橋筋呉服町角に住し、貞享から宝暦にかけて活動した書肆で屋号は池田屋。『好色二代男』をはじめ、二十点を刊行している(注5)。また、万屋清兵衛は松葉氏、松葉軒と号し、江戸日本橋万町中通角(青物町)に住し、天和から宝暦にかけて活動した書肆で、『東海道分間絵図』など七十九点にその名を記している。
 ここで、この両者が西鶴本の出版にどのような関わりをもっていたかを調べてみると(注6)、

○好色二代男 貞享元年 池田屋三良右衛門        
○西鶴諸国咄 貞享二年 池田屋三良右衛門          
○好色五人女 貞享三年 清兵衛店/森田庄太郎
○好色一代女 貞享三年 岡田三郎右衛門
〇本朝廿不孝 貞享三年 万谷清兵衛/岡田三郎右衛門/千種五兵衛
○武道伝来記 貞享四年 万屋清兵衛/岡田三郎右衛門    
○男色大鏡  貞享四年の後印本 深江屋太郎兵衛/山崎屋市兵衛/万屋清兵衛
○武家義理物語 貞享五年 山岡屋市兵衛/万屋清兵衛/安井加兵衛
●新可笑記  元禄元年 万屋清兵衛/岡田三郎右衛門
○本朝桜陰比事 元禄二年 万屋清兵衛/鴈金屋庄左衛門
○石車(俳諧) 元禄四年 上村平左衛門/万屋清兵衛/寿善堂
○世間胸算用 元禄五年 上村平左衛門/万屋清兵衛/伊丹屋太郎右衛門
○ 浮世栄花一代男 元禄六年 万屋清兵衛/鴈金屋庄兵衛/油屋宇右衛門/松葉
              屋平左衛門
○西鶴置土産 元禄六年 田中庄兵衛/万屋清兵衛/八尾甚左衛門
○西鶴織留  元禄七年 万屋清兵衛/鴈金屋庄兵衛/上村平左衛門
○万の文反古 元禄九年 万屋清兵衛/鴈金屋庄兵衛/上村平左衛門
○好色兵揃  元禄九年 万屋清兵衛/松葉屋平左衛門/鴈金屋庄兵衛
○万の文反古 正徳二年の後印本 池田屋三良右衛門

 以上の如くなるが、大坂の池田屋は貞享元年の『二代男』をはじめ『諸国咄』『一代女』『廿不孝』『伝来記』『新可笑記』と六点を刊行し、元禄元年までは、西鶴本出版の最有力の版元であった事がわかる。しかし、それ以後はぼとんど名前を出さず、正徳二年に『文反古』の後印本を刊行しているに過ぎない。これに対し、江戸の万屋は、貞享三年の『五人女』に「清兵衛店」と初めてその名を出しているが、以後元禄九年まで、 実に十四点の出版に関係している。しかし、この万屋は、その刊記の記載の様式や、当時の書籍目録の記録から判断して、ほとんどが版元というよりも、江戸における取次売捌き元であったと推測される。そして、さらにここで注意されるのは、元禄元年の『新可笑記』までは池田屋と共に三点を出版しているのに、以後その組合せは姿を消し、鴈金屋・伊丹屋等と名を連ねている、という事である。        
 すでに述べた如く、本書『新可笑記』は明らかに万屋・池田屋の相版であるが、この記載様式は、他の諸作品のそれと比較するとき、やや特異な存在であると言い得る。相版である、という事を強く意識した文字配列のように思われるからである(注7)。本書刊行に際して、版権等の事でいざこざが生じ、このような記載様式に改めたのではなかろうか。そして、大坂の池田屋が本書以後、西鶴本の出版に。関係していないのも、この事と関わっているのではなかろうか。万屋清兵衛が江戸において、最も有力な書肆であった事は、享保十二年三月の仲間申定書に行司筆頭としてその名を連ねていることからも解る(注8)。本書刊行にまつわるいざこざのために、それ以後、大坂の岡田三郎右衛門が西鶴本出版から手を引かざるを得なくなった、という事もあり得ないことではないように思われる(注9)。
 以上の如く、本書の刊記は、種々の事を我々に推測させる。従来の文学史等は、。この作品の刊行を元禄元年十一月と無条件で記しているが、この版本の刊記に拠る以上、そう断定すべきではないと思う。さらに早い刷りの版本が無かったとは断言できないからである。

 四、「西鵬」号と鶴字法度

 本書の序文には「難波俳林/西鵬」とあり。その下に「松寿」の印がある。この「西鵬」号は本書を初出とし、元禄四年・江水編の『元禄百人一句』(「大坂 西鵬 枯野哉葽の時の女櫛」)まで使われたようである。他に柿衛文庫蔵の短冊「初日の花俳諧中間より銘々木々 西鵬」があり、『物見車』(元禄三年九月刊・可休著。西鶴等が評点した句巻に批評を付したもの)、『特牛』(元禄三年十月の奥・団水著、『物見車』への返答書)、『団袋』(元禄三年冬の西鵬序・団水撰、西鵬・団水の両吟等を収めている)、『石車』(元禄四年中秋刊・西鶴著、『物見車』への返答書)にも、この「西鵬」号は使われている(注10)。
 野間光辰氏は、これらの内、柿衛文庫蔵の短冊を西鶴の真跡としておられるし(『ビブリア』第二十八号)、また「大坂西鵬序」(『団袋』序)の「鵬」に団水は「鶴ノ字ヲ改」と注記してもいる。さらに「松寿」印が他の西鶴作品に使われている点などを合わせ考えるとき、この「西鵬」が西鶴の別号であることは明らかである。
 さて、この改号が、ちょうどこの頃発令されたいわゆる。〔鶴字法度〕によるものである事は、すでに諸先学によって指摘されている。その主なものは、真山青果氏「鶴字法度」、野間光辰氏『西鶴年譜考証』、木村三四吾氏「聞くまゝの記・元禄鶴法度のことなど」(注11)等である。現在までの私の調査では、右の諸説の域を出ないので、その大要を記すにとどめたい。
 鶴字法度に関する記録の主なものは次の通りである。

一、撰要永久録(東京市史稿・市街篇第十)
  「辰〔○貞享五年〕正月廿九日/一、鶴屋与申家名、付申間敷、鶴丸之紋付
  候衣類着申間敷、鶴与申名、人々付申間敷旨、御触有之。」
二、正宝事録
  「辰正月廿九日/一 鶴屋と申家名、付申間敷、鶴之丸之紋付候衣類、着し
  申間敷、鶴と申名、人々付間敷旨御触有之、」
三、徳川実紀・元禄元年二月朔日の条
  「けふ市井にて。鶴屋といふ家名を停禁せしめられ。はた其他の雑具にも。
  鶴の紋ほどこすべからずと令せらる。(日記、湯原日記、令条記)」
四、南紀徳川史
  「貞享五年〔元禄元年〕二月朔日、町中鶴屋卜云家名ヲ禁ジ、雑具ニ鶴ノ
  紋付ル事禁ズル公儀触アリ。又同月十一日、鶴姫君ニ給事ノ輩ニ令条ヲ賜ハ
  ルト云。」
五、奈良興福寺一乗院日記(記者・専常。中村雅真家・家記)貞享五年三月八日
  の条
  「一 同日、屋敷十楚又四郎殿より呼ニ被参候。被申渡候。鶴と申字付候事、
  停止。惣而、家名・人之名ニ有之候、是迄付候儀、付替可申候。向後、鶴ノ
  字付候事、堅停止之間、領分急度可申付由、申渡者也。五眼役者衆へ申入、
  則、十楚又四郎殿へ御返事申者也。一 同日、御奉行より町中へ、右之御触
  在之者也。」       
六、御当家令条(近世法制史料叢書・第二)           
  「覚/町人之家名鶴屋と申儀、向後無用可仕候。其外諸道具等にも鶴の紋付
  候事、是又無用たるべき事。/以上/午二月朔日」
七、令書要文十三(日本財政経済史料・巻七)
  「元禄三年庚午三月 日/町人之家名に鶴屋と申儀、向後無用可仕候、其商
  売等にも鶴之紋付候事、是又無用たるべき事/午三月朔日」

 この他に徳川十五代史、業務書留、嬉遊笑覧、画証録、独醒記、過眼録、色道懺悔男、甘露叢書継、骨董集ほりがひ、聞くまゝの記・同続等にも、これに関連した記録が見られる。

 この鶴字法度は、五代将軍綱吉の長女・鶴姫の名を憚って出されたものであるが、右の記録からもわかるように発令の年月にやや差違がある。これについて野間氏は『令書要文』の「午三月朔日」は「午二月朔日」の誤りか、とされ、さらに「『徳川実紀』に元禄元年二月朔日の令としたのは、実は最初の発令であって、その後元禄三年二月朔日重ねて令せられたのであらう。」と推測しておられる。また『一乗院日記』の元禄元年三月八日について木村氏は「奈良での告示の実日であることによる相違かも知れぬ。」としておられる。
 以上の如く、西鶴は鶴字法度のために元禄元年から四年頃までの間「西鵬」と改名したが、水谷弓彦氏も指摘される(『西鶴本』)ように、元禄二年刊行の『一目玉鉾』では「松寿/鶴」の印を使っているのであり、この法度が、どれほどの厳しさをもっていたかの、問題が残らない訳ではない。

  五、その他

 調査済諸本の原題簽は、大本・半紙本を問わず同じ版木に拠るものと思われ、巻一は上に「ゑ入」とあるが、日本名著全集『西鶴名作集下』に掲げるものは「絵入」となっており、「新かせう記」の「新」の字形も異なる。子細に見ると補修したもののようにも思われるが、「弘文荘善本目録」(昭和三十二年十月)には、原題簽「絵入 新かせう記 一」とあり、また『定本西鶴全集』の解説では「絵入 新可笑記 一」とされているので、一応ここに記して今後の調査に俟ちたいと思う。
 すでに記した如く、本書の章番号を囲む枠には四種類のものがある。これに関して、金井寅之助氏は「新可笑記の版下」(『ビブリア』第二十八号・昭和三十九年八月)で、詳細な作品分析をされた後、 【★図版省略、原本参照】  の順順で優劣が示されている、と説いておられる。
 これも挿絵の項で記したが、巻四の三「市にまぎるゝ武士」の挿絵(13丁裏・14丁表)はおそらく版下の段階では、次頁に示す図の如くなっていたものと思われる。14丁表の建物を、本文に出る「内倉」とみるならば、塀の外にあるので内容と合致しない。そこで版木に彫り刻む時、左右を入れ替えたものであろう。 【★図版省略、原本参照】

 以上、いくつかの問題点について簡単に述べてみたが、この版本には
多くの疑問点があり、現状では十分解明し得ない。さらに調査を重ね、
考察を深めたいと思う。              
                             
 注1 当時の書籍目録については、慶応義塾大学附属研究所・斯道文庫編の
   『江戸時代書林出版書籍目録集成』に拠った。
 注2『江戸時代書林出版書籍目録集成』解題二。
 注3 水谷不倒氏の説に拠る。水谷氏は、大正九年の『西鶴本』では本書の
   挿絵を第二期・十一種の中に入れ、「吉田半兵衛かと思はれるが、疑はし
   い点もある。」とされたが、昭和十年の『古版小説挿画史』では『武家義
   理物語』『好色四季ばなし』と共に第三類に入れ、「第三類は何人とも判
   らぬが、半兵衛の代筆と見るべく、恐らく門人の二三者であらう。」とし
   ておられる。
 注4 本書の版下については、金井寅之助氏の「西鶴置土産の版下」(『ビブ
   リア』第二十三号)、「新可笑記の版下」(『ビブリア』第二十八号)及び、
   天理図書館『西鶴』に拠った。
 注5 書肆については、井上和雄氏編・坂本宗子氏増訂『増訂版慶長以来書
   貿賈集覧』に拠った。また、出版点数は、東北大学附属図書館・矢島玄亮
   氏編『徳川時代 出版者出版物集覧』(準備版)に拠った。
 注6 西鶴諸作品の刊記等は、天理図書館『西鶴』の図録・解説、滝田貞次
   氏の『西鶴の書誌学的研究』、日本名著全集『西鶴名作集』の複製等に主
   として拠った。
 注7 長谷川強氏は「刊記書肆連名考」(『長沢先生古稀記念・図書学論集』)
   で、多くの資料を基にしてこの問題を論じておられる。万屋・池田屋の
  関係についても『本朝列仙伝』(貞享三年)、『武道伝来記』(貞享四年)、『新
  可笑記』(元禄元年)を例に掲げて「同じ店の組合せでも均衡型と不均衡型の
  両様が見られる事があり、不均衡型による判断を均衡型の場合にも及し得る
  例といへよう。」と説いておられる。つまり『列仙伝』の刊記の記載様式(
  不均衡型)から、池田屋が版元である事が解り、そこから、均衡型の記載様
  式の刊記を有する『伝来記』『新可笑記』の版元も池田屋と判断し得る、とい
  われるのである。これは、確かにその通りと思うが、『新可笑記』の刊記にお
  いては、万屋が池田屋と同様に版元として刻されている事実に変わりなく、
  この事に注意したいと思う。                                 
 注8 村田勝麿氏『京阪書籍商史』に拠る。          
 注9 晩年の西鶴と岡田三郎右衛門の関係については、都の錦の『元禄大平記』
  (元禄十五年刊)の巻三「写本料にてめいわくに候」に「…然るに西鶴存生
  の時、池野屋三郎右衛門より、好色浮世躍といふ草子を六冊にたのまれ、い
  まだ写本を一巻も渡さずして、前銀三百匁借り、五日が間に南の色茶屋、木
  やの左吉が所へ打込み、其後池野やより、写本を催促するに、いつ/とは出
  して渡さう、それそれの日は埓が明くよし契約する。其日になりて請取らん
  といへば、少しさはる事がありて、草案を仕直すによって思ひの外隙をとる、
  当月中には埓が明くと間似合の方便ばかりいうて、半年ほど引しらふ内に西
  鶴此世を去り、そのゝち池野や空しくなり、此たび冥途において西鶴にはた
  と行きあふ。…」という一条があり、この池野屋二郎右衛門は、池田屋三郎
  右衛門を暗にさしているものと思うが、このような事実があったか否か、勿
  論わからない。
注10 野間光辰氏「西鶴署記花押考」(『ビブリア』第二十八号)、天理図書館
  『西鶴』に拠った。                 
注11 〔1〕真山氏、『文芸春秋』昭和五年十月号に発表、後に『真山青果随筆選
  集』第二巻(昭和二十七年十二月)に追記を付して収録。〔2〕野間氏、昭和
  二十七年三月発行の同書・元禄元年二月の条。〔3〕木村氏、『ビブリア』第
  二十八号(昭和三十九年八月)の「西荘文庫の馬琴書翰(二十一)」、以後、
  同誌第三十一号・第三十五号・第四十五号に補遺を発表されている。

  付  記
 『新可笑記』の解題をまとめるにあたって、吉田幸一先生は、貴重な御所蔵本を、底本として使用することを御許可下さり、多くの御教示を賜りました。
 前田金五郎、横山重両先生には、研究全般にわたって、多大の御指導を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、秋山虔、金子和正、小池章太郎、平井隆太郎の諸先生に格別の御高配と有益な御教示を賜り、大阪府立図書館、国立国会図書館、青果文庫(前進座)、天理図書館、東京大学附属図書館の御世話になりました。
 ここに記して、心から御礼申し上げます。
                  昭和四十九年七月十五日

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 【追 記】

 本書の書誌解題の担当は、横山重先生、前田金五郎先生の御配慮によるものである。私が、仮名草子の『可笑記』を研究していたので、この『新可笑記』を割り当てて下さった。
 この作品の底本には、諸本調査後、最善本を使用する予定であった。公共図書館の調査後、平井隆太郎氏の江戸川乱歩旧蔵本、吉田幸一氏所蔵本を調査した結果、吉田氏本が最善本である、という結果になった。
 私は、横山先生に報告して、この解題は、吉田先生に依頼すべきであるので、この解題執筆は辞退したいとお願いした。吉田先生も複製本の古典文庫を進めておられたからである。
 横山先生から吉田先生に問合せて頂き、結果的には、私が担当させてもらうことになったのである。この時、横山先生からは、所蔵者に対して、感謝の心を忘れずに、原稿を書くようにという、アドバイスを頂いた。
 この作品は、元禄元年11月初版、という定説であった。ところが、末尾の刊記の丁を見て、驚いた。刊記のある半丁全体が埋木だったのである。それまでの複製本が、匡郭の欠損部分を修復して出版していたため、研究者は、この刊記の異状に気づかなかったのである。
 『新可笑記』が出版された、この年、貞享5年9月30日に改元されて、元禄元年となったのである。そこで、刊記を埋木して、元禄元年に改めて出版した、と考えることも可能である。しかし、それならば、年月の2行のみ、彫り直して埋木すればよい。半丁全体を取り替える必要はないだろう。1行、2行、彫り変えて、修正している例はたくさんある。
 私は、西鶴の研究者ではない。西鶴は、当時の書肆とも深い関係があり、この件に関しても、様々な推測ができる。西鶴研究の第一人者、早稲田大学の谷脇理史先生とは、常に交流をもち、多くの事を教えて頂いてきた。この本の時も、御意見を伺っている。谷脇先生は、昭和59年4月20日発行の、岩波書店の『日本古典文学大辞典』の『新可笑記』の項で、この刊記に言及され、一応、改元によるものとされた。この時点では、妥当な説と思われる。それから30年余が経過した。まだ、初版初印と思われる原本は発見されていない。さらに100年後に、出現する可能性はある。それが、歴史である。

谷脇先生は、早稲田大学現役の時に、御他界なされた。私は、館林市の葬祭場で、最期の先生とお別れした。惜しんでも、惜しみ切れない、先生である。

                        平成28年12月4日
                                   深沢秋男

ネット上の〔近世初期文芸研究会〕

●今日、〔近世初期文芸〕をネットで検索したら、アクセスは、

2016年12月2日 現在   204136
2016年8月末 HP閉鎖時  194708

●8月から11月までの3ヶ月間に〔J-TEXTS〕を通して、
9428のアクセスがあったことになる。国会図書館のサイトには、
次の如く表示されている。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この資料は、著作権の保護期間中であるか、著作権の確認が済んでいない資料のためインターネット公開をしていません。 閲覧を希望される場合は、国立国会図書館または図書館送信参加館へご来館ください。図書館送信参加館にご来館になる場合は、来館予定の図書館へ利用方法の確認をお願いいたします。
「書誌ID(NDL-OPACへのリンク) 」が表示されている資料は、遠隔複写サービスもご利用いただけます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●昭和44年、1969年、〔近世初期文芸研究会〕が設立され、その機関誌『近世初期文芸』の第1号が創刊された。47年前である。私は、この号に、「『可笑記』の本文批評」155枚を発表した。駆け出しの、若い研究者にとって、このように長い論文を発表できる雑誌は無かった。小誌を創刊した所以である。

内容一覧

カテゴリー別 内容一覧

■その他 (140)
1、投稿開始     20161029
2、深沢秋男     20161029
3、山崎宗鑑の真筆  20161221
4、恩師・赤井須磨子先生 20161228
5、平成28年、2016年を送る 20161231
6、謹賀新年 20170101

7、〔田舎者〕 20170102

8、尊敬すべき研究姿勢 201701

9、原稿用紙 → ワープロ → パソコン 20170125

10、文明の利器に乗れない人々 20170125

11、精神一到何事不成 20170128

12、鈴木棠三先生の思い出 20170130

13、吉田幸一先生の思い出 20170131

14、古典校訂作業終了 20170201

15、東明学林の冬の池 20170206

16、〔豆うさぎ〕のコーヒー 20170206

17、昭和女子大学の最終講義 20170207

18、私の最終講義の頃 20170207

19、仮名草子研究の思い出(昭和女子大学 最終講義) 20170207

20、江戸城最古絵図 20170209

21、東京の地名は江戸切絵図から 20170210

22、書籍を電子化 著作権者の許諾不要 20170211

23、昭和女子大 志願者数 20170212

24、平成20年、2008年のお話し 20170214

25、卒業制作展 20170218

26、草間弥生さんの活躍 20170220

27、ネット上の記事削除 20170221

28、研究の伝統 20170224

29、サイト内コンテンツのバイト数 20170227

30、大学の年度末、研究室の整理 20170302

31、定年後の、予定と結果 20170302

32、大学を去る 20170303

33、秋山 虔 先生 20170304

34、野口武彦氏の 秋山先生を悼むことば 20170304

35、私の『源氏物語』 20170306

36、私の『源氏物語』――夕顔の巻を中心に―― 20170306

37、共働きの育児 20170308

38、篆刻遊印 20170310

39、私の篆刻遊印 20170310

40、『省艸印譜』刊行 20170310

41、「實事求是」 20170311

42、ロダンのバルザック像――文学研究の第一資料―― 20170312

43、 約束は雪の朝飯(あさめし) 20170312

44、重友先生と大洗海岸 201703014

45、研究計画と結果 20170315

46 忘れちゃったッ!!! 20170317

47、学術刊行物『文学研究』 20170320

48、上海交通大学の日本文化資料センター

49 母校〔原小学校〕 閉鎖

50、母校〔原小学校〕に思うこと

51、母校〔原小学校〕の同級生・恩師

52、祝 NIKON 創立100周年 20170406

53、〔武田信玄〕→〔風林火山〕 20170407

54、私の第一論文 20170412

55  〔人間の記録〕 20170414

56、天目 傘寿記念 木村盛康展 20170419

57、守破離 20170421

58、Windows XPおよびWindowsVistaをご利用の方へ 20170428

59、祝 昭和女子大学 創立97周年 20170501

60、都立多摩図書館が「マガジンバンクカレッジ」開校 20170502

61、昭和女子大学 祝歌 20170512

62、私の本の古書価 67件 20170520

63、美容室 エクセル 閉店 20170515

64、『島津忠夫著作集』 全15巻、別巻3巻 20170516

65、私の居場所 20170525

66、分に過ぎた下宿先 20170526

67、分に過ぎた下宿先 ② 20170526

68、分に過ぎた下宿先 ③ 20170527

69、世界最大の書誌データーベース 20170528

70、さようなら 〔美容室エクセル〕 20170601

71、祝・志田延義賞受賞 20170601

72、芦川智先生の研究 20170504

73、テンプル大が移転 昭和女子大と同じ敷地に 20170606

74、冨樫省艸 刻 篆刻遊印 20170608

75、〔検印〕 20170615

76、〔検印〕2  20170606

77、いまさら聞けない 名誉教授 20170618

78、昭和女子大学の発掘調査 20170619

79、御達者倶楽部歌集 20170621

80、テラバイト 20170621

81、〔絶交〕 20170625

82、蔵書のゆくえ 20170629

83、エコベント | 斎藤金型製作所 20170630

84、「第二回 日本学生B to B 新聞広告大賞」 昭和女子大学卒業生、受賞 20170701

85、第36回 昭和池田賞 昭和女子大学学生、優秀賞受賞 20170702

86、相次ぐ、昭和女子大学生の受賞 20170702

87、文選箱 20170703

88、野口武彦 公式サイト 20170704

89、元気な〔日刊ゲンダイ〕 20170711

90、原書講読 20170711

91、林野庁 木を活かす学生課題コンペ 昭和女子大入選 20170713

92、諏訪春雄通信 20170714

93、松本昭コレクション展 昭和女子大学光葉博物館 新収蔵資料展 20170720

94、資本論150年 20170723

95、昭和女子大、就職率ランキング 20170726

96、グッド ルッキング 20170729

97、血液検査 20170730

98、ネット上の情報収集と情報発信 20170801

99、昭和女子大の就職率 20170804

100、〔オール・レビューズ〕 20170805

101、富士山の須走り 20170808

102、発表原稿 20170810

103、横山重先生の「赤木文庫」 20170811

104、昭和女子大の学生、鶴岡で食文化体験 20170811

105、出版社 桃源社 20170812

106、私の、富士山の御来光 20170812

107、本を読む 20170813

108、終戦 72年 20170815

109、経営的に苦境のニコン 20170819

110、ふしぎだな 男子が先で 女子があと 20170820

111、国文研 オープンデータセット 20170820

112、大学をコスパで選ぶ 20170821

113、新藤透氏の快著『図書館と江戸時代の人びと』 20170823

114、山梨交通の社長さん 20170824

115、「ニコン D850」 20170825

116、ひらがな刻んだ平安の土器 20170826

117、データベース・ナビゲーション 20170828

118、HISTORY of  F 20170828

119、文体診断 ロゴーン 20170829

120、新村出記念財団 重山文庫 20170830

121、江戸川乱歩氏 保管書間 20170830

122、伏字検索 「深沢○○」はたぶん「深沢七郎」です 20170831

123、南部新一児童図書の思い出 20170902

124、佐渡と私 20170903

125、佐渡と私・2 20170904

126、唐招提寺、中国へ袈裟を贈る 20170911

127、鑑真和上坐像    重友 毅 20170911

128、小笠原賢二 20170913

129、健康診査受診結果報告書 20170915

130、自費出版への熱い思い 20170919

131、〔自費出版の勧め〕 再録 20170919

132、国語辞典『言海』260冊 20170921

133、野口武彦 ブログ 20170923

134、酒井若菜より渡辺京二様へ 20170923

135、個人蔵書の世界 20170924

136、私の友達は外国人 20170925

137、アクセス状況 20170926

138、近藤忠義先生の『近世小説』 20170927

139、近藤忠義先生の『近世小説』再録 20170927

140、昭和女子大学 図書館インターンシップ 20170928

141、つもりちがい十ヶ条 20170929

142、文学と挿絵 20170930

143、さあ、後期だ 20171002

144、森鴎外自筆原稿「北条霞亭」の模写 20171002

145、日文研30年 20171003

146、ノーベル文学賞受賞、イシグロ氏 20171006

147、昭和女子大学図書館・女性文庫貴重資料展 20171006

148、武田家滅亡の真実 20171010

■上田秋成(1)

