昭和女子大、松田忍氏の活動

昭和女子大、松田忍氏の活動

  • 2020.08.06 Thursday

核廃絶、闘いの原点 広島被団協、草創期資料公開へ

日本被団協の資料整理に携わる松田忍・昭和女子大准教授の話

会員限定有料記事 毎日新聞2020年8月2日 東京朝刊

社会一般
朝刊1面

社会
紙面掲載記事

設立前後の日本被団協や広島県被団協の資料の現物をこれほどまとまった形で見たのは初めて。被爆者運動の状況を明らかにする貴重な資料だ。核兵器廃絶と被爆者支援を両立させる運動方針などは、現在の日本被団協と比べると理論が確立されていないが、原水禁世界大会を通じて広島の被爆者たちが運動へと歩み出す

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●松田忍氏の、史料整理は、極めて重要な仕事である。100年、500年後に、真価は発揮されるだろう。歴史上の史料の重要性が解るはずだ。

養生の心得

養生の心得

  • 2020.08.06 Thursday
養生の心得

●菊池先生のエッセイに、日々の養生の心得に関して書き込まれていた。

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2020年08月06日

関寛斎
関寛斎『命の洗濯』(明治四十五年)に、「養生心得草」がある。これは明治八年四月徳島新聞第七号附録としたものという。全十条。

第一 毎日六時に起き〈中略〉朝飯を食する事。
第二 毎日の食餌は三度を限り、分量を定む可し。〈下略〉
第三 酒茶菓子の類は〈下略〉
第四 長日の間は、午後一時の頃半時計の昼眠は養の扶〈下略〉
第五 坐時と起時と平均(みなら)して〈下略〉
第六 毎日一度は冷水或は微温湯にて身体を清潔に拭ひとり〈下略〉
第七 一ヶ月五六度は〈中略〉四五里の道を歩行すべき事。
第八 〈略〉肌着は木綿フランネルを良とす。〈下略〉
第九 〈略〉肉食は鮮(あざら)けく新らしき品、野菜は稚(わか)き柔らなる品を択ぶべし。〈下略〉
第十 常居(ゐま)は湿気少く日当りよくして風の透る様に心を用ふ可し。〈下略〉

言っていることは理に叶っている。これを守った生活をしていたならさぞかし長生きしたことだろうと、ウィキペディアを見ると、

明治35年(1902年)、72歳にして一念発起し、徳島を離れ北海道に渡る。原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓く。のちにこの土地を開放し、自作農創設を志すが果たせず、大正元年(1912年)、82歳にして服毒により自らの命を絶つ。

やがて目指す自作農創設のため、彼は徳富蘆花を通してトルストイ主義に近づき、「平等均一の風」実現の農地解放へと向かう。しかし家族との対立などによりそれを果たせず、死を選んで波乱の生涯を閉じた。

とあった。自死しなければ、九十過ぎまで生きただろうか。
文政十三年生まれ、若い頃蘭医学を学んだという。

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●なるほど、と思う。私も老齢となり、日々、健康に注意して過ごしている。

●朝食7時、昼食12時、夕食7時、を原則として、午前中は、原稿書き、午後は、散歩を兼ねて外食する。水やポカリスエットは、喉が渇く前に飲む。

●妻と2人の時は、妻の健康第一に考え、1人の今は、原稿が仕上がるまで、原稿と自分のために、日々を過ごしている。

●これが済めば、本当にリタイアで、気ままに過ごしたいと思う。、

HP〔観樹〕

HP〔観樹〕

  • 2020.08.04 Tuesday
  • 12:30

HP 〔観樹〕

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2020.03.04 00:52
「美人さん」<No.1>

井ノ頭公園の 椿の森に、私が 「美人さん」と名付けた幹の白い一本の薮椿がある。
黒づめる艶のある緑の葉、少しうつむき加減に、風に揺れ、うな垂れるようにして咲く
濃い深紅の筒状の花びらは、その奥に金の光を秘めている。

• blog(2)

観樹~KANJU~
Keiko Soda Website 「観樹」とは釈尊が菩提樹下で瞑想して 悟りを開いたことをいいます。 武蔵野の森で仏教文化研究とアートの活動を行っています。 ごゆっくりご覧下さい。

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●このようなサイトに出会った。昭和女子大学の現役の頃、ともに研鑚し、教育に携わった、早田先生のサイトである。まだ、開設して間もないので、情報は少ない。今後の発展を願っている。
2020年8月4日

〔深沢秋男の窓〕7月のパフォーマンス

〔深沢秋男の窓〕7月のパフォーマンス

  • 2020.08.04 Tuesday
貴サイトの 7 月のパフォーマンス(Google 検索)

