国語辞典『言海』260冊

今日の朝日新聞〔ひと〕欄で国語辞典の校正者境田稔信氏が紹介された。

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(ひと)境田稔信さん 6千冊の辞書を収集した校正者
2017年9月21日05時00分

都内の自宅マンションの12畳の部屋は、「広辞苑」から非売品の「警察隠語類集」まで辞書6千冊がぎっしり。愛着ある国語辞典「言海」だけで260冊。国会図書館にもない辞書を求め、名だたる言語学者が調査にやってくる。
高校時代は陸上部だった。体育大を受験したものの、失敗。好きな漫画の編集者になろうと出版の専門学校に入り、ここで校正の仕事を知り、国語辞典の魅力に惹かれたという。
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●日本エディタースクールではなかろうか。日本の出版社が創設した専門学校である。実は、私も創立間もない、この学校で校正などの勉強をした。そうして出版社の辞典部で、漢和辞典、実用国語辞典の編集責任者をした経験もあるので、『言海』の魅力も解る。辞典6000冊もすごいけれど、『言海』260冊も凄い。本当に国語辞典のことが解った方だと思う。

朝日新聞 デジタル より

〔自費出版の勧め〕 再録

2011-12-05

自費出版の勧めAdd Star
18:30●朝日新聞の「55プラス」で自費出版を採り上げ、今日で4回目になる。作家の中山千夏氏は、2004年に、NPO法人〈日本自費出版ネットワーク〉を創立されて、代表理事を務めておられるとのこと。商業出版になじまない優れた研究や詩歌はたくさん残っている。これらに光を当てて、後世に遺そうという目的で、毎年1回、日本自費出版文化賞をを開催して、優れた著作を表彰しているという。

●第14回の今年の、自費出版文化賞・大賞は、杉山四郎氏の『アイヌモシリ・北海道の民衆史』(中西出版)である。著者の杉山四郎氏(64歳)は元高校教諭で、道内の歴史的な記念碑、約300基を調査して、北海道開拓を支えた民衆の歴史を1冊にまとめたものという。私も、是非、購入したいと思う。

●私は、70冊ほどの本を出しているが、出版に当って、出版社に対して、「この本は売れます」とは1度も言った事が無い。ただ、「この本は内容が良いので、出版の価値があります」と言って、出版をお願いしてきた。私の書いた本は、概して商業出版にはなじまないものなので、文部省の出版助成を受けたものも何冊かあり、自費出版も4冊ある。

①、可笑記評判 昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会発行、非売品。
②、鹿島則孝と『桜斎随筆』 平成5年6月25日、深沢秋男発行、非売品。
③、神宮々司拝命記 平成10年7月25日、深沢秋男発行、非売品。
④、斎藤親盛(如儡子)伝記資料 平成22年10月25日、近世初期文芸研究会  発行、非売品。

●自費出版は、この4点である。いずれも、商業出版には縁遠い内容のものである。しかし、このようなアクションを起こさずにいられない衝動があった。そして、この実行が、『近世文学資料類従・仮名草子編』や『仮名草子集成』や『浅井了意全集』や『桜斎随筆』(全18巻)に繋がった。

●著作したら、原稿を机の中に保存しないで、ドシドシ出版して、興味のある読者に読んでもらえるようにすべきだと、私は思っている。
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●鹿島則孝の『桜斎随筆』の時は、出版してくれる出版社が無ければ、7000頁、全冊、写真撮影して、ネガを作り、そこからポジを作成して、全国の図書館に実費で配付することも考えた。

■『桜斎随筆』の原本

自費出版への熱い思い

●今日、このようなブログに出合った。ここで取り上げているのは、私ではないか。出版とは、生み出す、と言うことである。それが原義だ。実に尊い、人間の行為である。それは、趣味なんかでは無い。そのように、私は考えている。


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口べた社長の饒舌ブログ

 

自分の熱い思い、体験、研究、思想……。どんなことでも自由に表現して、創り、伝え、残せる。これほどすばらしいことがあるでしょうか。出版、自費出版、本づくりってすばらしい。青山ライフ出版の社長が自費出版への熱い思いを語ります。
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原稿を机の中に保存しない