1、秋成『春雨物語』の古書価 20171008

 

■井関隆子 (48)
1、井関隆子 ウィキペディア 20161029
2、井関隆子 はてなキーワード 20161029
3、井関隆子の女性像 20161030
4、江戸時代の三大女流作者 20161030
5、『井関隆子日記』の履修者の皆様へ 20161126
6、華麗なる江戸城大奥の世界 20161112
7、『井関隆子日記』を読む、立正大学 20161116
8、『君の名は』と『井関隆子日記』 20161213
9、『井関隆子日記』 の古書価  20161229

10、井関隆子 『しのびね物語』に注を付す 20170107

11、井関隆子の墓参 20170203

12、井関隆子の足跡 20170211

13、『井関隆子日記』の評価 20170216

14、井関隆子の人と文学――近世後期・一旗本女性の生涯―― 20170217

15、井関隆子と杉嶋カツイチ 20170227

16、『庄田家系譜(正本)』 20170228

17、『庄田家系譜』(正・副) 、昭和女子大学図書館へ 20170228

18、読者の感想 20170313

19、何でも読んでみよう 20170316

20、Heroine~存在を主張した女性たち~

21、『しのびね』と『井関隆子日記』 20170407

22、在庫書店 20170426

23、〔二葉亭餓鬼録〕氏のブログ 20170429

24、コトバンク 井関隆子 いせき たかこ

25、今もなお、旗本夫人 20170609

26、『ドナルド・キーン 知の巨人、日本美を語る!』 20170626

27、11代将軍・徳川家斉の葬儀 20170701

28、大学入試レベル問題集 古文 ②センター試験レベル 20170712

29、『性なる江戸の秘め談義』 20170713

30、アクテイブ女子の恋路 20170725

31、井関家の収入 20170726

32、「いぜき たかこ」 → 「いせき たかこ」 20170727

33、『井関隆子日記』の発見と価値 20170727

34、虎屋文庫 編著 『和菓子を愛した人たち』 20170729

35,文学を見抜く力 20170731

36、お殿様備忘録 20170822 

37、書物奉行、庄田金之助安明 20170826

38、『井関隆子日記』の文体診断結果 20170830

39、文学は有用だ 20170905

40、予備校での『井関隆子日記』 20170912

41、井関隆子校注『しのびね』考 入稿 20170913

42、CG 江戸 EDO 20170917

43、近世末・近代の都市居住性に関する研究 20170920

44、9年前の新刊紹介 20170921

45、文春新書の頃の思い出 20170922

46、水野忠邦罷免の時の様子 20170923

47、〔利他に徹する〕 20170924

48、〔井関隆子 のつながり〕 20170927

49、防災情報新聞  天保15年 江戸城本丸大奥火 20170929

50、関口すみ子著 『御一新とジェンダー 荻生徂徠から教育勅語まで』 20171007

51、日本の女はじつは強いのだ 20171008

 ■仮名草子 (14)
1、『仮名草子研究文献目録』 20161029
2、仮名草子研究の現状、昭和59年 20161029
3、『仮名草子研究叢書』 20161029
4、『仮名草子集成』 20161029
5、「仮名草子」日本古典籍書誌学辞典 20161102
6、「仮名草子」はてなキーワード 20161102
7、仮名草子の範囲と分類 20161102

8、仮名草子作品の古書価 20170121

9、〈随想〉仮名草子研究
――思い出す恩師のことなど―― 20170218

10、『仮名草子集成』第57巻 発行 20170221

11、『可笑記評判』について 20170423

12、コトバンク 仮名草子 20170520

13、歴史と改元 20170611

14、板元か版元か 20170708

15、『仮名草子集成』と私 20170728

16、Kana-zoshi   【 WIKIPEDIA】 20170916

■仮名草子関係書・解説 (8)
1、可笑記評判 20161103
2、浮世物語 20161108
3、可笑記大成 20161117
4、江戸雀 20161128
5、6、7、影印本 可笑記評判 201612074

8、女仁義物語 20170123

■斎藤親盛・如儡子 (34)
1、如儡子、はてなキーワード 20161105
2、可笑記、はてなキーワード 20161105
3、東北の関ヶ原合戦と斎藤筑後守 20161112
4、『堪忍記』の厳しい評言 20161112

5、『家康に天下を獲らせた男 最上義光』 20170120

6、如儡子のことば、小学生に 20170318

7、最上家浪人作のベストセラー 『可笑記20170318

8、〔古典から学ぶ〕 20170413

9 大名配列の基準  20170407

10、博打八法 20170424

11、平成26年度京都府公立高校入試に『可笑記』出題 20170503

12、『可笑記』写本、巻1・巻2、2冊、2000円  20170503

13、如儡子 にょらいし (コトバンク より  20170504

14、仮名草子 『可笑記』関連クイズ 20170505

15、コトバンク 可笑記  20170508

16、如儡子・斎藤親盛の「百人一首」注釈 20170516 

17、如儡子の辞世詠 20170523

18、本庄正宗(ほんじょうまさむね)  20170531

19、名刀 本庄正宗 の行方 2017060

20、最上騒動と斎藤親盛 20170607

21、東京都道徳教育教材集に『可笑記』 20170623

22、酒田 上日枝神社 20170706

23、出羽三山の廃仏 20170715

24、高校入試問題 20170716

25、如儡子と『百八町記』 20170717

26、『百八町記』の研究史 20170717

27、江戸初期の「うきよ」――『可笑記』と『浮世物語』 20170724

28、父母の心をもって我が心とす 20170803

29、庄内藩初代藩主、酒井忠勝公 20170816

30、人間学読書会 20170821

31、〔笛が抜けない〕 20170827

32、〔斎藤親盛〕  ウィキペディア 補訂 20170827

33、斎藤親盛(如儡子) 墓参 20170909

34、「如儡子『百八町記』の考察」 脱稿 20170916

■書籍・雑誌 (26)
1、吉海直人著『百人一首の正体』 20161030
2、自著を語る 【1】 20161101
3、自著を語る 【2】 20161101
4、宗田實著『東北方言と日本語の祖先』 20161108
5、田村哲三著『カナル 利根運河』  20161109
6、『近世初期文芸』の書誌情報  20161114
7、田中宏著『仮名草子の文学的研究』 20161122

8、入口敦志著 『漢字・カタカナ・ひらがな――表記の思想』 20170214

9、湯浅 佳子 著 『近世小説の研究――啓蒙的文芸の展開――』 20170223

10、 伊藤 慎吾 著 『中世物語資料と近世社会』 20170309

11、『文学研究』総目録(第一号~第九十五号) 【1】 20170320

12、『文学研究』総目録(第一号~第九十五号) 【2】 20170320

13、長尾衣里子の快著『ルーツを追って』 20170406

14、雑誌を出す ということ 20170409

15  、『文学研究』『近世初期文芸』『芸文稿』 国会図書館書誌情報 20170410

16、書評・新刊紹介・コメント  20170411

17、津田左右吉著 『文学に現はれたる国民思想の研究』 20170410

18、『江戸時代の「格付け」がわかる本』  20170415

19、雲岡 梓 著 『荒木田麗女の研究』 20170519

20、『城市郎文庫目録』完成 20170520

21、『日韓怪異論 死と救済の物語を読み解く』

 清泉女子大学「日本文学と怪異」研究会編 20170521

22、芦川 智 『世界の広場への旅 もうひとつの広場論』 20170604

23、『古典文学の常識を疑う』 20170617

24、内藤正人著 『うき世と浮世絵』 20170722

25、『朝日書評大成』刊行 20170806

26、新藤 透 著 『図書館と江戸時代の人びと』 20170823

27、『近世文学研究』新編第1号 20171004

■芸文稿 (1)
1、『芸文稿』総目録 20161125

■近世初期文芸 (4)
1、『近世初期文芸』総目録 20161124
2、ネット上の〔近世初期文芸研究会〕 20161202

3、『近世初期文芸』小史 20170121

4、『近世初期文芸』と私 20170901

5、『近世初期文芸』と『近世文学研究』 2017105

 

■鈴木重嶺 (15)
1、鈴木重嶺 20161029
2、昭和女子大学図書館所蔵、翠園文庫について 20161105

3、道を拓く 20170117

4、鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説 20170121

5、鈴木重嶺の墓に献花 20170124

6、窪田清音と鈴木重嶺 20170203

7、鈴木重嶺肖像画 20170220

8、鈴木重嶺顕彰会 20170220

9、善光寺 お血脈 20170408

10、鈴木重嶺の『皇風大意』 20170502

11、コトバンク 鈴木重嶺 20170507

12、佐佐木信綱と鈴木重嶺 20170517

13、鈴木重嶺墓参 20170613

14、〔かぐらむら〕 20170614

15、鈴木重嶺の墓所発見 20170903

16、和歌革新運動 明治の歌人 20170926

■鹿島則文・則孝 (9)
1、鹿島則文略伝 20161031
2、鹿島則孝略伝 20161104
3、鹿島則孝『桜斎随筆』の概要 20161104
4、『桜斎随筆』 出会いから刊行まで 20161115

5、『桜山文庫目録 和書之部』  (上) 20170104

6、『桜山文庫目録 和書之部』 (下) 20170104

7、日本の大学所蔵特殊文庫データベース 20170818

8、相撲の史跡・好角土俵 20170920

9、桜山文庫本『雑筆要集』 20170925

■書籍・解説(仮名草子以外) (4)
1、『新可笑記』 20161204
2、『井関隆子日記』上 20161217
3、『井関隆子日記』(中) 20161224

4、『井関隆子日記』(下) 20170109

 

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深沢秋男の窓

【4】江戸雀

【4】江戸雀  昭和50年11月23日,勉誠社発行,10000円。(横山重監修、近世文学書誌研究会編,近世文学資料類従・古板地誌編・9)『江戸雀』の初印本(横山重氏蔵本)を写真複製して収録し,解説を付したもの。『江戸雀』の著者が「近行遠通」であることを解明した。

仮名草子関係書・解説 〔4〕

★ 注記 ネット上では、表記など、元の本が忠実に示せない部分がある。
あくまでも、元の本が正確である。この点、留意して頂きたい。

  一、はじめに

 『江戸雀』は、浅井了意の『江戸名所記』(寛文二年刊)に続く、江戸地誌(名所記)として、延宝五年に刊行された。著者は近行遠通、絵師は菱川師宣である。本書について、和田万吉氏は、

 「而して記載の方法は毎巻初項に該当区内沿道の寺社・大小名邸宅・大小通路等を洩れ無く列挙し、次に大祠・巨刹・名勝・旧跡・遊覧地等を記し、勝地・古蹟等の下には古歌を引き、又著者の狂詠軽口等をも録して一時の興とせり。諸侯・旗下の第宅、大路小巷の記載は尽く自身の踏査を経、一曲一折微に入り細を穿ちて、恰も一幅の細見図を見るが如く、読者をして坐に著者精力の非凡なるに吃驚せしむ。是れ本書の特色の一とすべし。…(中略)…挿図は概ね一面二頁に亘れるものにて頗る佳し。此は慥に本文の動もすれば乾燥に陥らんとするを償ふものと謂ふべく、本書特色の第二なり。」(『古版地誌解題』)

と評され、水谷不倒氏は『古版小説挿画史』において、

 「師宣の絵入本中、稀に見る在名本として、有名なものである。巻数十二、挿絵の多いことも、又その絵の優れてゐることも、他に類例がない。正に師宣の傑作であり、名所記中の白眉でもある。…(中略)…師宣の署名には、二三通りの書体がある。この『江戸雀』のは、全盛期に用ひられたもので、正真正銘言ふまでもない。」

と、その挿絵を高く評価されている。また、長澤規矩也氏は、

「名画工の筆に成りし本書の挿絵はそれのみにても価値ある絵入本と云ふべし。江戸地誌刊本中、本書の原刻本が最高の市価を有するも謂なきに非ず。」(『江戸地誌解説稿』)             
                     
としておられるが、天和元年・山田喜兵衛刊の『書籍目録大全』(注1)の値段は、
 ○江戸雀   十匁  (12冊・160丁半・一丁平均 〇、六二三分)
 ○京雀    七匁  (7冊・155丁 ・ 〃   〇、四五二分)
 ○京童跡追  五匁五分(6冊・148丁 ・ 〃   ○、三七二分)
 ○江戸名所記 七匁   (7冊・209丁 ・ 〃  〇、三三五分)
 ○京童    五匁  (6冊・152丁半・ 〃   〇、三二八分)
とあり、丁数を考慮して計算すると、本書は、他の地誌類に比較して、
すでに当時から高価な書であったものの如くである。水谷弓彦氏『明治大正古書価の研究』によると「名所記・名所図会」(明治23年~大正13年)の項に『難波雀』『京童』『京童跡追』『江戸砂子』『吉野山独案内』『住吉相生物語』『山城名勝志』『みのぶかゞみ』『山城名所記』『出来斎京土産』『洛陽名所集』等は出ているが、本書は出ていない。伝本もまた多くはないようである。
 本書の本文は、明治四十三年・近世文芸叢書に、大正五年・江戸叢書に、昭和三年・日本随筆大成に、さらに昭和四十九年には復刊日本随筆大成に、それぞれ翻刻収録され、長い間作品研究に役立ってきた。しかし、右の各叢書の底本が、いずれも後印本であった事は非常に惜しまれる。これは初印本の伝存が極めて少ない点に、その主たる原因があると思われるが、初印本と後印本の間には、かなり重要な異同があり、その故に著者そのものを誤って伝える、という結果になっている。ここに、赤木文庫所蔵の初印本を底本として複製公刊する事は、十分の意義があるものと思う。

                               
  二、底本と諸本

 『江戸雀』の諸本について『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、それらは次の如く分類する事ができると思われる。

 一 初印本

1、 赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅰ

 二 後印本・〔一〕

2、 東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・I

 三 後印本・〔二〕

  3、赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅱ
  4、京都大学附属図書館所蔵本
  5、国立公文書館(内閣文庫)所蔵本
  6、国立国会図書館所蔵本
  7、静嘉堂文庫所蔵本
  8、天理図書館所蔵本
  9、東京教育大学附属図書館所蔵本
  10、東京都立中央図書館(加賀文庫)所蔵本
  11、東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・Ⅱ

  四、 写  本

 1、東京大学附属図書館(南葵文庫)所蔵本
 2、東京都立中央図書館(東京誌料)所蔵本
 3、東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵本
 4、西尾市立図書館(岩瀬文庫)所蔵本

 以下、これら諸本の書誌的概観を試みたいが、右の各所蔵本の内の版本は、いずれも同一版木に拠るものと判断されるので、底本に使用した、赤木文庫所蔵の初印本についてのみ、版式を詳しく記し、他の後印本は、これと異なる点を記すに止めたい。

   一 初 印 本
 
 1、赤木文庫(横山重氏)所蔵本・I(本影印の底本)
著者  近行遠通。
装訂  袋綴。大本。
表紙  改装後補渋色表紙(雷文つなぎ・花模様等の空押し)、縦263ミリ×
  横188ミリ(巻一)。巻七後表紙に「参考太平記 三十」、巻八後表紙に「参
  考太平記 三十之下」と元の題簽の墨跡が残っているので、『参考太平記』の
  表紙を流用したものと思われる。(本影印には、原題簽を存する、赤木文庫所
  蔵本・Ⅱ(後印本)の表紙を使用し、底本の後補表紙は、参考写真・1~12
  に掲げた。)
題簽  左肩に子持枠後補題簽、縦192ミリ×横39.5ミリ(巻一)、「江戸すゝめ
  一 (~十二/了)」。子持枠及び書名は木版刷り、巻数は墨書。
匡郭  四周単辺、縦236ミリ×横174ミリ(巻一の1丁表)。      
序題  「江戸雀 序」 (巻一の1丁表)。
目録題  「江戸雀目録 初巻/二(~十二)巻目」(巻一の3丁表~6丁裏)。
内題  巻一は7丁表に、巻二以下は各巻頭に、
   「江戸雀初巻」          
   「江戸雀二巻目」
   「江戸雀三巻目」         
   「江戸雀四巻目」
   「江戸雀五巻目 御城より南之方」
   「江戸雀六巻目 御城より西の方」
   「江戸雀七巻目 従御城西北のすみ」
   「江戸雀八巻目 従御城北之方」
   「江戸雀九巻目 従御城北の方 こいし川より ひがしつゞき」
   「江戸雀十巻目 従御城北ひかしの方 あさ草見つけは ひかしにあたれ
           り」
   「江戸雀十一巻目 従御城東之方」
   「江戸雀十二巻目 従御城ひかしの方」
尾題  各巻末に、
   「江戸雀初巻終」         
   「江戸すゝめ二巻終」
   「江戸すゝめ三巻目終」     
   「江戸雀四巻目終」
    巻五はなし。         
   「江戸雀六巻目終」
   「江戸雀七巻目終」       
   「江戸雀八巻目終」
   「江戸雀九巻目」         
   「江戸雀十巻目終」
   「江戸雀 十一巻目終」       
    巻十二はなし。
  巻三は大部分墨にて補筆されているが、字体は他の版本に類似している。巻
  十一の「巻終」は墨にて補筆されている。     
柱刻  版心は白口。
   「江戸すゝめ 一ノー (~十四)」  
   「すゝめ ニノ一 (~十七)」
   「すゝめ 三ノ一 (~十三)」    
   「すゝめ 四ノ一 (~十四)」
   「すゝめ 五ノ一 (~十二)」 
   「すゝめ 六ノ一 (~十二)」
   「すゝめ 七ノ一 (~十一)」   
   「すゝめ 八ノ一 (~十一)」
   「すゝめ 九ノ一 (~十九)」  
   「すゝめ 十ノ一 (~十七)」
   「すゝめ 十一ノ一 (~十四)」
   「すゝめ 十ニノ一 (~十終)」
  巻一の7丁は「一ノ一」、巻六の5丁・6丁は「六の五」「六の六」、
  巻十の14丁は「十ノ十■」とそれぞれなっている。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  十二冊。
丁数  巻一…14丁(内、序2丁、目録4丁)。
  巻ニ…16丁半。
  巻三…13丁。   
  巻四…14丁。   
  巻五…11丁半。
  巻六…11丁半。  
  巻七…10丁半。  
  巻八…10丁半。
  巻九…18丁半。  
  巻十…17丁。  
  巻十一…14丁。
  巻十二…9丁半(内、跋1丁)。
行数  序・目録・跋…15行。本文は毎半葉、
  巻一…17行。 
  巻ニ…1丁・2丁表・16丁裏は16行、以外は17行。
  巻三・巻七…16行。
  巻四…1丁~4丁は16行、以外は17行。
  巻五…IT~3丁は16行、以外は17行。          7
  巻六…1丁・2丁表は16行、以外は17行。
  巻八…1丁~3丁は16行、以外は17行。
  巻九…1丁・2丁表・5丁裏・11丁裏・12丁表は16行、以外は17行。
  巻十…9丁・10丁表は16行、以外は17行。
  巻十一…1丁・2丁は16行、以外は17行。
  巻十二…1丁・2丁表は16行、以外は17行。
字数  序…約24、25字。本文…約28字。跋…約27字。
句読点  なし。
挿絵  絵師…菱川吉兵衛(師宣)。
  巻一…見開き2図(7丁裏8丁表・11丁裏12丁表)。
  巻二…2図、内見開き1図(3丁裏・10丁裏11丁表)。
  巻三…見開き2図(4丁裏5丁表・9丁裏10丁表)。
  巻四…3図(3丁表・6丁表・10丁表)。
  巻五…3図(3丁表・5丁裏・10丁表)。
  巻六…3図(3丁表・5丁裏・9丁表)。
  巻七…3図(2丁表・5丁裏・8丁表)。
  巻八…3図(3丁表・7丁裏・10丁表)。
  巻九…3図、内見開き1図(3丁表・8丁裏・12丁裏13丁表)。
  巻十…4図、内見開き2図(3丁裏4丁表・7丁表・11丁裏12丁表・14丁
        裏裏)。
  巻十一…3図(2丁表・5丁裏・11丁表)。
  巻十二…3図(3丁表・5丁裏・8丁表)。
序跋  巻一の1丁・2丁に自序。巻十二の9丁裏・10丁表に自跋。
刊記  巻十二の10丁表に、
   「         武州江戸之住 近行遠通撰之
    延宝五年丁巳 仲春日  同絵師 菱川吉兵衛
        江戸大伝馬三丁目 鶴屋 喜右衛門板」
蔵書印・識語  「八文字屋蔵書之印」「掬雅」「好古癖」「寿」
   「臨風文庫」「アカキ」の朱印。他、朱印一顆。巻十二前表紙に白紙の
   帯が付けられ、ペン書にて、現所蔵者・横山重氏の次の識語がある。
   「145/○江戸雀の初印本(改装裏打本)/○再印本は左の赤字の部分を
   削りて印刷せり。/武州江戸之住 近行遠通撰之〔注、赤線で囲む〕/
   同〔注、赤線で囲む〕絵師 菱川吉兵衛」帙に原稿用紙が貼付されており、
   ペン書にて、横山重氏の次の識語がある。「○本書、改装本なれど、初印本
   なり。「近行遠通撰之」とあり。/再印本は此六字を削れり。世上にある本
   は多くこれなり。予、別/に二本を持てりしが、再印本のゆゑに、出しぬ。
   /○和田博士の古板地誌解題、長沢規矩也氏の江戸地誌解題等、/皆、再
   印本を出して、本書の撰者を師宣とす。/○一誠堂主人存命(昭和十五年
   春)中、本書を千円にて買へり。従/来、地誌の中で、八重桜に次ぐ本と
   されたりし本なり。霞亭の本/の評価(大正十三年)の時、次の如し。
   而して、入札には五割方高く/江戸すゝめ 一、〇五〇/名所八重桜 一、
   八八〇/葦分船 六三八/なりしが、此江戸すゝめは再印/本なりき。/
   2500」
その他  巻二の14丁裏~16丁表に錯簡がある。即ち、正しくは、14T裏は15
   丁裏へ、15丁表は16丁表へ、15丁裏は14丁裏へ、16丁表は15丁表へ、
   それぞれ入れるべきである・(なお、本影印では、右の如く訂正して複製し、
   この巻二の14・15・16丁の各版心を参考写真・15~17(初印本)、18~20
   (後印本)に掲げた。) 本文紙は、全冊に亙って総裏打ちされている。                

