近藤忠義先生の『近世小説』再録

●私は、菊池眞一先生と『仮名草子研究叢書』(2006年2月25日、クレス出版発行、全8巻セット定価85000円)を出した。近代に入ってからの仮名草子研究を概観し、代表的な著書や論文を複製して、仮名草子研究に役立てようと考えたのである。

●その、第7巻に、近藤忠義先生の『近世小説――その成立史――』全198頁を収録した。この著書の巻末には、
◎近世小説研究書要目
◎近世小説翻刻叢書要目
◎近世小説史年表
が収録されている。昭和13年10月20日、河出書房発行である。近世文学研究を学問として推進させたい、という近藤先生の姿勢が伺える。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。単行本 解説 深沢秋男 近世初期の約八十年間に書かれ、多くは出版された散文文芸の総称が仮名草子である。「仮名草子」の命名者は水谷不倒(弓彦)である。水谷は、東京専門学校(早稲田大学の前身)での講義録を著し、続いて、『近世 列伝躰小説史』を出版、さらに『新撰 列伝体小説史 前編』を出して、この中で仮名草子について論じた。近代的な研究も水谷不倒によって拓かれた、と言ってもよいだろう。
 もちろん、水谷不倒のみが、仮名草子の研究を進めてきた訳ではない。昭和二十年代以前に限ってみても、朝倉治彦・麻生磯次・石田元季・市古貞次・井浦芳信・潁原退蔵・片岡良一・近藤忠義・重友毅・新村出・鈴木行三・鈴木敏也・鈴木暢幸・関山和夫・高野辰之・暉峻康隆・長澤規矩也・中村幸彦・野田寿雄・深沢正憲・藤井乙男・藤岡作太郎・藤村作・北条秀雄・松田修・山口剛・山崎麓等々、多くの先学の努力が積み重ねられてきた。その研究論文・研究書と作品名の全貌は、『仮名草子研究文献目録』(深沢・菊池編、二〇〇四年、和泉書院)によって知る事ができる。
 仮名草子作品の数も、昭和三十年頃までは二百点足らずであったが、その後の研究によって、現在は三百点以上になっている。このようにみる時、仮名草子研究は活発に行われてきたように思われるが、明治以後昭和二十年、つまり、近代的な研究が始まってから、第二次世界大戦終結までの約四十年間に書かれた論文は一二〇点余に過ぎない。年間平均三論文という状況であった。
 戦後の研究は、昭和二十二年の野田寿雄の「仮名草子の世界」(『国語と国文学』7月)から始まるが、二十二年から三十五年までの十四年間に七十四論文という低迷が続いた。ところが、三十五年から七年にかけて、野田寿雄の日本古典全書『仮名草子集(上下)』が刊行されて、研究は活発化してきた。
 『仮名草子研究叢書』は、雑誌論文は、昭和二十九年以前のものを全二巻に収録し、単行本は昭和二十年以前のものを全六巻に収録したものである。
 近年の仮名草子研究は、細分化され、緻密な論文が多い。しかし、明治以降の先学の遺された研究が全く通用しなくなった訳ではない。むしろ、このように細分化され、微視的な傾向にある現在にこそ、明治以来の研究を振り返り、巨視的な観点から、仮名草子を見直し、先人の研究を吸収して、新たな研究の
出発点にすべきではないかと考える。本叢書を刊行する所以である。
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●平成16年12月、朝倉治彦先生から、この叢書の編纂を依頼され、私もかねがね、必要な事だと考えていたのでお引き受けした。ただ、実際に作業に入ってみると、かなりの労力を要する事がわかった。そこで、菊池真一氏の協力を頂く事にして実現したものである。収録内容に関しては、様々な制約があり、希望通りにゆかなかった部分も少なくない。それらの諸点については、今後の若い研究者に任せる事にして、一応出版することにした。
●この叢書に収録した先学の論文や単行本を、改めて目を通すと、私達は偉大な研究者の学恩を頂いて、ここまできたが、果たして、どこまで吸収消化できたのであろうかと、感謝と共に反省の念が強い。私個人としては、近藤忠義・重友毅・長澤規矩也・小田切秀雄の諸先生には法政大学で教えて頂いた。横山重・野田寿雄・朝倉治彦の諸先生には、仮名草子に関して多大の御指導を賜った。中村幸彦先生には九州大学で、野間光辰先生には京都大学で、井浦芳信先生には昭和女子大学で、諸本調査などの折に、それぞれお導きを頂いた。若い頃には暉峻康隆先生にも教えて頂いた。水谷不倒・山口剛・北条秀雄・麻生磯次・石田元季・市古貞次・潁原退蔵・片岡良一・新村出・鈴木行三・鈴木敏也・鈴木暢幸・関山和夫・高野辰之・深沢正憲・藤井乙男・藤岡作太郎・藤村作・山崎麓等々、論文や著書を通して多くを学ばせて頂いた。この叢書を編纂することで、仮名草子研究を振り返る事ができて感謝している。
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近藤忠義先生の『近世小説』