投稿日時: 2011年12月7日 投稿者: admin
出せば得る
「自費出版の勧め」という、とても共感できるブログ記事を見つけたので紹介します。

http://d.hatena.ne.jp/fuaki/20111205/1323077443

特に共感したのは以下の部分です。
「このようなアクションを起こさずにいられない衝動があった。そして、この実行が、『近世文学資料類従・仮名草子編』や『仮名草子集成』や『浅井了意全集』や『桜斎随筆』(全18巻)に繋がった。
著作したら、原稿を机の中に保存しないで、ドシドシ出版して、興味のある読者に読んでもらえるようにすべきだと、私は思っている。」
情報を得たいと思ったら、自分の持っている情報をどんどん出すこと。
そうすると巡り巡って、自分に情報が入ってきます。
お風呂の中で、水を自分の方に持ってこようとすると、
水はどんどん脇から逃げていきます。
そこで、今度は水を押し出してみる。
すると、水は逆に脇からこちらに流れ込んできます。
それと同じ法則がいろいろなケースであるように感じます。

青山ライフ出版 代表取締役。青山ライフ出版は東京都港区にある出版社。自費出版、社史制作などに力を入れている。実用書、エッセイ、小説、詩集、絵本、写真集など幅広い出版物を発刊している。
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健康診査受診結果報告書

健康診査受診結果報告書  所沢市

2017年7月21日受診

●過日、さいとう内科クリニックで受診した、所沢市の
受診結果を、今日、貰ってきた。結果は、かなり厳しい
ものであるが、今後、注意したいと思う。
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身体測定・身長.................158.6
身体測定・体重..................63.2
身体測定・BMI...............25.1 C
血圧・収縮期血圧................142 C
血圧・拡張期血圧................84 C
尿糖.......................- A
尿淡白 ....................++ D
脂質・中性脂肪................105 A
脂質・コレステロールHDL.......... 45 A
脂質・コレステロールLDL...........112 A
肝機能 GOT..................63 D
肝機能 GPT.................113 D
肝機能 GTP...................77 B
血糖・空腹時血糖................141 D
血糖・NGSP..................7.6 D
血液一般・赤血球数...............512 A
血液一般・ヘモグロビン.............47.2 A
腎機能・血清クレアチニン............0.89 A
腎機能・GFR.................62.4 A
尿酸・血清尿酸.................5.8 A

現在治療中の疾患があります。ひきつづき主治医の先生に従い、治療をお続け下さい。
肥満気味です。体重を減らす為に生活改善を心掛けましょう。高血圧(軽症)を認めます。 尿検査結果に異常を認められます。医師の指示に従って下さい。肝機能検査に異常を認めます。肝臓系疾患で高値を示します。医師の指示に従って下さい。血糖検査に異常を認めます。偏った食事内容や運動不足、糖尿病等で高値を示します。医師の指示に従って下さい。
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小笠原賢二

●フェイスブックの〔Akio Fukasawa〕に、〔お友達かも〕、と様々な人々がアップされる。小島徹・石原優子・港かほり、一覧すると、昭和女子大関係や大学関係の人々が多いようである。こちらの、プロフィールを見て、機械的にアップするのだろう。私は、一切反応はしない。ところが、今日、〔小笠原賢二〕とあって、ドキリとした。文芸評論の小笠原賢二なら知っている。チェックしたら、今日の方は、国会議員の秘書らしい。