    二 後印本・〔一〕

2、 東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・I(三 HC は5)

表紙  砥粉色原表紙、縦271四ミリ×横190ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦177ミリ×横39ミリ(巻一)。
   「江戸すゝめ 御城の始り 同大手口屋敷付 一」
   「江戸須々女 糀町番所筋 駿河台の分 二」
   「江戸雀 町中案内者 三」    
   「江戸寿々女 日本橋より 金杉迄の分 四」
   「江戸すゝめ 大芝の分 五」     
   「江戸須々女 赤坂四谷 市谷の分 六」
   「江戸雀 牛込の分 七」       
   「江戸寸々女 小石川の分 八」
   「江戸すゝめ 神田 九」      
   「江戸すゝめ 浅草の分 十」
   「江戸すヽめ 本庄の分 十一」   
   「江戸雀 本庄の分 十二」
柱刻  巻二の14丁~16丁は埋木。これは初印本の錯簡を正したため。巻十の
   8丁は「十ノ八九」とあり「九」は埋木。これは後印本が9丁を省いたた
   め。巻十の14丁が初印本は「十ノ十■」とあるが、後印本は「十ノ十四
   」と「四」を埋木して訂正。後印本は版心の上下の匡郭を大部分削ってい
   る。以上の外は初印本(赤木文庫本・I)と同じ。
丁数  巻十は最終丁が「十ノ十七」とあっても、9丁を省いたため、実際は16
   丁。以上の外は初印本(赤木文庫本・I)と同じ。
刊記 巻十二の10丁表に、           
   「          武州江戸之住
   延宝五年丁巳仲春日      絵師菱川吉兵衛
         江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板」
蔵書印等  「松沢蔵書」「洒竹文庫」「古版地誌」の朱印。「松沢所蔵」「松沢」 
   「まつ沢」と墨書。
その他  巻二の14丁裏~16丁表の錯簡ぱ正されている。巻十の9丁は省かれ
   ている。初印本と後印本の間には異同がある。この異同については第三章
   を参照。

  三、後印本・〔二〕

3、 赤木文庫(横山重氏)所蔵本・Ⅱ

表紙  薄青味灰色原表紙。縦270ミリ×横190ミリ(巻一)。(本影印の前表紙
  は、本書の原表紙を以て補った。)
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦179ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、
  東洋文庫本・Ⅰと同じであるが、巻四の左上部に欠損あり。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  巻十二の10丁表に、
   「        武州江江戸之住                              
   延宝五年丁巳仲 日    絵師 菱川吉兵衛      
        江戸大伝馬三丁目 鶴屋喜右衛門板」(参考写真・27)
蔵書印等  「政」の黒印。「アカキ」の朱印。その他花押あり。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。

 4、京都大学附属図書館所蔵本(83エ7)

表紙  藍色原表紙、縦272ミリ×横190ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦178ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
尾題  欠損のため巻二は「江戸すゝめ二巻目終」、巻六は「江戸すゝめ六巻羽終
   」とそれぞれ墨書。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印等  「田村」の黒印。「京都帝国大学図書之印」「京大図/明治・三四・
   三・三〇・購入」の朱印。「17725」の青印。背の小口に「江戸雀 一 (~
   十二)」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻一の11丁
   の下部に破損あり。

5、 国立公文書館(内閣文庫)所蔵本(特122 9)

表紙  藍色原表紙、縦269ミリX横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦179ミリ×横38ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じであるが、巻二、巻九は欠で剥落の跡のみ。巻五の
   下部に欠損あり。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
列記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「仲 日」の部分が「仲夏日」とあり、「夏
   」は墨書にて補ったもの。
蔵書印  「石塚文庫」「豊芥(象の絵)」「待賈堂」「江戸四日市/古今珍書儈/
   達摩屋五一」「図書局文庫」「日本政府図書」「明治十六年購求」の朱印。そ
   の他黒印一顆。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻八の2丁
   と3丁は入れ替わっている。
 
 6、国立国会図書館所蔵本(京22)

表紙  後補万字つなぎ黄色表紙、縦263ミリ×横184ミリ(第一冊目)。
題簽  左肩に第一冊目は子持枠後補題簽で「江戸すゞめ 御城初 巻ノ一」(縦
   189ミリ×横41ミリ)と枠は版刷り、文字は墨書。第二冊目は巻二の、第
   三冊目は巻三の、第四冊目は巻四の、各原題簽を存す。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
冊数  四冊。第一冊…巻一・巻二・巻三。第二冊…巻四・巻五・巻六。第三冊
   …巻七・巻八・巻九。第四冊…巻十・巻十一・巻十二。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。                             
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印  「西成文庫」「小沢文庫」「●原家蔵」「故●原芳埜納本」「東京図書館
   蔵」「帝国図書館蔵」の朱印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻十の11丁
   裏12丁表の挿絵は破り取られている。
 
 7、静嘉堂文庫所蔵本(18345/12/103・63)

表紙  後補藍色表紙、縦257ミリ×横185ミリ(巻一)。
題簽  左肩に後補書題簽、縦138ミリ×横37ミリ(巻一)。「江戸雀」と墨書。
   以下、巻十二まで同じ。
尾題  巻五に「江戸雀五巻目終」と墨書で補う。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印  「一居蔵書」「藤井蔵書」「禁他貸」「柳はし/ふじゐ/藤吉」「静嘉堂
   珍蔵」の朱印。各巻前表紙見返しに、縦83ミリ×横65ミリの紙が貼付さ
   れ、青色印刷にて次の如くある。「藤井蔵書/読書心得之記/一可成丁寧ニ
   読ベキ事/一破損及塗黒スベカラズ/一又貸一切厳禁之事/一火ノ上ニテ
   必ズ読ベカラズ/一読書中中央迄読候節ハ必ズ栞ヲ入置ベシ決シテ本ヲ折
   ベカラズ/右之条々固ク相守可申者也/藤井氏蔵書」その他黒印一顆あり、
   上部が切断されている。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻一・二・
   三・四・八・九・十・十一・十二の各巻は総裏打ちされている。巻五・六
   は各丁の中に間紙が入れられている。巻七は元のまま。巻二・三・四・八
   には乱丁があり、その順序は次の通り。
  巻ニ…1丁・2丁・6丁・7丁・8丁・15丁表14丁裏・9丁・10丁・11丁
    ・12丁・14丁表13丁裏・5丁・4丁・3丁・16丁表15丁裏・17丁表。
  巻三…1丁表巻二の16丁裏・2丁表IT裏・3丁表2丁裏・4丁・
    5丁表巻八の2丁裏・8丁表5丁裏・10丁・12丁・13丁。
  巻四…1丁・13丁・4丁・5丁・6丁・7丁・8丁・9丁・10丁・11丁・14
    丁。
  巻八…1丁・2丁表巻三の3丁裏・3丁・4丁・5丁・6丁・7丁8丁・9
    丁・10丁・11丁。
  巻二の13丁表、巻三の6丁・7丁・8丁裏・9丁・11丁、巻四の3丁・12
  丁は落丁。巻五の12丁表の終わりの2行は欠落しており、そこに「叉/花を
  見る人や不動のからしばり」と墨書で補っている。巻十一の8丁裏上部に破
  損あり。巻五・六・七以外の挿絵には彩色をしている。
 
 8、天理図書館所蔵本(291・1 イ1~12)

表紙  濃縹色原表紙、縦272ミリ×横194ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦178ミリ×横37ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。   
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印等  「熊本市上通二丁目/河嶋書店」「高木家蔵」「天理図書館蔵」「天理
   図書館」「天理図書館/昭和廿八年十月壱日/458601(~12)(青
   印)」の朱印。紙片が入っており、それに「24095/昭和22・9・13
   /寄贈中山正善氏/評価1200/高木文庫」とあり。巻十の17丁裏に「雀
   巻十」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻六・九の
   尾題の上部に破損あり。
 
 9、東京教育大学附属図書館所蔵本(ネ312 1)

表紙  砥粉色原表紙、縦272ミリ×横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠原題簽、縦180ミリ×横39ミリ(巻一)。体裁その他、東
   洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印識語  「牘庫」「東京師範学校図書印」「東京高等師範学校図書館印」の
   朱印。「高等師範学校図書/第三三七八号/一二冊(数字は墨書)」の黒印。
   「東京文理科大学/特別/図書」の茶色ラベル。巻十の11丁裏に白紙があ
   り。「絵入の江戸古版地誌として最も優れたものである。」と墨書。各巻
   下小口に「一 (~十二)江戸すゝめ」と墨書。その他朱印一顆。          
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。
 
 10、東京都立中央図書館(加賀文庫)所蔵本(243 1~12)

表紙  後補藍色表紙、縦262ミリ×横188ミリ(巻一)。
題簽  左肩に子持枠後補題簽、縦186ミリx横36ミリ(巻一)。「江戸雀 一
   (二・三・四・八・九・十・十二)」「江戸すゝめ 五(六・十一)」「江戸
   すゝ目 七」文字は墨書。
尾題  巻八・九は欠損。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。
蔵書印識語  「時習館蔵書之印記」「佐久間」「佐久間図書印」「中川氏蔵」「加
   賀文庫」「東京都立図書館蔵書」の朱印。「東京都立日比谷図書館/104682
   (~93)/昭28・1・10和」の黒印。「延宝五季秋五口 政武〔印〕」「政
   武〔印〕」と墨書・黒印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻五に欠
   損あり、欠損部分は版本に忠実に補筆されているが、振り仮名はほとんど
   省略されている。

  11、東洋文庫(岩崎文庫)所蔵本・Ⅱ(三複HC は5)

表紙  藍色原表紙、縦272ミリ×横191ミリ(巻一)。
題簽  左肩に、巻一は子持枠後補題簽、縦182ミリ×横39ミリ 「江戸雀 御
   城之初並 年中規式之分 一」と墨書。巻二以下は子持枠原題簽、体裁その 
   他、東洋文庫本・Iと同じ。
柱刻  東洋文庫本・Iと同じ。
丁数  東洋文庫本・Iと同じ。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じ。部分的に破損あり。
蔵書印  「芋芊苑文庫」「雲邨文庫」の朱印、その他朱印一顆。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。

 以上、各版本の略書誌を記したが、この中では。赤木文庫Ⅰ本のみが初印本で、他は後印本である。初印本と後印本の著しい相違点は、初印本には巻二の14丁裏~16丁表に錯簡があるが、後印本は訂正していること、後印本は巻十の9丁を省略していること、初印本にみられる著者名「近行遠通」を後印本は削除していること、等である。その他、初印本・後印本間には、かなりの本文異同があるが、この異同については、後にやや詳しく述べたい。後印本・〔一〕(東洋文庫Ⅰ本)と後印本・〔二〕の相違は、刊年記の部分で〔一〕が「仲春日」とあるのに対し、〔二〕は「春」を削除していること、本文中で二箇所の異同があること、の二点であり、刷りは〔一〕の方が早いが、同系統の本文であると言い得る。刊行者・鶴屋喜右衛門は、井上和雄氏の『慶長以来書賈集覧』に、
「同(鶴屋)喜右衛門 小林氏 仙鶴堂 延宝―明治 江戸大伝馬三丁目、後通油町 按に京都鶴屋の支店なりしものゝ如し、当時江戸地本問屋として錦絵草双子類の大版元なり其全盛を極めたること他に比類無かりしとぞ江戸名所図会巻一に其の店を写したる図あり」
とあり、『心学男女鑑』(延宝三年)、『秀平五代記』(正徳六年)、『西海軍記』(享保八年)、『骨董集』(文化十一、二年)等を刊行している。

                               
 四 写 本

 1、東京大学附属図書館(南葵文庫)所蔵本(J30 751)

装訂  袋綴、大本。
表紙  藍色表紙、縦272ミリ×横190ミリ(第一冊)。
題簽  左肩に書題簽、縦192ミリ×横36ミリ(第一冊)。「江戸すゝめ 一之
   二(三之四・五之六・七之八・九之十・十一之十二終)」。
匡郭  なし。一行の字の高さは230ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  共に赤本文庫本・Ⅱと同じであるが振り仮名は省
   略されている。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九・巻十。第六冊…巻十一・巻十二。
丁数・行数・字数  共に赤木文庫本・Ⅱとほとんど同じ。
句読点 なし。             
挿絵  枚数・順序等、赤木文庫本・Ⅱと同じ。構図も同様であるが、人物や樹
   木等は省略したものがある。また、巻三の第1図「さかい町」、同第2図「日
   本ばし」等の如く、絵の中の説明を省略したものや、巻五の第3図「めく
   ろふどう」→「目黒不動」の如くその表記を変えたものがある。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の2字
   は欠。
蔵書印  「南葵文庫」の朱印。「南葵文庫/購入/古本/紀元二千五百六十三年
   /明治三十六年十二月廿一日」の紫印。「東京帝国大学図書印」の朱印。
   「B43351」の青印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。巻四の5丁・
   6丁が入れ替わっている。巻五の4丁が落丁。後印本を忠実に書写してお
   り、行数・字詰まで、ほとんど同じである。ただし、振り仮名は大部分省
   略しており、「介→助」、「は→ハ」、「あたり→当り」の如き異同はある。
 
 2、東京都立中央図書館(東京誌料)所蔵本(020 6 貴重書)

装訂  袋綴、大本。
表紙  葡萄模様銀色表紙、縦271ミリx横189ミリ(第一冊)。
題簽  左肩に書題簽(薄縹色絹目紙)、縦190ミリ×横37ミリ(第一冊)。
   「江戸雀 一 四(五 八・九 十二/尾)」。
匡郭  なし。一行の字の高さは203ミリ前後。        
序題・目録題  なし。(序・目録全体を省略している。)    
内題  各巻頭に、
   「江戸雀初巻」「江戸雀二巻」「江戸雀三巻」「江戸雀四巻目」「江戸雀五巻
   /従御城南の方」「江戸雀六巻/従御城西の方」「江戸雀七巻/従御城西北
   のすみ」「江戸雀八巻/従御城北の方」「江戸雀九巻/従御城北の方 小石
   川より ひかしつゝき」「江戸雀十巻目/従御城北ひし方 あさくさ見つけ
   はひかしにあたれり」「江戸雀十一巻目/従御城東の方 両国はしより北本
   庄分」「江戸雀十二巻目/従御城東の方南本所の分」
尾題  各巻末に「江戸雀初巻(~十一巻)終」。巻十二はなし。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  三冊。第一冊…巻一~巻四。第二冊…巻五~巻八。第三冊…巻九~巻十
   二。
丁数  巻一…13丁。巻ニ…23丁半。巻三…14丁。巻四…12丁。巻五…13丁。
   巻六…17丁。巻七…14丁。巻八…15丁。巻九…26丁。巻十…19丁。巻十
   一…13丁。巻十二…13丁半。
行数  毎半葉11行。
字数  一行約26字。
句読点  なし。
挿絵  全般的に構図は版本と同様であるが、人物や樹木等を省略したものがあ
   る。巻十の第4図、巻十二の第1図を省略している。巻一の第2図に接続
   して、巻四の第3図「愛宕さん」を入れている。巻五の第2図「池上本門
   寺」と第3図「めぐろふどう」を入れ替えて、接続して掲げている。巻十
   の第2図「こまがたどう」と第3図「よしはら」を入れ替えて、接続して
   掲げている。巻十一の第2図「角田川」を「梅わか」、第3図「むゑんじ
   」を「ゑかう院」とそれぞれ説明を改めている。その他、巻十の第1図「あ
   さ草観音堂」の如く絵の中の説明文を省略したものや。巻四の第2図「ひゞ
   やしんめい」→「日比谷神明」の如く説明の表記を変えたものがある。
刊記  赤木文庫本・Ⅱと同じであるが「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の2字
   は欠。
蔵書印  「大礼記念図書」「東京誌料 日比谷図書館」「日比谷図書館購求/10・
   8・6」の朱印。「5031」の青印。「東京都立日比谷図書館・東京誌料/27876
   (~8)/昭34・1・26和」の黒印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。序・目録は
   すべて省略されている。巻二「永田山 山王権現之事」の26行を約2行に、
   巻四「芝 三縁山 増上寺」の37行を約1行に簡略化している。この如く、
   寺社・名所等に関して説明した部分や古歌等は、全般的に省いたり、簡略
   化したりしている。その他、振り仮名は大部分省き、「そのゝち→其後」「よ
   つや→四ッ谷」等の異同がある。後印本の臨写本と思われるが、書写は忠
   実ではない。

3、 東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵本(狩3 7297 6)

装訂  袋綴、半紙本。                     
表紙  紅葉模様焦茶色表紙、縦235ミリ×横167ミリ(第一冊)。
題簽  題簽は無く、左肩に「江戸雀一 二(~十ー 十二)  一 (~六)
   」と墨書。
匡郭  なし。一行の字の高さは200ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  「江戸雀 序」「江戸雀初巻」「江戸すゝめ四巻目
   終」 巻六・巻七・巻八の尾題なし。「江戸雀十巻目 従御城北東の方 あ
   さくさ見付は 東にあたけり」「江戸すゞめ十巻目終」巻十一の尾題なし。
   以外は赤木文庫本・Ⅱと同じ。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九・巻十。第六冊…巻十一・巻十二。
丁数  巻一…20丁。巻ニ…32丁。巻三…21丁。巻四…26丁。巻五…20丁。巻
   六…20丁。巻七…18丁。巻八…19丁。巻九…35丁。巻十…28丁。巻十一
   …27丁。巻十二…18丁(内、1丁は識語)。
行数  毎半葉10行。
字数  一行24・25字前後。
句読点  なし。
挿絵  なし。
刊記  巻十二の17丁に、「延宝五年丁巳仲 日/江戸大伝馬三丁目」とあり、
   下の絵師名・書肆名があったと思われる部分が破り取られている。本文内
   に挿絵が無いところから、何人かが、絵師名等を削除したものと思われる。                 
蔵書印・識語  「誉田之蔵」「狩野氏図書記」「東北帝国大学図書印」「荒井泰治
   氏ノ寄附金ヲ/以テ購入セル文学博士/狩野亨吉氏旧蔵書」の朱印。巻十
   二最終丁裏に、「壱 二月廿四日写/二 同廿五日写/三 同せ廿五六日写
   /四 同廿六七日写/五 同廿八日三月九日夜 同十日夜同十一日朝写/
   六 同十一二日写/七 同十三四日写/八 同十四五日写/九 同十七廿
   日写/十 同廿二三日写/十一 十六十七日写/十二 同十六日写」と墨
   書。下小口に「江戸雀 一 (~六)」と墨書。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。振り仮名を
   大部分省略し、「あいおひ橋→相生橋」「おしへず→をしへず」の如き異
   同はあるが、かなり忠実に後印本を書写している。
 
 4、西尾市立図書館(岩瀬文庫)所蔵本(貴14 51)

装訂  袋綴、大本。
表紙  藍色表紙、縦277ミリ×横192ミリ(第一冊)。
題簽  なし。
匡郭  なし。一行の字の高さは230ミリ前後。
序題・目録題・内題・尾題  「江戸雀序」「江戸雀初巻」「江戸すゝめ弐巻目終
   」以外は赤木文庫本・Ⅱと同じ。
丁付  なし。
巻数  十二巻(欠巻なし)。
冊数  六冊。第一冊…巻一・巻二。第二冊…巻三・巻四。第三冊…巻五・巻六。
   第四冊…巻七・巻八。第五冊…巻九。第六冊…巻十・巻十一・巻十二。
丁数・行数・字数  共に赤木文庫本・Ⅱとほとんど同じ。
句読点  なし。
挿絵  枚数・順序等赤木文庫本・Ⅱと同じ。構図も同様であるが、人物や樹木
   等は省略したものがある。巻五の第1図「芝大ほとけ」、巻六の第2図「赤
   坂田町」の各説明を省いている。
刊記  東洋文庫本・Ⅰと同じであるが「鶴屋 喜右衛門板」の「鶴屋」の2字
   が欠。
蔵書印  「狂哥堂文庫」「岩瀬文庫」の朱印。
その他  巻二の錯簡は正されている。巻十の9丁は省かれている。振り仮名を
   大部分省略し、巻二16丁裏2行目「須田町近道有近藤」の8字、巻四9丁
   表1行目「此所の石たん六十八有」の10字等の如く欠字となっている所も
   あるが、全般的に、各丁とも行どり、字詰など、版本と同じで、後印本を
   忠実に書写している。

 現存の写本は以上の四点であるが、いずれも版本の転写本であり、本文の異同関係から考えて、後印本の写しであると判断される。この内、岩瀬文庫本の刊年記には「仲春日」と「春」が入っているので、これは後印本・〔一〕の写しであろうと思われる。また、南葵文庫本と加賀文庫本は共に書肆の住所「江戸大伝馬三丁目」の「江戸」の二字を省いており、この二本が同系統の写本である事を推測させるが、殊に南葵文庫本の書写が版本に忠実あるところから考えて、あるいはこのような刊記を有する後印本があったのかも知れない。

 以上、『江戸雀』諸本の調査結果を簡単に記したが、この外、調査し得なかったものが三点ある。お茶の水図書館(成簣堂文庫)所蔵本は江戸期の所蔵本所蔵本が未整理との事で、東京国立博物館の所蔵本は館内改造工事の故に、平井隆太郎氏所蔵本は種々の事情の故に、それぞれ閲覧する事が出来なかった。なお、東京国立博物館の所蔵本が後印本である事は朝倉治彦氏によって明らかにされている(『新訂増補 古版地誌解題』)。さらに、岡山県総合文化センターの所蔵本は戦災によって焼失したこと、宮城県立図書館・伊達文庫には所蔵されていない事を、それぞれ確認した。

 尊経閣文庫 には、写本『江戸すゝめ』が所蔵されているが、これぱ別本である。袋綴、横小本、黒色表紙、三巻、全342丁、題簽「江戸すゝめ 上(中・下)巻」、蔵書印「誉田之蔵」「前田氏尊経閣図書記」。上巻巻頭に目録がある。「目録/一江戸四里四方の事/一御見附の事/一御大名の事/一御役御屋敷の事/一神社仏閣の事/一寺々の事/一町の事/一名主の事/一橋の部/一坂の部/一ほりの部/一原の部/馬場の部…」等とあり、これらの内容を、上・中巻に、いろは別に分類して収録している。下巻には「上野寛永寺辺」等の地図三葉と「町方名主支配之部/御府内年中行事/七福神/海中名所/五八景之部/御前町之部…」等を収めている。この写本の書写年代は大尾に「享保十一年十一月写畢」とある事によって推察される。第一蔵書印「誉田之蔵」が、東北大学附属図書館(狩野文庫)所蔵の『江戸雀』に存するものと同じ朱印である事は注意すべきである。 