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文学と歴史

文学と歴史

  • 2020.08.03 Monday
歴史と文学

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近代的な国語辞典の最初の名著、大槻文彦の『大言海』は「文学」の語の意味に、小説・詩歌などと共に「歴史」を含めている。これは決して誤りではない。現在、私達は、歴史と文学を別の学問として扱っているが、それは研究が進み細分化されたという事に過ぎない。
 歴史学とは、過ぎ去った時代の、我々の先祖が、それぞれの時代において、どんな事を行い、どんなモノを後世に伝えたか、そして、それは、人類の歴史において、どんな意味をもっているか、それを解明する学問であり、それは、あくまでも、残された事実に基づくもので無ければならない。その点で、フィクションが中心になる文学とは異なる。しかし、文学は時として、過去の出来事の背後にひそむ真実を伝えている事がある。

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●これは、平成18年12月16日、昭和女子大学の文化史学科の学生にお話しした時の、マクラにしたものである。

●私は、もともと近世文学の仮名草子を研究していた。しかし、文学研究には、歴史学の援用が必要だと考えて、卒論の頃から、『徳川実紀』や『徳川禁令考』などは利用していた。作成論文の主題によって、書き方を変えていた。

●論文の雑誌発表は、日本文学研究会の公開研究会・月例会で口頭発表し、重友先生はじめ、常任委員の諸先生の御指導を頂いたのち、編集委員の査読を経て、学術刊行物『文学研究』に掲載して頂いた。

●私の第一論文は、「『可笑記』と儒教思想」であるが、これは、法政大学で行われた公開研究会で口頭発表して、『文学研究』第19号、昭和39年(1964)5月発行、に掲載して頂いた。当時は、複写機が無く、私は、論文、5部を清書して、重友先生と、編集委員の先生4名に送付して、査読して頂いた。

●昭和44年(1969)12月、『近世初期文芸』を創刊した。この号に掲載した、「『可笑記』の本文批評」は、150枚だったが、重友先生に査読して頂いた。また、書誌的論文の場合は、天理大学の金子和正先生に査読して頂いた。

●重友毅先生主宰の日本文学研究会の例会は、午前中、芭蕉、近松、西鶴、秋成などの作品を演習形式で講読し、午後は、常任委員各自が、自分の研究を発表して、質疑応答、その結果、いくつかが、『文学研究』に掲載された。私は、この研究会に、ほとんど欠席無しに参加した。合計では、450回位になる。

●私が発表した時は、「それで、文学的には、どうなんですか?」 と詰問されることが多かった。重友先生主宰の研究会は、〔文学的〕ということが、重要だった。それなのに、私は、極めて事実探索的な内容が多かったからである。〔深沢は文学がわかっていないのではないか〕 そんな風にとられていたようにも思う。文学研究か、歴史研究か、判然としない私は、研究会では、異端だったように思う。しかし、重友先生も、常任委員の諸先生は、私をあたたかく包み込んで、御指導くださったのである。

出色の〔文芸時評〕

出色の〔文芸時評〕

  • 2020.07.29 Wednesda

出色の〔文芸時評〕

●朝日新聞の7月29日、小野正嗣氏の〔文芸時評〕は、久しぶりに有益な内容だった。

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(文芸時評)刻むコロナ時代 優れた小説は、未来も証言する 小野正嗣
2020年7月29日 5時00分

 コロナ禍が続いている。この世界にいる限り誰も無関係ではいられない未曾有(みぞう)の事態に、各文芸誌の特集が示すように文学者たちが様々なやり方で応答している。
 それらの仕事はフィクションであれノンフィクションであれ、いずれ、ある時代(コロナ時代?)に作家やその周囲の人々がどのように感じ、行動したか…  【朝日新聞 デジタル より】

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●『オルガ』(新潮社)、『歴史家と少女殺人事件』(名古屋大学出版会)、『密やかな結晶』(講談社文庫)、を取り上げ、文学の本質に迫っている。久し振りに、良い文章に出会えた。

古典文学研究の方法

古典文学研究の方法

  • 2020.07.26 Sunday

●古典文学の研究は、どのようにして進められてきたのか。明治以後の古典文学研究の歴史をたどると、様々な問題が見えてくる。近世文学の限定して、私の視野に入っている期間に限定しても、多くの先学が努力して来られた事を知ることが出来る。

