山本博文著 『武士の仕事』

『武士の仕事』山本博文 著
2019.02.20 Wednesday

『武士の仕事』 山本博文 著
2018年11月10日 初版発行
2019年1月20日 再版発行

目次

はじめに――松平定信の登場 

第一章 政権交代――松平定信と田沼意次 
 一 吉宗の血をひく貴公子――松平定信
 二 地に落ちた権力者――田沼意次 

第二章 老中たちの評判
 一 賄賂で老中になった名門大名――阿部正倫 
 二 温厚、何の害もこれ無く――松平康福 
 三 心得違いを反省――水野忠友 
 四 真っ先に登用された若手の俊秀――松平信明 
 五 下馬評の正確さ――的中する老中人事 

第三章 幕閣大名の生態 
 一 側用人から老中格へ――本多忠籌
 二 次代を担う若年寄――堀田正敦 
 三 刀を忘れて自ら謹慎――京極高久 9
 四 将来を嘱望された寺社奉行――脇坂安董 
 五 出世を厭う坊ちゃん育ちの大名――井上正国

第四章 町奉行の勤務ぶり
 一 失言で左遷――曲淵景漸 
 二 町方から馬鹿にされた町奉行――柳生久通
 三 天国から地獄へ――初鹿野信興 
 四 萎縮した金太郎侍――池田長恵

第五章 勘定奉行と勘定所役人 
 一 御三卿・清水家を改革――柘植正寔
 二 型破りの豪傑――根岸鎮衛 
 三 御城が家より好き――柳生久通 
 四 人々が感服する能吏――久世広民 
 五 上をだます勘定吟味役――佐久間茂之 

第六章 江戸の機動隊、火付盗賊改 
 一 母のために昇進を厭うーー堀帯刀
 二 江戸町人に大人気――長谷川平蔵
 三 定信との関係を自慢する自信家――松平左金吾
 四 平蔵の毒気に当てられる――太田資同

終 章 松平定信の退場 

付表・諸役職就任者 
参考文献 
あとがき 
。。。。。。。。。。。

 『よしの冊子』は書状や日記のような一次史料ではないが、同時代の噂を書き留めたものだから、裏が取れれば一次史料に准ずる信頼できる史料となる。本書を読んでいただくと、これまで名前だけ覚えていたような、あるいは名前も知らないような幕閣や役人が、まるで自分の近くにいる人物のような気がしてくると思う。実際、私も、『よしの冊子』を読みながら、そう感じたのである。
 歴史小説や歴史ドラマでは、歴史上の人物の人物像がよく描かれている。読者が歴史に学ぼうとするのは、そういう理想的な人物の行動である。しかし、小説やドラマである限り、あくまでそれはフィクションの世界のものである。それに対して本書は、歴史上の人物をありのままに描いている。そのため、重要な歴史的役割を果たした人物も、出世欲があり、保身に走り、家庭の悩みもある一個の人間として浮かび上がってくる。本書を通して、歴史における人物研究のおもしろさを感じていただければ幸いである。
                      平成三十年十月
                          山本博文  【あとがき より】
。。。。。。。。。。。。

●本書を読んで、本当に教えられる点が多かった。松平定信は、江戸時代の余りに有名な政治家で、それなりの理解をして、イメージを抱いていた。しかし、本書の紹介する『よしの冊子』の記録を読んで、もっと具体的に、その人物を確認することが出来た。
●幕末の旗本の主婦、井関隆子の日記を読んでいて、水野忠邦と松平定信の比較が面白かった。隆子は『神代のいましめ』という創作を書いている。そのモデルが、松平定信か、水野忠邦か、という点で、新田孝子氏と私で、意見が分かれた。思い出すと、懐かしい。

秋元順子 〔愛のままで・・・〕

秋元順子 〔愛のままで・・・〕
2019.02.17 Sunday

●昨日は、久しぶりに、〔コーヒー樹屋〕へ寄って、美味しいコーヒーを頂いた。マスターは、東京蔵前の御出身。私より若いけれど、話は合う。
●何年か前、妻がファンで、大宮ソニックシティーホールへ、秋元順子のコンサートへ行った。そんなことから、話題は秋元順子へ。彼女は1947年、東京の深川生れ。私は、学生の頃、深川猿江町に下宿していたことがある。
●コーヒー樹屋のマスターもジャズでは、セミプロ級で、横浜管内や新宿で、時々出ている。秋元順子とは、歌の仲間で、蔵前と深川ということもあり、彼女が、まだ世に知られていない頃から、CDを店に置いたり、コーヒー樹屋の二階の狭い部屋で、30人ほど集めて、ミニコンサートを開くなど、協力していた。それが、大宮ソニックシティーホールでは、大ホールで、昼夜2回公演だった。
●昨日は、美味しいコーヒーを頂きながら、楽しいひと時を得た。