          
三、初印本と後印本の本文異同について

 『江戸雀』の初印本(赤木文庫・Ⅰ本)と後印本・〔Ⅰ〕(赤本文庫・Ⅱ本)とを対校した結果は次の通りである。なお、本来ならば、まず初印本と後印本・〔Ⅰ〕とを対校すべきであるが、原本の所在等種々の事情から、後印本・〔Ⅱ〕と対校した。ただ。後印本・〔Ⅰ〕と同・〔Ⅱ〕との異同が極めて少ないので、この事に問題はないと思う。(上が初印本、下が後印本・〔Ⅱ〕。省略したものは「ナシ」とした。)

 〔1〕巻一 1丁表7行……はんさい万歳→はんせい万歳 (参考写真・13)
 〔2〕巻一 1丁裏8行……ふ ゑ武江→ふ かう武江
 〔3〕巻一 1丁裏10行……しやうと唱斜→しやうと唱斜
     左振仮名 すしかゆ→すしかゆかみ          
 〔4〕巻一 3丁表4行……せ かめはし銭亀橋→せにかめはし銭亀橋
 〔5〕巻一 4丁表15行……い し築地→つい し築地
 〔6〕巻一 7丁表11行……攻落して→入かはりて (参与写真・14)
 〔7〕巻一 7丁表12行……めつばう滅亡す故に→ナシ   (参与写真・14)
 〔8〕巻一 8丁裏14行……諸事諸山→諸寺諸山
 〔9〕巻一 9丁裏9行……至り↓ナシ
 〔10〕巻二 10丁表15行……口まへの→前の  (初印本の1字不明瞭)
 〔11〕巻二 14丁裏→15丁裏へ        (参考写真・15~20)
 〔12〕巻二 15丁表→16丁表へ        (参考写真・15~20)
 〔13〕巻二 15丁裏→14丁裏へ        (参考写真・15~20)
 〔14〕巻二 16丁表→15丁表へ        (参考写真・15~20)
 〔15〕巻三 6丁表8行……はたふたい舞台→ふ たい舞台
 〔16〕巻三 9丁表1行……▲一戸越→ナシ   (参考写真・21)
 〔17〕巻五 4丁裏14行……照ゑい栄口→照ゑい栄坊  (初印本の1字不明瞭)
 〔18〕巻九 12丁表14行……行の頭に文字の部分の如き跡あり→ナシ
                        (参考写真・22)
 〔19〕巻十 8丁裏16行……「さはいひなから」より10丁表3行まで→ナシ
             (参考写真・23~25)
 〔20〕巻十一 13丁裏7行……浅草に→ナシ
 〔21〕巻十二 9丁裏7行……この1行全体にナシ  (参考写真・26)
 〔22〕巻十二 10丁表13行……近行遠通撰之→ナシ (参考写真・27)
 〔23〕巻十二 10丁表14行……春→ナシ      (参考写真・27)
 〔24〕巻十二 10丁表14行……同→ナシ      (参考写真・27)

 右の異同の内、〔1〕・〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔8〕・〔10〕・〔15〕・〔17〕などは、初印本の誤りを後印本が訂正したもの。〔6〕・〔7〕は、この前後の文章を、寛文二年の『江戸名所記』の「……管領上杉修理大夫朝興この城にありしを、大永年中に北条氏綱にせめおとされ、……天正十八年七月六日小田原没落して、氏直めつばうせられしよりこのかた……」から得たもののようであるが、「攻落して」「滅亡す」という、初印本のやや殺伐とした表現を後印本は改めたのではないかと思われる。〔11〕・〔12〕・〔13〕・〔14〕は初印本の錯簡を後印本が正したものであるが、これは版下作成の過程生じた誤りであろう。〔9〕・〔16〕・〔18〕・〔19〕・〔20〕〔21〕・〔22〕・〔23〕・〔24〕は、いずれも後印本が初印本の文字・文章等を省略したものである。〔9〕は「東の方は八町堀に至り木挽町鉄炮津女木三谷霊巌嶋にいたり」とあり、「至り」「いたり」と重複するため、前の「至り」を省いたのであろうか。〔16〕は9丁表1行目の見出し「▲戸越」を後印本が除いているのであるが、この項は江戸橋、戸越橋、材木町、北八町堀辺の記述であるため「戸越」では誤りである。そこで削除したものと思うが、そのためにこの丁は1・2行が空白となってしまった。あるいは、版下段階では、戸越橋辺についての、さらに詳しい見出しがあったのかも知れない。それを何等かの理由(例えば重複など)で「▲戸越」のみを残して印刷したのが初印本で、さらにそれを削ったのが後印本ではなかろうか。ただし、この異同は次の〔18〕と共に考える必要がある。〔18〕は初印本では、行の頭に文字の部分の如き跡があるが、それを後印本は削除している。そのため、この行は二字さがりとなってしまった。幸い後続の文章は意味が通じるため問題はないが、あるいは、この都分は、版下段階では、例えば「とて」のような語があり、版木に彫りつける段階、またぱ数部印刷の後に欠損が生じたものであろうか。もしそうであるとすると、初印本(本書の底本)より、さらに早い刷りの版本があった可能性もある。その点で、〔16〕・〔18〕の二つの異同は注意すべきものと思う。〔19〕は後印本が省略したものの内、最大のもので、8丁裏から10丁表に亙る、全36行と9字分を省いている。したがって9丁は無く、8丁の柱に「十ノハ九」と「九」を埋木している。この部分は、延宝四年十二月(『武江年表』は十一月)七日に起こった吉原の火事についての記述であるが、後印本は8丁裏に1行、10丁表に3行の空白まで残して、何故に削除したのであろうか。「去年の冬」の火事の記述なので、刊行日と時間的に矛盾が生じたためか。「繁栄之所に有失火といへるたぐひ多」という表現が、あまり穏やかでないためか。あるいは、その描写に品位を損うものがあると考えたからか。理由は判然としないが、その内容に何か不都合が生じたために、この不体裁をも省みず、削除したのであろう。次に〔20〕であるが、この前後の文章は万治四年刊行の『むさしあぶみ』に拠っていると思われる。「江戸中にありとあらゆる橋々六十个所。此うち浅草橋と一石橋一つ。すなはち其橋もと後藤源左衛門といふものゝ家ばかり。江戸中の名残に只ひとつ焼残る。」(下巻)この「浅草橋」を「浅草に」と誤写してしまったらしい。そこで後印本は「浅草橋」と訂正すべきところを削って済ませたのであろう。〔21〕の1行削除は、自序の「是智有人の見るべき物にあらず。」ともしっくりせず、また「上つかた」に対する、憚りのためであったかも知れない。〔22〕・〔24〕は著者名の削除という重大な異同であるが、その理由は今即断できない。次章でやや詳しく述べたいと思う。〔23〕は「仲春日」の「春」を削っているが、これは後印本・〔Ⅱ〕の刊行時期が春以外であったためであろう。         
  以上、初印本と後印本・〔Ⅱ〕との異同について述べたが、後印本〔Ⅰ〕は
 右の異同の内、〔15〕・16〕・〔23〕の三箇所のみが初印本と同じである。したが
って、初印本から後印本・〔Ⅰ〕の段階で、右の大部分を改め、後印本・〔Ⅰ〕から同・〔Ⅱ〕の段階で〔15〕・〔16〕・〔23〕を改めたということになる。   
 さて、右の異同全体をながめると、いずれも後印本が初印本の誤りを訂正したり、不都合の部分を改めたりしているのであり、これらの異同関係から考えても、諸本の印刷の先後は明らかである・そして、後印本の初印本に対する改訂の態度には極めて積極的なものがあり。殊に〔6〕・〔7〕・〔19〕・〔21〕には、何か現実社会への憚りの如きものが感じられもする。〔22〕・〔24〕の著者名削除と共に、著者自身の手によって、これらの訂正・削除等はなされたのではないかと思われるのである。

  四、著者・近行遠通について
  

 『江戸雀』の著者について、近世文芸叢書(明治43年7月)・江戸叢書(大正5年10月)・日本随筆大成(昭和3年9月)の各解題は「著者詳ならず」「作者詳ならず、」「著者不詳」とされたが、和田万吉氏『古版地誌解題』(大正5年4月)(注2)・高木利太氏『家蔵日本地誌目録』(昭和2年11月)・長澤規矩也氏『江戸地誌解説稿』(昭和7年11月)・丸山季夫氏、復刊日本随筆大成解題(昭和49年4月)はいずれも、著者・絵師共に菱川師宣(吉兵衛)の名を掲げておられる。
 これは、右の諸氏が使用された原本が、すべて後印本であった事に主たる原因があるものと思われる。
                              
 「武州江戸之住 近行遠通撰之   → 「武州江戸之住        
      同絵師 菱川吉兵衛」          絵師 菱川吉兵衛」 

初印本・刊記の著者及び絵師の部分は右の如くなっているが、後印本では「近行遠通撰之」の七字を削除している。後印本のこの部分を絵師名のみの表示と解釈すれば、近世文芸叢書等の如く、著者は未詳となる。また、和田万吉氏等の如く、絵師である菱川吉兵衛が同時に著者である、と解する事もできない事はない。
 『江戸雀』を最初に記載した書籍目録は、江戸日本橋の山田喜兵衛が天和元年春に刊行した『書籍目録大全』であり、同目録には、
  「十二 江戸すゝめ 江戸板 拾匁」
とあるが、著者名は入っていない。『江戸名所記』『京雀』『京童』等の如く著者名の入っている作品が少なくないところから推測すると、刊行四年後のこの時点で、すでに初印本は姿を消し、後印本が出回っていたのかも知れない。それが近代にまで尾を引き。著者未詳あるいは「菱川師宣撰並画」説として現在に至ったとも言える。

 『江戸雀』の著者が近行遠通である事を明確にされたのは、横山重氏である。氏の「江戸図ノ権威 遠近道印 一(~四)」及び「遠近道印について」(注3)の二つの論考は、江戸図の歴史上重要な足跡を残した、遠近道印に関して詳細な考察を加えられたものであるが、そこで、
 「古板地誌の「江戸雀」は、その他の類本と性格を異にして、方角と道程を詳記してあり、諸侯や旗下の第宅や、大路や小巷も、悉く撰者自身の踏査を経ていて。算数的な記述が多い。…(中略)…   
 それで和田博士も、撰者を師宣としているから、「著者が後素(絵画)以外に算勘の業を好みしを想ふべし。」と言っている。
 そんなわけで、わたしは、江戸雀の「近行遠通」という替名は、寛文の五枚図の「遠近道印」と同一人と思い付いたのである。遠近道印も替名であろう。どちらも替名であるが、その替名の字面に共通なものがある上に、地誌と地図の差はあっても、その地理学に対する態度にも、共通の科学性があるからである。」 (「遠近道印について」)
 と、本書の著者・近行遠通は、江戸図の権威・遠近道印と同一人である、という説を出された。
 衆知の如く、遠近道印は寛文十年十二月に刊行された。『新板 江戸大絵図 本』(参考写真・28~30)をはじめとする、いわゆる寛文五枚図(十三年二月完結)の作者であり、以後、
 ○新板 江戸大絵図 延宝四年三月/遠近道印作/経師屋加兵衛刊
 ○分間江戸大絵図 元禄二年初夏/図翁遠近道印作/板木屋七郎兵衛刊
○ 東海道分間絵図 元禄三年孟春/作者遠近道印/絵師菱河吉兵衛/板木屋七
 郎兵衛刊(参考写真・31~35)
○ 改撰 江戸大絵図 元禄九年正月/遠近道印作/板屋弥兵衛刊(参考写真・36
 ~41)
等の地図を作っている。さらに、延宝八年一月には『江戸方角安見図』が表紙屋市郎兵衛から刊行され、これには作者名は無いが、その内容から考えて、遠近道印の作と判断される。            
 右の如く遠近道印は元禄三年に『東海道分間絵図』を作っているが、その絵師は菱河吉兵衛であり、この両者の組合せは『江戸雀』の組合せと相通じるものがある。横山氏の、近行遠通・遠近道印同一人説は真実を衝いたもののように思う。なお、丸山季夫氏は、複刊日本随筆大成の解題(昭和49年4月)で「旧本に近行道通撰と見えるが、静嘉堂の「東海道分間絵図」五巻末に遠近道人の名が見え、絵師菱川師宣、板木屋七郎兵衛とあるところから推すに、これも師宣のこの書に際しての筆名と思われる。」と、近行遠通、遠近(ママ)道人共に菱川師宣の筆名としておられるが、これは誤りであろうと思う。遠近道印と菱河吉兵衛が別人なることは『東海道分間絵図』の序・跋の内容からみても明らかである。
 さて、それでは、遠近道印は何故、延宝五年の『江戸雀』で別名・近行遠通を使ったのであろうか。また、延宝八年の『江戸方角安見図』に何故著者名を記さなかったのであろうか。この間の事情について、横山氏は次の如く説いておられる。

 「この絵図〔延宝四年刊『新板 江戸大絵図』〕には凡例というべき五項の識語
 を印刷してある。それによると、昨年(延宝三年)一分十間の一枚図を刊行し
 たが、それは、自分の寛文の五枚図を模した一枚図が出版(中村版を指す)さ
 れて、方角や寸法に間違いが多いから、正確な一分十間図を出したのだとある。
  元来、一分五間の寛文の五枚図は、公儀に訴訟して板行したものであるから、
 類版を出してはならぬと誌したのであるが、すでに模作の類版(別版)が出版
 されているから.重ねて訴訟して、その決定を見るまで、この一分十間図を重
 版するのだと誌している。
  遠近道印の当局に対する訴訟は取り上げられなかったらしい。
  …(中略)…
  延宝三年と四年に、当局に訴訟しながら、一分十間の地図を出した後、しば
 らく韜晦していたらしい遠近道印である。それは江戸雀で「近行遠通」と名乗
 り、延宝八年の「江戸方角安見図」という、乾坤二冊、大々形八十枚もある大
 作を出して、作者名を誌していない点からそう考える。…(中略)…
  しかし、なに故に、〔『江戸方角安見図』に〕作者の名を記さないのであろう
 か。これより前、江戸雀を上梓した時は、特に「近行遠通」という替名を用い
 たのも不思議であるが、江戸雀を重刷する時には、その替名さえ削除している。
 これは、遠近道印に、何か他に憚るところがあって、特に替名を用いたり、後
 にそれさえ削除したり、叉は無署名で大作を出したりせざるを得ない事情があ
 ったのではないかと想像される。
  それは或は、寛文十年の「江戸大絵図」の本(府内)図にあるのではないか。
 城内を図示することは禁制である。が、内濠の外を明示すれば、城内の方角地
 坪もおのずから明らかになる点が、当局の忌むところとなったかも知れない。
 …(略)…」(「遠近道印について」)

 横山氏のこの説に拠りながら考えると、『江戸雀』の初印本に訂正を加え、さらに著者名を削除したのは著者自身であった。という推測も素直に理解されるように思われる。

 遠近道印は、前述の如く秀れた江戸図の作者として、その名を後世に残したが、これが何人の筆名であるかは、今即断できない。これまで出された諸説をここで紹介する紙数はないが、その中で最も妥当と思われる、藤井半知説を簡単に紹介したいと思う。これは、主として秋岡武次郎氏の説くところであるが、氏は「地図家遠近道印の本名藤井半知について」(注4)において、金沢藩主・五代綱紀に仕えた兵法家・有沢永貞の子・武貞の著す『町見便蒙抄』及び『加州金沢町割之図』の記事から、永貞が測量術を学んだのが、図翁・遠近道印であり、本名は藤井半知といい、越中富山の小臣であった事を発見された。また、この藤井半知説を支えるものに、昭和十二年六月金沢市で発行された、田中鈇吉氏『改訂増補 郷土数学』中の記述がある。これは、あまり知られていないので、次に掲げる。

 「図翁遠近道印 越中富山に藤井半智あり。地理に精し。自ら遠近道印ど称す。元は江都の書林にて寛文十年十二月江戸絵図を板行す。…(中略)…然るに之れに依って城内の広袤余りに判然たるを以て幕吏の忌避する所となり、危害の身に及ぶを恐れ遁れて富山に隠れ、普泉寺(富山寺とも書く)前に住みしと云ふ。
 加賀藩兵学者有沢永貞(其祖は越中の人)氏は、天和貞享の頃江戸にあつて兵学に長じ、城繩において名声高く、傍ら地理を道印に学ふ。之れ道印の富山に遁れたる所以なり。
道印は其他三海道(東海中仙北陸)の図及び駿府の図をも製したりと伝ふ。墓は大法寺にあり。維新の頃までは其遺法を伝へたる同地兵学家安達氏は先師の恩を感謝し、于蘭盆には献燈供養参拝を怠らざりしと諸芸雑誌に見ゆ。            
 然るに余は昭和十一年五月同寺を訪ねしに、其後無縁墓を整理せしため今は遺跡なく、且つ同寺は文久年間火災に罹り記録を焼失し、従って道印の死去年号諡号等不明に終る。名士の遺蹟尋ねべきなく痛嘆に堪へず。
 道印遺法は次の如く伝はる。

           金沢   富山   富山   ★系図は原本参照
 有沢永貞―有沢武貞―有沢貞幹―安達弼亮―安達淳直
     ―有沢致貞

 道印が其邸の南西隅に植ゑ置きし榎の大樹は、安永年間までも存せしと云ふ。
 之れにつき富山市西町菓子商高木加月堂(今はなし)主人の口上あり。
 とみ山の県の由緒深富山寺(普泉寺に同じ)御堂宇の片ほとりに其頃名高き道
 印御大人が記念とて楓(榎樹ともいふ何れか)を手植せし時後の世までも錦を
 かざれよとて餅を搗きて祝ひしを鹿の子餅と名つけしとぞなん。
 安永の頃いかゞしけん後かたもなくうせければ誠に御大人の効ほしを後の代ま
 でも伝へんとて其名も香しき鹿の子餅を売拡めしにかしこくも雲の上まで聞し
 召されて御買上の御光栄を頂きし嬉しさに猶ひとしほの精撰して拡く御すゝめ
 申す事になん。
   大正二年                      高木加月堂」
 
 『町見便蒙抄』では「越中富山ノ小臣」としているのに対し、田中鈇吉氏は「元は江都の書林」(『諸芸雑誌』に拠ったか?)としておられるように、藤井半知の出自については両者に相違があるし、この説以外の諸説に見るべきものが無いわけではない。ただ、現在までの研究では、ここに掲げた藤井半知説が最も妥当と思われるのである。
 『江戸雀』の著者・近行遠通=江戸図の権威・遠近道印=藤井半知という図式が出来上がったが、これらは、横山重氏・秋岡武次郎氏・田中鈇吉氏等諸先学の研究・調査を紹介させて頂いたにすぎない。遠近道印が署名の下に常に記した花押を徹底的に調査する時、道印その人の実体がさらに明らかになるものと思うが、この解題でそれをなし得なかった事を残念に思っている。

注1 当時の書籍目録については、慶応義塾大学附属研究所斯道文庫編の『江戸
  時代書林出版書籍目録集成』に拠った。
注2 昭和49年7月発行の『新訂増補 古版地誌解題』で朝倉治彦氏は「江戸雀
  十二冊、絵入、近行遠通、師宣絵」としておられる。
注3 「江戸図ノ権威 遠近道印 一(~四)」は『新文明』昭和34年6・7・
  9・10月号に「書物捜索 〔61〕~〔64〕」として発表。「遠近道印について
  」は『日本天文研究会報文』第5巻第1号(昭和46年)の神田茂喜寿記念論
  集に発表。
注4 昭和36年3月発行の『辻村太郎先生古稀記念地理学論文集』に発表。

 付 記

『江戸雀』の解題をまとめるにあたって、
 横山重先生は、この解題担当の機会を与えて下さったのみならず、貴重な御所蔵本(初印本)を底本として使用することを御許可下さり、さらに後印本と共に長期間に亙る借覧をお許し下さいました。両本の対校は言うまでもなく、諸本調査にまで活用させて頂くことができました。この解題が一応のまとまりを得たのも、横山先生の全面的な御指導があったからだと思います。
 前田金五郎先生には、何かにつけて多大の御指導を賜りました。
 諸本の閲覧に際しましては、秋山虔。金子和正、佐竹昭広、冲田祝夫の諸先生に身に余る御高配と有益な御教示を賜り、赤木文庫、京都大学附属図書館、国立公文書館、国立国会図書館、静嘉堂文庫、尊経閣文庫、天理図書館、東京教育大学附属図書館、東京大学附属図書館、東京都立中央図書館、東北大学附属図書館、東洋文庫、西尾市立図書館の御世話になりました。
 ここに記して、深甚の謝意を表します。
 なお、未調査本・三点につきましては、今後機会をみて閲覧させて頂き、正確を期したいと思います。また、『江戸雀』の著者・近行遠通についても、横山先生はじめ諸先学の御説を紹介させて頂くにとどまりましたが、今後さらに調査を重ね、不明の点を解明してゆきたいと念じております。 昭和五十年八月十二日

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【追記】

 昭和50年というと、40年前である。当時の、私は、浅井了意の『可笑記評判』・『浮世物語』、井原西鶴の『新可笑記』、如儡子の『可笑記』の諸本調査・『可笑記大成』、井関隆子の日記の本文校注等々、を進めており、大多忙の時だった。
そのような、状況の中で、横山重先生から、『江戸雀』の調査・解説を命じられたのである。私としては、全力を尽くして取り組んだが、これで、満足していた訳ではない。もっと、もっと、詰める自信はあった。しかし、時間的に不可能だったのである。それは、今も、残念に思うし、横山先生に申し訳ないと思っている。
 それに、本書は、法政大学での恩師、長澤規矩也先生との関係もあって、厳しい2年間を過ごした。研究者としても、人間としても、その姿勢が問われたものと、今、思っている。私は、ギリギリのところで行動した。
 本書刊行後、両先生とも、御了解下さったのか、その後も、温かく御指導を賜った。心から感謝申上げている。

 横山重先生は、昭和55年10月8日、御他界なされた。私は、野田寿雄先生と、横山先生の骨揚げをさせて頂いた。
 長澤規矩也先生は、昭和55年11月21日、御他界なされた。私は、表章先生と、長澤先生の骨揚げをさせて頂いた。

                        平成28年11月28日
                               深沢秋男
  

芸文稿

芸文稿 総目録

『芸文稿』第10号(平成29年7月1日発行)

目  次

○長谷山大行寺『寄附人名録』について
――近世後期、京都に於ける真宗寺院の新寺
建立と出版物――
…………………… 膽吹  覚

○『源氏物語』鑑賞(その九)……………………… 田中  宏

○野間道場あれこれ(その八)……………………… 田中  宏

○連歌稿 Ⅰ …………………………………… 桂の会 中之島

○連歌稿 Ⅱ ……………………………………… 京都連歌の会

○春日遅々――艶想詩句日録抄―― ……………… 安藤 武彦

『芸文稿』第9号(平成28年7月1日発行)

目  次

○千代倉東店 俳諧等文書(下)…………………… 松本 節子
小林  孔
竹内千代子
高井 悠子
○丹波黒井城下の近衛前久自筆自詠和歌 ………… 安藤 武彦
○如儡子の『堪忍記』(下)………………………… 深沢 秋男
○『源氏物語』鑑賞(その八)……………………… 田中  宏
○野間道場あれこれ(その七)……………………… 田中  宏
○連歌稿 ………………………………………… 連歌を楽しむ会
○原田康子作『挽歌』を読む ……………………… 安藤 武彦
○自著紹介『仮名草子の文学的研究』 …………… 田中  宏

