【はてなキーワード】と私

【はてなキーワード】と私

  • 2019.11.12 Tuesday
【はてなキーワード】 と 私

●今日、念のため、検索してみたら、こんな記事に出会った。4年前、家庭の事情で、転居することになり、ネット界からも引退した。その時のものである。

●【はてなキーワード】には、20項目を立項していた。それが、今度、【はてなブログ・タグ】になるという。それでも、私の涙ぐましい、自己宣伝のデータは、ネット界に保存されるようだ。

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2015-08-30

感謝、さようなら

●今日で、私は、インターネットの世界から去る。この、「傀儡子の日記」にアクセスして下さった、多くの方々に、まず、御礼を申し上げる。

今月のアクセスは、 4719÷29=162 1日160人の方が、この、愚にもつかない、何の役にも立たない記録に目を通して下さった。

長い間、本当に有り難うございました。  心から御礼申し上げます。

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■「FUAKIの日記」 1489日記入  写真 4299枚アップ コメント0 フレンド0 お気に入り0 キーワード20項目登録
■J-TEXTS・・・・・・・・・・・・  915323
■菊池眞一研究室・・・・・・・・  565984
■近世初期文芸研究会・・・・  194708   30日12時のアクセス
■はてなキーワード 新規登録  20項目
■ウィキペディア   新規登録   5項目  修正 多項目
■国立国会図書館 深沢秋男 316件
■国文学研究資料館 論文目録 深沢秋男 145件
■都立中央図書館 深沢秋男 51件
■昭和女子大学図書館 深沢秋男 20件
■法政大学図書館 深沢秋男 22件

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皆様 さようなら

fuaki 4年前

昨年の〔秋桜祭〕

昨年の〔秋桜祭〕

  • 2019.11.11 Monday
昨年の秋桜祭

●FBで昨年の、昭和女子大学の秋桜祭を思い出させてくれた。1年の経過とは、こういうことだ。

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第26回 秋桜祭 2018年
2018.11.11 Sunday

第26回 秋桜祭 昭和女子大文化祭

●昨日と今日、昭和女子大学は、〔秋桜祭〕で、盛り上がっているようだ。私が勤務していた頃は、〔昭和祭〕と言っていて、私も、何回か顧問を担当したことがあった。当時は、学部よりも短大が隆盛していて、学生も良い学生が集まっていた。

●私が顧問を担当した年は、〔桜と文学〕〔女流文学〕だったが、展示のほかに、『桜に関する文献目録』『近世女流著作一覧』を作成して、展示室の一隅に、置いておいた。今と違って、手書きの目録だったが、複写して、限定3部作製した。今見ても、優れた内容で、いずれ、出版したいと思っている。

●昭和祭で思い出されるのは、学生部長の飯塚先生、新津先生、大西先生などである。飯塚先生は、とても厳しくて怖かったが、忘年会の時、偶然、隣席に座らせてもらったのがきっかけで、以後、あたたかく御指導を頂いた。新津先生は、学芸大から移られたと思う。先生のお話は、とても魅力的だった。山梨の甲府一高出身で、私が身延高校だったので、あたたかい御配慮を賜った。大西先生は、昭和の附属高校からきた方で、国文科の学科長をされ、その後、私が学科長になった関係もあって、格別の御指導を賜わった。懐かしい先生方である。

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慈善活動

慈善活動

  • 2019.11.11 Monday
慈善活動

●FBから、次のようなコメントがあった。

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深沢秋男さん ― もうすぐ誕生日です!
関心のある慈善活動をサポートする募金キャンペーンを作成しよう。Facebookは手数料なしで寄付の処理を行います。人気の非営利団体リストからお選びいただくか、その他の団体を検索してください。
これまでに多くの人がFacebookで募金キャンペーンに寄付しています。

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●私は、これまで近世文学を研究してきたが、諸本調査で全国を廻り歩いた。これは、お金のかかる仕事である。夜行寝台で移動して、ホテル代を節約したりして、節約、節約、の生活だった。それに本代もばかにならない。