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小笠原賢二 【ウィキペディア より】

小笠原 賢二(おがさわら けんじ、1946年4月15日 – 2004年10月4日)は文芸評論家。北海道増毛町出身。
人物[編集]
中学卒業後に集団就職で上京し蒲田の町工場で働くも、父の死を挟み進学を志して、その年に帰郷。北海道増毛高等学校を経て、法政大学文学部日本文学科卒業。1975年、同大学院修士課程修了。
大学院在学中から「週刊読書人」の編纂に携わり、1986年退職。その後、法政大学や日本ジャーナリスト専門学校などで教鞭を取る。1995年、『終焉からの問い』で第3回ながらみ書房出版賞受賞。評論は小説だけに限らず、短歌、俳句も積極的に対象とした。
2004年、肺がんのため東京都立川市の病院で死去。葬儀・告別式は、歌人・福島泰樹が住職を務める法昌寺(東京都台東区)で営まれた。享年58。
著作[編集]
『異界の祝祭劇-現代文学の21人』(1986年、沖積舎)
『文学的孤児たちの行方』(1990年、五柳書院)
『終焉からの問い-現代短歌考現学』(1994年、ながらみ書房)
『時代を超える意志-昭和作家論抄』(2001年、作品社)
『極北の詩精神-西川徹郎論』(2004年、書肆茜屋)
『「幸福」の可能性-逆風の中の文学者たち』(2004年、洋々社)
『小笠原賢二小説集』(2006年、響文社)
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●文芸評論の小笠原さんには、梶木剛氏に紹介されて、何回か会って、語り合ったこともあり、著書も読んでいる。頭の切れる人で、特に、近代短歌評論は厳しく、鋭く、素晴らしかった。ガンのため、58歳で御他界なされた。早すぎる。

 

鑑真和上坐像    重友 毅

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鑑真和上坐像    重友 毅
この間日本橋高島屋で開かれた奈良国宝展へ出かけ、そこで思わず足をとめられたのは、唐招提寺の鑑真和上坐像であった。一度、奈良でも拝観したことがあり、これは二度目の対面であったが、やはり新たな感動を覚えた。全体に円味をおびた豊かな肉づき、太い顕、秀でた眉が特徴的で、両眼は盲いたなりに、おだやかな表情である。しかしそのうちにも、冒しがたいきびしさが感じられ、また限りない憂愁がただよっている。それは趺坐したままの形でありながら、鑑真その人のすべてが現わしつくされているといってよい。このような傑作が、奈良時代に作られたということは、私にとって二重のおどろきであった。
そのおどろきは、はしなくも芭蕉のおどろきを想起させた。貞享五年四月、唐招提寺に詣でて、この尊像を拝した彼は、若葉して御目の雫ぬぐはばやの句を詠んでいる。折からの若葉を摘んで、せめては御目のあたりに浮かぶ涙をぬぐってあげたい、というのである。
ところでこの句解には、潁原氏の異説があり、それによると「若葉して」は、あたりの草本が一面に若葉しているさまを指すのであり、もし若葉をもっての意なら、「若葉もて」とあるべきだというのである。しかしこれは明らかな誤解で、盲いているのが、優しい上臈か、普通の貴人なら、いたわりの気持をこめた「若葉もで」でもよかろうが、相手は鑑真である。そういう生ぬるい同情では寄りつけもしまい。これに触れるとするなら、どうしても「若葉して」の強い語気でなければならぬ。それにあたりが若葉の季節であることは、そのうちにおのずからに示されている。もしまたこれを若葉の説明と限定するなら、それと「御目の雫」との関係はどうなるか。一句はとりとめもないものとなってしまおう。そこで右の説を受けついだらしい古典大系本『芭蕉文集』の註では、若葉の照り返しで、心なしか、御目のあたりに涙の雫が感じられるとしているが、無理な工作である。そういう錯覚がもとで、句ができているのではない。
芭蕉がそこに涙の雫をそえたのは、詩人の感覚で、その温容の底に流れる悲しみを汲み取ったからのことである。そういう詩的作為であったから、これも指先や布片でなく、若葉でもってぬぐおうという、詩的発想がつづくのである。またその折の彼の感動は、そのような手段を借りることなしには現わしがたいものであったのである。したがってその句意も、思いをここに致さぬ限り、捉えがたいものとなるほかはないであろう。(六二、一〇、三一)
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●重友毅先生の「鑑真和上坐像」の講義を拝聴したのは、学部卒業後の次年度の「芭蕉講読」を聴講していた時のことである。その年の11月、『文学研究』第18号が発行され、巻頭に重友先生の研究随想「鑑真和上坐像」が掲載された。続いて、西尾実先生の「文学研究の方向」、小田切秀雄先生の「自然描写に関して」が掲載された。
●『文学研究』の次号、第19号に、私の最初の論文「『可笑記』と儒教思想」は掲載してもらえたのである。これは、重友先生初め、諸先生の破格の御配慮だったのである。ここから、私の仮名草子研究は始まった。そうして、50年後の現在、如儡子の儒教思想と仏教思想に関して考察している。
●重友先生はじめ、諸先生に対して、深甚なる感謝を捧げ、恵まれた研究人生の幸せをしみじみと噛締めている。