『芸文稿』第8号(平成27年7月1日発行)

目  次

○千代倉東店 俳諧等文書(上)……………    松本 節子
小林  孔
竹内千代子
高井 悠子
○『異本翁草』巻一二七所収「洛陽大火行」 …… 松本 節子
○如儡子の『堪忍記』(上)…………………………… 深沢 秋男
○野間道場あれこれ(その六)………………………… 田中  宏
○連歌稿 ……………………………………………… 連歌を楽しむ会
○艶想句日録抄 ……………………………………… 安藤 武彦
○白玉椿謾想 ………………………………………… 安藤 武彦

『芸文稿』第7号(平成26年6月1日発行)

目  次

○森鴎外『伊沢蘭軒』および『ペリカン』と〈舞姫事件〉……………… 小平 克
――山陽と霞亭の記述の背景を探り、『ペリカン』
訳出の謎を解明する――
○謾考 近衛前久詠・紹巴の連歌幅・幸若歌謡と徳元など……………… 安藤 武彦
○安藤 武彦 想い出づるまゝに 斎藤徳元句「かの事や」ノオト……… 安藤 武彦
○『源氏物語』鑑賞 (その…………………………………………… 田中  宏
○『紫式部日記』鑑賞 (その五)………………………………………… 田中  宏
―――――――――――――――――――――――
『異本翁草』(京都大学附属図書館蔵)翻刻(四)…………………… 松本 節子
―――――――――――――――――――――――
○野間道場あれこれ(その五)…………………………………………… 田中  宏
○〈新刊紹介〉 安藤武彦著『芸文集 光芒』………………………… 深沢 秋男
○仮名草子研究の思い出(昭和女子大学最終講義)…………………… 深沢 秋男

『芸文稿』第6号(2013年4月1日発行)

目  次

○森鴎外「夢がたり」連作歌の謎 …………………………… 小平 克
――夢か現か――

○斎藤徳元の四季発句集たる ……………………………… 安藤 武彦
「有馬在湯日発句」を読む〈二〉
○江戸時代雑感 ……………………………………………… 坂井利三郎
――その⑥「水戸黄門―藩主決定の真相」――
○元禄大地震より今を考える ……………………………… 坂井利三郎
――江戸時代雑感〔余滴〕――
○『源氏物語』鑑賞 (その六) ………………………… 田中 宏
○『紫式部日記』鑑賞 (その四) ……………………… 田中 宏
…………………………………………………………………
○『異本翁草』(京都大学附属図書館蔵)翻刻(三) … 松本 節子
…………………………………………………………………
○野口シカと中田観音 …………………………… 宮島 鏡・関口静雄
○野間道場あれこれ(その四) …………………………… 田中 宏
○重友毅先生と私 …………………………………………… 深沢 秋男

『芸文稿』第5号(2012年4月1日発行)

目  次

○「榛〈はしばみ〉の実」謾想 ……………………………… 安藤 武彦
――著作『俳誹諧初学抄』の初刷本のことなど――
お竹大日の御影(続) …………………………… 宮島鏡・関口静雄
○浅草寺人丸社をめぐって ………………………………… 清水 正男
○江戸時代雑感 ……………………………………………… 坂井利三郎
――その⑤「水戸黄門―閨門の争い―再考」――
○『源氏物語』鑑賞(その五) …………………………… 田中  宏
○『紫式部日記』について(その三) …………………… 田中  宏
…………………………………………………………………
○『異本翁草』(京都大学附属図書館蔵) 翻刻 (二)
――付、杜口の生年・没年等について――
…………………………… 松本 節子
…………………………………………………………………
○野間道場あれこれ(その三) …………………………… 田中  宏
○横山重先生の思い出 ……………………………………… 深沢 秋男
○『井関隆子日記』、明治大学・京都大学入試問題に出題
………………………………… 深沢 秋男

『芸文稿』第4号 平成23年(2011年)4月 発行

目  次

◎謾考 徳元短冊の補遺 ・・・・・・・・・・・・・ 安藤武彦 (1)
◎痢病尊神と二宮尊徳 ・・・・・・・・・・ 宮島 鏡・関口静雄 (9)
◎江戸時代雑感 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 坂井利三郎 (12)
――〔その4〕「水戸生瀬の乱」――
◎いわゆる大阪屋花鳥のことなど ・・・・・・・・・ 清水正男 (26)
◎『源氏物語』鑑賞(その四) ・・・・・・・・・・ 田中宏 (31)
◎『紫式部日記』(その二) ・・・・・・・・・・・ 田中宏 (48)
◎『異本翁草』(京都大学附属図書館蔵)翻刻 ・・・ 松本節子 (62)
◎鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(8)・・ 深沢秋男・菅野貴子 (108)
◎野間道場あれこれ(その二) ・・・・・・・・・・ 田中宏 (125)
◎『旗本夫人が見た江戸のたそがれ―井関隆子日記―』
――〔書評・新刊紹介・コメント等〕の紹介――
・・・・・・・・・・・・・・・・ 深沢秋男 (188)

『芸文稿』第3号  平成22年(2010年)4月発行

目  次

○森鴎外と百物語――鴎外の参加理由・百物語の招待客――・・・中島次郎
○『大外智仁 教訓一夕話』の一典拠・・・清水正男
○江戸時代雑感――その(3)「水戸黄門―閨門の争い」――・・・坂井利三郎
○『源氏物語』鑑賞(その三)・・・田中宏
○『紫式部日記』鑑賞(その一)・・・田中宏
○鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(7)・・・深沢秋男・菅野貴子
○昭和女子大学所蔵「翠園文庫」について――鈴木重嶺(翠園)関係資料――・・・深沢秋男
○陶玄亭散人日録 抄(その二)・・・安藤武彦
○野間道場あれこれ(その一)・・・田中宏
○ウェブ日記抄・2 ――平成13年(2001)――・・・深沢秋男

『芸文稿』第2号  平成21年(2009年)4月発行

目  次

お竹大日の御影 …………………………………… 宮島鏡・関口静雄 (1)
『寛永剣術上覧之記』について(結び) …………… 田中 宏  (11)
江戸時代雑感 ………………………………………… 坂井 利三郎 (28)
――その②「水戸黄門―その実像に迫る」――
陶玄亭散人日録 抄 …………………………………… 安藤 武彦 (41)
第一句集『時の舟』刊行をめぐって ……〔俳号 百〕浅見 優子 (58)
(翻刻)『大外智仁 教訓一夕話』 …………………… 清水 正男 (69)
松浦詮編『蓬園月次歌集 全』の紹介 … 深沢秋男・菅野貴子 (101)
――鈴木重嶺所収歌を中心に――
『源氏物語』鑑賞(その二) ……………………… 田中 宏  (121)
ウェブ日記抄・1 …………………………………… 深沢 秋男 (141)
――平成11年(1999)~平成12年――

『芸文稿』 第1号  平成20年(2008年)4月発行

目  次

◎ 忘れえぬ思い出 写本の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子和正 1
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎蛭女尊のおふだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宮島 鏡 5
◎柳吉と蝶子の年齢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中島次郎 8
――「夫婦善哉」と「続夫婦善哉」――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎徳元作「有馬在湯日発句収録、へびいちご」の句謾想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安藤武彦 20
◎『寛永剣術上覧之記』について(その一)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田中 宏 26
◎江戸時代雑感・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂井利三郎 36
――その①「不義密通と将軍綱吉」――
◎『笠森娘錦之笈摺』瑣談・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 清水正男 50
◎「第二次世界大戦」(極東戦域)の報道の誤り 序説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤加奈 55
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎鈴木重嶺(翠園)関係資料紹介(6)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・深沢秋男 59
◎「どどいつ」艶本――翻刻と影印――・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・菊池真一 74
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎みちのく紀行・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 浅見優子 130
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
◎『源氏物語』鑑賞(その一)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中 宏 136
◎自著を語る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・深沢秋男 149
○編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・       192

……………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………
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安藤武彦方 芸文稿の会

『近世初期文芸』

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発行所

213-0026 川崎市高津区久末 1686
稲栄社印刷株式会社 内

近世初期文芸研究会

 

●第33号  平成28年12月25日発行

○明暦四年松会版『大坂物語』について     位田 絵美

○『竹斎』再論(その二)               田中  宏

○『百八町記』の諸本                  深沢 秋男

○仮名草子研究の歴史               深沢 秋男

1、 『仮名草子研究文献目録』
2、仮名草子研究の現状
3、『仮名草子研究叢書』
4、『仮名草子集成』
5、「仮名草子」 日本古典籍書誌学辞典
6、「仮名草子」 はてなキーワード
7、仮名草子の範囲と分類
8著書紹介
① エッケハルト・マイ著『浅井了意の東海道名所記』
② 坂巻甲太・黒木喬編『むさしふぶみ』
③ 渡辺守邦・渡辺憲司校注『仮名草子集』
④ 谷脇理史編『仮名草子集』
⑤ 仮名草子研究会編『校注 円居草子』
⑥ 檜谷昭彦・江本裕校注『太閤記』
⑦ 三浦邦夫著『仮名草子についての研究』
⑧ 市古夏生著『近世初期文学と出版文化』
⑨ 青山忠一著『近世仏教文学の研究』
⑩ 谷脇理史・岡雅彦・井上和人 校注・訳『仮名草子集』
⑪ 江本 裕著『近世前期小説の研究』
⑫ 近世説話共同研究の会編『仮名草子話型分類索引』
⑬ 花田富二夫著『仮名草子研究――説話とその周辺――』
⑭ 小川武彦著『百物語全註釈

○仮名草子関係新刊書・目次紹介         深沢 秋男
①田中宏著『仮名草子の文学的研究』
②『仮名草子集成』第55巻
③『仮名草子集成』第56巻

○ 〈近刊紹介〉
田中 宏 著『仮名草子の文学的研究』         深沢秋男

○ 〈近刊紹介〉
齋藤 豪盛 著 『みちの奥の町工場物語』

●第32号(平成27年12月25日発行)

○簡約版『大坂物語』の本文と挿絵 ……………… 位田 絵美 …  1
○『竹斎』再論(その一)…………………………… 田中  宏 … 25
○『可笑記』と武士 ………………………………… 深沢 秋男 … 35
○『可笑記』の読者――榎本弥左衛門―― ……… 深沢 秋男 … 57
○仮名草子関係新刊書・目次紹介 ………………… 深沢 秋男 … 62
①『仮名草子集成』第五十三巻
②『仮名草子集成』第五十四巻
③『浅井了意全集』仮名草子
〈近刊予告〉
田中 宏 著『仮名草子の文学的研究』

●第31号(平成26年12月25日発行)

○挿絵・頸帳からみる『大坂物語』
――成立順序に関する一考察―― …………… 位田 絵美 …  1
○『恨の介』と『竹斎』(その二――結び)……… 田中  宏 … 27
○『可笑記』と『沙石集』の関係 ………………… 深沢 秋男 … 46
○如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(5)
――斎藤広盛、慶長出羽合戦から
最上家改易まで―― …………………… 深沢 秋男 … 61
○仮名草子関係新刊書・目次紹介 ………………… 深沢 秋男 … 90
1 『醒睡笑 全訳注』
2 『仮名草子集成』第五十一巻
3 『仮名草子集成』第五十二巻

●第30号(平成25年12月25日発行)

○斎藤徳元の四季発句集たる
「ありま有馬在湯日発句」 を読む〈三〉 ……………… 安藤 武彦 …  1
○合戦物小説の挿絵 …………………………………… 位田 絵美 … 24
――寛文年間刊行の『大坂物語』を中心に――
○長岡元甫の新出作品「陣刀記」について …………… 八木 淳夫 … 42
○『恨の介』と『竹斎』(その二――承前④) …… 田中  宏 … 47
○如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(4)… 深沢 秋男 … 89
――斎藤広盛と藤島城――
――――――――――――――――――――――――
○〈新刊紹介〉
小川武彦著 『百物語全注釈』 …………………… 深沢 秋男 … 105
――――――――――――――――――――――――
○仮名草子関係新刊書・目次紹介 ………………… 深沢 秋男 … 109
1 『百物語全注釈』
2 『仮名草子集成』第四十九巻
3  『仮名草子集成』第五十巻
4 『浅井了意全集』仮名草子 4

●第29号(平成24年12月25日発行)

○斎藤徳元の、四季発句集たる
「有馬在湯日発句」を読む〈一〉  ………………  安藤 武彦  1
○整版『大坂物語』の挿絵     …………………  位田 絵美 19
――寛永無刊記版と正保三年版を中心に――
○『恨の介』『竹斎』(その二―承前③) ……………… 田中  宏 34
○宮本武蔵『五輪書』再論(その三) ………………… 田中  宏 67
○如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(3)……
――十五里ケ原合戦と斎藤広盛――       深沢 秋男 77
………………………………………………………………
⑥仮名草子関係新刊書・目次紹介  ……………   深沢 秋男 112
1『如儡子百人一首注釈の研究』
2『仮名草子集成 第48巻』

●第28号(平成23年12月25日発行)

○想本寺高政の自筆独吟『釈教之誹諧』註釈考 ………  安藤 武彦 1
――わが文芸的半生をふり返りつゝ――
○『嶋原記』挿絵考 ――挿絵改訂の意図―― ……… 位田 絵美 21
○『恨の介』と『竹斎』(その二―承前②)…………  田中  宏  38
○宮本武蔵『五輪書』再論(その二) ………………  田中  宏  51
………………………………………………………………
○秋田県立図書館蔵『慶長見聞集』 翻刻 ― 巻一(一)
………………… 花田富二夫  63
………………………………………………………………
○川北奉行齋藤筑後守広盛の事績 ……………………  田村 寛三  81
――付 田村寛三先生追悼(深沢秋男)――
○如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題(2)…… 深沢秋男  86
――「如儡子」は「にょらいし」か「じょらいし」か――
………………………………………………………………
○仮名草子関係新刊書・目次紹介  ………………… 深沢 秋男  94
1『浅井了意全集 仮名草子編 2』
2『浅井了意全集 仮名草子編 3』
3『仮名草子集成 第47巻』
………………………………………………………………………
○「仮名草子研究文献目録」について ………………………………   96
○平成22年度香川県公立高校入試に『可笑記』出題 ………    98
平成23年度京都府公立高校入試に『可笑記』出題
○「齋藤筑後守記念碑」建立 ……………………………………    103

●第27号(平成22年12月25日発行)

○潁原退蔵著・尾形仂編
『江戸時代語辞典』読後感・寸評 ・・・・・・・・・・・・ 前田金五郎  1
○里村紹巴の伝記新考 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 安藤武彦 20
○山田右衛門作の心象
――「長崎旧記類」編纂意図の一考察―― ・・・・・・・ 位田絵美 38
○『恨の介』と『竹斎』(その二―承前(1)) ・・・・・・・・ 田中 宏 48
○宮本武蔵『五輪書』再論(その一) ・・・・・・・・・・・ 田中 宏 59
○如儡子(斎藤親盛)の伝記に関する諸問題』(1)
――父、斎藤筑後守は「盛広」か「広盛」か―― ・・・・ 深沢秋男 69
○仮名草子関係新刊書・目次紹介 ・・・・・・・・・・・・・ 深沢秋男 88
1『江戸吉原叢刊』第一巻
2『浅井了意全集』仏書編3
3『江戸吉原叢刊』第二巻
4『江戸吉原叢刊』第三巻
5『仮名草子集成』第四十六巻
6『斎藤親盛(如儡子)伝記資料』

●第26号 (平成21年12月25日発行)

漂流物語の挿絵に表れた異文化認識 …………………… 位田 絵美 … 1
─『異国旅すゞり』を中心に─
『恨の介』と『竹斎』(その二)…………………………   田中  宏 … 13
『桜山文庫目録 和書之部』(下) ……………………  深沢 秋男 … 31
─付、昭和女子大学図書館蔵「桜山文庫」について─
仮名草子関係新刊書・目次紹介  ………………………  深沢 秋男 … 78
浅井了意全集刊行会編『浅井了意全集』仏書編1
堀新編『信長公記を読む』(歴史と古典)
花田富二夫・大久保順子・菊池真一・柳沢昌紀・湯浅佳子編『仮名草子集成』第四十五巻
浅井了意全集刊行会編『浅井了意全集』仏書編2

●第25号 (平成20年12月25日発行)

『戯言養気集』の男色咄 …………………………………   冨田 成美 … 1
『異国旅すゞり』について ……………………………… 位田 絵美 … 17
――書誌分析と韃靼漂流事件の物語化の事例分析――
非「さる人の云るハ」系列考 ……………………………  柳  牧也 … 28
――『可笑記』私考(二)――
近世初期における 書名「可笑記」の流行 ……………  深沢 秋男 … 43
宮本武蔵『五輪書』について (補遺3)………………   田中  宏 … 56
――『天狗芸術論』との比較他――
『桜山文庫目録 和書之部』 (上) …………………  深沢 秋男 … 74
仮名草子関係新刊書・目次紹介  ………………………  深沢 秋男 … 113
花田富二夫・小川武彦・柳沢昌紀 編 『仮名草子集成』第四十三巻
鈴木 亨 著 『近世前期文学の主題と方法』
菊池真一・冨田成美・和田恭幸 編 『仮名草子集成』第四十四巻

●第1号(昭和44年12月)

近世初頭における徒然草の享受
―序説・藤原惺窩の場合―
島本昌一
末吉道節考
―近世初期上層町人と初期俳諧―
荻野秀峰
『可笑記』の本文批評
深沢秋男

●第2号(昭和46年3月)

佐夜中山集 本歌取出典考(上)
―春之部・夏之部―
荻野秀峰
六日の菖蒲
―翻刻と解題―
片岡蓉子

●第3号(昭和48年12月)

俳諧用語散考
前田金五郎
佐夜中山集 本歌取出典考(中)
―秋之部・冬之部―
荻野秀峰
『竹斎』小考
柳牧也
『女みだれかみけうくん物語』考
―付、翻刻―
小川武彦
松永貞徳・徒然草評釈『なぐさみ草』
―「大意」の翻刻(上)―
仮名草子研究文献目録
小川武彦・深沢秋男

●第4号(昭和63年3月)

『仁勢物語』研究(上)
―『伊勢物語』との関連を中心に―
田中宏
『可笑記』の著者以伝とそれにまつわる人々
漆間瑞雄
松永貞徳・徒然草評釈『なぐさみ草』
―「大意」の翻刻(下)―
島本昌一
『なぐさみ草』版本考
島本昌一
仮名草子研究文献目録
一、五十音順仮名草子作品翻刻・復製・所在一覧
二、昭和四八年~昭和六二年研究文献
深沢秋男

●第5号(昭和63年12月)

晩年の徳元
―「賦品何誹諧」成立考―
安藤武彦
『仁勢物語』研究(中)
―『伊勢物語』との関係を中心に―
田中宏
『大坂物語』古活字一巻本研究
菊池真一
如儡子(斎藤親盛)調査報告(2)
―父・斎藤筑後と如儡子出生の地―
深沢秋男
〈新刊紹介〉
坂巻甲太・黒木喬編『むさしあぶみ』校注と研究
深沢秋男

●第6号(昭和63年12月)

如儡子の『堪忍記』(1)
―松平文庫本の翻刻と解題―
深沢秋男
『仁勢物語』研究(下)
―『伊勢物語』との関連を中心に―
田中宏

『大坂物語』古活字本二巻本下巻本文研究
菊池真一
徳元年譜稿―寛永三年―
安藤武彦
貞徳研究のための資料集〔一〕
―その一 松永家資料(1)―
島本昌一
仮名草子研究文献目録(昭和48年~62年)補訂
深沢秋男

●第7号(平成2年12月)

『江戸雀』の文体について
飯田龍一
『大坂物語』本文案
菊池真一
『竹斎』研究・序論
―『竹斎』の魅力―
田中宏
儡子の『堪忍記』(2)
―内閣文庫本の翻刻と解題―
深沢秋男
徳元年譜稿―寛永五年―
安藤武彦
貞徳研究のための資料集〔二〕
―その一 松永家資料(2)―
島本昌一
〈新刊紹介〉
菊池真一編『武辺咄聞書』
田中宏

●第8号(平成3年12月)

『三国物語』の典拠について(一)
三浦邦夫
『中古日本治乱記』所載歌一覧及び各句索引
菊池真一
『女仁義物語』の諸本
深沢秋男
如儡子の『堪忍記』(3)
―松平文庫本と内閣文庫本―
深沢秋男
貞徳研究のための資料集〔三〕
―その一 松永家資料(3)―
村径伝書(台湾大学図書館蔵)
島本昌一
〈新刊紹介〉
渡辺守邦・渡辺憲司 校注
『仮名草子集』(新日本古典文学大系)
深沢秋男

●第9号(平成4年12月)

『けんもつさうし』考〈翻刻付き〉
菊池真一
『三国物語』の典拠について(二)
三浦邦夫
貞徳研究のための資料集〔四〕
―その一 松永家資料(4)
島本昌一
整版本『竹斎』の研究(その一)
田中宏
『女式目』の諸本
深沢秋男

●第10号(平成5年12月)

近世初期「事物解説書」について
―事物解説書目録一覧付き―
菊池真一
『海上物語』における引用の語るもの
三浦邦夫
整版本『竹斎』の研究(その二)
田中宏
『怪談全書』の諸本
―付、『恠談』・『怪談録』・『奇異怪談抄』・『怪談録前集』―
深沢秋男
正覚山実相寺の沿革
四方行正
貞徳研究のための資料集〔五〕
―その二 貞徳終焉記・実相寺資料(1)―
島本昌一
はじめに戻る
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●第11号(平成6年12月)

仮名草子『飛鳥川』の性格
三浦邦夫
『是楽物語』再論
菊池真一
『鑑草』の諸本
深沢秋男
『武者物語・武者物語之抄・新武者物語』について
―菊池真一、西丸佳子編『武者物語・武者物語之抄・新武者物語・本文と索引』の紹介を兼ねて―
田中宏
貞徳研究のための資料集〔六〕
―その二 実相寺資料(2)―
鹿島則幸氏と桜山文庫
―鹿島氏追悼―
深沢秋男
〈新刊紹介〉
谷脇理史編『仮名草子集』
深沢秋男

●第12号(平成7年12月)

『秋寝覚』管見
三浦邦夫
武辺咄集としての『為人鈔』
菊池真一
整版本『竹斎』の研究(その三)
田中宏
『可笑記』の諸本
深沢秋男
〈新刊紹介〉
菊池真一編『近史余談 本文と索引』
田中宏
仮名草子研究会編・責任編集花田富士夫『校注 円居草子』
深沢秋男

●第13号(平成8年12月)

『三井寺物語』の形成に関する試論
三浦邦夫
家康説話をめぐって
―『岩淵夜話』と『近史余談』―
菊池真一
整版本『竹斎』の研究(その四)
田中宏
如儡子の「百人一首」注釈
―『酔玉集』の翻刻と解題(上)
深沢秋男
長頭丸貞徳翁 誹諧奥義集―翻字・解題―
島本昌一
〈新刊紹介〉
吉澤貞人著『徒然草古注釈集成』
榎坂浩尚著『北村季吟論考』
永野仁著『堺と泉州の俳諧―泉州俳諧史の研究―』
島本昌一
檜谷昭彦・江本裕校注『太閤記』
深沢秋男

●第14号(平成9年12月)