●そんな訳で、慈善活動の事は、考えるゆとりがなかった。今年の台風の被害は莫大で、毎日、毎日、テレビでボランティア活動に参加している人々の様子を見て、本当に頭が下がった。

●先日、散歩をしていたら、道路の反対側を、視覚障害の方が、白い杖を左右に振りながら、歩いていた。見たら、すぐ前に壁がある。思わず「壁があります!」と声をかけてあげた。私に出来る精一杯のことだった。その方は、「はーいッ」と返事をして、手を振ってくれた。

●実は、農家の方が、里芋の消毒作業をしていたのである。いやはや。


FBの1年前の思い出

FBの1年前の思い出

  • 2019.11.10 Sunday
Facebookでの過去の思い出

深沢秋男さん ―Facebookでシェアした1年前の投稿を振り返ってみよう。

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●1年前の思い出。昭和女子大学図書館の特殊文庫の公開だった。これは、私にとって、ビッグニュースであった。何しろ、私の関係していた「桜山文庫」「翠園文庫」が、初めて公開されたのである。私が、「桜山文庫」を昭和女子大学に一括譲渡を実現させてから、34年が経過していた。

●そのことに関連して、昭和女子大学図書館は、私に感謝状を下さった。私は、文化勲章をもらったよりも、最高にうれしかった。

遠藤周作と私

遠藤周作と私

  • 2019.11.10 Sunday
遠藤周作と私

遠藤周作の著作  【ウィキペディア】 より

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• 『留学』(1965年、文藝春秋新社)のち新潮文庫
• 『狐狸庵閑話』(1965年、桃源社)のち新潮文庫『狐狸庵閑話』(「古今百馬鹿」「現代の快人物」も併録)
• 『哀話』(1965年、講談社)のち文庫、文芸文庫
• 『沈黙』(1966年、新潮社)のち文庫
• 『金と銀』(1966年、佼成出版社)のち文春文庫
• 『楽天主義のすすめ』(1966年、青春出版社)
• 『協奏曲』(1966年、講談社)のち文庫
• 『さらば、夏の光よ』(1966年、桃源社)のち講談社文庫
• 『闇のよぶ声』(1966年、光文社)のち角川文庫、ぶんか社文庫
• 『遠藤周作のまごころ問答』(1967年、コダマプレス)
• 『ぐうたら生活入門』(1967年、未央書房)のち角川文庫
• 『キリシタン時代の知識人-背教と殉教』(1967年、日本経済新聞社)
• 『現代の快人物-狐狸庵閑話巻之弐』(1967年、桃源社)のち角川文庫
• 『どっこいショ』(1967年、講談社)のち文庫
• 『私の影法師』(1967年、桂書房)
• 『古今百馬鹿-狐狸庵閑話巻之参』(1967年、桃源社)のち角川文庫

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●私は、昭和37年、大学卒業と同時に、桃源社編集部にお世話になった。大学院へ行くまでの腰掛の予定だったが、予定は未定、結果は7年間、お世話になった。

●私は。遠藤周作先生の作品も担当した。昭和40年(1965)6月29日、柿生の狐狸庵に伺い、遠藤周作先生及び狐狸庵を撮影した。愛機、ニコンFを持参して、思う存分、偉大な作家を撮らせて頂いた。私が、余りに撮りまくるので、「今日は、狐狸庵を撮りに来たんだろう?」と先生からとがめられた。

●今日、ネットで、遠藤周作の画像を見たが、私の撮った表情の方がいいと思う。残念ながら、フィルムネガは、社に保管されて、私の手許にはない。退社する時、編集長にお願いして、『狐狸庵閑話』の上製本も頂いたが、それも、今は無くなった。