●ネットで、熊谷孝氏の「近藤忠義氏の近業『近世小説』 その紹介と批判」を読んだ。「法政大学新聞」№88(1938.11.5)掲載である。私が3歳の時の新聞である。昭和13年の日本の国文学界の様子が知られて感慨深い。近藤先生は、このような状況の学界の中で、近世文学の研究の道を開いてこられたのか。そんな思いがする。これは、一人、近藤先生のみではないだろう。重友毅先生も、横山重先生も、野間光辰先生も、中村幸彦先生も、暉峻康隆先生も、野田寿雄先生も……、皆、同じ時代だったのではないか。そこから、それぞれの先生の軌跡が伺えて、これも感慨深い。

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近藤忠義氏の近業『近世小説』 その紹介と批判      熊谷 孝
  
「法政大学新聞」№88(1938.11.5)掲載— 
  *漢字は原則として新字体を使用した。*引用部分以外は現代仮名遣いに替えた。*傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。。。  
* 明らかに誤植と判断できるものは訂正した。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。。。
  
 ひと頃われわれの学会では、近世文学の研究が旺(さか)んだった。かれこれひと昔も前のことだ。猫も杓子も、という具合だったらしい。ところで、この時期の研究がわれわれに残してくれた遺産はというと、少数のアルバイト[労作、学問的業績]を除けば、(或(あるい)はその実証的な部分を除けば)殆(ほとん)ど何も無い、といっていい。
 というのは、当時の研究家達の趣味的・通人的な態度がいけなかったからだ。早い話が、常磐津(ときわず)のひとくさり位い唸れなくては、江戸文学――その頃「近世文学」はそういう名前で呼ばれていた――はとてもわからない、というのが真面目な常識となっていた。だから近世を専攻しようとする程の者は我れがちに三味線の稽古をはじめる、という始末だった。嘘みたいな、ほんとうの話である。(尤(もっと)も、此の話題は先輩諸氏からの受売りなのだが。その頃中学生だった僕なぞも、先輩に当る文科の学生なんかから、そうした風潮の悪影響を受けていたのである)
 近世文学の研究を、こうした偏向から救いあげ、それを正しい科学的態度で問題にした最初の人こそは、ほかならぬ近藤忠義氏であった。氏の初期の労作は、多くかかるディレッタンティズムとの闘いのプロセスにおいて創られたものだった。その論調が、真摯なファイトに満ちたものであることも、こうした学界の事情を顧みた場合、おのずと胸に落ちるものがあろう。
 爾来、氏は、つねに若い世代のよき指導者として、自らその矢面に立たれた。今度、河出の日本文学大系叢書の一部として公にされた『近世小説』なぞも、近頃ハヤリの解釈学流の非歴史的な古典論に一矢を酬(むく)いられたものとして、われわれは拍手して止まない。蓋(けだ)し、ディルタイのエピゴーネン――その一人一人が意識してこの立場を採っているか否かは論外として――が神懸(かみがか)り的な「追体験」なぞいうものを持って廻って、科学のメスをなまくらにしている、その害毒はなかなか莫迦(ばか)にできないものがあるからだ。  ところで、この著述は、サブタイトルに「その成立史」と断ってあるように、近世小説をその全般にわたって考察したものではない。近世町人の小説が、中世的武士貴族的なモラルの桎梏(しっこく)から自らを解放し、どういう地盤の上にどんな過程を経て、自らの独自的な文芸様式を創りあげていったか、という問題の解明に主力が注がれている。だから、そこでは当然、町人文学に先行する能、狂言、お伽草子など一連の中世後期の芸術作品が考察の対象とされ近世初期の産物である遊女評判記や地誌、名所記、或は百科全書の類が前景におし出される。仮名草子の系列にぞくする近世初期の小説の在り方――歴史的な存在の仕方――が追究される。その結果、彼等町人の小説=文学が、中世貴族文学の継承者としてではなく、寧(むし)ろそうした古き伝統への反逆者として、遊女評判記なぞが獲得していた技術的地盤の上に誕生したものであったことが結論される。 
 それでは、これから近世文学に親しもうとする人にすすめるべき本ではないかとはいかと言うと、実はその反対なのだ。それの成立の意義に対する反省を欠いて、近世文学への史的把握は不可能であるからだ。たとえば、近世文学が何かというと古典を持ち出し、それを拠り所とする傾きのあること、しかもその古典知識がひどく杜撰(ずさん)なものであることは誰でも知っていようが、その理由は、彼ら町人の認識水準を、その当初から低いものにしていたこの社会特有の政治経済機構を問題とすることなしには、到底わからないだろう。町人文学に屡々(しばしば)古典が採り上げられて来ることの理由、上記百科全書の古典に関する記載の杜撰な点、またそれによって結果する町人作家のあやしげな古典知識――近世文学の性格を規定するこれらの関係は、すべてこの書の詳述する所である。  なお、この本の体裁を一覧して気になるのは、作家の従軍の問題や現代短歌の宿命の問題が、尤(ゆう)にその一二章をなす形で織込まれている点だ。時宜に適った問題には違いないが、この部分、他の章に比べてやや粗雑の感がないでもない。著者は、また別の章で、武田麟太郎氏の近作『西鶴』および西鶴論を採りあげ、それへの批判を通して西鶴の作品を文芸史的に、また文芸時評的に論じて居られるが、こうした行き届いた態度で一貫して欲しかった。
 巻末付録の、社会現象と対照した文学年表や、翻刻書目の改題は可成(かなり)手の込んだものだ。初学者に対する配慮からだ、と序文に見えている。(河出書房発行、定価一円二十銭)
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〔深沢秋男の窓〕