『武家功者咄』解題と翻刻
菊池真一
整版本『竹斎』の研究(その五)
田中宏
細川幽斎伝受 連歌伝書 全 ―翻字・解題
島本昌一
如儡子の「百人一首」注釈
―『酔玉集』の翻刻と解題(下)―
深沢秋男
〈新刊紹介〉
松原秀江著『薄雪物語と御伽草子・仮名草子』
菊池真一
三浦邦夫著『仮名草子についての研究』
―三浦邦夫氏追悼―
深沢秋男
本田正静編『明治期前刊行物:日本文学・演劇・参考図書目録』
島本昌一
ホームページ開設のお知らせ
―仮名草子研究文献目録のオンライン化―
菊池真一

●第15号(平成10年12月発行)

終生弓箭、斎藤徳元終ゆ
安藤武彦
『古老軍物語』の改題本―『古今軍鑑』解題と翻刻―
菊池真一
整版本『竹斎』の研究(その六)
田中宏
貞徳伝書『歌書伝授秘訣』・『俳諧/三鳥秘伝』―翻刻と解題
島本昌一
如儡子の「百人一首」注釈
―『百人一首鈔』と『酔玉集』―
深沢秋男
連歌寄合書『竹馬集』語彙索引
深沢眞二
飯田龍一氏の江戸図研究―飯田氏追悼―
深沢秋男
〈新刊紹介〉
加藤定彦著『俳諧の近世史』
島本昌一
〈新刊紹介〉
市古夏生著『近世初期文学と出版文化史』
深沢秋男
研究会WEBページ開設のお知らせ
菊池真一

●第16号(平成11年12月発行)

長嘯子門安藤定為の周辺……………………………………岡本 聡…… 1
(翻刻)連歌寄合書『拾花集』……………………………深沢眞二…… 14
貞徳と『伊勢物語秘訣』(一)……………………………島本昌一…… 63
斎藤親盛(如儡子)の俳諧(上)…………………………深沢秋男…… 89
惟中利泉漢和聯句紹介………………………………………菊池真一…… 127
家族物語としての「山椒太夫」(三)…………………塩谷千恵子…… 133
─古浄瑠璃の作品─
整版本『竹斎』の研究(その七)…………………………田中 宏…… 147
〈新刊紹介〉
青山忠一著『近世仏教文学の研究』………………………深沢秋男…… 160
谷脇理史・岡雅彦・井上和人校注・訳『仮名草子集』…深沢秋男…… 163
木藤才蔵著『連歌新式の研究』……………………………島本昌一…… 165
雲母末雄著『俳書の世界』…………………………………島本昌一…… 167
追悼実相寺住職四方行正氏…………………………………島本昌一…… 168
「近世初期文芸研究会」HP内容………………………………………… 174

●第17号(平成12年12月発行)

『古老軍物語』の改題本(続)……………………………菊池真一…… 1
―『武家軍談』翻刻─
『竹斎療治之評判』翻刻と解題………………………ラウラ・モレッティ37
連歌寄合書『拾花集』語彙索引……………………………深沢眞二…… 52
整版本『竹斎』の研究(結び)……………………………田中 宏…… 112
翻刻『佐々木軍記』…………………………………………小川武彦…… 128
斎藤親盛(如儡子)の俳諧(中)…………………………深沢秋男…… 177
貞徳と『伊勢物語秘訣』(二)……………………………島本昌一…… 200
〈新刊紹介〉
江本裕著『近世前期小説の研究』…………………………深沢秋男…… 222
近世説話共同研究の会編
『仮名草子話型分類索引』………………………深沢秋男…… 226
復本一郎著『俳句源流考─俳諧発句論の試み─』………島本昌一…… 229
菊池真一編『近古史談 注釈索引篇』……………………田中 宏…… 231
印刷史研究会編『本と活字の歴史事典』…………………森上 修…… 235
二千年WEB…………………………………………………菊池真一…… 245

●第18号(平成13年12月20日発行)

宮本武蔵『五輪書』について(その一)……………田中宏……………… 1
―柳生宗矩『兵法家伝書』と比較しながら―
木下長嘯子の二条派批判……………………………岡本聡……………… 17
『花の縁物語』と旅―時好性の内実………………冨田成美…………… 27
『子孫鑑』追考………………………………………菊池真一…………… 43
『竹斎療治之評判』論―評判の形態とその意味…ラウラ・モレッティ 47
斎藤親盛(如儡子)の俳諧(下)………………………深沢秋男…………… 69
―晩年、二本松時代の如儡子―
連歌寄合書『随葉集』古活字版翻刻………………深沢眞二…………… 94
翻刻『諸説禄』―元禄和学の諸相…………………川平敏文・勝又基… 149
貞徳と『伊勢物語秘訣』(三)………………………島本昌一…………… 192
〈新刊紹介〉
金子金治郎・暉峻康隆・雲英末雄・加藤定彦校注・訳
『連歌集 俳諧集』…………………………………島本昌一…………… 217

●第19号(平成14年12月25日発行)

物尽し狂歌資料 ………………………………………………菊池 真一… 1
『筑波山恋明書并名所』翻刻…………………………………菊池 真一… 3
『堪忍弁義抄』の版本と写本…………………………………深沢 秋男… 19
―付、写本『堪忍弁義抄』翻刻―
『花の縁物語』の改変…………………………………………冨田 成美… 44
―その方法と傾向(一)―
宮本武蔵『五輪書』について(その二)……………………田中  宏… 80
―柳生宗矩『兵法家伝書』と比較しながら―
連歌寄合書『随葉集』古活字版索引…………………………深沢 眞二… 99
『先考談餘』中の長晴子の言説をめぐって…………………岡本  聡…151
貞徳と『伊勢物語秘訣』(四)………………………………島本 昌一…159
新出板本『女誡』の紹介―翻刻と解題― …………………小川 武彦…191
〈新刊紹介〉
安藤武彦著『斎藤徳元研究』…………………………………島本 昌一…207

●第20号(平成15年12月25日発行)

近世社会の誕生と下河辺長流…………………………………村上明子… 1
前句付「そろはぬ物ぞよりあひにける」の作者考…………安藤武彦… 8
――徳川秀忠か、『塵塚俳諧集』 下巻所収句――
長岡元甫の伝記に関する新知見………………………………八木淳夫… 14
如儡子の「百人一首」注釈……………………………………深沢秋男… 19
――武蔵野美術大学美術資料図書館所蔵『砕玉抄』(序説)――
『花の縁物語』の改変…………………………………………冨田成美… 30
――その方法と傾向(ニ)――
『はなむけ草』翻刻……………………………………………菊池真一… 44
宮本武蔵『五輪書』について(その三)………………………田中 宏… 57
――『風姿花伝』『兵法家伝書』との比較――
『女みだれかみけうくん物語』考 補遺……………………小川武彦… 73
貞徳と『伊勢物語秘訣』(五)完………………………………島本昌一… 77
<新刊紹介>
今栄蔵著『初期俳諧から芭蕉時代へ』………………………島本昌一…102
野田千平著『近世東海俳壇新攷』……………………………島本昌一…104
<仮名草子関係書・目次紹介>
朝倉治彦編『仮名草子集成』第三十三巻・第三十四巻……深沢秋男…106
花田富二夫著『仮名草子研究―説話とその周辺―』………深沢秋男…107
ラウラ・モレッティ著『竹斎(イタリア語訳)』…………深沢秋男…111

●第21号(平成16年12月25日発行)

甲南女子大学図書館所蔵 写本『可笑記』について………………深沢秋男
『堪忍記』についての疑義―その構成と内容のこと―……………柳 牧也
『ひやう』翻刻と解題…………………………………………………ラウラ・モレッティ
『千代の友つる』翻刻…………………………………………………菊池真一
宮本武蔵『五輪書』について(その四)………………………………田中 宏
石川丈山「わたらじな」和歌攷………………………………………小川武彦
『仮名草子研究文献目録』をめぐって………………………………菊池真一
『近世初期文芸』総目次(第1号~第21号)………………………編集部

●第22号(平成17年12月25日発行)

『聚楽物語』の諸本……………………………………………………菊池真一
宮本武蔵『五輪書』について(結び)………………………………田中 宏
―柳生宗矩『兵法家伝書』と比較しながら―
浅井了意の京名所記について…………………………………………柳 牧也
―『京童』・『出来斎京土産』・『狂歌咄』―
如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈……………………………深沢秋男
―『砕玉抄近の翻刻(二)
第十一藤原敏行~第三十大江千里―

●第23号(平成18年12月25日発行)

『藻屑物語』の特質 ……………………………………………………冨田 成美
―志賀左馬之助の形象に見る仮名草子性―
宮本武蔵『五輪書』について(補遺1) ……………………………田中  宏
―『独行道』との関連を中心に―
『狂歌咄』追考 …………………………………………………………柳  牧也
―「浅井了意の京名所記について」補遺―
『信玄軍談記』について ………………………………………………菊池 真一
『このころ草』翻刻 ……………………………………………………菊池 真一
如儡子(斎藤親盛)の「百人一首」注釈 ……………………………深沢 秋男
―『砕玉抄』の翻刻(四)
第五十一藤原道信~第六十清少納言―

●第24号(平成19年12月25日発行)

永禄十二年のこと ………………………………………………………柳  牧也
―『可笑記』私考(一)―
『結城軍物語』翻刻 ……………………………………………………菊池 真一
仮名草子作品の古書価 …………………………………………………深沢 秋男
宮本武蔵『五輪書』について(補遺2) ……………………………田中  宏
―『一刀斎先生剣法書』他との比較―

田中 宏著『仮名草子の文学的研究』

2016.01.18 Monday

■田中 宏著『仮名草子の文学的研究』刊行

田中宏氏の論文集『仮名草子の文学的研究』が刊行された。2016年1月1日、
人間の科学新社発行。A5判506頁、定価4600円+税。上製本箱入り。
このデータを見て、まず、定価の安さを思う。自分の論文集ゆえ、できるだけ
多くの読者に読んで欲しい、そのような著者の考えから設定された定価であろう。
頭の下がることである。

内容は、次の通り。

目 次

はじめに …………………………………………………  3

第1章  お伽草子から仮名草子へ …………………  11
 1、『三人法師』論 …………………………………  15
 2、『恨の介』論 …………………………………… 48
 3、『露殿物語』の人間像 …………………………  79

第2章  仮名草子――笑いと諷刺の世界―― ……… 117
第1節 『竹斎』の研究 …………………………… 121
1、 仮名草子『竹斎』 …………………………… 121
2、 『竹斎』と『伊勢物語』 …………………… 149
3、 『竹斎』――作品の魅力―― ……………… 187
第2節 「竹斎本」の研究 …………………………… 211
『竹斎療治之評判』論 …………………… 211

第3章  もじりと座談の世界 ………………………… 249
 1、『犬枕』論 ……………………………………… 253
 2、『醒睡笑』論 …………………………………… 311
 3、『仁勢物語』研究(上・中・下) …………… 351

第4章  仮名草子から浮世草子へ …………………… 443
 1、『醒睡笑』と『本朝桜陰比事』 ………………… 447
 2、『本朝桜陰比事』論
    ――森銑三氏の御論に関して―― …………… 468

あとがき …………………………………………………… 491

索引(人名・書名・主要事項) ………………………… 496

著者の田中宏氏は、法政大学時代の同期である。卒業論文に仮名草子の『竹斎』を選んだ。私は、同じ仮名草子の『可笑記』を選んだ。そんな関係で、お互いに仮名草子を核として、今日まで研究してきた。その田中氏の第一論文集が刊行されたことは、誠に慶賀すべきことである。
それと同時に、このところ、古典文学が軽視される風潮の中で、その中でも特に地味な仮名草子の研究書が出版されたことは、クリーンヒットである。特に、仮名草子は、文学的評価においては、余り高くない。そのような状況の中で、お伽草子 → 仮名草子 → 浮世草子 の文学史の流れを的確に、真摯に、情熱的に取り組んでこられた田中氏の論文の一部分が著書としてまとめられたことは、注目に値する。

■ 田中宏氏『仮名草子の文学的研究』 写真

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―

仮名草子関係書・解説

【3】可笑記大成―影印・校異・研究―  昭和49年4月30日,笠間書院発行。(田中伸・深沢秋男・小川武彦 編著) 11000円。第1編 本文・校異,第2編 万治2年版挿絵について,第3編 『可笑記』の研究。文部省助成出版。

可笑記大成 目次

第一編 本文・校異
第二編 万治版挿絵について
第三編 「可笑記」の研究
●第一章 底本書誌解題と諸本調報告
●第二章 校異による本文異同の考察
泰三章「可笑記」の成立と書名
 第四章 作者如儡子について
 第五章 「可笑記」の内容 
 第六章 「徒然草」と「甲陽車鑑」の受容について
あとがき

●この内、私が執筆したのは、第三編の第一章と第二章である。

第三編 底本書誌解題と諸本調報告

第一章 底本書誌解題と諸本調報告

 底本書誌解題
 ここに影印複製したのは「可笑記」の本文として最も秀れていると判断される、寛永十九年版十一行本である。底本には原題簽を有する良本・小川武彦氏所蔵本を使用したが、その書誌は次の通りである。
所蔵者 小川武彦氏
表紙 藍色元表紙、雷文つなぎ蓮華模様、縦二七五ミリ×横一八六ミ
  リ(第一冊目)。各巻表紙の藍色の表面紙は、和刻本漢籍の零葉
  と思われる紙を使用している。
題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記一(~五)」縦一六八ミリ×横三
  五ミリ(巻一)。巻二の下部に欠損あり。
内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(~五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦二二〇ミリ×横一五七ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑記巻一 一(五十四)
   巻二(可笑記巻ニ ー(五十八)」
   巻三(可笑記巻三 ー(五十四)」
   巻四「可笑記巻四 一(五十九」」
   巻五{可笑記巻五 一(八十五)」
  版心は半黒口、魚尾花紋。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻丁…54丁、巻二…58丁、巻二…54丁、巻四…59丁、巻五
  …85丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
  …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+9行、本文…11行、あとがき…10行。
字数 一行約20字。
段移りを示す標 「▲」 (巻三の6段は欠)。
句読点 無し。
奥書 巻五の85丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
  之」。(振り仮名は省略)
刊記 巻五の85丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
蔵書印・識語 「尾州名古屋/本町九町目/本屋久兵衛」「青谿書屋
  」「赤木山」「アカキ」の朱印。巻一の52丁裏5行目「もろこし
  には龍蓬比干伯夷叔斉ごししよわが朝」の上欄に墨書にて「伍し
  しよどふ/して伯夷の下に/列ならんや伍/子しよは大悪無/道
  也」と書入れあり。白紙に小川武彦氏の次の識語がある「大島雅
  太郎旧蔵本『青谿書屋』蔵印」。

     諸本について

 現在伝わる『可笑記』の諸本の全貌を明らかにしたのは『国書総目録』(昭和39年)であり、そこには四十六点が掲げられている。
 私はこの『国書総目録』を参照しながら、実地に踏査した結果、現在までに六十余点を見る事ができたが、これらの諸本は、
次の四種に分類する事ができると思う。
 I、寛永十九年版十一行本
 2、寛永十九年版十二行本
 3、無刊記本
 4、万治二年版絵入本
 これら諸本の調査結果は『文学研究』第二十八号・第三十号(昭和43年12月・昭和44年12月)に発表したので、ここでは、影印・校異の底本として使用したものの書誌を記し、他の諸本は、その所在を記すにとどめたい。

一、 寛永十九年版十一行本

 九州大学国語学国文学研究室
 京都大学附属図書館・Ⅰ
 京都大学附属図書館・Ⅱ
 桜山文庫(鹿島則幸氏)
 大東急記念文庫
 台湾大学図書館
 東京大学教養学部第一研究室
 東京大学附属図書館
 内閣文庫
 平井隆太郎氏(平井太郎〈江戸川乱歩〉氏旧蔵)
 横山重氏・赤木文庫
 早稲田大学図書館
 深沢秋男

 この版について朝倉亀三氏(『新修日本小説年表』)は、大坂の平野屋九兵衛刊の如く記しておられるが、これは早大取合本に拠ったものと思われる。早大取合本には刊記のあとに「大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」と有る。しかし、これは張込みであり、この平野屋九兵衛を版元とする事には問題が残る。横山重氏はすでに、その版本考(同氏所蔵、寛永十九年版十一行本帙の識語)で「ひそかに思ふ。朝倉氏のいふ、大坂板といふは、十一行本か、十二行本かの、後印本にあらざるか。」と疑問を出しておられるが、横山氏が原本を見る以前に、これを後印本と推量されたのは、寛永期の大坂板という点に着目されたからであろうと思われる。
 因に『慶長以来書賈集覧』(井上和雄氏)をみても平野屋九兵衛は入っていない。また大阪の書肆で最も早いのは、万治年間から活躍した正本屋太兵衛であり、寛永期には見当たらない。やはり大阪の出版は寛永期よりかなり下った、明暦・万治頃からとするのが妥当のように思われる。しかし、この早大取合本は、九大本、桜山本、大東急本、内閣本、平井氏本、横山氏本、早大本のいずれよりも早い刷りと判断されるのであり、これらの点を考え合わせると、この平野屋九兵衛は刊行者というよりも、販売者的性格が強かったのではないかと推察される(注1)。
 次に。大東急本には刊記のあとに刷り跡(よごれ)が見られるが、これについては次のように考える。このような刷り跡が見られる原因として、①すでに刷り跡のある紙を使川した。②書肆名その他の文字の削除跡。③印刷の場合に空白部分に墨が着き、生じた跡。この三つの場合が考えられる。①については、この大東急本の外に、九大本、台湾大本、内閣本、横山氏本、早大本にも同様な刷り跡が出ているので、これは除く事ができる。刷り跡の出ている位置から考えると、②ではないかとも思われるが、この刷り跡に、確実に文字の痕跡と思われる箇所が無く、また書肆名などを彫り捨てる場合、意識的に深く削るのではないか、という事も推測される点で、これをただちに削除跡と断定する事もできない。なお、早大取合本の張込みのものとこの刷り跡とは、深い関係が無いものと思われる。次に③の場合であるが、大本の版面に刊記を一行のみ印刷する場合、空白部の紙面が版木に接する可能性は大きい。しかし、大東急本の跡には、やや作為的な痕跡が認められる点は注意すべきであり、要するに、②③いずれとも決め得ないのが現状である(注2)。初版本と思われるこの版の刊行者を決める事は重要であるが、今後の調査に俟たなければならない。

 二、寛永十九年版十二行本

所蔵者 国立国会図書館142 112
表紙 改装国会図書館専用茶色表紙、縦二七四ミリ×横一八九ミリ(第
   一冊目)。
題簽 題簽は無いが左肩に「可笑記 一(~五止)」と墨書。
内題 序…「愚序」。本文…「可笑記巻第一(~五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦二一二ミリ×横一六九ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑記巻一 一(~四十九終)」
   巻二「可笑記巻二 一(~五十三終)」
   巻三「可笑記巻三 一(~四十九終)」
   巻四「可笑記巻四 一(~五十四終」」
   巻五(可笑記巻五 一(~七十八)」
   版心は半黒口、魚尾花絞。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻丁…49丁、巻二…53丁、巻三…49丁、巻四…54丁、巻五
   …78丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
   …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+9行(1行余白)、本文…12行、あとがき…11行。
字数 一行約20字。
段移りを示す標 「▲」 (次の各段は欠。巻一の1・8・21・22・
   24・28・29・43、巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻
   四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・
   51・72・76・88。巻四の15は重複)。
句読点 「・」「。」混在。
奥書 巻五の78丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
   之」。(振り仮名は省略)
刊記 巻五の78丁裏に「寛永壬午季秋吉旦刊行」。
蔵書印 「特賈堂」の朱印、「江戸四日市/古今珍書儈/達摩屋五一
   」の黒印。

 九州大学国語学国文学研究室
 神宮文庫
 日本大学図書館・武笠文庫

 この版は、寛永十九年版十一行本を版下に使用(または十一行本を敷写しして作った版下を使用)したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないにしても、それに近い性質のものである。
 その根拠の第一は、十一行本と十二行本であるため、それぞれ一行ずつのずれができる訳であるが、このずれの箇所の行間を調べてみると、十二行本において、十一行本の丁移りの箇所の行間が、他の行間と不揃いであり、全体的に広めになっている。またある場合には、それを境目として、行の頭の高さに落差が見られる。そして、この反対の現象が十一行本では見られない。
 第二に、天地の寸法が十二行本の方が短い。
 【別表 省略】                                       
 別表は各巻第一丁表第一行目の天地(巻一は第二丁表)の寸法を、桜山本と国会本に拠って測ったものである。縮小率は必ずしも一定していないが、いずれも十二行本の方が短くなっており、これは、かぶせ版は縮小するという原則に適っている(注3)。
 第三に、本文の異同関係をみると、十二行本は句読点を付加し、振り仮名を付加する反面、濁点を省いている。さらに書体も、十二行本で簡略化されている例が見られる。これらを考え合わせても、十二行本は十一行本より後の版とするのが妥当と思われる(後述)。
 なお、横山重氏も「本書、最古板なり。しかるに此本と全く同一の刊行記を有する十二行本あり(焼亡)。刊年記の文字よく似たれど、寸法を見るに、十二行本の方が、約三分位短い。」(同氏所蔵・寛永十九年版十一行本帙の識語)と十一行本を最古版と判断しておられる。
 以上の事を考え合わせると、十二行本は十一行本を原版に使用したため、同じ刊記を有するが、実際の刊行年は寛永十九年よりやや後とするのが妥当と思われる。

三、 無刊記本

所蔵者 長澤規矩也氏
表紙 丹色元表紙、万字つなぎ牡丹模様、縦二五七ミリ×横一八五ミリ(第一冊目)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「可笑記 一(~五)」縦一六三ミリ×横
   三五ミリ(巻一)。部分的に摩損あり。
内題 序…「愚序」。本文・:「可笑記巻第一(一五)」。
尾題 無し。
匡郭 四周単辺、縦ニー九ミリ×横一六四ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一(可笑一 一(~四十二終)」
   巻二(可笑ニ 一(~四十四終)」
   巻三「可笑三 一(~三十九終。」」
   巻四「可笑四 一(~四十三終」」
   巻五(可笑五 一(~六十三)」
  版心は白口、ただし、巻三の12丁のみ黒口。巻五の20丁は「三
  十」となっている。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…39丁、巻四…43丁、巻五
  …63丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
  …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数 序…愚序+10行、本文…12行、あとがき…12行。
字数 一行約23字。
段移りを示す標 「○」 (巻二の1は欠)。
句読点 「。」
奥書 巻五の63丁表に「于時寛永十三/孟陽中韓江城之旅泊身筆作
  之」(振り仮名は省略)。
刊記 無し。
蔵書印・識語 「藤井文庫」の朱印。巻五後表紙の内側に「寛保二/
  於書肆/求之」と墨書。巻一前表紙見返しに墨書にて「此本初印
  本には/寛永壬午季秋吉旦刊行/大坂心斎橋通り西へ入南久宝寺
  町南側/平野屋九兵衛」と長澤規矩也氏の識語あり。その他黒印
  一顆。

お茶の水図書館・成簣堂文庫・I
お茶の水図書館・成簣堂文庫・Ⅱ
学習院大学国語国文学研究室
関西大学図書館
京都大学附属図書館・潁原文庫I
京都大学附属図書館・潁原文庫Ⅱ
慶応義塾大学図書館
国学院大学図書館
実践女子大学図書館・黒川真頼・真道蔵書
天理図書館
東京国立博物館
東北大学附属図書館・狩野文庫
名古屋大学国文学研究室
西尾市立図書館・岩瀬文庫
山岸徳平氏
竜門文庫
早稲田大学図書館