 

■『文学研究』第18号

鑑真決意の袈裟、中国の寺へ贈る

鑑真決意の袈裟、中国の寺へ贈る 遣唐使1300年の縁

宮崎亮2017年9月10日18時28分 朝日新聞デシタル より

西山明彦長老(左)が中国・大明寺に贈る袈裟=奈良市の唐招提寺
国宝の鑑真和上坐像(わじょうざぞう)=奈良市の唐招提寺

中国・唐の高僧、鑑真(688~763)が創建した奈良・唐招提寺の西山明彦(みょうげん)長老(66)が12日、中国江蘇省揚州市にある鑑真ゆかりの大明寺(だいめいじ)を訪れ、袈裟(けさ)を贈る。唐招提寺が6日発表した。天武天皇の孫、長屋王が唐の僧に贈った千枚の袈裟に縫い付けられた詩が、鑑真に来日を決意させた故事にちなんだ。
「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」(地域や国が異なっても、風月の営みは同じ空の下でつながっている。この袈裟を僧に喜捨し、ともに来世での縁を結びましょう)。鑑真の伝記「唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)」には、この詩が縫い付けられた千枚の袈裟の話に鑑真が心を動かされ、来日を決めたことが記されている。
寺によると、袈裟は阿倍仲麻呂らが派遣された717年の遣唐使に託されたとみられる。今年でちょうど1300年を迎えるのを記念し、寺が同じ詩を縫い付けた袈裟を贈ることにした。今回は20枚、来年6月までに200枚を贈る予定だ。
西山長老は「鑑真和上の思いは、1300年を経て伝わっている。再び和上の国に袈裟をお贈りし、仏縁を結びたい」と話す。(宮崎亮)
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2010-04-13
若葉して・・・Add Star

●桜は、今、盛んに散っている。今日は、珍しく妻が花びらを掃除していた。ふと、庭の木々に目をやると、若葉の美しさが染み入る。
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「貞享五年四月、『芳野紀行』の旅で、唐招提寺に詣でてこの尊像(鑑真和上坐像)を拝した彼は、

若葉して御目の雫ぬぐはばや

の句を詠んでいる。それは折からの若葉を摘んで、御目のあたりに浮ぶ涙をぬぐってあげたい、というのである。・・・芭蕉はどうして涙の雫をそこに添えたのか。それはすぐれた詩人の感覚で、その温容の底に流れる無限の悲しみを看て取ったからでである。つまりそれは詩的作為にほかならなかった。だからこれも指先や布片ではなく、若葉でもってぬぐうという、詩的発想がつづくのである。またそういう手段でなければ、その折の芭蕉の感動は、現わしがたいものであったのである。・・・」(重友毅「鑑真和上坐像」)
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■朝日新聞 デジタル より