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〔老人雑録〕

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3357+5850=9207+フェイスブック

私の友達は外国人

●このところ、フェイスブックの〔Akio Fukasawa〕の[お友達かも]は、全て外国人である。何故だろう、以前は、昭和女子大関係や大学関係や研究者などの[お友達かも]が多かった。

●先日、英語版か何かの外国語の[ウィキペディア]を検索して、それをアップしたからであろう。ネット上の情報などは、このように単純であり、それだけに、何とでも操作できるところがある。ビッグデータならば、こんな単純ミスは無いだろう。

個人蔵書の世界

●今日の朝日新聞、読書欄〔ひもとく〕は、[増えつづける本]だった。椹木野衣氏のレポート。いずれも、本人からすれば、必然性もあり、切実ではあるが、ハタから見れば、ウーンと、うならずにはいられない。それが、書斎の蔵書だろう。

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(ひもとく)増えつづける本 場所ない、家計圧迫、それでも… 椹木野衣
2017年9月24日05時00分

『本で床は抜けるのか』の著者・西牟田靖さんの部屋(本人提供)
 いま、家の建て替えで仮住まいに溢(あふ)れた段ボール箱に囲まれながら思うのは、お父さん、あなたのことです。地元の小さな書店から毎週のように大きな本の包みが届くと、家族はみな呆(あき)れていましたよ。念願の二階建ての家を新築したとき、あなたの書斎は床から天井まで、すべて本棚でした。……
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●私は、昭和女子大の現役の頃、研究室に書籍・雑誌をたくさん置きたいと、近所の家具店に依頼して、図書館用のスチールの本棚を購入した。天井まで届くもので、両サイドに設置した。当時、研究室の本棚の本では、民俗学のスチュアート先生と私のものが多い方だった。
●自宅の書斎は、スチールではなく木製の組み立て式だった。やはり、天井まてのものであった。クロークをぶち抜いて広い部屋にして、司馬遼太郎を真似て、ブックトラックを導入した。しかし、それでも入り切れない。庭に物置を4個設置して凌いだ。
●個人の書斎も、あちこち見ているが、皆、人それぞれである。忘れられないのは、鈴木棠三先生の書斎である。執筆机が3台並べられていて、進行中のテーマ毎に使用しておられた。蔵書は、辞典や参考図書は壁面の書架に並べられ、蔵書は、分類されて、移動式書架に収まっていた。これだけの書斎の書庫は少ないだろう。今回の、西牟田靖さんのように、床に積み上げては、これでは仕方が無い。