 この版には刊記が無いが、従来寛文頃の刊行とされていたものであり、その他に、寛永十九年以前の初版本とする説も出されている(注4)。また、横山重氏は「本書に、万治頃の刊本あり。これに刊年記なし。反町氏、巻末の「于時寛永十三」云々をとりて、寛永中刊とすれど然らず。」(同氏所蔵寛永十九年版十一行本帙の識語)とやや立場を異にしておられる。私は以上の諸説を参照して考えたが、この無刊記本は、寛永十九年以後、万治二年以前の刊行とするのが妥当のように思われる。そのように考える理由は次の如くである。
 第一に、寛永十九年版と無刊記本の間には、かなり多くの本文異同がみられるが、それらは、寛永版の増補とするよりも、無刊記本の脱落および省略とみる事の方が妥当と思う(後述)。
 第二に、当時の書籍目録をみると、延宝三年の目録から、大字本が見え、天和元年の目録では、大本を五匁五分とし、大字本は七匁、小本は四匁となっている。この大字本は寛永十九年版と推測されるが、この価格の差は、出版の時期に関係があるのではないかと思う。大字本は、これ以後、目録から姿を消す。つまり、大字本(寛永版)は、この時点において、すでに希少価値をもっていたものと思われる(注5)。以上の二点から考えると、無刊記本は、寛永十九年版より後の刊行と推測されるのである。
 第三に、本文の異同関係から考えると、無刊記本は万治二年版の絵入本より前の刊行と思われる(後述)。
 第四に、無刊記本の書体であるが、これについて水谷不倒氏は、大正九年刊の『仮名草子』で「大本の挿絵なきものにて別版あり。書風原版とは異なり、年号を逸すれども、絵入本よりは遥に後の版行なるべし」とされたが、その後昭和四年の『新撰列伝体小説史前編』では、寛文初年の覆刻本とやや表現を変えておられる。
 無刊記本の書体は、丸みを帯びて小振りとなっているが、これは寛永版の伸び伸びとした、やや大きめの字と異なり、万治・寛文頃の版本に多く見られるものと同じように思われる。また柱刻なども、寛永十九年版の半黒口魚尾に花びらを配す、という手の混んだものに対し、無刊記本・絵入本は、共に簡略なものになっている。
 これらの点で、無刊記本が寛永十九年版より後のものである、という事は納得できるが、「絵入本よりは遥に後の版行」という点には疑問が残る。万治二年の二年後が寛文元年であり、この短い期間の版本の先後を書体で判定する事は、非常にむずかしい事と思われる。したがって、私は書体の問題はしばらくおき、本文の異同関係から、無刊記本を絵入本以前の刊行と判断したのである(注6)。
 このように考えてくると、この無刊記本は寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前の刊行という事になるが、それもかなり明暦・万治に近い頃の出版と推測されるのである。

四、 万治二年版絵入本

所蔵者 横山重氏・赤木文庫
表紙 縹色元表紙、雷文つなぎ桐花唐草模様、縦一九七ミリ×横一四
  九ミリ(第一冊目)。
題簽 左肩に子持枠原題簽「新板 可笑記 絵入 一(~五)」縦一三四ミリ×横三一ミリ(巻一巻)。巻五のみ「絵入」が「ゑ入」とあ
  る。部分的に摩損あり。
内題 序…「可笑記愚序」。本文…「可笑記巻一(~五)」。
尾題 巻一「可笑記一之巻終」。巻二「二之巻終」。巻三「可笑記巻三
  終」。巻四「四之巻終」。巻五は無し。
匡郭 四周単辺、縦一七六ミリ×横一二五ミリ(巻一の1丁表)。
柱刻 巻一「可笑記巻一 一(~五十二)」
   巻二「可笑記巻二 一(~五十四終)」
   巻三「可笑記巻第三 一」
     「可笑記巻三二(~四十九)」
     「可笑記三五十(五十一終)」
   巻四「可笑記巻四 一(~五十二終)」
   巻五「可笑記巻五 一(~七十一)」
  原本の丁付は「……十八・十九・廿丗・丗一丗二……」とあり、
  20丁台を省略しているため、各巻の最終丁が、巻一…「五十二」、
  巻二…「五十四終」、巻三…「五十一終」、巻四…「五十二終」、
  巻五…「七十一」とあっても、実際の丁数はそれより各々10丁
  ずつ少なくなる。版心は白口。
巻数 五巻(欠巻無し)。
冊数 五冊。
丁数 巻一…42丁、巻二…44丁、巻三…41丁、巻四…42丁、巻五
  …61丁。
段数 巻一…48段、巻二…48段、巻三…42段、巻四…52段、巻五
  …90段(これに序とあとがきが加わる)。
行数。序…愚序+9行、本文…12行、あとがき…12行。
字数 一行約25字。
挿絵 巻一…10図、内見開き1図(2丁裏3丁表・7丁表・11丁表・
  15丁表・19丁表・23丁表・27丁表・32丁表・37丁表・42丁
  表)。
  巻二…8図、内見開き1図(3丁裏4丁表・9丁表・14丁表・19
  丁表・24丁表・29丁表・35丁表・41丁表)。
  巻三…7図、内見開1図(3丁裏4丁表・10丁表・16丁表・22
  丁表・28丁表・34丁表・40丁表)。
  巻四…8図(3丁表・8丁表・13丁表・18丁表・23丁表・28
  丁表・34丁表・40丁表)。
  巻五…8図(4丁表・11丁表・18丁表・25丁表・32丁表・39
  丁表・47丁表・55丁表)。
段移りを示す標 「○」 (巻一の6・8、巻二の9・48、巻四の1・
  4・16・17・18、巻五の12・45は欠)。
句読点 「。」「・」混在。
奥書 無し。
刊記 巻五の61丁表に「于時万治二年正月吉日/板本/寺町三条
  上ル町 山本五兵衛開」
蔵書印・識語 「アカキ」の朱印。帙に紙箋を貼付し、ペン書にて横
  山重氏の次の識語かある。「自分は此本を三つ買った。一つは村
  口。これは刊記のある巻末一丁欠。八十円。又、/一誠本も買っ
  た。八十円。これは完全であったが、虫入りが多かった。総/じ
  て、此本の紙、虫好むか。虫入り本を見し事あり。/然るに、昭
  和十九年、本書を得たり。極上本なり。/あだ物語村口千二百、
  子易物語弘文千円といふに比すればむしろ安/しとすべし。/
  500」。また昭和四年の杉本目録として、次の紙片が貼付されてい
  る。「一 絵入風俗 可笑記 如儡子 帙入/万治二年刊/チャ
  ンパーレン旧蔵 半五 百五拾円」。
その他 巻二の37丁~42丁が落丁。

秋田県立図書館
上田市立図書館・藤廬文庫
大洲市立図書館・矢野家文庫(未調査)★その後調査
小川武彦氏
お茶の水図書館・成簣堂文庫
学習院大学国語国文学研究室・I
学習院大学国語国文学研究室・Ⅱ
カリフォルニア大学図書館・東亜図書館
京都府立総合資料館(京都府立図書館旧蔵)
慶応義塾図書館
国立国会図書館・I
国立国会図書館・Ⅱ
鶴岡市立図書館(未調査)★その後調査
天理図書館
東京国立博物館
東京大学附属図書館・青洲文庫
東北大学附属図書館・狩野文庫
東洋文庫・岩崎文庫
中野三敏氏
日比谷図書館・加賀文庫
山口大学附属図書館・教育学部分館(未調査)★その後調査
山口大学附属図書館・文理学部分館(未調査)★その後調査
竜門文庫
早稲田大学図書館

 この絵入本について、水谷不倒氏は「中本にて大小の二種あり。」と『仮名草子』に記しておられるが、私は異版を見る事ができなかった。製本寸法には、かなりの差違があるにしても、匡郭寸法に大きな差は無い。なお、水谷氏の掲げられた版本と私か見たものとは、寸法も一致するので同版のものと思われる。
 また、朝倉亀三氏は「万治二年に絵を挿み、『絵入風流可笑記』と題し、半紙本として再版せり。」(『新修日本小説年表』)としておられるが、このような題簽・内題を持つ版本も見る事を得なかった。現存諸本の原題簽には、いずれも上部に「新板」とあり、これが可笑記の新版でなく、絵人本の新版を意味するとすれば、あるいは別版があるのかも知れない。現在までに異版を見る事はできなかったが、異版が無いと断定する事もできず、今後の調査に俟ちたいと思う。
 なお、秋田県立図書館本と京都府立総合資料館本は、共に各巻後半が落丁となっているが、その落丁部分がまったく同じである点は注意すべきである。京都府立総合資料館本の「定栄堂蔵板目録」の内容などから考えると、これは後刷本と思われるが、初刷本との間に何等かの事故(例えば版木の破損・紛失など)があったとも考えられる。

五、 その他(取合本・写本)

大阪府立図書館(無刊記本に巻一のみ、寛永十九年版十一行本が入れ
 本されている)
学習院大学国語国文学研究室(無刊記本に巻四のみ、寛永十九年版十
 二行本が入れ本されている)
天理図書館(寛永十九年版十一行本に巻三のみ、寛永十九年版十二行
 本が入れ本されている)
早稲田大学図書館(寛永十九年版十一行本に巻一のみ、無刊記本が入
 れ本されている)
東京大学国語国文学研究室(本文異同の関係から、寛永十九年版十二
 行本の転写本と推測される)
なお、次の四本は現在所蔵されていない事を確認した。
1、尾崎久弥氏
2、三康文化研究所(大僑図書館旧蔵)
3、築比地仲助氏
4、三井文庫

 六、翻刻本二種について

 I 徳川文芸類聚・教訓小説(大正三年)
 徳川文芸類聚は、早大取合本を底本にしたと思われ、巻一は寛永十九年版に対する無刊記本の異同をすべて踏襲している。
振り仮名を省略している外は忠実な態度をとっているが、原本との異同は48あり、そのほとんどが翻刻上の誤りである。また巻二から巻五までが寛永十九年版に拠っている事は、その異同関係からも認められる。なお、刊記のあとの書肆「大坂心斎橋橋通西入南久宝寺町南側/平野屋九兵衛」は底本の張込みをそのまま翻刻したものと思われる。
             
 Ⅱ 近代日本文学大系・仮名草子集(昭和三年)
 近代日本文学大系は、①漢字・仮名の異同が多い。②振り仮名を変えたり、付加したりしている。③送り仮名を多く送っている。など、原本とはかなり離れたものとなっている。巻一は徳川文芸類聚の原本に対する異同48の内、25をそのまま受け継ぎ、23は無刊記本と同じに正している。巻二から巻五までは徳川文芸類聚と同様に寛永十九年版系の本文となっている。なお、この『仮名草子集』は『可笑記』の挿絵として一葉掲げているが、これが古浄瑠璃『公平天狗問答』のものと入れ違っている事は、田中伸氏の御教示により知る事を得た。またこれに関しては、関場武氏も『芸文研究』第二十七号(昭和44年3月)で指摘しておられる。

 以上、二種の翻刻はそれぞれに特色を持ち、長い間作品研究に役立ってきたのであるが、使用した底本が取合本であった事は非常に惜しまれる。作品研究もようやく盛んになってきた現在、初版本による、より厳密な翻刻が切望されるのである。

 (注1) 平野屋九兵衛がもし版元であるなら、版木を持っているはずである。何故自分の住所や名前を張込みになどしたのだろうか。
たとえ後で追加するにしても、埋木して印刷する方法があると思う。また、伝本中この張込みがあるのは早大取合本のみというのも疑問である。〝平野屋は、版元から求めた版本に、このような自分の住所と名前を印刷した紙片を張り込んで、売り捌いていたのではないか〟とお教え下さった池上幸二郎氏の推測が妥当のように思われる。また鈴木敏夫氏は『江戸時代の本や』(「出版ニュース」昭和43年9月上旬号)で、明暦・万治頃の出版状況を推測して「大阪にも、このころからやっと京都の出店らしきものが現われるが、おそらく京都書肆の出張販売(あるいは行商)時代」としておられる。
 (注2) この問題に関しては、田中伸氏より多くの御教示を頂いた。書肆名などの入っている版本が発見されれば、一応問題はない訳
であるが、大東急本の刷り跡から、いかなる文字を推測するか、非常にむずかしい問題である(田中伸氏は、下方の跡を「田」の字か「野」の一部ではないか、と判断しておられる)。
 (注3) 匡郭寸法を対照してみると、十二行本は十一行本より縦が短くなっているのに横は長い。これは十一行本を版下に使い(また
は十一行本を敷写しして版下を作り)、しかも一行増したところから生じたものと思う。また、縮小の比率が一定していないのは、印刷時の紙の湿り具合、印刷の先後、文字のしずみの出具合(ことに差の少ない巻二、巻四の行末の文字が「ツ」「折」である事は注意してよいと思う)などの条件が関わっていると思われる。
 (注4) 無刊記本は、水谷不倒氏以来、寛文頃の刊行とされてきたものであるが、これを寛永十九年版以前の初版本とする説は、『国
語国文』昭和四十年六月号に朝倉治彦氏の説として、前田金五郎氏が紹介されたものである。この説は「于時寛永十四南呂上澣瓢水子筆之」の奥書をもつ『可笑記評判』所収の『可笑記』本文が、この無刊記本と近い関係にある点に着目されたところからの立論である。この奥書をそのまま信用すれば『可笑記評判』の作者は、寛永十四年には少なくも『可笑記』を見ていた事になる。私は、種々の理由から寛永十九年版十一行本を初版としているが、視点を変えるならば、版本以前に写本(草稿)があり、それから、寛永版と無刊記本が別々に本文を得た、という可能性も考えられる。朝倉氏の説と共に、今後さらに調査・考察してゆく必要があると思う。
 (注5) 主要書籍目録の記録は次の如くである。
  ①、寛文十年刊『増補書籍目録 作者付 大意』
    「五冊 可笑記 大小 如儡子作
     十冊 同評判  浅井松雲了意」
  ②、延宝三年刊『新増書籍目録』
   「五 可笑記 如儡子作
    五 同大字
    五 同小本
    十 同評判 浅井松雲
    五 同跡追
  ③、天和元年刊『書籍目録大全』
   「五 可笑記 如儡子作 五匁五分
    五 同大字      七匁
    五 同小本      四匁
    十 同評判 浅井松雲 廿匁
    五 同跡追      五匁」
  以後、この大字本は目録から姿を消している。
 (注6) 私はそれ程多くの版本を見ていないので書体については解らない。しかし、絵入本は中本という事も関係しているとは思うが、
字と字の間隔を非常に接近させ、さらに重ね合わせるようにして書き詰めており、また各段冒頭の「むかし」を「昔」に変える、というような形で一行の字数を多くしている。したがって、丁数もそれだけ減少している。因にこの丁数をみると、寛永十九年版十一行本が310丁、十二行本が283丁、無刊記本が231丁、絵入本が210丁(挿絵の部分を除く)とこの順序で減少しており、最初と最後とでは100丁もの差がある。このような点から考えても、絵入本の方が無刊記本より後ではないかと思うのである。そして、無刊記本が絵入本より前の刊行である、という私の考えの拠所は、主として本文異同にあり、これに関しては全巻を対校して検討したが、ほぼ誤りの無いものと判断される。                (深沢秋男)

第二章 校異による本文異同の考察

 『可笑記』各版の本文異同については『近世初期文芸』第一号(昭和44年12月)で考察した事がある。そこでは主として巻一のみの資料を使って分析を試みなのであるが、この度、全巻の対校を終えてみると、その結論を改める必要は無いように思われる。したがって、ここでは具体的な分析を出来得る限り省略し、その結果を示すにとどめたいと思う。

一、 書写本について

 伝存諸本中、寛永十九年版十一行本が初版本と思われるが、刊本以前に書写本(自筆本・写本を含む)が在ったか否かについて、まず考えてみたい。
 寛永版十一行本、巻一の17丁表2行目の字詰をみると、
 「うちに君もろともにミもしミせばやとまつかひもなくあ」
と、二十五字詰になっている。この十一行本は平均二十字詰であるのに、この行が特に二十五字詰になっているのは「ミもしミせばやとまつ」の部分に主たる原因がある。この十字は約七字分のスペースの中に書き詰められており、しかも印刷の墨も、この部分のみが非常に強く出ている。つまりこの部分は埋木したものと思われるのである。これは、書写本から版下を作る際に「ミもし」の「ミ」から「ミせばや」の「ミ」に目移りして「ミもし」の三字を誤脱させてしまい、そのまま版木に彫りつけてしまったものと思われる。そして印刷の前に(または数部印刷の後に)この誤脱に気付き、埋木して訂正したものと推測されるのである。家蔵本は巻一のみの端本であるが、刷りは非常に早い頃のものと思われるのであり、この本においてすでに埋木されている点から考えると、この訂正は初刷本と断定できないにしても、それに近い段階で行なわれたのではないかと推測される。いずれにしてもこの事は、刊本以前に書写本が在った事の一つの証左になるものと思う。
 現在伝わる写本は、東京大学岡語国文学研究室の所蔵本のみであるが、これは本文異同の関係から考えると、寛永十九年版十二行本の転写本と判断される(七二六頁参照)。自筆本は勿論のこと、刊本以前の写本が伝存していないこの作品においては、各版
の本文異同を分析する事によって、どの版本がより原初的な(書写本に近い)形を伝えているかを判断する事は極めて重要な問題だと思うのである。

 ★【『可笑記』の写本に関して、その後、『斎藤家資料』(仮題)の存在が明らかになり、その中に『可笑記』の写本もあったという。二本松藩藩士・大鐘義鳴の『世臣伝』で言及されている。この資料は、現在、所在が明らかではないが、今後、所在が明らかになれば、この写本に関しても解明される可能性がある。(平成28年11月)】

 二、寛永十九年版、十一行本と十二行本の関係

 前述の如く、十二行本は十一行本を版下に使い(または十一行本を敷写しして版下を作り)、一行増したものであり、厳密には覆刻版(かぶせ版)と言い得ないが、それに近い性質のものである。そして、巻一の本文異同の関係は次の如くである。なお、十一行本は桜山文庫所蔵本を、十二行本は国立国会図書館所蔵本を使用し、異同箇所の表示は十一行本に拠った。

 I、十一行本・十二行本の本文異同……3

〔1〕7丁裏1行 11行本…わたし→12行本…わたり
 〔2〕28丁裏6行 11行本…ゑいよう→12行本…ゑいかう
 〔3〕47丁表7行 11行本…あつさ→12行本…あつゝ
〔1〕の「し」「り」、〔2〕の「よ」「か」、〔3〕の「さ」「ゝ」は、共に類似した書体であるため、敷写しの段階、または版木に彫り刻む段階で生じたものと思われる。

 Ⅱ、十二行本で付加した振り仮名……16

〔1〕2丁裏6行…なさけ情
〔2〕11丁裏3行…おのこ男
〔3〕12丁表4行…もとめ求
〔4〕12丁表7行…もとめ求
〔5〕13丁表2行…もも百 【注 もも→もゝ】
〔6〕15丁表6行…ことば詞
〔7〕15丁表8行…たい対
〔8〕15丁裏1行…しよせん所全
〔9〕21丁裏10行…しんじつ真実
〔10〕21丁裏10行…かう剛
〔11〕22丁表10行…ことは詞
〔12〕25丁表6行…まき槇
〔13〕25丁裏6行…は そん破損
〔14〕28丁裏11行…み じ彌字
〔15〕31丁表3行…む よくしん無欲心
〔16〕32丁裏3行…げいのう芸能

 これらの内、〔2〕・〔3〕・〔4〕・〔5〕・〔9〕・〔10〕・〔11〕の文字は特に太めで、伸び伸びとしておらず、印刷の墨も他に比較して濃く出ている。あるいは後刷の場合に埋木したという事も考えられる。

 Ⅲ、十二行本で省略した振り仮名……3

〔1〕22丁表7行…み味
〔2〕31丁裏9行…けい計 
〔3〕34丁表1行…どう同

 これらは、版下または版木を作る過程で脱落したものと思う。

  Ⅳ、十二行本で付加した濁点……10

  Ⅴ、十二行本で省略した濁点……55(内、振り仮名…16)

 清濁の異同についての具体的なものは掲げないが、十二行本が濁点を多く省略しているのは注意すべき事である。これらは版木に彫り刻む段階で省いたものであろうか。

  Ⅵ、十二行本は句読点を付加している。

 十一行本において句読点は皆無であるが、十二行本ではほぼ全体にわたって「・」「。」を付加している。

  Ⅶ、十二行本で簡略化した文字……6

〔1〕 8丁表2行…愛着のおもひに    〈に〉
〔2〕 8丁裏4行…知者においてハ    〈に〉
〔3〕 17丁表11行…古き詩哥      〈詩〉
〔4〕 22丁裏7行…是に心づきて     〈に〉
〔5〕 29丁裏10行…しうぢやくによつて 〈に〉
〔6〕 30丁表3行…すでに法賊      〈に〉

 十一行本と十二行本の書体は、一見非常に類似しているが、子細にみると運筆には相違が認められる。そして、右に掲げた箇所の〈 〉で囲んだ文字「に」「詩」は、十二行本で簡略化された書体となっている。また、三十五段(36丁裏・8行)の「えいぐわ栄花」を十二行本は「ゑい栄ぐわ花」としている。

以上、二つの版の異同関係を掲出したが、まず本文異同の認められる三箇所をみると、〔1〕の「わたし」「わたり」は他動詞・自動詞の違いである。
 「むかしさる人の云るは陸奥の住人鳥川瀬兵衛と云さふらひある時
の合戦に真先かけをいたし大河を一文字にさつとわたし(り)高
  名ひるいなくおんしやうにあづかりよろこひのあまりに一首
   さきがけをすれば誉の名取川身を捨てこそうかふ瀬兵衛」
 これが七段の全文であるが、このような場合に他動詞を使うのは、動詞の連用形止を多く使い文を重ねているのと共に『平家物語』や『太平記』など軍記物の語法を継承したものという事ができる。これは軍記物の世界に通じていた『可笑記』の作者であってみれば、むしろ自然のものと思われる。十二行本の覆刻作業に従事した職人(能書または彫工)は、その事に気付かずに「わたり」と自動詞に改めてしまったのではないだろうか。次に〔2〕の「ゑいよう」「ゑいかう」であるが、この前後は「現世夢幻のゑいよ(か)うにふけり未来やうこうのくるしひを知ず」とあり、後半は「未来永劫の苦しひを知ず」と解されるので、前半は「現世夢幻の栄耀に耽り」とあってはじめて意味が通じる。「ゑいかう」に「永劫」「栄光」などの言葉を当ててみても適切ではない。因に無刊記本、絵入本は「ゑいくわ」とし、可笑記評判は「栄花」としている。次に〔3〕の「あつさ」「あつゝ」は「庭の木立物ふりいかにも掃地きれいに残るあつさ(ゝ)のほどは露うちそゝきちやわん茶入その外よろづの道具いかにもあたらしくきれいなるを用ひ」という文であるから「暑さ」でなければ意味が通じない。
 要するにこれらの異同は、十二行本が意識的に改めたというよりも、覆刻作業の過程で機械的に生じたものと推測されるのであり、このような場合、原版(十一行本)が秀れた本文である事は言うまでもない。