●昭和女子大学に移籍してから、ドナルド・キーン氏の『百代の過客』の出版記念会で、遠藤先生にもお会いしたが、先方は、覚えていなかった。

ネットから


笛木美佳氏の「遠藤周作と世田谷(一)」

笛木美佳氏の「遠藤周作と世田谷(一)」

  • 2019.11.10 Sunday
笛木美佳氏の「遠藤周作と世田谷(一)」

●昭和女子大学『学苑』(947号、令和元年、2019年9月)掲載の、笛木美佳氏の「遠藤周作と世田谷(一)」を読んだ。

笛木氏は、冒頭で、次の如く述べている。

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遠藤周作が亡くなってから二十年以上が経った。昨年、平成三十年
(二〇一八)五月には『遠藤周作全日記』上巻1950~1961・下巻1962~1993
(河出書房新社)が刊行され、遠藤文学研究の基礎資料は整理されつつある。
しかしその一方で、遠藤が活躍した昭和はますます遠くなり、事柄によっては、資
料をつなぎ合わせてまとめることも難しくなるのではないかと思われる。
そこで、遠藤とはゆかりの深い地である世田谷との関係を整理する。
遠藤は、昭和十七年(一九四二)から昭和三十三年(一九五八)まで十年
以上、世田谷に居住していた(途中、大学予科時代の白鳩寮入寮、フランス留
学の期間は除く)。この期間には、遠藤の人生において、重要なきっかけと
なった事柄が多かった。以下、一、母へのうしろめたさ 二、佐藤朔との
出会い 三、文学仲間との出会い 四、歴史小説へのきっかけ 五、成城
大学非常勤講師 六、その(昭和女子大学との関わり)の六項目を立てつ
つ。論じていく。

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●今回は「一、母へのうしろめたさ」である。遠藤周作研究の長い実績を積まれた筆者の論は、関係資料を十分に咀嚼した結果の立論であり、説得力がある。読みながら、人間・遠藤周作の知られざる実態を教えて頂いた。それにしても、遠藤は、進学に当って、よく失敗したものだと、驚いたが、本人にとっては、定めし苦悩したことだろうと思う。これは、或いは、この作家を知る上での重要なポイントかも知れない。

●恩師・佐藤朔の著書『フランス文学素描』への追尋の姿勢は見事である。遠藤の言う、本当のところは、どうなんだ、と求める姿がいい。それに、この論文は、文章がよい。読ませる。

●この論文は、二、三、…… と続く。遠藤周作と世田谷との関係を解明しようという。遠藤周作の関わった時間と、世田谷という空間の関係を綿密に確定しようという。そこには、徹底した調査が要求されるだろう。

●昭和女子大学の創設者、人見圓吉先生は、国語国文学史上の先人の伝記研究を目指し、その基礎資料の定着を計画された。それは、『文学遺跡巡礼』『近代文学研究叢書』として、実を結んでいる。昭和女子大学の卒業生、笛木美佳氏の、今回の論文を読んで、昭和女子大学の研究の伝統が復活したように思った。続稿に期待する。


FBの1年前 昭和のキャンパス

FBの1年前 昭和女子大のキャンパス

  • 2019.11.09 Saturday

FBの1年前 昭和の世田谷キャンパス

●今日、FBのスタッフから、1年前を振り返ろう、とコメントがあった。昭和女子大学の学長・金子先生のブログを取り上げていた。アメリカのテンプル大学が、昭和女子大学のキャンパスに移転することになり、その校舎の建設現場の紹介だった。

●1年後の現在、同じ世田谷の太子堂のキャンパスで、2つの大学の学生が学んでいる。人は、計画を立て、それに従って実行する。計画は予定通りに進むこともあれば、途中で変更されたり、中断されたり、中止されたりする。工事も計画も順調に進んで、よかった。

●私の研究生活も、この連続だった。55年間の歴史手帳をみれば、青色で書かれた計画が、赤色で囲まれ実現したものは、約半数。実現は50%でも、少し多めの計画を立てなければ、事は成就しない。

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建設中の昭和女子大キャンパス
2018.11.09 Friday