■朝日新聞 デジタル より

酒井若菜より渡辺京二様へ

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(あなたへ 往復書簡)1通目 酒井若菜より渡辺京二様へ 歴史小説から夢・希望取り戻す
2017年8月5日05時00分

 初めまして。酒井若菜と申します。拝啓も前略もなくこの手紙を書き始める無礼をお許しください。

 渡辺さんの著書、拝読しております。少しずつではありますが、これからも読み進めていく所存です。

 私が歴史に興味を持ったのは、20代の半ばでした。当時、私は体調を崩し、芸能活動を約1年間休業し…
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●朝日新聞の、今回の〔あなたへ 往復書簡〕を、面白く読んだ。酒井若菜氏の第一書簡を読んで、牽き付けられた。女優でありながら、入院したとは言え、友人から勧められたとは言え、司馬遼太郎をほぼ全部読んだ、という。私は、ここに牽き付けられた。津本陽も、池波正太郎も次から次へ読んだと言う。
●私は、このような読書の仕方をする人を尊敬する。大学生でも、時々、このような学生がいた。漱石は全集を読みきりました。このような読者こそ、作家は歓迎していると思うし、それでなければ、その作家はわからないだろう。
●私は、それが出来なかった。蔵書でも、特定のもの以外、全集はそろえない。読みたいものだけ購入した。後ろめたいけれど、そのような方式だった。
●これに対して、渡辺京二氏の対応もよかった。謙遜し、正直に返信していた。酒井氏と共に、尊敬する。

野口武彦 ブログ

●野口武彦氏のブログは、実に見事である。時々見ているが、今回、天保14年の水野忠邦の屋敷の様子を綴っていた。少し長いが引用する。

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017-07-31 | 日暦
天保14年にはこうだった

水野忠邦上屋敷(天保江戸切絵図)      二重橋付近の皇居前広場地図(Google Mapより)