 さらに巻二以後の主な異同を掲げてみると、次の如くである。
〔4〕巻二(8丁裏1行)11行本…おそ恐れ→12行本…ほそ恐れ
〔5〕巻二(9丁表1行)11行本…らうにん牢人→12行本…ちうにん牢人
〔6〕巻二(24丁表6行)11行本…よく候→12行本…はく候
〔7〕巻三(18丁表3行)11行本…せんだく→12行本…せんざく
〔8〕巻三(31丁表1行)11行本…いやとの→12行本…い□□の
〔9〕巻三(31丁裏1行)11行本…一首→12行本…一しゆ
〔10〕巻三(34丁裏11行)11行本…むさく→12行本…むとく
〔11〕巻四(31丁裏1行)11行本…日ころ→12行本…ひころ
〔12〕巻四(32丁表6行)11行本…い異→12行本…の異
〔13〕巻四(38丁表1行)11行本…となる→12行本…ことなる
〔14〕巻五(16丁裏8行)11行本…ごしやう後生→12行本…ごせう後生
〔15〕巻五(18丁裏11行)11行本…たひ度→12行本…た●度 (たゝ)
〔16〕巻五(19丁表2行)11行本…一とせではの出羽→12行本…一しせいではの出羽
〔17〕巻五(23丁表10行)11行本…けれども→12行本…けれ□も
〔18〕巻五(32丁表4行)11行本…べし→12行本…べ
〔19〕巻五(38丁表9行)11行本…やまひ病→12行本…やうひ病
〔20〕巻五(53丁裏11行)11行本…詞にも→12行本…詞に

 これらの異同のほとんどが、〔6〕の「よ」→「は」の如く、類似した字体からくるものであったり、〔12〕の「い」→「の」の如く、十一行本が滅字であるところから生じたものであったり、要するに、巻一の三箇所の異同と同様なものであると言い得る。ただ、〔9〕の「一首」→「一しゆ」、〔11〕の「日ころ」→「ひころ」、〔14〕の「ごしやう後生」→「ごせう後生」、〔20〕の「詞にも」→「詞に」は注意すべきである。十二行本は前述の如く、十一行本の準かぶせ版であると思われるが、従来説かれている如く、かぶせ版は原版をそのまま版木に張り付けて刻むものであるとするならば、彫工は版下に忠実に刻むものであるとも言われており、この様な異同は生じないはずである。やはり、これらの異同は書写の段階で生じたものではないかと推測されるのであり。この両版に関しては、十一行本を敷写しして版下を作ったという可能性の方が大きいように思われる。また〔9〕の「首」→「しゆ」、〔6〕の「日」→「ひ」、〔10〕の「にも」→「に」は、それぞれ同じスペースの中での異同であるので、十二行本が十一行本を原版に使ったという事は、誤りのないものと思う。さらに異同の認められる箇所が、十一行本の一行目と十一行目、つまり版面の両端に多く生じている事も、以上の判断を支えるものと思われる。
 次に振り仮名の異同関係をみると、十二行本で付加したものが十六箇所、省略したものが三箇所となっており、これは再版としての十二行本が、より読みやすい本文を作ろうとしたところから生じたものと推測される。そして、それは同時に『可笑記』が、振り仮名を多く用いる事が一つの条件であるところの仮名草子として一応認められ、読者の需要に応じた過程を示してもいる。しかしこのように十二行本が意識的に付加した振り仮名の訓み方は、極めて一般的なものであり、本文の優劣に関係はないものと思われる。また、十二行本は新たに句読点を付加しているが、その反面、それほど目立たない濁点は多く省略している。このほか十二行本で簡略化している文字もみられ、さらに段の移りを示す標の「▲」を省いている箇所も少なくない。十二行本は、巻一の1・8・21・22・24・28・29・43.巻二の22・23・27巻三の2・6・28、巻四の16・19・22・29・31、巻五の2・3・31・35・39・50・51・72・76・88の各段を欠落させ、巻四の15段は重複させている。
 これらの異同内容を総合して考えるとき、十一行本は十二行本よりも、より原初的である事が推測されるのであり、また秀れた本文であると断定してよいと思うのである。

 三、寛永十九年版十一行本に対する各版の関係
 
 寛永十九年版十一行本に対する、無刊記本・絵入本・可笑記評判の異同関係を整理すると次の如くなるが、次の事項は省略した。
1、 仮名づかいの異同。2、振り仮名の異同。3、送り仮名の異
同。4、漢字・仮名の異同。5、字体の異同。6、句読点の異同。7、清濁点の異同。なお、使川原本。記号は次の通りである。

 寛永十九年版十一行本(桜山文庫所蔵本)…11行本
 寛永十九年版十二行本(国立国会図書館所蔵本)…12行本
 無刊記本(長澤規矩也氏所蔵本)…無刊記本
 万治二年版絵入本(国立国会図書館所蔵本)…絵入本
 万治三年版可笑記評判(東京大学附属図書館所蔵本)…評判

 一、無刊記本・絵入本・評判共通の省略・脱落……98
 二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同……119(内、十一行本の
   省略・脱落……33)
 三、無刊記本・絵入本共通の省略・脱落……6
 四、無刊記本・絵入本共通の異同……8(内、11行本の省略・脱
   落……1)
 五、無刊記本のみの脱落……1
 六、無刊記本のみの異同……0
 七、絵入本のみの省略・脱落……3
 八、絵入本のみの異同……1
 九、評判のみの省略・脱落……20
 十、評判のみの異同……39(内、11行本の省略・脱落……16)

 これらの異同の数量関係から次の事が言い得ると思う。

1、 無刊記本・絵入本・評判共通の省略・説落および異同を合計すると、二一七箇所という多数を示している事から、この三つの版が非常に近い関係にあり、共に11行本・12行本と離れている、という事が解る。
2、無刊記本・絵入本・評判の中では、無刊記本・絵入本がより近く、
  評判はかなり離れた本文となっている。
3、無刊記本のみの脱落・異同が一箇所であるのに対して、絵入本の
  みのは四箇所である事から推測すると、無刊記本は絵入本よりも
  早い本文ではないかと思われる。

   四、寛永十九年版十一行本に対する、
      無刊記本・絵入本・可笑記評判共通の異同関係

 前に掲げた、一、無刊記本・絵大本・評判共通の省略・脱落…九八箇所と、二、無刊記本・絵入本・評判共通の異同…一一九箇所を具体的に分析した結果、次の事が言い得ると思う。

1、 無刊記本系(無刊記本・絵入本・評判をこのように略す)には、
 11行本の省略・脱落に対して約三倍の省略・脱落があるが、それ
 らは11行本が増補したというよりも、無刊記本系が省き、または
 誤脱させたと思われるようなものが多い。
2、11行本の省略・脱落は、いずれかと言うならば、後で増補し得
 るような性質のものが多い点から考えると、無刊記本系が衍加した
 という可能性が強い。
3、11行本の誤りを訂正し、または特殊な表現を一般的に改めてい
 る点で、無刊記本系には校訂的意図を認め得る。
4、無刊記本系には、11行本の口語的表現を文語的に改め、また重
 複的な部分を簡略化する等によって、より一層、文章として定着さ
 せようという傾向がみられる。
5、両者の異同は、いずれかと言うならば、無刊記本系が改変したと
 いう可能性が強いが、その改変は一般常識的な基準によって行なわ
 れており、それらは作者でなくても為し得るようなものであると言
 う事ができる。
6、両者の異同関係を量的にみると、一字、二字、三字、という少量
 のものが圧倒的に多く、また内容的にみても、とくに重要な部分を
 省略したり、改変しようとする意図は、11行本・無刊記本系いず
 れにもみられない。
7、無刊記本系は、11行本の仮名を漢字に改めている箇所が多い。
 また、無刊記本系と11行本・12行本の関係であるが、次に掲げる
 三箇所の異同によって、無刊記本系は11行本と、より近い本文で
 ある事が解る。

〔1〕巻1の7段 7丁表1行
  11行本   わたし
  12行本   わたり
  無刊記本   渡し
  絵入本    渡し
  評判     わたし
  東大写本   わたり
〔2〕巻1の29段 28丁裏6行
  11行本   ゑいよう
  12行本   ゑいかう
  無刊記本   ゑいくわ
  絵入本    ゑいくわ
  評判     栄花
  東大写本   ゑいかう
〔3〕巻1の43段 47丁表7行
  11行本   あつさ
  12行本   あつゝ
  無刊記本   暑さ
  絵入本    暑さ
  評判     暑
  東大写本   あつゝ

 さて、右にみてきた如く、その異同関係を総合して考えるとき、11行本と無刊記本系が別々に書写本から本文を得たとするよりも、無刊記本系は11行本を底本に使用したとみる可能性の方がはるかに高いと言い得ると思う。また仮に無刊記本系が11行本とは別に書写本から本文を得たとした場合でもご11行本の方がより一層書写本に近い形を伝えていると思われるし、さらに11行本から無刊記本系への本文の改変にあたって、作者の意志が加わっていると思われない事等を合わせ考慮するとき、11行本の本文が無刊記本系よりも秀れたものである事は認められてよいと思うのである。

     五、無刊記本と絵人本の関係

 ここでは、前述(723頁)の三、四、五、六、七、八の各項を分析したが、無刊記本と絵入本の異同が極めて少ないという事は、この両者の本文が非常に接近したものである事を示している。そしてこれらの異同から、両者の相互関係を考える事も不可能ではないと思うが、やはり十分とは言えない。そこで、この無刊記本と絵入本については、巻二以後の異同も合わせて考える事にしたいと思う。

 巻二~巻五には二十八箇所の異同があるが、それらは次のように分ける事ができる。
 〔1〕、絵入本が誤脱させたもの……16
 〔2〕、絵入本が誤読・誤写したもの……6
 〔3〕、絵入本が無刊記本を正したもの……3
 〔4〕、その他(奥付など)……3
 その他注意すべき事は次の三点である。
 I、絵入本は無刊記本の送り仮名を省いている。
 Ⅱ、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改めている。
 Ⅲ.絵入本は無刊記本の振り仮名を省いている。
 これらの異同内容から次の事が言い得ると思われる。
1、各版の中で(11行本と12行本の関係は別として)無刊記本と絵
  入本は最も近い本文である。
2、 無刊記本の誤脱および誤写は極めて少なく、しかもそれらは後で容易に補訂し得る性質のものである。
3、 絵入本の誤脱および誤写は非常に多く、ややもすると不用意に踏襲されがちの性質のものが多い。
4、絵入本は無刊記本の仮名を漢字に改め、送り仮名や振り仮名を省
  いている箇所が多い。
5、絵入本は無刊記本の本文にかなり忠実であるが、無刊記本の誤り
  をそのまま踏襲するなど、むしろ盲従しており、その校訂的態度
  は極めて消極的である。
6、絵入本は無刊記本より本文を得たと思われるが、その際、11行
  本・12行本を参照していないと言い得る。

 要するに、絵入本は無刊記本を底本に使用して、盲従的とも言える忠実さをもって改版しようとしたが、その改版作業の過程における誤脱・誤写などを新たに付加する結果になってしまったと言う事ができる。したがって絵入本の本文は、無刊記本よりもさらに一層原初的な形から離れ、同時に劣ったものになっていると判断されるのである。
 このように考えてくると、前項で、無刊記本系は11行本を底本に使った事を指摘したが、それは、無刊記本は11行本を底本に使った、と言いかえることができる。(評判については後述)。
    
 六、可笑記評判と各版の関係

 ここでは前述(724頁)の、九、評判のみの省略・脱落…二十箇所と、十、評判のみの異同…三九箇所について分析を試みたが、その結果、次の事が言い得ると思われる。

1、無刊記本・絵入本・評判の系統の中では、評判が最も離れた本文
  となっている。
2、 評判は無刊記本を底本に使用したと推測されるが、その際、11
  行本・12行本は参照しなかったものと思われる。
3、評判には四箇所(全巻)に長文の脱落があるが。その外にも機械
  的な誤脱が多い。
4.評判は無刊記本の不足ぎみの文章を、かなり積極的に補っている。
5、評判には無刊記本の口語的表現を文語的に改めたものがある。
6、評判の無刊記本に対する校訂的態度には、極めて積極的なものを
  認め得るが、それだけに、ゆき過ぎもみられる。
7、評判は、漢字・仮名の異同、振り仮名の異同等においても、それ
  ほど無刊記本に忠実ではない。
    
 七、まとめ
 
 以上.11行本・12行本・無刊記本・絵入本・評判各版の本文異同の関係について、考察してきたわけであるが、各版にはそれぞれの長所短所があると言い得るし、したがって存在意義もそれなりに有しているものと思われる。最後に各版相互の関連について簡単に考えておきたいと思う。
 
 11行本は、書写本に次ぐ原初的な形態を伝えている初版本として、最も重要な位置を占めている。用語の不統一、特殊な表現、重複ぎみの文章など、話し言葉としての要素を多分にもっており、この事はこの作品の成立過程や文体等を考える上でも留意すべきである。句読点の問題(この版には句読点が付されていない)と共に、このような基本的事項の分析から作品研究は出発する必要があると思われる。初版本でしかも最も秀れた本文と思われるこの11行本こそ、作品研究の第一のテキストとして選ばれなければならないと思う。
 
 12行本は11行本の準かぶせ版であるから、11行本を忠実に伝え、句読点を付加し、振り仮名を多くして、その普及に役立った点で意義があり、再版本として、この作品が次第に読者を獲得していった事の一つの証左にもなっている。
 当時の書籍目録の価格から推測すると、時を経るにしたがって、11行本・12行本(大字本)は貴重本的存在になったもののようである。それに比して読者層は次第に拡大され、より多くの読者が生まれてくる、これに応えて第三版として出されたのが無刊記本ではないかと思われる。

無刊記本は11行本を底本に使ったと思われるが、特殊な表現を一般的に改め、廻りくどい文章を簡略化し、話し言葉を書き言葉に改め、仮名を漢字に改め、そして字体も小さくしており、12行本以上に普及版としての性格をもっている。このように無刊記本は11行本・12行本に比較して、原初的な形からは著しく離れたものとなっており、その点では11行本・12行本よりも劣った本文という事になる。しかし、後続の絵入本や評判が共にこの無刊記本を底本に使用したと思われる事をも合わせて、この版は一層多くの読者に読まれた本文として、流布本的存在であると言い得るのであり、その意味でもこの版・無刊記本は決して軽視すべきではないと思うのである。
 
絵入本は無刊記本を底本として使用したものと思うが、底本への態度は誠に忠実であり、むしろ盲従的であるとさえ言える。無刊記本の仮名を漢字に改めるにしても、それは主として丁数を少なくしようという目的で行なわれている。わずかに底本の誤りを正したものもあるが、むしろ踏襲している場合の方が多く、さらに機械的な誤脱・誤刻は圧倒的に多いのであり、絵入本の本文は無刊記本よりもさらに一層劣ったものとなっている。しかし、この版は師宣風の挿絵・四十一葉(内、見開き・三葉)を新たに付加する事がその主眼であった。当代人に好評を得たこの作品を中本という軽装版に改版し、親しみやすい絵を入れる事によって読者に応えたものであろう。

 評判も無刊記本を底本に使用したと思われるが、絵入本のように忠実ではなく、盲従してもいない。したがって無刊記本の誤りを正す事も多いが、一層誤脱などは多く、他のどの版よりも劣った本文であると言える。しかしこの版は『可笑記』の本文を改版・出版するというよりも、批評を付加する点にこそ、その目的があったのである。その意味では、同じ批評書としての『祇園物語』が『清水物語』本文の重要な部分を、時として大量に省いているのに比較すると、この評判はむしろ忠実に『可笑記』の本文を伝えたと言うべきである。浅井了意がその著作活動の出発において、当代の代表作に一段一段批評を付した事、そしてその事によって、この作品は一段と読者にとって親しみやすいものとなったところに一つの意義が認められると言ってよい。
 版式等からみても、11行本・12行本→無刊記本→絵入本と、次第に簡略化されているが、この評判が11行本・12行本に近い大字で堂々としているのは『可笑記』の第五版ではなく『可笑記評判』の初版である以上当然と言えるのである。

 以上みてきたところからも解るように、これら五つの版本は、
 I、11行本・12行本
 Ⅱ、無刊記本・絵入本・評判
の二つの系統に分け得る。そして、このように二系統が生じたのは、11行本から無刊記本への段階で著しい改変がなされた事に原因しているのである。しかし無刊記本の改変には、11行本の現実批判的な部分を省くというような、特別の意図は無いものと思われる。むしろここで注意すべきは、11行本・12行本→無刊記本・絵入本→評判の順序で、次第に口語的表現が文語的表現に改められている、という事である。その量はさほど多くないにしても、また、作品全体に散在する口語的表現に比すればわずかであるにしても、このような現象がみられる、という事実は看過すべきでないと思う。11行本の重複ぎみの文章を無刊記本は簡略化しているが、この事と共に、ここには文章として定着させようとする意図がみられるのである。そしてこの異同は、同時に11行本の文章の特徴を逆に明らかにしているとも言い得る。この作品の文章は、漢語、俗語等、当代通行の言葉を自由に取り入れた点に一つの特色があると思われ、早く水谷不倒氏が指摘されたように「其文は極めて簡潔で明快」(『新撰列伝体小説史前編』)である事もその通りと思うが、一面では、繰り返しの多い廻りくどさも同居しているのである。そしてこれは、中村幸彦氏が論じておられる(「国語国文」昭和二十九年十二月)ように、当時流行したところの、話の文体と関係あるものと思われる。この作品の文章・文体については改めて考察を加えたいと思っているが、11行本→無刊記本の過程でこのような作品の特色が、その量の多少はともあれ、失われているという事は十分銘記しておく必要があると思うのである。

 次に、各版の先後関係について整理しておきたい。これまでの考察も実は、各版が版木に彫られた時点をその本文の成立時点として考えてきた。厳密に言うならば、各版の出版の時とその本文の成立の時とは、必ずしも一致していない場合も有り得ると思うが、それを判断する手がかりが伝わっていない現在、出版以前を推測する事はほとんど不可能であるし、また初版本以外は特別の事情でもない限り、出版の時に、すでに出された版本を底本として版下を作る可能性が大きいと思われるので、この事にそれほど問題はないと思うのである。各版の刊行年を推測すると、
 11行本…寛永十九年秋(刊記による)
 12行本…寛永十九年秋以後
 無刊記本…寛永十九年以後、万治二年(または万治元年)以前
 絵入本…万治二年正月(刊記による)
 評判…万治三年二月(刊記による)
 この中で、12行本と無刊記本はいずれが早いか即断できないが、当時の書籍目録の価格、伝本の数、その他の条件から考えると、12行本の方が早いとみるのが妥当と思われる。これについては『文学研究』二十八号で、やや詳しく述べておいた(昭和53年11月)。
 
これを図示すると次の如くなる。

【諸本系統図(試案) 省略】

 改版する場合、直前に刊行された版本を底本に使用するのが、当時の諸刊本において一般的傾向である事は、横山重氏の御教示によって知ることを得たが、それは『恨の介』(前田金五郎氏・日本古典文学大系『仮名草子集』解説)や『竹斎』(前田氏・同上、星野健也氏『璞』二号)においても言い得る事である。
 さて、もしそうであるならば『可笑記』の場合、11行本→無刊記本は12行本→無刊記本と、無刊記本→評判は絵入本→評判とあるべきである。しかし、右の一般的傾向の主たる理由が、入手し易い版本を使う、という点にあるとするならば、この作品に関しては、このようになる根拠が無いわけではない。12行本は11行本の準かぶせ版であるが、伝本は非常に少ない。版木等の事故によるものか否かは未詳であるが、印刷の部数は11行本よりも少なかったのではないかと推測されるのである。ここに、12行本→無刊記本とならなかった原因があるのではないだろうか。また、評判と無刊記本・絵入本の関係であるが、評判が前年出版された絵入本を使わずに、無刊記本を使っていると言う事は、万治三年の時点で無刊記本が入手し易い状態にあった事の証左になる。中本にぎっしりと書き詰められている絵入本よりも、大本の無刊記本を選んだのではないだろうか。なお、これに関しては、視点を変えるならば、評判は絵入本より早く無刊記本に接して批評を付加したが、刊行は絵入本より後になった、という事もあり得る。このような、評判の成立時期についても考慮する必要があると思うが、これに関しては改めて考察を加えたいと思っている。

 以上考えてきたところからも明らかなように、この作品の研究は、寛永十九年版十一行本を第一のテキストとして行なわれなければならない。特殊な言葉が有るなら、その分析から始めなければならず、重複し、繰り返される文章の意味を考える必要がある。それらの諸要素を失った。無刊記本・絵入本は所詮、第二第三のテキストたる事を出ることはできないと思うのである。

附記 この稿の成るにあたっては特に長澤規矩也先生は無刊記本を、横山重先生は絵入本を、御恵与下され、何かにつけて御指導を賜りました。両先生には深甚の謝意を表します。   (深沢秋男)

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【追記】
 本書は、二松学舎大学の田中伸先生の御厚情によって、共著者に加えて頂いたものです。
 昭和43年の、日本近世文学会春季大会で、私は、「『可笑記』の諸本について」と題して発表しました。発表が終った後、田中伸先生から、寛永19年版11行本と12行本の先後関係に関して反対意見が出されました。その場では、お互いに自説を譲りませんでしたが、その後、11行本が先である理由を詳しく御説明申し上げて、田中先生も納得して下さいました。このような経緯があり、かねてから、『可笑記』の本文の出版を計画しておられた田中先生から、声をかけて頂いたのです。
 恩師、重友毅先生からは、この近世文学会での発表結果も、『近世文芸』ではなく、『文学研究』に掲載するように、最初から指示されていました。田中先生の件も、重友先生の御許可を頂いて、本書に加えて頂くことが実現したものです。 
 本文のテキストクリティークには、寛永19年版11行本は、鹿島則幸氏の桜山文庫本、寛永19年版12行本は、国立国会図書館本、無刊記本は、長澤規矩也先生の所蔵本、絵入本は、横山重先生の赤木文庫本を、可笑記評判は、東京大学附属図書館本、をそれぞれ使用させて頂きました。
 田中伸先生、重友毅先生、鹿島則幸先生、長澤規矩也先生、横山重先生に対して、改めて心から感謝申上げます。
 本書刊行から、42年後の本日、この解説を整理して、感慨深いものがあります。
                 平成28年11月17日
                          深沢秋男

『井関隆子日記』 を読む(立正大学)

●立正大学の〔ワン・コイン古文書講座〕で、『井関隆子日記』を
採り上げるとのこと、ネットで知った。少しでも多くの方々に
知られてゆくことが、嬉しい。
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第88回ワン・コイン古文書講座
○日時:11月24日(木曜日)14時~16時
○場所:宮前市民館(川崎市宮前区宮前平2-20-4宮前文化センター[最寄り駅は東急田園都市線宮前平駅])第4会議室 宮前市民館のホーム・ページ
○料金:500円(一ヶ月会費)
○講師:高尾善希 たかお・よしき 立正大学文学部史学科非常勤講師・博士(文学)
○演題:「井関隆子日記を読む」
〇講師から一言 旗本家の奥方井関隆子日記の内容をご紹介します。江戸時代の女性も、日記を書くのですが、さほど点数は残っておりません。その稀少性もさることながら、内容もとても興味深く、各所で紹介されている日記です。自らの身辺日常から、江戸城の噂話まで、多岐にわたります。
○参加方法 参加する際には必ず下記ワン・コイン古文書講座事務局宛メールアドレス宛てに参加希望の旨のメールをご送信下さい(メール題名は「講座希望」と記入して下さい。なお、下記のyahooメールはわたし宛のメールではなくワン・コイン古文書講座事務局宛のメールです。高尾個人に対するメールはysktko@nifty.comです。お間違えのないようにお願いします)。 ワン・コイン古文書講座事務局宛メールアドレス:komonjyo_yomukai@yahoo.co.jp
 運営の都合上、多くのところは自己責任でお願いします。お出かけ直前に、このブログの内容をご確認下さい。変更点などがある可能性があるためです。次回は12月22日(木曜日)です。
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