●5年前、私はこんなことを書き込んでいた。

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『文藝復興』 創刊の辞

• 2015.04.26 Sunday

●今日、天井裏の物置を整理していたら、昭和12年6月創刊の『文藝復興』創刊号が出てきた。第1巻第1号は、昭和12年(1937)6月1日、文藝復興社から発行されている。創刊の辞は、編輯同人代表として、重友毅先生が書いている。執筆者は、以下の通りである。1部省略している

○長谷川如是閑  日本文学の形態的特徴
○石山徹郎     文芸に於ける芸術性と実践性
○岡崎義恵     文芸学とその基礎学
○藤村 作     「文芸復興」の同人諸君に寄す
○永積安明    批判的展望
○佐山 済    現文壇への展望
○熊谷 孝    批判精神の喪失
○潁原退蔵   近世後期文芸の特性
○谷川徹三   花吹雪
○久松潜一   茶の本
○窪田空穂   都市に残る老樹
○乾  孝    映画評と云ふもの

●特集 「国文学者に要求する」 
には、神近市子・林房雄・中野重治・中島健蔵・中条百合子・藤森成吉・窪川鶴次郎・新島繁・佐藤春夫・・・・などが寄稿している。

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   創 刊 の 辞

 近時我が国文学研究は異常の進展を遂げ、世の関心を牽くに至ったが、しかし時勢の変転と学界内部の情勢とは、漸くここにも行詰りの状態を招来するに至った。我々は今や一大転回を期して、従来の研究態度・方法の上に、真摯なる検討を加へると共に、学界をその特殊化、孤立化の現状より解放し、広く現実社会との接触を図ることによって、
これが局面を打開すべき重大時期に直面して居る。そしてそれこそは、現下の我々に課せられた最大の義務でなければならない。         
 しかしながらこのことは、決して一部同志の手によってのみ成しとげられることではない。我々はこの義務を遂行するためには、苟も学派・学閥の如何を問はず、先進・
後進の別を問はず、ひろく学界全体の協力を得て、そこに一切の私情を排し、情実を斥けて進まなければならぬ。かくしてこそ我々は、そこに学としての国文学の逞しき更生を
期待することが出来ると信ずる。
 更に我々は、啻に学界内部に対するばかりでなく、進んで文壇・評壇の積極面との提携をも求めなければならぬ。古典の研究と、現代文学の創作・批判との乖離は、決して
その何れをも正しく生かすものではない。我々は両者の質的交渉を促進し、これを実現することによって、茲に始めて清く、新しく、しかも力強き国文学の復興を見ることが
出来ると考へる。
 しかしながらこれらのことも、一般智識層の理解と支持なくして容易に望み得ることではない。茲によき意味に於ける国文学の普及と徹底とが、絶対的の要件とならなけれ
ばならない。そこにもまた我々の真摯と熱意とが切実に要求せられて居る。
 かくのごとくして始めて、我々は我々の上に課せられた、日本文学研究を通じての、我が国文運の興隆、文化の進展に貢献せんとする、最高の使命を果すことが出来ると信
ずるのである。
 現下国文学雑誌氾濫の中にあって、尚且茲に雑誌「文芸復興」を刊行して、ひろく世に呼びかけんとする所以もまた如上の意図に基くものに外ならぬ。
 創刊にあたり、一言所思を述べ、切に大方の支持と協力とを望んで已まない。
                   編輯同人代表  重 友  毅

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●昭和12年の頃、国文学界の状況がどのようであり、何故に、この雑誌が創刊されたのか。重友先生の創刊の辞が意味するところは何か、検証しなければわからないが、このような事実があったのである。