昭和女子大学図書館 特別展

昭和女子大学図書館 特別展

2月6日(水)~3月9日(土)図書館特別展「コレクション紹介 1990’s~2000’s」

平成時代30年間にあたる1990~2000年代は、昭和女子大学の拡大期であり、高等教育の多様化に向けて大学教育改革に取り組み、新設・改組を行いました。図書館においても資料収集の拡大・変革期であります。パソコン、インターネットの普及に伴い1997年から全国の学術研究機関の所蔵資料情報を共有する総合目録データベースへの登録を開始し、翌年から図書館の蔵書検索方法としてカード目録に代わるOPAC(Online Public Access Catalog )を導入しました。2002年から海外出版の電子ジャーナルや電子版学位論文の契約を開始し、所蔵資料に限らず世界中の資料を検索して入手できる環境になりました。電子書籍は2013年から導入し、学外からもパソコン、タブレット端末、スマートフォンで利用できます。これにより蔵書数が増大し、現在電子書籍を含む図書は545,391冊、電子ジャーナルを含む雑誌は17,457タイトルとなりました。 図書館開設70周年を記念して「特殊コレクションヒストリー」をテーマとした今回の特別展は、1990~2000年代に収集した特殊コレクションをご紹介します。石田吉貞文庫、在一居士文庫、戸谷三都江文庫、内藤濯文庫、朝日生命文庫、小島信夫文庫、翠園文庫の中から貴重価値の高い資料を出陳しています。中でも、洋画家河久保正名の鈴木重嶺肖像画と重嶺(号翠園)の和歌は必見です。また、フランソワ・ブーシェの『Les cris de Paris』(版画)や歌川国郷の『子供阿楚び』(錦絵)は、18・19世紀(江戸時代後期から明治時代)の作品で、当時の世相、パリの庶民文化、我が国の子どもたちの遊びを描写しています。 多くの皆様にご高覧いただき、本学図書館の特殊コレクションの収集についてご理解が深まれば幸いです。

コピー 3円

コピー 3円
2019.02.14 Thursday

●今日、菊池先生のエッセイに、次の如く出ていた。

。。。。。。。。。。。。。

3円
2019/02/14_Thu_11:37
ドラッグストア・コンビニなどで5円コピー機が多くなったせいか、コピー専門店のセルフコピーが一枚3円になっていた。本2冊、300枚近くコピーして千円札一枚でおつりがきた。30年ほど前、京大前のコピー屋が4円だったのに驚き、羨んだが、数年後には一枚2円になるのだろうか。

。。。。。。。。。。。。。。

●すごい時代になった。私など、コピー機の無い時代に研究生活をした。古典の本文も、著書も、論文も、全て手書きだった。『可笑記』など、大学ノートに8冊だった。初めてゼロックスが日本橋で公開された時、いそいそ、と出かけてコピーした。ワープロ、一太郎、ワード、実に懐かしい。コピペ、ダウンロード、フロッピー。今は、USBメモリ。私は、次々と、新しい媒体に乗り換えて、雑文や論文を書いてきた。今、まとめの段階になると、読取革命、スキャンに助けられている。

海賊版ダウンロード 違法

海賊版ダウンロード 違法
2019.02.14 Thursday

海賊版ダウンロード、画像保存も全て違法 刑事罰は「悪質な行為に限定」 文化審了承

2019年2月14日05時00分  【朝日新聞 デジタル より】

 権利者の許可なくインターネットに上げられている漫画や写真、論文などあらゆるコンテンツについて、著作権を侵害していると知りながらダウンロードすることを全面的に違法とする著作権法の改正案を、文化庁が通常国会に提出する。13日の文化審議会著作権分科会が方針を了承した。
。。。。。。。。。。。。。。。。

●以前、私の著書が、無料でダウンロード出来ます。とネットに出ていた。著作権上、違法である事は当然だろう。

朝日新聞 より

〔恩師〕

〔恩師〕
2019.02.12 Tuesday

●私は、今、原秋津氏の〔横山重先生〕という記録を整理している。いずれ、後世に遺したいと願っている。原氏は、研究者ではない。会社の社長さんである。しかし、横山重という偉大な研究者の近くに居て、大変な人間関係だった方である。『横山重自傳(集録)』(平成6年8月30日発行)を見ても、並々な関係でないことがわかる。原氏にとって、横山先生は、文字通りの〔恩師〕だったと思う。