いったん落ち目になった政治家の末路は、いつの世でも同じようなものです。
江戸時代の終わりの始まりだったと見てよい天保期(1830-44)に大きな権勢を揮い、幕府再建の最後の危機打開策といえる「天保の改革」を実行した政治家、水野越前守みずのえちぜんのかみただくにの場合も決して例外ではありませんでした。
忠邦は若い頃から青雲の志に富んでいて、いろいろ昇進運動をし、時にはワイロも裏工作も辞せず、老中首座の地位にまで上り詰めてきた人物です。そういう政治家にふさわしい威権がなくてはなりません。それなりのステータスが必要です。たとえばどこに居を構えるか。老中首座といえば、現代ではさしずめ総理大臣に当たります。歴代総理が必ず首相官邸に入るように、江戸時代の老中首座が住む屋敷はだいたい場所が決まっていました。この時代、「西丸下」と通称されていた区画です。西丸――現在の皇居――の建つ台地の直下に広がる一画で、江戸城最寄りの、当時としてはいちばん格式のある土地柄でした。代々の老中首座がその屋敷の住人になりました。
このあたりは、今ではだだっぴろい皇居前広場になっていて、屋敷はおろか家の一軒もありません。もともと海の入江だった場所を埋め立てた造成地だったので地盤脆弱と見なされて 明治以後の東京では建物が禁止されました。そうした弱点が最初に露呈したのは安政江戸地震の時です。西丸下の武家屋敷は軒並み壊滅したか炎上しました。現在、二重橋見学のためにバスから観光客がぞろぞろ降りるあたりに水野忠邦邸はあったわけです。切絵図は小さくて読みにくいですが、「西之御丸」の「西」字と向かい合った長方形の区画の西北隅、「水野エチゼン」とあって「沢潟おもだか」の紋の付いている屋敷がそうです。
切絵図では「西之御丸」の東南の角に「凸」型に出っ張った濃い輪郭線が堀との境界を示していますが、その「凸」型はそのままの姿でグーグルマップにも見えます。つまり、地形は江戸時代から全然変わっていないわけです。
 天保14年閏9月13日の深夜、水野邸は江戸中から集まって来た夥しい数の群衆に囲まれていました。その日のうちに、忠邦が老中を罷免されたという噂が町中に広がっていたのです。人々の間から自然発生的に「エーイエーイ、ワーイワーイ」と鬨ときの声が湧き上がります。誰からともなく石を投げ始め、ひっそり静まりかえった邸内に雨あられと降り注ぎました。いつもなら権力の中枢として近寄りがたい権威に包まれ、厳しく警固されている場所なのだが、今や火事場のような騒ぎに包まれています。門前の番小屋まで襲われています。
群衆はドヤドヤと小屋になだれこみ、畳やら障子やら、さらに家具の類までを手当たり次第に持ち出して堀に投げ込みます。番人の足軽は命からがらで逃げ出します。殴られてケガをする不運な奴もいます。もう誰にも止められません。群衆の数はどんどん増え、物見高い見物人も押し寄せてきて、人出は数万に達しました。
こんな面白いことは滅多にありません。みんな大興奮ではしゃぎ回り、西丸下はちょっとしたお祭り状態でした。サッカー競技場なみの騒ぎです。
隣近所の老中や若年寄の屋敷の門前には高張提灯たかはりぢょうちんが赤々と灯されて自邸を守り、手勢を派遣して近くの坂下門・桜田門・西丸大手門を警備します。制止札が掲げられるが、群衆はおとなしく解散するどころかいよいよ意気盛んで、お先っぱしりの調子者が門扉を打ち破る勢いさえ見せます。群衆の潮はなかなか引きませんでした。
 ところがこの騒動のさなかに不可解な動きをする人物が一人いました。時刻は子時ねどき(午前零時)を過ぎました。この時間になってようやく、南町奉行の鳥居甲斐守忠耀ただてるが与力・同心の一隊を引き連れ、物々しい火事装束に身を固めて馬に乗って駆け付けて来ました。暴れ騒ぐ群衆を遠巻きにする位置に陣取って、「静まれ 、静まれ」と呼ばわりますが、いかにもマニュアル通りにやっているだけで、あまり熱心な様子には見えません。町奉行といえば暴徒を鎮圧して治安を守るのが職務なのに、耀蔵ようぞう(忠耀の通称)はひそかに眼前の光景を楽しんでいるようでした。いや、内心ではほくそえんでさえいたのです。
 耀蔵は忠邦追放の陰謀にちゃんと一枚噛んでいました。天保改革をやりすぎた忠邦を失脚させる多数派工作にちゃっかり便乗していたのです。いつの時代でも、政府に危機が訪れ、代替わりが必至となった局面になると、必ずこういう手合いが姿を現します。民衆は物事をしっかり見ています。当時の川柳に、〽鳥居をば残し本社は打ちこわし。鳥居耀蔵は裏切り、水野一党は全滅したと政局をうまく読んでいるではありませんか。
江戸の民衆は大喜びでした。天保改革のおかげで不景気に陥り、すっかり火が消えたようになっていた江戸の町々に活気がよみがえり、江戸中が「アアラ、嬉しいな、めでたいな」と浮かれ立ちました。事件当夜に投石の現行犯で捕まった者は39人います。多くは裏長屋に住んでいる中間ちゅうげん・小者・鳶の者です。いずれも不景気で働き口が乏しく、日銭も減って困窮していたその日稼ぎの連中でした。「なぜお屋敷に石を投げたのじゃ」と調べの役人に問われて、「イイエ石を投げたのじゃございません。意趣を返したのでございます」。   了

国語辞典『言海』260冊

今日の朝日新聞〔ひと〕欄で国語辞典の校正者境田稔信氏が紹介された。

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(ひと)境田稔信さん 6千冊の辞書を収集した校正者
2017年9月21日05時00分

都内の自宅マンションの12畳の部屋は、「広辞苑」から非売品の「警察隠語類集」まで辞書6千冊がぎっしり。愛着ある国語辞典「言海」だけで260冊。国会図書館にもない辞書を求め、名だたる言語学者が調査にやってくる。
高校時代は陸上部だった。体育大を受験したものの、失敗。好きな漫画の編集者になろうと出版の専門学校に入り、ここで校正の仕事を知り、国語辞典の魅力に惹かれたという。
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●日本エディタースクールではなかろうか。日本の出版社が創設した専門学校である。実は、私も創立間もない、この学校で校正などの勉強をした。そうして出版社の辞典部で、漢和辞典、実用国語辞典の編集責任者をした経験もあるので、『言海』の魅力も解る。辞典6000冊もすごいけれど、『言海』260冊も凄い。本当に国語辞典のことが解った方だと思う。