書き原稿 → USBメモリ

書き原稿 → USBメモリ
2020.07.20 Monday00:11
●私の原稿執筆の方法を振り返ると、先ずは、400字詰め原稿用紙にモンブラン149で書いた。下書きは、原稿用紙の裏に書いて、発想を自由にした。第一論文は、昭和39年(1964)『文学研究』第19号に発表した。重友先生はじめ、編集部の先生方に査読してもらうため、5部書写した。コピー機の無い時代、同じ文章を5回書く、これは大変な作業だった。
●昭和44年(1969)、島本昌一先生と『近世初期文芸』を創刊。30字×22行の専用原稿用紙を作成、当然、万年筆の手書き。原稿用紙、見開き1枚で1頁とした。マス目は少し小さめだったが、何とか使えた。これは、島本先生と相談して決めた。
●『井関隆子日記』は、神田のK社の原稿用紙で、脚注は、罫紙を貼って書いた。この時、横山先生が注の文字が小さすぎると申されたが、このスタイルは変更できなかった。『日記』の本文は、全て妻が清書してくれた。これは、私的な事ではあるが、今も妻に感謝している。何しろ、5年間くらいの長丁場だったので、大変だった。
●昭和64年(1989)から、朝倉先生の『仮名草子集成』に参加させて頂いた。これは、ボールペンで、まずノートに下書きをし、東京堂出版の原稿用紙に清書した。ボールペンは、バレンチノガラバーニを使った。これは、極細字UBR-300のステンレス替芯であった。1本で1冊分の原稿が書けた。インク漏れ、途切れのしない優れものだった。
●やがて、ワープロの時代となり、当初は大判のフロッピーだった。やがてパソコンの時代となり、保存も、MFD—2HDとコンパクトになり、これをテキストファイルに変換して原稿とした。この頃、昭和女子大学の『学苑』にフロッピーで出したら、受け付けてくれなかった。まだ、書き原稿だった。
●やがて、CDから今は、USBメモリでなければ通用しない時代になった。私は、その度ごとに、印刷所や息子に助けられて、原稿が書けない事は無かった。引用は正確さを第一とし、自分の文章は、パソコンの文体から極力遠ざけるようにした。原稿は、プリントアウトして赤を入れる。大体、5回~10回位は書き換えてきた。だから、初校で加筆・削除は少ない。
●人によっては、作家並に、初校で訂正する御仁もいるが、これは、研究者には向かない。
画像に含まれている可能性があるもの:2人、立ってる(複数の人)、室内
池田茂光

〔アサヒカメラ〕休刊

〔アサヒカメラ〕休刊

  • 2020.07.06
〔アサヒカメラ〕 休刊

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休刊のお知らせ
    [アサヒカメラ]は、この2020年7月号をもって休刊いたします。
       1926(大正15)年4月の創刊以来、長きにわたり、
ご愛読、ご協力くださったみなさまに心から、お詫びとお礼を申し上げます。
       日本の写真文化とその土壌を未来へ繋ぎたいとの思い、
そして、カメラそのものが持つ魅力と撮影の楽しさとを多くの方に伝えたいとの思いから
    これまで力を尽くしてまいりましたが、通巻1125号となる今号をもって、
          残念ながら歴史を閉じることとなりました。
        最終号にあたり、ゆかりの深い方々に、
   本誌にまつわる思い出とともに、言葉を寄せていただきました。
        112非からの特集「私とアサヒカメラ」、
および130非からの「『ニューフェース診断室』を振り返る」をご覧ください。
また、タサヒカメラ写真コンテストにつきましては、221非でご説明しています。
94年間、「アサヒカメラ」を愛しCくださったみなさま、本当にありがとう
アサヒカメラ編集部
ございました。

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●〔アサヒカメラ〕の休刊を知り、書店に確認したら、売り切れとのこと。取り寄せを予約していて、今日、ようやく手にした。

●この編集者の言葉を読んで、感慨深いものがある。

●私は、中学生の頃からカメラに執りつかれ、今日まで、カメラに関しての興味は薄れない。

●ニコン、キャノンなどのカメラは、今後、どのように進化してゆくのか。私には着いてゆけない。

●この最終号を見ても、日本のカメラでは、やはりNIKONだったことが解る。

日本3大急流

日本三大急流

  • 2020.07.05 Sunday

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日本三大急流は、山形県の最上川、熊本県の球磨川、そして長野県・山梨県・静岡県を流れる富士川が日本三大急流となっています。いずれの川も1級河川として国に管理され、標高の高い山中に源流部を持ち、長い距離を流れ太平洋や日本海に流れ込みます。同程度の1級河川は全国にたくさんありますが、流れの速い急流箇所のルートが多くなっているのが最上川・球磨川・富士川です。三大急流は、古くからその速い流れを観光に利用している歴史があります。三大急流は、その川のすべてが速い流れではなく、緩い流れの部分もあります。(この記事は、2019年6月1日現在の情報にもとずいて書かれています。) 【ネット情報 より】

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●今、熊本県の球磨川の氾濫で、痛ましいニュースが゛報じられている。

●私の出身の山梨県身延町も、富士川が流れている。私の実家は、目の前が富士川で、私が大学一年の頃、大水害に見舞われ、富士川沿いの家がごっそり流された。その家には、私が高校生の頃、読んだ、日本文学全集、世界文学全集などが保存されていたが、全部流された。長姉が、その折、私の、小学生、中学生、高校生の頃の成績表などはは持ち出して、東京へ送ってくれた。

●現在は、堤防が嵩上げされて、ほぼ、水害は無いようだが、少し下流で、大きく左に曲がっていて、そこは、飯富であるが、自然の驚異は計り知れない。絶対、大丈夫、とは言えないだろう。