●私の〔恩師〕は、重友毅先生である、ということは、許されるだろうか。重友先生が御在世ならば、おたずねしたぃくらいである。〈法政大学教授、文学博士、重友毅〉という、名声に守られて、いかに多くの学問的配慮を賜ったことか。
●私は、卒業論文の面接諮問の時、初めて、重友先生から、大学院への進学を勧められた。そこから、私の人生は、大きく進路を変更したのである。結果的には、大学院へ進めず、重友先生のゼミを聴講するにとどまったが、第一論文「『可笑記』と儒教思想」(昭和39年、1964)以後、私の論文は、全て、重友先生の査読を頂いている。「深沢君、もう、もういいでしょう。あとは、君の判断で進めなさい。」そう言われて、私は、ようやく独り立ちした。多分、「『可笑記評判』とその時代ー批評書の出版をめぐってー」(昭和46、1971)以後だと思う。『近世初期文芸』第1号(1969)掲載の「『可笑記』の本文批評」も、先生は査読して下さったのである。
●重友先生は、昭和53年(1978)8月11日、御逝去なされた。78歳だった。
。。。。。。。。。。。。。。

「重友 毅氏(しげとも・き=元法政大学文学部長)
十一日午後一時四十八分、せき髄転移がんのため、千葉県市原市五井の南総病院で死去、七十八歳。告別式は二十日午後二時から市原市椎津(しいづ)の瑞安寺(ずいあんじ)で。喪主は、長男尚(たかし)氏。自宅は市原市姉ヶ崎九一ノ九。
 文学博士。上田秋成研究の第一人者。武蔵大、法政大、広島女学院大の各教授を歴任。著書に「日本近世文学史」「雨月物語の研究」「重友毅著作集」がある。(写真入り) 」 【朝日新聞 昭和53年8月12日、朝刊】
。。。。。。。。。。。。。。。。

●この死亡記事の元になったのは、私の手帳の記録を、各新聞社に連絡したものである。私は、重友先生の晩年、数年間ほど前から、先生の履歴を毎年手帳に書いて持ち歩いていた。

●昭和52年4月12日、午前10時、重友先生宅から電話連絡があり、高橋俊夫先生と私は、市原の重友先生の御自宅へ伺った。研究会の今後のこと、『文学研究』のこと、重友先生の『志賀直哉の研究』刊行のこと、など、御指示があった。私は、テープレコーダーを持参して、重友先生のお言葉を、全て録音した。

●昭和52年4月14日、重友先生、南総病院に御入院。
●昭和52年5月3日、日本文学研究会、常任委員会開催(報告会)。
●昭和53年8月11日、南総病院、重友先生の枕辺には、先生の御次男・純氏、笠間先生、深沢が見守っていた。重友毅先生は、午後1時48分、御逝去。
●午後、6時30分、朝日・毎日・読売・東京の各新聞社に、電話にて連絡。私の手帳のメモを利用して、平林先生が電話して下さった。
●昭和53年8月12日、午前9時、出棺偈。午後2時御出棺。午後3時40分、私は、高橋俊夫先生と、骨揚げさせて頂いた。

●昭和53年8月20日、午後2時~3時、告別式。
 葬儀委員長・山岸徳平、友人代表・谷川徹三、喪主・重友尚、日本文学研究会。
●告別式の準備、進行計画は、重友純氏と私で、立案・進行した。全て計画通りに実施することができた。打合せは、連日深夜に及び、池袋からは、タクシーで帰宅する日が、数日続いた。

●昭和52年2月6日、近世文学資料類従(勉誠社)の『可笑記評判』(上巻)を、重友先生の御自宅に持参した。ついでに、息子の亮治を連れて行き、先生に会って頂いた。
「……可笑記評判上を頂きましたこと、誠にありがたく存じます。……さてその節は可愛い盛りの亮ちゃんお連れになり、満足いたしました。年令の割にはしっかりしておられ、これから先が楽しまれます。……」
先生が、体調に不安を感じられる、直前のことである。

●重友先生と私との関係は、以上のようなものであった。私は、重友毅博士の、教え子であり、〔恩師〕とお呼びすることは許されるだろうか。
横山重先生と原秋津氏の関係を想起し、ふと、こんなことを思った。