佐渡と私・2

〔1〕 「最後の佐渡奉行 鈴木重嶺」

佐渡相川町史講座
日時 平成15年(2003)3月15日    17時30分~
場所 佐渡奉行所 御広間
●佐渡には、蔵田茂樹、井関隆子、鈴木重嶺に関連して、何回も調査に出かけて、多くの先生方に御指導、御配慮を賜っていたので、講演の依頼をされても、これはお断りできない。この講演は、3月という事で、しかも、場所が復元された、佐渡奉行所で、暖房設備は無い。寒いので注意して下さいと言われた。
●会場に着くと、参加者は既に大広間の畳の上に座っておられた。こちらへどうぞ、案内された。何と、広間の上段の席である。本来ならば、ここは、佐渡奉行の座る所。私風情の座る場所ではない。私は、少し横にずらして座った。
●せっかく、佐渡まで伺い、地元の方々に、鈴木重嶺のことをお話しするのである。私は、昭和女子大学図書館所蔵の資料をたくさん盛り込んだプリントを用意した。90分ほど発表し、何人かの質問も出され、一段落した。司会者が何か追加して話すことはありませんか、という。私は、ありません、と答えた。折角、佐渡まで来たのだし、寒い中、多くの方々が集まって下さったのである。何もありません、は無いだろう。しかし、事実、私の中に、追加することは、何も残っていなかった。研究者としての、底の浅さを痛感して、申し訳ないと反省した。
〔2〕 「鈴木重嶺と佐渡」
第22回 全国天領ゼミナール
日時 平成18年(2006)8月5日
9時~10時
場所 金井能楽堂
①記念講演
「鈴木重嶺と佐渡」深沢 秋男
②基調講演
「佐渡金銀山に何を学ぶか」田中 圭一
③研究発表
「古老が語る相川金銀山」小林 祐玄
④研究発表
「水呑み百姓舞い遊ぶ村」葛原 正巳
⑤テーブルスピーチ
「世界遺産登録へ向けての取り組み」齋籐 義昭
⑥対談
「相川鉱山」小池 勝・下谷 徹
⑦記念講演
「鯨と佐渡人とのかかわり」本間 義昭
●このセミナーは、全国大会であり、佐渡以外からの参加者が4割程である。法政大学名誉教授の村上直先生も参加されていた。私は、このゼミナールのトップバッターだった。昭和女子大学図書館所蔵の貴重な資料をたくさん準備した。重嶺葬儀の折の香典帳から、佐渡関係の人々を全部掲出したりした。1時間の講演が終って、檀上から降りたら、何と、5、6人の方が、寄ってきて、私の資料のミスプリントを指摘して下さった。御自分の先祖の名前が違っていたり、住所に間違いがある、という御指摘だった。

 

〔3〕 最後の佐渡奉行 歌人・鈴木重嶺
日時 平成15年(2003)10月18日
13時~
場所 昭和女子大学80年館2階会議室

●昭和女子大学図書館の本年度第2回展示が、10月1日より11月9日まで、図書館3階の展示室で開催される。本学所蔵の重嶺の「翠園文庫」所蔵の貴重な資料を多数展示し、図書館員による、資料解説と鈴木重嶺に関する解説が付けられている。
●鈴木重嶺は徳川幕府の幕臣として活躍し、最終的には佐渡奉行にまで出世している。ただし、時あたかも明治維新の混乱期に奉行に着任したため、辞任後は和歌の道に励む結果となった。
●歌人としては、佐佐木信綱と同時代であるが、重嶺85歳の時、信綱は26歳であった。ここに両者の歌風の相違も生じる結果となったわけである。
●「翠園文庫」には、重嶺の自筆本が多く収録されており、これらは、大部分が、重嶺の御子孫の松本栄子氏から寄贈されたものである。今回の展示は、その一部に過ぎないが、これを契機として、重嶺に関心を持ってもらえれば、有難いことである。
●講演の当日には、鈴木重嶺の御子孫、松本誠先生の奥様もお出で下さった。また、前図書館長の、青柳先生、川嶋先生もお出で下さった。この展示会、講演会は、私の定年退職を考えて、図書館の方々が御配慮下さったものと、私は感謝している。

佐渡と私

●私は、佐渡へは、日本文学研究会の夏の旅行で行ったのが最初だった。昭和45年(1970)である。一行は、重友毅先生をはじめ、研究会の先輩の先生方、11名だった。国分寺の林先生の御厚意で、国分寺に宿泊させて頂いた。国分寺はすごかった。萱葺きの屋根には、小木が生えていた。入口の小さい部屋に、『大蔵経』の版本、全冊が積み上げられていた。夕食後、林先生のお父様の講話も素晴らしい内容であった。

●連絡船の中で聴いた〔佐渡おけさ〕、これが本当の佐渡か、そう思った。林先生の御案内を頂いて、廻る先々で、私は、佐渡に関する参考書・パンレットなど大量の資料を集めた。何の目的も無かったが、佐渡は、そのように、研究者を駆り立てるものを持っている。その時は、佐渡に関して研究する計画は無かった。しかし、何かやりたい、という衝動にかられたのを、今も忘れられない。
●その後、井関隆子の研究から佐渡の歌人、蔵田茂樹の調査をする事になり、鈴木棠三先生の紹介で、山本修之助先生に多くの御指導を賜った。
●さらに、その後、鈴木重嶺の調査・研究をすることになり、今度は、何回も、何回も佐渡に渡った。そうして講演もさせて頂いた。その調査を通して、佐渡の先生方に、大変お世話になったり、御指導を賜った。私としては、もっと、もっと調査を重ねたい希望を持ちながら、断念した事項が少なくない。
■昭和45年8月 国分寺にて