【学長ブログ更新】金子朝子の昭和のこれなあに
11月9日

クレーンが見えますか
雨上がりの空に、グラウンドのブルーのトラックと中央のグルーンの人工芝の色がすがすがしい朝です。
この写真は、昭和のキャンパスにあるBST(ブリティッシュスクール・イン・トウキョウ)の前あたりから、中高部2号館、こども園、そして8号館の方向にカメラを向けたものです。写真中央のこども園のあたりに、クレーンが見えるでしょうか。
このクレーンは、本学西キャンパスに新校舎を建設するためのものです。クレーンが使われているということは、建物が随分高くなったということですね。
下の写真の左側には、すでに6階建ての骨組みができ、右側は地下が深く掘り下げられてプールが建設されているようです。

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●私は、昭和女子大を退職して、13年になる。昭和女子大のキャンパスへ行かなくなって10年になる。日々、キャンパスは進化している様子は、ネットで見る事が出来る。今日は、金子先生のレポートで建設中のブリティシュスクールの入る建設現場を見ることが出来た。人見圓吉先生も、人見楠郎先生も、きっと、お喜びだと思う。

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木喰仏の復元

木喰仏の復元

  • 2019.11.07 Thursday

続・幻の木喰仏再現プロジェクト

昨年の生誕300年木喰展で実施した“戦火に消えた最晩年作「子安観音像」再現プロジェクト”に続き、全国各地の焼失した木喰仏の再現に挑みます。今回も山梨市の彫刻家岡本直浩さんに再現を依頼し、来年3月下旬の一般公開を目指します。

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●身延町は、下部町、中富町、身延町が合併して、新 身延町となった。その15周年記念事業の一つとして、焼失した木喰仏の再現に取り組んでいる。失われた文化財の復元は大切である。かの、柳宗悦も喜んでいるものと思う。

昭和女子大学のHP今昔

昭和女子大学のHP今昔

  • 2019.11.06 Wednesday

昭和女子大学のHP今昔

●昭和女子大学のHPも開設当時を思い出すと、大変進化した。当初は、教員の研究室は開設出来なかった。その後、開設できるようになったが、ほとんど理系の教員で、文系は私だけだった。

●私は、コンピューター室の方々に教えてもらって、〔深沢秋男研究室〕開設した。研究室の外にも、大学の掲示板など、利用して情報発信した。

●2005年、定年退職の時、各研究室のコンテンツの情報量を調べたら、〔芦川研究室〕が、19万バイト、〔佐野研究室〕が、8万バイト、〔深沢研究室〕が、412万バイト、だった。当時は、ネット界の発信情報量が小さかったので私は文字情報に限定して、写真などは出さなかった。

●〔深沢秋男研究室〕の発信情報は、次の如くである。

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③主要編著書&雑誌論文

④開設ホームページの紹介

⑤昭和女子大学図書館所蔵(桜山文庫)

⑥昭和女子大学図書館所蔵(翠園文庫)

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⑧南部新一児童図書コレクション

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⑩百人一首の研究

⑪井関隆子の研究

⑪-2井関隆子の研究2

⑫仮名草子研究

⑫-2仮名草子研究2

⑫-3仮名草子研究3

⑫-4仮名草子研究4

⑫-5仮名草子研究5

⑬鹿島則孝の研究

⑭上田秋成の研究

⑮鈴木重嶺の研究

⑯日本古典文学作品・画像公開

⑰江戸図と飯田龍一氏の旧蔵書

⑱斎藤親盛(如儡子)の研究

⑲斎藤親盛(如儡子)の研究・2

●新刊紹介

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日録

◆自著を語る 1

◆自著を語る 2

◆自著を語る 3

◎篆刻・遊印

 

定年後の30年

定年後の30年

  • 2019.11.06 Wednesday
定年後の30年

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私の人生は、最初の33年を学習に費やし、次の33年を仕事に費やしたので、最後の33年を研究に使おうと思っている。最後の33年も4年経過してしまった。残り29年。あと何年生きることやら。

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●菊池先生は、エッセイの中で、定年後を研究に使おうと申される。素晴しい生き方だと思う。
定年後は、余暇、余禄、そんな考えは、今や消えた。定年後こそ、真に自分を生かす時代だ。