インプット と アウトプット

インプット と アウトプット
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「インプット」とは、「入力」という意味です。特に、コンピューターの内部に情報を取り込むことを指します。一方、アウトプットは「出力」を意味します。インプットに対し、アウトプットはコンピューターにある情報を外部に取り出すことを指します。2018/09/11 【ネット より】
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●私は、高校・大学の頃、平凡社の世界大百科事典をよく読んだ。まず、世間の常識を確認して、一般書、専門書、研究論文と進めた。高校時代から、ものを書くのは好きだった。高校の文芸雑誌『あかとき』には、短編小説や評論を投稿した。新聞・ラジオにも、よく投稿した。これは、自分を見つめる、という点では、役立ったと思う。
●大学を出て、腰掛でお世話になった、日本橋牡蠣殻町の桃源社の編集部で、小出君という後輩に出会った。彼は、年は、私より、はるかに若いのに、読書量がすごかった。私など、足元にも及ばない、というレベルだった。私は、彼に、決して書き急ぐな、とアドバイスした。桃源社を辞する時、私の編集の仕事を小出君に引き継いだ。彼は、後、森銑三氏に認められて、花開いた。
●インプットした情報を、いかに効果的にアウトプットするか。日々、外部の情報に触発され、反応し、所感を述べる。私は、このブログを、ヒト様のためではなく、自分の記録として利用している。後で、自分のことを確認する時、非常に役立つ。ただ、何方に読まれても、よいという姿勢、そこに、自分を客観化する効果がある。

第4種郵便物

第4種郵便物
2019.01.19 Saturday

●今日、菊池先生のエッセイで、〔第四種郵便物〕を珍しいように書かれていた。私は知っていました。学術刊行物『文学研究』を長年扱ってきて、これが四種だったのである。この第四種郵便物は、原則、郵便局へ直接出さなければならない。ポストではダメだった。『文学研究』95号まで出した。よくやったと思う。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日見た文献に「第四種郵便」とあった。「第三種郵便」というのはよく見るが、第四とは? 三・四があるなら、一・二があるはずだ。ハテ、「第一種郵便物」とは? と疑問に思い、調べると、次のようなことであった。
第一種郵便物(手紙)(定形郵便物・定形外郵便物・郵便書簡)
第二種郵便物(はがき)
第三種郵便物(承認を受けた雑誌などの定期刊行物。開封)
第四種郵便物(通信教育用郵便物・点字郵便物・特定録音物等郵便物・植物種子等郵便物・学術刊行郵便物)
https://www.post.japanpost.jp/service/standard/index.html
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

死後の手続き

死後の手続き
2019.01.18 Friday

●昨日、週刊朝日、2019年1月25日号を購入した。新聞広告で、

 〇書き込み式 死後の手続き 保存版
 〇面倒見のいい大学ランキング 

の2本の特集があったからである。一つは、私もそろそろ死去が近づいているから、確認しておきたいと思った。面倒見のいい大学では、きっと、昭和女子大が出ているだろうと思ったからである。

●もう2年くらい前だと思う。昭和女子大学の総務部へ電話して、死亡した時の提出書類を送ってもらった。事務局の担当者は、まだまだ早いでしょう、と言われたが、いつ何時、事が発生するか、分からないから、と申し上げた。また、不手際で、ネット上の〔名誉教授〕の欄に、死亡後に、いつまでも「故人」と表記されないのも困るからである。書類には、必要事項を記入し、年金、保険関係書類と共に、息子に渡すように準備した。
●週刊朝日によれば、提出書類は、①死亡診断書・死亡届。②火葬許可申請書。③年金の支給停止。④世帯主の変更届。⑤健康保険の資格喪失届。・・・。20項目が羅列され、月日が記入できるようになっている。各項目を見ると、人は、このようにして、この世から消えるのだなと、具体的に感じられる。

●面倒見のいい大学ランキングでは、昭和女子大学は10位にランクされている。私が勤めていた頃から、ここまでやるか、と何度も思ったものである。面倒見のいい大学は、卒業生も母校を慕う。

ゼブラサラサクリップ+明治チョコ

ゼブラサラサ+明治チョコ
2019.01.16 Wednesday

●朝日新聞「商品ファイル」に、ゼブラボールペンの〔サラサ〕と明治チョコレートがコラボして、バレンタイン向けの商品を発売すると報じている。
。。。。。。。。。。。。。。。

 文具メーカーのゼブラは、バレンタイン向けのボールペンを23日に売り出す。チョコレートを手がける明治とコラボした「サラサクリップ 明治」。インクが黒いミルクチョコレート、青いマーブルチョコレート、赤いアポロ、緑の「たけのこの里」、オレンジの「きのこの山」の計5種類。クリップにはハートの柄をあしらった。価格は、180円+税。

。。。。。。。。。。。。。。。。

【朝日新聞 デジタル より】