南部新一児童図書の思い出

●南部新一児童図書は、結果的には、大阪国際児童文学館に寄贈されたが、その前には、友人の伊藤元雄氏から相談されて、私は、昭和女子大学図書館に寄贈してもらおうと考えたのである。

以下に掲げるのは、現役時代の記録である。
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■南部新一児童図書
●大阪国際児童文学館には「南部新一記念文庫」が所蔵されている。図書約9000部、雑誌約5000冊、その他約1000点、と同館の目録は記載している。南部新一氏は明治27年京都に生まれ、児童文学に興味をもち、博文館で児童雑誌等の編集を担当、自らも創作を続けた。昭和61年他界され、生涯をかけて収集した児童文学関係の蔵書は膨大なものであった。
●昭和63年1月5日、友人の伊藤さんから電話をもらった。伊藤さんは児童文学に関連する出版や様々のイベントを手がけて、世界を飛び回っていた。伊藤さんは、長年、南部氏と交流があり、南部氏没後、その残された蔵書の処置を一任されているという。南部氏の奥さんは、既に他界され、親戚関係の方々はおられるが相続に関して、権利等全く主張していない、との事であった。
●私は、翌々日、伊藤さんにお会いして、事実関係を確認した。現物は品川の一軒家に保管されていて、書籍・雑誌等、およそ2万点、他に、吉川英治等近代作家の書簡などがかなりある。寄贈の条件は、所蔵者・南部新一氏の児童文学研究を顕彰する意味で、このコレクションを南部新一文庫等の名をつけて、一括永久保存すること。また、極力早い時期に、この文庫の全目録を作成して出版する、というものであった。
●帰宅後、文学部長の原田先生に報告、原田先生は学長の人見先生に御説明、学長も、この受け入れを承諾して下さった。人見先生は、場合によっては、コレクションの鈴の部屋を空けて下さるとも仰ったと、原田先生から伺った。
●私は、伊藤さんとも相談しながら、内々計画を立てた。予算を1000万ほど計上し、伊藤さんに週2日ほど来学してもらい、大学院生を募集して目録作成をする。新年の大学が始まった時、原田先生には詳細に文書で報告して、御承諾を頂いて、その後の進展を待った。
●数ヶ月後だと記憶するが、伊藤氏から連絡があり、関係者と検討を重ねた結果、本学が最有力候補であったが、相続人の希望は、南部氏の出身の関西の地に保管して欲しいということであり、最終的には大阪国際児童文学館に依頼する事になった、との事であった。結果的には、本学には入らなかったが、資料は収まる所に収まったと、これはこれで、よかったと思っている。
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南部新一文庫のゆくえ
●ネットにこんな情報が出ていた。私の友人の伊藤さんも参加している。
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国際児童文学館 寄贈者・関係者等と知事との意見交換会 発言要約
■と き:平成21年1月21日(水)午後5時20分~6時30分
■ところ:府庁本館3階 特別会議室(大)
■出席者:橋下知事、綛山教育長、鉄野地域教育振興課長、中道課長補佐(司会)
上の和明 府議会議員(意見交換会仲介者)
小峰紀雄(社団法人日本書籍出版協会理事長:通年図書寄贈者)
鳥越 信(児童文学者:設立時図書寄贈者)
伊藤元雄(故・南部新一代理人:大規模寄贈者)
古橋理絵(塩崎おとぎ紙芝居博物館代表者:大規模寄贈者)
畠山兆子(大阪国際児童文学館を育てる会常任委員長)
田丸信堯(大阪国際児童文学館を育てる会常任副委員長)
松居 直(財団法人大阪国際児童文学館理事長)(知事)
まず、私の基本的な考え方を述べさせていただきまして、皆様方から忌憚のない意見をいただきたいと思っております。今日は皆様方からご意見を伺うということですので、何も決定するつもりはありません。
今の児童文学館、機能・人・組織、これが大問題であります。この組織に任せていては、貴重な文学館の図書が死財産になってしまう。府民感覚で言いますと、駐車場が1,200円、誰も1,200円出して停めない、それが私の感覚です。
【中略】
(鳥越)
もう25年前です。知事、教育長、財団の理事長や館長も替わっています。原点をご存知の方がもういらっしゃらなくなりました。
私 が全国に公募という形でお願いして、大阪に決まったわけです。大阪としてはどこに作るかということで、候補地が3か所あった。泉北ニュータウン、大阪市内 の外大跡地、そして現在のところです。万博公園は、当時はモノレールもありませんでしたし、もっと陸の孤島でした。もし来館者を考えるんでしたら、誰が考 えても外大跡地が一番いいことは分かっている。それなのに、なぜ一番辺鄙なところへもってきたかということです。
【中略】
(南部・伊藤)
南部コレクションは、日本でも世界中でもない貴重なものです。南部新一というのが生きていた頃に、児童文学館ができる前に寄贈したんです。南部新一は、明治・大正・昭和とずっと資料を集めてきて、児童文学館の理事長であった司馬さんとかいろんな人から話があり、1万5千点くらいの資料を、自分も研究で行くことを楽しみにして府に寄付しました。
児 童文学館を活かして、生前の南部新一が楽しみにしていたものが活用されるのであればいいという形でやったわけですから、遺族の方たちに連絡したら、基本的 に現地存続です。なにしろ、いい活用をしてくれ、できないんであれば府の責任において返却してくれと。違うことは止めて欲しいんです。
具体的に活用方法と、いい方向にもっていけるかということを今後とも続けてほしい。そして、寄贈者に情報を流していただきたい。そこで判断しますんで。
(知事)
活 用の方法を見ていただいて、まずいと思われれば返却はさせていただきますんで、やっぱり活用方法が一番重要だと思います。研究だったら、今の行政では公金 投入できませんので、やるなら大学。府民に見てもらう、利用してもらうことが大切。活用方法で府のやり方を納得していただけるかどうかを見ていただきた い。
【以下略】
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●こんな遣り取りがあったことを、今日、知った。また、〔しんぶん赤旗〕は、次の如く報じている。
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2009年2月26日(木)「しんぶん赤旗」