朝日新聞 デジタル より

〔自費出版の勧め〕 再録

2011-12-05

自費出版の勧めAdd Star
18:30●朝日新聞の「55プラス」で自費出版を採り上げ、今日で4回目になる。作家の中山千夏氏は、2004年に、NPO法人〈日本自費出版ネットワーク〉を創立されて、代表理事を務めておられるとのこと。商業出版になじまない優れた研究や詩歌はたくさん残っている。これらに光を当てて、後世に遺そうという目的で、毎年1回、日本自費出版文化賞をを開催して、優れた著作を表彰しているという。

●第14回の今年の、自費出版文化賞・大賞は、杉山四郎氏の『アイヌモシリ・北海道の民衆史』(中西出版)である。著者の杉山四郎氏(64歳)は元高校教諭で、道内の歴史的な記念碑、約300基を調査して、北海道開拓を支えた民衆の歴史を1冊にまとめたものという。私も、是非、購入したいと思う。

●私は、70冊ほどの本を出しているが、出版に当って、出版社に対して、「この本は売れます」とは1度も言った事が無い。ただ、「この本は内容が良いので、出版の価値があります」と言って、出版をお願いしてきた。私の書いた本は、概して商業出版にはなじまないものなので、文部省の出版助成を受けたものも何冊かあり、自費出版も4冊ある。

①、可笑記評判 昭和45年12月25日、近世初期文芸研究会発行、非売品。
②、鹿島則孝と『桜斎随筆』 平成5年6月25日、深沢秋男発行、非売品。
③、神宮々司拝命記 平成10年7月25日、深沢秋男発行、非売品。
④、斎藤親盛(如儡子)伝記資料 平成22年10月25日、近世初期文芸研究会  発行、非売品。

●自費出版は、この4点である。いずれも、商業出版には縁遠い内容のものである。しかし、このようなアクションを起こさずにいられない衝動があった。そして、この実行が、『近世文学資料類従・仮名草子編』や『仮名草子集成』や『浅井了意全集』や『桜斎随筆』(全18巻)に繋がった。

●著作したら、原稿を机の中に保存しないで、ドシドシ出版して、興味のある読者に読んでもらえるようにすべきだと、私は思っている。
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●鹿島則孝の『桜斎随筆』の時は、出版してくれる出版社が無ければ、7000頁、全冊、写真撮影して、ネガを作り、そこからポジを作成して、全国の図書館に実費で配付することも考えた。

■『桜斎随筆』の原本

自費出版への熱い思い

●今日、このようなブログに出合った。ここで取り上げているのは、私ではないか。出版とは、生み出す、と言うことである。それが原義だ。実に尊い、人間の行為である。それは、趣味なんかでは無い。そのように、私は考えている。


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口べた社長の饒舌ブログ

 

自分の熱い思い、体験、研究、思想……。どんなことでも自由に表現して、創り、伝え、残せる。これほどすばらしいことがあるでしょうか。出版、自費出版、本づくりってすばらしい。青山ライフ出版の社長が自費出版への熱い思いを語ります。
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原稿を机の中に保存しない

投稿日時: 2011年12月7日 投稿者: admin
出せば得る
「自費出版の勧め」という、とても共感できるブログ記事を見つけたので紹介します。

http://d.hatena.ne.jp/fuaki/20111205/1323077443

特に共感したのは以下の部分です。
「このようなアクションを起こさずにいられない衝動があった。そして、この実行が、『近世文学資料類従・仮名草子編』や『仮名草子集成』や『浅井了意全集』や『桜斎随筆』(全18巻)に繋がった。
著作したら、原稿を机の中に保存しないで、ドシドシ出版して、興味のある読者に読んでもらえるようにすべきだと、私は思っている。」
情報を得たいと思ったら、自分の持っている情報をどんどん出すこと。
そうすると巡り巡って、自分に情報が入ってきます。
お風呂の中で、水を自分の方に持ってこようとすると、
水はどんどん脇から逃げていきます。
そこで、今度は水を押し出してみる。
すると、水は逆に脇からこちらに流れ込んできます。
それと同じ法則がいろいろなケースであるように感じます。

青山ライフ出版 代表取締役。青山ライフ出版は東京都港区にある出版社。自費出版、社史制作などに力を入れている。実用書、エッセイ、小説、詩集、絵本、写真集など幅広い出版物を発刊している。
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