大阪府立児童文学館 移転なら資料返還を

寄贈の鳥越氏ら 知事に要望書

大阪府の橋下徹知事が府立国際児童文学館(吹田市)の廃止・府立中央図書館(東大阪市)への移転を強行しようとしている問題で、同館に資料を寄贈している児童文学研究者の鳥越信さんら三氏が二十五日、寄贈資料の返還を求める知事あての要望書を提出し、記者会見しました。
要望書は、知事が「寄贈者の思いに反するならば本をお返しする」と発言していることをうけて提出したもので、鳥越さん、伊藤元雄さん(南部新一児童図書記念文庫設立発起人代表)、古橋理絵さん(紙芝居などを収集する塩崎コレクション代理)の三氏の連名。
十五万点以上を寄贈している鳥越さんは会見で、児童文学館と図書館の違いとして専門員が資料を読み込み、世界中からのリクエストに正確にこたえ、情報発信ができるかどうかだと強調。「私が寄贈したのは図書館ではない。信義にもとる。広く閲覧に供するだけが目的の図書館では文化遺産としての貴重な資料が死んでしまう」とし、「単に戻せというのではない。予算は凍結し、資料が生かされる道を原点にもどって考えようと言いたい」と述べました。
同館は江戸時代末期から今日までの約七十万点の児童文学・文化資料が収集・保存・研究、活用され、世界的に高く評価されています。うち、寄贈は約五十万点にのぼります。
昨年九月府議会で全会一致で現地存続の請願が採択されましたが、知事は開会中の府議会に廃止条例案と移転費用五億八千万円を計上しています。

|日本共産党ホーム|「しんぶん赤旗」
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●私は、昭和女子大学図書館には、桜山文庫、翠園文庫などの移管に関与した。これに、南部新一関係資料が寄贈されれば、全体では、2~3万点になったと思う。それにしても、伊藤さんはお元気だろうか、その後、連絡していない。

■南部新一書簡リスト ネットより